糸井
薫ちゃんは、役者をずっとやってきて、
「俺は、ここのところはこうだな」って
わかってきたようなところって、あるの?
小林
ああ、どうだろうなぁ。
糸井
思えば、ずいぶん長く続けてるわけでさ。
小林
ですよねぇ。
まぁ、ひとつは、楽しんでもらおうと思って
やってるんですかねぇ。
糸井
ああ、なるほど。それは、うまい言い方だ。
小林
たぶん、長い時間をかけて、
なにかを極めたような人って、
やっぱりそこに根が生えるというか、
ずっとやり続けることによって、
そこから栄養をもらえる、
みたいなことってあると思うんですよ。
だから、ぼくの場合も、基本的には、
役者をずっとやり続けていく。
そのなかでしか見えてこないことって
あると思うんですよ。
糸井
うん、うん。
小林
だから、その場所を、ずーっとこう、
コツコツ、コツコツ、
井戸を掘るような作業を続けていく。
縁のある場所に井戸を掘っていく、
っていうことが必要なんでしょうね。
糸井
そのうちに、掘っていることが
本職として身についていく。
小林
うん。水が出ようが、出まいが、
コツコツ掘り続けていく。
もしも出なかったら意味がない、
バカみたいな作業を延々とこう、
やらなきゃいけないわけだし、
それが、まぁ、笑われたりもする。
でも、まったくゆかりのない場所へ行って
掘るわけにもいかないんだし。
「隣で水が出たから、その近くで掘りたい」
っていうものでもないから。
糸井
掘る場所を変えたら、
また同じ深さまで掘らなきゃだめだし。
小林
そう、そう。
だから、自分に残された時間とかも考えて、
やっぱりそこで掘り続けるわけで。
そういう作業みたいなことを
ずっとやっていくっていうことが、
ひとつの見方みたいなものを
自分の中に獲得できるんじゃないか
っていう気はするんですよね。
糸井
いつごろから、
そういうふうに考えるようになったの?
小林
あ、でもね、
この「井戸を掘る」っていう言い方は
ぼくのオリジナルじゃなくてね、
戦後、兵隊で終戦を迎えた、
田村隆一っていう詩人の方が
いらっしゃったじゃないですか。
糸井
はい、田村隆一さん。
小林
田村隆一さんが、誰かとの対談のなかで、
「詩人の作業っていうのは、
 井戸を掘ることだ」っておっしゃってて。
それがとっても印象的だったんですよ。
水源が見つけられなければ、
本当に馬鹿みたいな作業だけど、
見つかったら、もう、どんどん湧いて出てくる。
そういう境地に至るくらいまで、
やっぱり掘り続けなきゃけない、
っていう話をしていたのを聞いて
「これ、いい話だな」と思って。
それを少し自分の話に置き換えてみると、
たとえいまなにもなくても、
自分の掘るスピードが遅くても、
とりあえず、自分の場所というか、
自分の居場所で穴を掘っていく。
穴を掘る作業でしか、まわりは見えてこないし、
自分の位置もわからないんじゃないかと。
糸井
あぁ、あぁ。
小林
世間で自分がどの位置にいるのかとか、
いくらでも勘違いすることは可能だけど、
「あぁ、なんか自分の考えてることって、
この程度のことなんだ」とか、
「いまこの辺の位置にしかいないんだ」とか、
そういうことをしっかりわかるためには、
まわりの情報もたしかに大事なんだけど、
やっぱり職人のように、コツコツ、コツコツ、
穴を掘る作業みたいなことを
やっていくしかないんじゃないかな。
糸井
たしかに、同じ地図を見るにしても、
自分の現在地を知っているか知らないかで
ぜんぜん意味が違うものね。
小林
そうですね。
糸井
鳥の目を持ってるわけじゃないんだから。
小林
だから、進歩とはいわないけど、
なにかひとつのことでも、
10年前といまは違ってるっていうように、
ちょっとずつ掘り進めないと。
それはもう、作業として。
そういう作業をくり返していくしかないのかな、
っていうふうに思うんですよね。
そのためには、力を入れてばかりいたら、
肩こっちゃうし、掘り進められない。
「あ、力抜かなきゃいけないときもあるんだ」
って気づいたりね。それはつまり、
「遊びでやることも必要なんだ」とかね。
同じ意味で慌てることも、ときには必要だし。
糸井
なるほど。
小林
だけど、そうやってずっと掘っていっても、
ぼくは、水源にぶち当たったっていう感覚はないし、
なかなか当たらないものなんだろうと思うんですけど、
田村隆一さん的な言い方をすれば、
極めた人たちの感じ方とどこかで通じるためには、
やっぱり、自分なりの井戸を
掘っていくしかないんじゃないかな。
糸井
ふーーん、そうか、そうか。
小林
なんか、そんなことを思ってますね。
糸井
少なくとも、「役者」というものは、
薫ちゃんにとって「譲れない自分の場所」なのかな。
小林
‥‥いや、それは思ってないですよ。
糸井
思ってないんだ。
小林
だって、ここが自分の場所とも思ったことないし、
でも、振り返れば‥‥ですよ。
糸井
つまり、役者としての仕事が来るから?
小林
ぼくらはね、本当に依頼が来てなんぼなんですよ。
受け身なんですよね、役者って。
自分がこうやりたいとか思っても
どうしようもない。
糸井
はぁー。
小林
たとえば、なにかの取材で、
「次回はどんな役に挑戦したいですか?」とか
よく訊かれるんですけど、
ぼくはいつも「考えたことないです」
って答えてるんですね。
「ハリウッドでやりたいです」
とか言う人もいますけど、
自分がこうありたいと思ったからといって、
現実的にまわりが
動いたりするものでもないですから。
もちろん、具体的になにかやりたいことを
思い浮かべて努力するのは
まったく構わないんですけど。
でも、ぼくがなにかの役をやるとき、
たぶん、ぼく以外の候補が5人くらいいて、
その中からたまたま選ばれてるんですよ。
そういうなかにいるときに、
「ぼく、あの役がやりたいです」
って言ったってしょうがないわけで。
糸井
なるほどね。
小林
そう考えるのがふつうじゃないですかね。
だから、ぼくはここに
ずっと居られると思ったことはないし、
気がついたら、振り返ったら、
なんか40年くらいも芝居やってる、
っていうことになるんだけど、
ずっと居ようとも思ったこともないし。
ただ、いまの予想としては、自分の年も考えて、
「あぁ、たぶん、将来も
 やってるんだろうな」とは思うけど。
糸井
そういう認識なんだね(笑)。
小林
そんな気がする、くらいのこと。
「病気でもしない限りやってるんだろうな。
 病気しても、全快したら、
 またなんかやるんだろうな」とか、
そういう感じはありますけど。
糸井
役者以外のことはしないような気がするね。
小林
というか、この年になったらさ、
役者以外では、もう使い物にならないでしょ。
はっきり言って。
一同
(笑)
糸井
きっぱり言ったね(笑)。
小林
だって、はっきり言って使えないでしょ。
だから、まぁ、ほかのことは考えないですね。
それと、変な話、この仕事ってね、
‥‥わりと割りがいいんですよ。
糸井
はははははは。
一同
(笑)
糸井
得意だし、割りがいいっていうことで、
小林薫はずっと役者という井戸を掘っていくと。
小林
うん。自分にとって、
ほかの仕事よりもラクだからね。
糸井
(笑)

(つづきます)
2015-02-02-MON

映画 深夜食堂

2015年1月31日公開
映画『深夜食堂』公式ページ:
http://meshiya-movie.com/

繁華街にある小さな食堂を舞台にした
さまざまな心温まる物語、『深夜食堂』。
漫画からはじまり、テレビドラマとしても
たくさんのファンに愛されている
『深夜食堂』が映画になりました。
主演はもちろん、小林薫さん。
寡黙なマスターとお客さんたちの
素敵なストーリーをスクリーンでどうぞ。

監督:松岡錠司
原作:安倍夜郎
出演:小林薫、高岡早紀、柄本時生、
   多部未華子、余貴美子、ほか

©HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN