- 糸井
- 薫ちゃんがさ、もっと若いころに、
憧れてた笠智衆さんと会って話をした
っていうのを俺に言ったの覚えてる?
- 小林
- あぁ、はい、はい。
- 糸井
- 笠さんとなんの話をしようかと思って
楽しみにしてたら、
「ギャラはいくらですか?」
って聞かれたという(笑)。
- 小林
- あ、それは違う。
- 糸井
- 違った?
- 小林
- 似てるけど違う。
あのね、ぼくがいろんな人に
「笠さんと会わせてくれ、会わせてくれ」
って言ってたら、ある日、
NHKのプロデューサーみたいな人が
控え室にいた笠さんに話を通してくださって、
ついに会えることになったわけ。
「すみません、こちら小林薫さんといって、
劇団とかでお芝居をされてる方なんですが、
笠さんにどうしても会って
お話ししたいということなんですが、
よろしいでしょうか?」って。
そしたら笠さんが
「あぁ、いいですよ」って言われて。
それで、こう、座って、さて、と思ったら、
笠さんがちょっとしたサービス精神で
自分から切り出してくださったの。
「芝居をやってる。あぁ、そうですか。
‥‥芝居は儲かりますか?」って。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- そうか、そうか(笑)。
- 小林
- 「いえ、芝居では儲かってませんね」って言ったら、
「私も小津先生の芝居のときにね、
地方ロケ行って、杉村春子さんが文学座の仕事で、
行ったり来たりして、忙しい思いをしてるから、
『そんなことはやめて、映画に専念したら、
儲かりますよ』と言ったら、怒られました。
アッハッハッ!」って(笑)。
- 糸井
- いいねぇ(笑)。
- 小林
- なんか、なごませようと思って
言ってくれたと思うんですけど。
緊張してて、そんな話しか覚えてないんです。
あとは、ぼくがドラマのなかの笠さんの演技で
すごく印象に残っている場面があって、
それについて質問したりして。
- 糸井
- なんのドラマ?
- 小林
- 倉本聰さんが書いた『幻の町』っていうドラマでね、
笠さんが田中絹代さんとご夫婦の役で出てる。
ふたりは樺太に生まれ育って結婚したんだけど、
終戦後、北海道に引き上げてきていて、
かつて自分たちが生活していた町の
地図をつくろうとしているわけ。
で、最後、北の町で、夫婦が
呆然と立ちすくんでいるところに、
雪がバーーっと降るんです。
そこで、ふたりは突然、昔話をはじめる。
「お前には苦労をかけた」みたいなことを
笠さんが奥さんに対して言うんです。
で、あのときこう言ったとか、
それはなんとかさんじゃないですか、とか、
やり取りするうちに、奥さんが、
あ、ちょっとまずいことを言ったかな、
みたいな間になるの。
そしたら、そこで笠さんが
「キスをしていいか」って言うんだ。
- 糸井
- おぉ、いいね。
- 小林
- で、頬っぺたにちょっとするんですよ。
カメラはふたりを正面から撮ってて、
ふたりはぼうっと景色を見てるんだけど、
キスし終わったあとに、笠さんが、
絶妙な間で、こう、ステップを踏むんですよ。
- 糸井
- へぇー。
- 小林
- で、その、笠さんのキャラクターと、
とくにセリフもなくフッと動いたことが
もう、すごくおもしろくて印象に残ってたんで、
「あれは台本に書かれていたんですか?
それとも、笠さんが現場でお考えになって
やられたことですか?」って聞いたら、
「あれは、私が考えました」っておっしゃって。
ああ、やっぱり役者なんだなぁと思ってね。
- 糸井
- 「私が考えました」っていうひと言が、
また、いいね。
- 小林
- いいんだよ(笑)。
- 糸井
- それもさ、まさに、笠さんが長年、
コツコツとやったことの結果だよね。
- 小林
- うん。いや、あの人は、ほんとうに
ちょっといない役者さんですからね。
ほんとうに、そういうところでは、
自分の場所を掘った人じゃないですか。
- 糸井
- 薫ちゃんはそういう人に憧れてたんでしょ?
つまり、笠智衆っていう人は、憧れの人で。
- 小林
- って、なりますよね。
- 糸井
- やっぱり、笠智衆さんに
憧れる俳優さんは多いんですか。
- 小林
- いや、みんながそうかわかんないんですけど。
なんていうか、笠智衆さんって、芝居そのものが
特別うまいっていう人じゃないと思うんです。
- 糸井
- ああ、つまり、1色の人だよね。
- 小林
- 1色ですよ。つまり、小津さんの映画のイメージ。
だいたいあの、九州の熊本訛りの。
だけど、余人に替えがたい、っていうかさ。
- 糸井
- おぉ。
- 小林
- やっぱり、笠さんなんだよ。
その後、現場でもお会いしたんだけど、
大船に住んでらっしゃって、
ご高齢になってからも、
階段をひとりで上がって、
電車に乗ってやってくるんですよ。
プロデューサーが、
「頼みますから、ハイヤーを出すので、
うちのほうで送迎させてください」
って言っても、あの人、断って電車で来るんです。
やっぱり、昔、大部屋で、
小津監督の下にずっといた人だから、
役者がちょっといい気になって
調子に乗っているようなことに厳しいんだよ。
でも、駅で転んだりしたらさ、
それこそ命にかかわるじゃないですか。
だから、お家の方にもお願いしたらしいんだけど、
「私たちも、死を覚悟して送り出してます」
って言われたそうです。
- 糸井
- はぁーーー。
- 小林
- 最後の最後、ドラマでごいっしょしたときは、
送るのだけは許してくださったんだけど。
それまでは、ずっと
「私は歩きますから、大丈夫です」って言って。
- 糸井
- へぇー。
- 小林
- それはね、ちょっとかっこつける、
みたいなことではできないですよ。
ほんとうに、もう、そういう人なんですよ。
- 糸井
- そのように生きようって決めて、
そうしてるんですね。
- 小林
- うん。
- 糸井
- そうすると、
その人に憧れてる薫ちゃんとしては、
「そっちに自分が行きたいのかな?」
みたいなことを問われるわけじゃない?
- 小林
- うーーん、でもね、それはね、行けないですよ。
さっきの話でいうと、井戸が違うんだなぁ。
- 糸井
- あああ、なるほどね。
- 小林
- だから、憧れというか、
ああいうふうになりたいとかいうんじゃなくて、
ただ尊敬する、ということになる。
それはね、真似しようとしても真似できないです。
やっぱり、そこをハンパにやると、
違うものになっちゃうんじゃないですか。
- 糸井
- そうだよね。
- 小林
- そこが、やっぱり、
笠さんなりの井戸なんだろうと思うんですよ。
その井戸を他人がのぞいて、
「いい井戸だな、俺も」なんて言っても、
それは身につかないですよ。
(つづきます)
2015-02-03-TUE