糸井 |
シンプルになることが
かえって豊かだということ、ありますよね。 |
小林 |
ないことが豊かだと思うときは多い。 |
糸井 |
要らないんだと知るまでは、
必要な気がしていて、
その「見えない必要」に追われるんだよ。
海外にいる間には、週刊誌を読まない。
なかったら要らないということは、
もともと要らないんですよ。
ぼくに必要なのは、タバコだけです。
それももうすぐ辞めますけど。
・・・そうなると、だんだんと
スカスカのフカフカになると思うんですよ。 |
小林 |
え、ぼくは逆に、
スカスカにならないと思うんですけど。 |
糸井 |
ただの棒みたいになっちゃうと思います。
風が吹いたら飛んじゃうし、
それでいいと思うんですよ。
何十年かしか生きないんだから、
ちょうどいいじゃない。 |
小林 |
見えていないことのほうが豊かなこともあるし、
シンプルなことのほうが強かったりしますよね。
外国に行ってみると、
「これはすごい豊かだなあ」
と思うときが、よくあるでしょ?
モンゴルで丘の上に立ったときに、
動いているものが何もなかったんですよ。
そんな光景って、あんまりない。
360度のパノラマで、
動いているものが、ひとつも見つけられない。 |
糸井 |
詩だね、その風景が。 |
小林 |
色即是空の「空」っていうのは、
もしかしたらこういうことなのかもしれない、
と、ぼくは勝手に解釈しているんです。
「色即是空」は、
インドから日本に入ってきた言葉だけど、
日本では実際に「空」を実感することはない。
だからこれは、
抽象的な観念なんだろうと思っていたけど、
モンゴルにいた時には、その「空」が、
実在しているという感じが、すごいあったんです。
助けを呼ぼうにも誰も来ない・・・
「ここに我あり」だけなんです。 |
糸井 |
記憶として残る場所なんだ。 |
小林 |
モンゴルは、
めちゃくちゃ気持ちのいいところです。
遊牧騎馬民族と農耕民族って、全然違う。
中国で崖を登ろうというときに
パジェロを運転している現地のひとに、
登ってくれと言っても、登らない。
昔日本人が緞帳をつけて
テレビを飾っていたみたいに、
あそこではパジェロが家具になっていたから。
車が大事で登れないんです。
「これはどこかで見たことがある。
この心根は日本でも見た。つまり農耕だ」
ぼくは、そう思ったの。
モンゴルのやつは、
パジェロ4台くらいで走っていると、
誰も「競争だ」なんて言っていないのに、
他のやつより早く着きたくて、
負けたくないっていって車を飛ばすんです。
それで一台がスタックしちゃう。
彼らは友情があるから集まって、
その1台を助けようとするんだけど・・・
まあ、余計時間がかかるんです(笑)。 |
糸井 |
競争したおかげで。 |
小林 |
そういうやつらなんですよ。
でも農耕とどっちが心熱いかっていうと・・・。
農耕では、地縁が出ますよね。
土地に対する信仰が強くなるんです。
お墓もつくらなきゃいけない。
モンゴルには、もともとお墓がないんですよ。
そこで生きてゆく術は「何も持たない」ことです。
最小限の荷物。
引っ越すときも、1時間くらいでゲルをたたむ。
あとに何も残さないのは、かっこいいです。
何も持っていなくて貧しいのですが、
逆に、友達には何でも分け与えるんですよ。
めしもいいものを食わせるし、
嫁さんまで与える。
その考え方は、いいなあ、と思います。
もちろん、ほんとに遊牧で暮らすことには、
もっと厳しさもあるのでしょうけど。
・・・でも世界帝国を築いた中でも、
ハンガリーからイスラムから全部というのは、
フビライ=ハンの時の元しかないんですよね。 |
糸井 |
その強さに対して
俺らはかっこいいなって思うのかなあ。
ぼくが赤城山で埋蔵金やってたときの気分は、
そういうことなんですよ。
地元の土建屋のひとと、
毎日そういうつきあいをしてたの。
(注)
カグチさん話などで最高に盛りあがった部分は、
小林さん&darlingの
声の調子なしでは伝わりきらないので、
今回のライブ中継文字バージョンでは
涙をのんで省略をいたしました。
(おわり) |