(6月21日)
●小学2年生くらいの時、
お姉ちゃんとお姉ちゃんの友達と3人で、
泥でウンチを作り、電信柱の所に置いて
(つまり犬かなにかのウンチを演出して)
道行く人々がどういう反応をするか、
観察して、ノートに書いていました。
今思えば当たり前なのですが、道行く人々の中に、
さしてメモるような
リアクションをする人はいませんでした。
しかも時間が経つと、
泥が乾いてウンチみたいじゃなくなるので
定期的に水をかけたりして、
よりリアルに見せようという努力までしていました。
どういう反応を期待していたのでしょう・・・。
そして、反応を書き留めることで、
何のデータが欲しかったのでしょう・・。
そして、社会人になった今は、
マーケティングの仕事をしています・・・。
(skipped-beat)
●子どもの頃、
「そんな事したらバチが当たるよ!」と
祖母に怒られるたび、バチっていうものが
いったい何なのか考えるだけで、恐ろしくて
夜も眠れませんでした。
幼い私の、その頃の「バチ」のイメージは、
硬い、しかも弾力性のある
スーパーボールみたいな玉が
背後から、突然、後頭部めがけて
弾丸のように飛んでくるというものでした。
(な)
●子どもの頃、ほんと懸賞に夢中でした。
ハガキを必死に書くのですが、
唯一いつも頭を悩ませるのが
「○月×日必着」の言葉。
「うわぁー、この日に必着ってことは、
うちから東京まで届くのに2日かかるとして、
△日に出せば×日に着くよなあ」
ってことを思ってました。
・・・その×日に届いたハガキのみ
有効だと思ってたんですねえ。
そんな難しい懸賞があるわけないのに。
(かず)
●子どもの頃、政府の広報か何かで、
「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」
というCMを見るたび、恐怖心が植えつけられ、
母親が(化粧するため)自室に入り、中々出てこないと
「・・・お母さん、クスリやってる?」
と心配でたまらなくなり、
あとでコッソリ母の鏡台の引出しをあけては、
注射針がないか真剣に探しました・・・。
(も)
●砂鉄取りに熱中した人のメールがありましたが
うちの小学校では、先生が理科の時間に、
「砂の中には必ず砂鉄が含まれているんだ!」と
断言したもので、近くの川原にある公園に、
友達5人くらいで砂鉄を集めに行きました。
まったく取れないのになぜか熱中し、気づいたら
もうかなり日没状態。
「あたりが暗い」=「家に帰れない」=「野宿」と
いう空気が漂い、なぜかみんな「いくら持ってる?」
(食べ物を買うためか?)「このおりたたみ傘、
売ったら500円ぐらいになると思う・・・」などと、
持ち物を出し合い、高級そうな持ち物があるごとに
ほっとしていました。その後どういういきさつで、
家に帰れることになったのか覚えていません。
(み)
●「公平にする」が
ブームだったという話で思い出しました。
私はトイレットペーパーに公平でした。
予備のペーパーを2個置く
ペーパーホルダーがあったのですが、
必ず上、下、上・・・と
順番に入れることを鉄則にしていました。
私のいない間に上が2つ続けてなくなっていたら、
「ごめんね、下の」
「つぎはきみだからね」と呼びかけていました。
置いていかれて泣いてるように思えたのでした。
(てびり)
●小学校を卒業するくらいまでの趣味は、棒集めでした。
幼稚園で小枝を同級生と取り合って以来、
あちこちから枝を集めはじめました。
校庭で木の枝を切っているときなどは嬉々として物色し、
気に入ったものを見つけると
「うん、いい枝だ!」と言って持って帰っていました。
当時、倉庫は私のコレクションが一杯で、
短い枝から太い枝、どこからもってきたのか短い丸太、
はては荷造り用の硬いプラスチック紐まで。
捨てようとすると、私がものすごく怒るので
母は決してそれを捨てようとはしませんでしたが。
賛同してくれた唯一の友達と、朝早く、
親が寝ている隙に枝と工具を持って家を抜け出し、
人気のない空き地で、
「私は窓を作るよ」「じゃあ、ドアを作るよ」
集めた枝を釘で留めて家を作る作業に没頭していました。
今思えばおかしな話ですが、
当時はとても楽しかったのを覚えています。
(きゅあら)
●私の弟は、子供のころビー玉が大好きで
自分の両足の丸いところ(くるぶし)には
『ビー玉が入ってるんだー!!』
と思い込み、
皮膚の上からさわりまくるだけでは飽き足らず、
本気でカッターで取り出そうとしてました。
姉の私は彼の将来を心配しながら
真剣に止めました・・・。
(みちこ)
●低学年くらいの頃、2コ下の弟と二人で
敵の襲来に備えて爆弾を作っていました。
(稔)
●小学生の時、自分はサイボーグだと信じていて、
身体検査の時に、
ばれたらどうしようといつもヒヤヒヤしていました。
(ステファン)
●となりのうちのおばあちゃんは
男だと思っていました。
なぜかはまったくわかりません。
(ひら)
●弟が小学校低学年の頃、
カブトムシやクワガタ採りに熱中していました。
採ったばかりの虫かごの内側に小さい紙を貼り、
カブトムシに見えるように
「でられん(出てはいけないの意味)」
と大きく書いていました。
・・・カブトムシは字、読めないよ!
(mo)
●小さい頃、どういうわけだか
「うつぶせになって寝ると、下からへそを刺される」
ような気がして、どうしても
うつぶせになって寝ることができませんでした。
(みや)
●小学生の頃、自転車に乗ると
「骨折をした時のために…」と思い
片足を変な方向にまげて、
もう片方の足だけで漕ぐという練習を毎回していました。
それもエスカレートしてきて、
しまいには片足骨折、片手骨折という設定で
必死で自転車を漕いでいたのを思い出します。
今思ったら骨折したら
自転車なんか乗らないよなぁと空しくなるけど。
(なお)
●うちのダンナは、小学校の頃、
「雨は点々に降るので、高速によければ雨に濡れない」
と思いこみ、雨の日は意地でも傘をささず、
高速で雨をよけながら下校していたそうです・・・。
(ハセ)
●わたしの通う小学校は山の上にありました。
なので、朝は
ただひたすら上り坂を登って通っていました。
わたしは、上り坂は
後ろ向きに上った方が楽だと信じていたのですが、
みんながいるときに後ろ向きに進むのは、
さすがにはずかしく、一人になったとたんに、
必死に後ろ向きで駆け上ってました。
遅刻しそうなときなど、半泣き状態で
坂道を逆走していた姿を思うと、
ちょっと泣きたい気分です。
(みわ)
●小学生のころ、いとこの女の子と
オナラの音をテープレコーダーに
録音して喜んでいました。
最近そのことをその人に話したところ、
「そんなことはしていません!」
と強く過去を否定されました。
(kazuo)
●小学校低学年の参観日の日に
自分で考えた「しりとり」を
発表するという授業がありました。
自分でもこんなこと言ってはだめだと
思っていたのですが、
母親が来ていたので興奮していた私は、
「うんち、ちんぽ」
と下ネタだらけのしりとりを発表してしまいました。
(藤豊)
●まつぼっくりは
人のウンチが枯れたものだと思ってました。
もしあの頃、Xmasのリースに飾られる
まつぼっくり見てたら、
相当カルチャーショックだったろうなあと思うと
見てないのが残念なくらいです。
(ふゆ)
●小学校の4年の頃だと思います。
たぶん漫画の影響だと思うのですが、
教会の入り口でひざまずいて
手を合わせてお祈りする図に憧れていました。
漫画では、家族が死に至る病気で
それが治るように
祈っているとかいう話だったと思います。
学校の帰り道、雨が降っている日に
「今日だ!」と思い立ち、
通学路破りをして、教会の前で傘を横に置き、
濡れながらやってみました。
全然絵になってなかったと思うのですが、
やったあとは達成感でいっぱいで、
「不幸にも負けずけなげに祈る私」
を演じながら、幸せに浸っていました。
できれば友達がそこを通りがかり、
「あれ、こんなところで何してんの?」
と聞いて欲しかったし、聞いてくれたら、
「今日見たことは誰にも言わないで」
というつもりでした。
あいにく誰も通りませんでしたが・・・。
(chi)
●私は小学校低学年の頃、郷ひろみの大ファンでした。
季節ごとのテレビの芸能人運動会が楽しみで、
会場の体育館にいることを想像し、広告の裏に
「GO!GO!ひろみ」
とマジックで書き、それを持って応援してました。
でも、マジックで書くのはかっこ悪いような気がして、
次の運動会にはビニールテープを切って
「郷ひろみ」と制作していたら、「郷」の画数が多くて
うまくテープが貼れず、運動会がはじまってしまい、
「間に合わない〜」と泣いたことがありました・・・。
(いずみ)
●小学生の頃、時代劇などに出てくる
不憫な女中さんに憧れました。
お風呂に入ったとき、
スポンジで床をしんみり磨いては、
ため息をつき、床磨きに疲れたら、
蛇口から直接水を飲む…。
そんなひとり遊びを楽しんでました。
もちろん素っ裸で…。
「ああ、私はこの家に雇われている
かわいそうな女中なのだ」
と想像しては、ワクワクしてました。
(和)
●小さい頃、私は
「仮面ライダーV3と結婚する!」
と宣言していたらしい。
しかも、変身した後なんだそうな。
今、30才過ぎた今も独身のワタクシに、
母は「もうV3はあきらめなさい」と注意します。
んなこと言ったって、本人、覚えてません。
(m)
●子どもの頃、お箸が使えて
文字も書ける器用な右手が大好きでした。
ろくに文字も書けない左手が大嫌いで、
右手をいつもひいきしていました。
何故かおトイレに入ると右手と左手で
じゃんけんをする癖があり、
必ず右手に勝たせていました。
でも、時々間違えて左手が勝ってしまうと、
ふんばりながらも左手を右手でピシャリとたたき
「なんで勝つのよ」と怒っていたりしました。
自分のことながら、まったく理解できない行動です。
(もんもんち)
●子どもの頃、自分の左手を差別していました。
右手ちゃんはお姫様、左手は家来という風に。
メチャクチャ寒い冬場でも、
左手は布団の外に出して寝てました。
(グリコ)
●子どもの頃、
「左右対称」を何よりも尊んでいた時期がありました。
学校から帰るとき、片足だけ石やマンホールなどの
デコボコを踏むのがガマンならなくて、もう片方の足も、
同じ強さで、同じ部位で踏むことを心がけていたため、
帰る途中、何度も行ったり来たりしていました。
友達に肩を触られたら、
「もう片方も触らないのに肩に触るんじゃねーよ!」
と、不合理なマジギレをしたこともあります。
そういう時は怒りながら自分で反対側をたたいてました。
(k)
●小学生の頃、
「笑っていいとものテレホンショッキングに
自分もいつか紹介される」
と思い、びくびくしていました。
鏡の前で、どんな質問でも答えられるように
練習していました。
(iron)
●子どもの頃、よく見た夢があります。
それは
「ともだちが大きな車を片手で持上げる」
というもの。
これが当時の私にとって、とてつもなく怖い夢でした。
翌朝、この夢を母親に興奮して毎回言うのですが、
いつも母は、この子何を言ってんの??という反応。
「なんで怖くないの!」
といつもじれったく思っていました。
今思うと、私も母と同じ気持ちです。
何が怖かったんだろう。
(みる)
●子どもの時、
「醤油って、髪の毛を燃やして作る」と友達に聞き、
今思うと全く信じられないような事を
真剣に信じてました。
だから、自分で醤油を作ろうと思い
試しに落ちている髪の毛を燃やしましたが
溶けて縮れるだけだったので
「いつも買ってくる醤油は、
一体どれくらいの髪を燃やしているんだ?
そんなに世界には髪の毛が余っているのか。
髪の薄い人は、醤油を作るために売っているのか」
などと、訳のわからない事を思って過ごしてました。
(べんちゃんず)
●わたしが小6で弟が小3くらいのときでしょうか。
弟が愛してやまないカールを、小腹のすいたわたしは
つい、食い尽くしてしまいました。
活火山のごとく、泣き喚いて怒る弟。
これは形勢悪しと思ったわたしは、なぜか
(そうだ!おかしくなったふりをしてやれ)
と思いついたんです。
「うがあ*@#=4?¥ーーー!!」
と、わたしは突然叫び、頭を壁に自らぶつけたり、
ざぶとんに噛み付いたり、
タンスを意味なくがたがた揺らしたり、
それはいろいろしました。
弟はあまりのことに恐怖で凍りつき、
カールのことなど忘れて、
「ご、ごめん・・・まじでごめん・・・」
と謝ってしまっていました。
今思えば、ものすごい作戦ですよね。
(えり)
●小学生の頃、ポストは全て四角になって
丸いものは無くなるというニュースを聞き、
「あの薬屋さんのトコのポストも壊されてしまう!
今行かなければ無くなってしまうー!」
とさんざん悩んだあげく
(決まったからって一斉に壊すはずがないのに)、
こっそり家を抜け出し
夜道をドキドキしながら走りました。
「かわいそうに。何で壊すんだ」
となでなでして、一人別れを惜しみました。
そのポストは今も健在です。
あらっと気が抜けますが、今も見るたびほっとします。
(さちっこ)
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(ミニコメント)
今日は、昨日に配信した
メルマガ「デリバリー版」からと、
「まだ、どこにも掲載していないネタ」を、
あわせて、こちらにのっけてみました。
・・・あなたは、どの話が、好きでしたか?
こうして、たくさんの「ガキ」の姿が出てくると、
なぜか、自分がどういうガキんちょだったのかってことも、
よくわかるような、気がしてくるんです。
「あるある、こういうところは、あった!」
「こういう時、自分は、こうしたよなぁ、きっと」
いちいち反応していくうちに、また、
ヘンなエピソードを、思い出したりするのも不思議だなぁ。
ご両親や兄妹など、まわりの人に、
「わたしって、どういうことしてた?」
と聞いてみると、予想外の事実がわかったりするかも。
きょうは、土曜日。
ゆっくりした気持ちで思い出した、
あなたの、「ガキ」の頃のナゾな行動を、
postman@1101.com
こちらまで、ぜひ、送ってみてください。
明日も、更新します。また、寄ってね!
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