小林 |
ぼくなんかにも
「いいものが欲しい」というのがあるから、
ちょっと油断すると「いい車」になっちゃうの。
でも、ほんとにかっこいいのは
掘っ立て小屋に住むとかいうことですよね。
宮沢賢治か稲垣足穂かみたいになるのには
一朝一夕にはいかないから、
そうしていく癖をつけないと。
今は、戦争がなくて、
死んでしまうかもしれない状況がないから、
若い人たちが、変なものを信じてるんだよね。
永遠みたいなもの。 |
糸井 |
「安心」だよね。 |
小林 |
そんなものは、ないわけで。 |
糸井 |
死は、隣にある。
俺たちもほんとは隣あわせで
死んでしまったかもというのがあるけど、
「今日も明日もこつこつと」
って、ひとは言うんだよね。 |
小林 |
確実なものが世の中にないことは、
競馬をやっていれば、いつでもわかります。
予想していると、
「俺って何て常識人なんだ」
と思うのね。
穴とか中穴を狙っていくのだけど、
その予想も、結局は本命の裏返しなんです。
本命という軸があるから、
そういう行動に出るだけで。
だから、常識で選んでいるだけになる。
最後にはデータに頼る、というふうになったら、
今の株式市況みたいになるでしょ?
「これ買っておけば安全」ということですから。
そこに行きたくない気持ちで、という、
ぼくの場合は、そういう買い方をしています。
「なぜこういう発想しかできないの?」
「何で現実のなかで考えられないの?」
って思いながら、競馬をしています。 |
糸井 |
アイデアには勝ち負けはないけど、
勝ち負けの勝負には、勝ちたくなってしまう。
勝ちたい気持ちがあると、
保守的になるような気がするんですよ。
・・・つまり、遊びって、
しないのが一番遊んだことになる、
というようなことがあるじゃない? |
小林 |
哲学的ですね。 |
糸井 |
俺、落語を好きでしょ。
遊郭では「下の下」の男は居残る、
「下」は泊まる、「中」はそのまま帰る、
「上」は通り過ぎるだけという風に
中の女からは見られているという仕組みで。
「通りがかって見る」というだけのやつは、
ほんとうはお金を落とさないにも関わらず。
でも、お客さんは
「どうやってものにできるか」
とかいう、勝ち負けだとかの
別のルールを自分のほうで持ちこんでしまうから、
「花魁にほれられちゃってさ」
とかいうドラマができるんですけど・・・。
競馬も、勝ちたいから参加しているんであって、
その時点で保守的になるんじゃないかなあ。 |
小林 |
ぼくは、電車で赤鉛筆を耳に差して
競馬の予想をしているひとたちを見て、
「このひとたちのほうが、
普通のひとよりも信用できるんじゃないかな」
と感じたんです。だから、憧れていました。
切実なお金を握りしめて、
不確かなものに向けて賭けようとしている姿に、
「信じられるんじゃないか。
そのひとたちの世界に触れたいな」と思った。
ぼくの場合、切実度で言うと、
自分のなかでバランスを取るところがあるので、
近づくのには限界があると思いますけど・・・。
それでも、不確かなものに向かうひとたちの、
表現されていかない何かの中に、
役者としては入りたいという気持ちがあります。 |
糸井 |
ぼくの場合は、「広さ」が欲しくて
そういうひとに近づいていましたね。 |
小林 |
競馬の世界に入ってみると、
下らないひとはいなくなりましたよね。 |
糸井 |
うん、それはすごくわかる。
あらゆるところに、
俺が今まで見ていなかったすごいひとたちが、
山ほどいますよね。
そういう意味での幅広さが、
ないことにされちゃうと、嫌ですよね。
例えば、没になるからこういう歌詞は書けない、
そういう風にやり続けていると、
そのうちに、つるんとした服のなかにいる
ひとたちのように、なっちゃうと思うんだよ。 |
小林 |
つるんとした服になって
おんなじようになっていく理由は、
なんだと思いますか? |
糸井 |
安心信仰だと思う。
「そのほうが食える」っていうやつ。 |
小林 |
そうだね。
例えば、今どきの高校生を見ていると、
疲弊していると思う。 |
糸井 |
でも、見ていないだけで、
ほんとはその中に、
おもしろいやつが、いるんだよ。 |
小林 |
それはどんな世の中にもいるんだけど。 |
糸井 |
ぼくは「いる子のほう」だけ見てる。 |
小林 |
でも、100メートルで10秒切る人は、
20秒のやつばっかりいるなかには、
出てこないんじゃないかなあ。
(つづく) |