(6月22日)
●小学校3年生のころ、
和室のちゃぶ台にけだるそうにもたれかかって
ワイングラスに入れた
ファンタグレープを飲み干しながら
「マスター!もういっぱい!」
一人でマスター役もこなして
「もうやめときなさいって」
そこでまたワイングラス傾けつつ
「いいじゃない 今日はもうなんだっていいのよぉ〜」
子供心に最高に楽しかった『ふられた女ごっこ』でした。
(まり)
●左手への差別、驚きました。
私はぶきっちょな左手がふびんで
おはじきで一人遊びするときは、
必ず左手が勝つように右手に失敗させていました。
つかんだおはじきを手の甲に放り乗せ、
また手の甲を返さず空中で掴み取る遊びです。
一人じゃんけんでも勝たせてたな〜
懐かしいことを思い出させてくれて
はじめてメールしました。
58歳になった元女の子より。
(かりん)
●子どもの頃、水戸黄門の唄の2番で
「あとからきたのにおいこされ、
泣くのがいやならさあ歩け」という歌詞の意味を、
あとからきたヤツだって、おいこされてはイカン
という意味だと思っていて、
「あとからきたんだから、遅くてもいいじゃん。
やっぱ武士の世界は厳しいんだなあ」
と、変に感心していました。
(匿名のかた)
●小さい頃、TVで宇宙人の番組を見ては
「いつかボクも宇宙人にさらわれて、
何かを体に埋め込まれたりされるんだ」と思っていた。
なので、寝るときはかならず
完璧に布団の中に身を隠るすかたちで寝て、
時たま布団の間から外を見ては、
「ボクは隠れてるから大丈夫、
どうか家族の皆をさらわないで」と、願っていた。
(monty)
●ものごころついた頃から、
しいたけはタヌキだと思っていました。
色といい、感触といい・・・。
(うりぼう)
●道を歩いてると、縁石の角や建物の角から
レーザーみたいなものが
出てたんです、ぼくの頭の中では。
そのレーザーをよけるように歩いておりました。
そういう感覚的なところって、
そう簡単には治らないみたいです。
ガキの頃もバカでした。
(雄介)
●独り言を、とても大人っぽいとおもっていました。
また、バス停で本を読む人も、
たいへんかっこいいと思っていました。
この2つを組み合わせたら、とてもいいに違いない!
と思い込み、
毎日教科書を音読しながら家に帰っていました。
電柱にぶつかったり、どぶに落ちたりしながらも。
近所で相当なガリ勉と思われていたと
最近母から聞きました。
(もにくら)
●子供のころ、走行中の車や電車から手や指を出すと、
「後ろから鎌を持ったライダーが
追っかけて来て、切り落としに来る!」
と信じきっていて、怖くて手が出せませんでした。
(ゆっきい)
●小学校の頃、兄貴の部屋に入り
ホッチキスを爪切りと勘違いをして、
足の親指に針を刺した。
親に叱られるのを恐れた私は、
針の刺さった指を必死に隠した。
(t)
●母親に
「水道水はバイキンだらけ。
絶対そのまま飲んじゃだめ。
一回沸騰させてから」と言われてました。
で、友達のおばちゃんが蛇口からコップに水を汲んで
「はい、どうぞ」と手渡してくれた時、
「私はおばちゃんに嫌われてるんだ。
じわじわ殺されるんだ」
と本気で思いました。
(すなふきん)
●小学校低学年の頃
おもちゃのギターを買ってもらった妹は
「でんでんでんでんでんでんでんでん・・・
誰かが音楽鳴らしてる〜
だ〜れ〜が鳴らしてる〜
わ〜たしが鳴らしてる〜
わ〜たしの誰かさん〜
でんでんでんでんでんでんでんでん・・・」
という自作の歌を歌いながら
ギターをかきならしていた。
(カオリ)
●小さい頃、なぜか知らないけど
自分の名前を[カンドゥクル]と決めていました。
どうやら、この響きが気に入ったらしく、
名前はと聞かれる度にカンドゥクルと答えてました。
親に直せと言われても泣きながら抵抗して、
「俺はカンドゥクルだ」と叫んでいました。
今となっては、なぞ、ばかりです。
(Y)
●子どもの頃、キ〜ンと耳鳴りがすると
「宇宙からメッセージがきた!」
と考えていて、解読するのに必死でした。
(ぴあ)
●うちの次男は現在10歳ですが、
「サングラスに黒っぽい服」という
それだけで怪しい奴と思っているようで、
ある時ともだち(10歳)と
私の3人で駅に向かう地下道、
そういう風体の「怪しい奴」に気づいた次男は、
能天気にとでかい声でしゃべっていたのをピタリと止め、
相変わらず話を続けるともだちを制止し一言、
「やめろ!あいつはスパイだ!」
と思いっきり小さな声で・・・
次男の頭の中では、一体どんなストーリーが・・・
(こけ)
●あまりにバカなことが頭に浮かんだときには、
「あ、今もし誰か自分の考えを『読まれ』てたら
すごく恥ずかしいかも。冗談だよ、冗談」
と必死にその超能力者に(誰だかも分からないのに)
頭の中でフォローしてました。
(sho)
●バターは、牛をギューッとしぼって出た、
「痛い汁(汗とは違う)」が
固まったものだと信じていました。
牛は毎日しぼられて痛い思いをしてるんだ、と信じ、
私だけでもバターを食べるのはやめていました。
(のりこ)
●一時期、
風呂の湯船が海に繋がっているという妄想を抱き、
いつサメが現れて食いつかれるかと、
毎日、非常に恐怖を味わっていました。
「50数えないと、風呂をあがってはいけない」
というルールがあったので、一つ一つ数える度に
死を噛み締める、覚悟を決めた武士の気持ちでした。
(スリッポン)
●3歳にして草刈正男がすきだったシブ好みのわたしは
彼がテレビにでているときは向こうからみられないように
かくれて着替えていたそうです。
(yuko)
●高いところから飛び降りると、
足の裏がジーンとしますよね。
小学生の頃、「ビビンチョ」と言いながら
飛び降りたら痛くないんだよ、と誰かが言い出し、
「ほんとだ、痛くない!」
と友達の間でブームになりました。
・・・いったい、なんだったんだろう?
(たま吉)
●幼少の頃、ウルトラマンものを
毎回欠かさず見ていて、見終わると、必ず、
「次の回では私の町に怪獣がやって来る」
という妄想に取りつかれていました。
毎晩寝るときには、宝物の入った箱を枕もとにおき、
突然の襲撃にも大丈夫な体制を取っていました。
(まーちゃん)
●幼稚園の時、
「大きくなったら何になりたい?」
という話しになった時、
「ロボットになりてぇ!!!
あの変身するやつ!!!」(真剣)
とのたまってました。
あの時の私は大人になったら
何にでもなれると思ってました。
たとえば車。
人間→車とか、人間→家、人間→木という風に・・・。
お父さんはいつになったら、
なりたいものになるんだろう?
といつも思ってました。
(w)
●兄が双子だった私は自分が双子じゃないのが
不思議で寂しくて、鏡の向こう側の、
私の「かたわれ」といつも一組にして考えていました。
鏡が窓で、向こうは今の私と同じように
なにか世界を持っていて、鏡の前で会話するんです。
で、その鏡の前を離れる時、
「じゃあね!」と相手に言ってそれぞれ別れるんです。
寂しさをまぎらわせていたのでした。
(ま)
●幼稚園の頃、お母さんとお風呂に入ったとき
お母さんに下の毛が生えているのをみて
女の自分にはあんなのが生えていないから
「うちのお母さんは実は男なんだ…どうしよう」
と真剣に悩んだことがありました
(くろ)
●アニメの女の子(発明が得意)が真の母だと思い、
お母さんに叱られると物陰でぬりえの絵を眺めては
「お母さん助けて!」と呟いて泣いていました。
あと、自分は地球の声が聞けると思っていました。
・・・今思うとかなり不気味です。
(とらふ)
●5歳ごろ、人にあいさつをして
ほめられたのがうれしくて、朝の通勤タイム、
家の近くの人通りの多い道にひとりで立ち、
来る人来る人に笑顔で
「おはようございます」「おはようございます」
とあいさつしていたことがありました。
道行く背広姿のおじさんたちは、
「は?」というような顔をしたり、
「お、おはよう。きみはここでなにをしてるの?」
と、うろたえ気味に返してくれたりでした。
そんなふうにうろたえるオトナたちを見て、
なぜか勝ち誇ったような気分を感じていました。
(りょー)
●幼稚園の頃、
ちんちんのふくろに縫い目があることに気づき、
「自分は最初は女の子だったのに、
2人も女はいらないと男に改造されたんだ」
「このちんちんは作りものなんだ」と信じてました。
(とときち)
●小1のとき、担任の男の先生が大好きで、
先生直筆の年賀状はもちろん、
コメントが書かれたプリントなんかも大切にしてました。
そんなある日教室で鼻血を出してしまい、
大好きな先生が応急処置をしてくれました。
脱脂綿を鼻に詰めたまま帰宅した私は、
鼻血がとまってからも
「先生が私だけのためにちぎって丸めてくれた脱脂綿」
をうっとりと眺め、どうしても捨てられずに
自分の血液が染みこんだそいつを、
わたしの宝箱のまん中に鎮座させていたのです。
確か1年後ぐらいに、
ひょんなことから母親に自慢の宝物を披露。
彼女が半狂乱になってどす黒く変色した脱脂綿を
ゴミ箱に投げ込んだのは言うまでもありません。
(j)
●私はもともと左利きなのですが、
お箸や文字を書くのは右手です。
みんな私と同じと思っていたので
「なんで左の方が器用なのに、右手でするのだろう」
という疑問に対しては、
「それこそが人生の試練だ!!」
という、訳のわからない解釈をしておりました。
が、世の中には右利きと左利きというものがあって、
左利きの人は左でそういうことをしても
良かったのだと気づいたとき、なんだか無性に腹が立ち、
更に、インドかどっかでは、
左手はトイレで尻を拭くときしか使っちゃいけない、
というような話を聞いて
余計右手に対する怒りは頂点に達し、
「なんだよ、大して器用でもないくせに、
多数派だから珍重されてきたのかよ!
お前なんか!こうしてやる!」
と、それまで利き手の左で拭いていた尻を、
右手で拭くことに変えました。
他にも、嫌な作業は
すべて右手にさせることに至上の喜びを感じ、
「正義はなされたのだ」という満足気分でいました。
(みけねこ)
●弟は、小さい頃、祖父の白髪頭を見て
「僕のおじいちゃんは外人や」と言っていました。
(こおり)
●子供のころ、
家の近所に歩行者用の信号がありました。
車がめったに通らない道だったので、
ふだんはみんな信号を無視していたのですが、
なにを思ったか、
突然、この信号がかわいそうに思えてしまい、
そこを通るたびに信号機に話しかけてました。
「今日は暑いね」とか「ばいば〜い」とか。
(みずまる)
●小学校1年くらいの頃、なぜだか
「なーんにも考えない」ということに憧れて、
毎日、考えないことに挑戦し続けていました。
口を開けて空をながめたり、逆立ちをしてみたり、
お風呂で半分浮いてみたり、壁に頭をぶつけてみたり、
いろいろ試したのですが、
「あっ、できた!」と思った瞬間、
それはもう「考えた」ことになってしまうので、
どうしてもちゃんとできなくて
ひとりで悲しい思いをしていました。
(monalien)
●小学生の頃、
干してある布団の間に入るのが好きでした。
ふかふかになって、太陽の匂いのする布団の間で、
私は、悪者に捕らえられたお姫様になりきっていました。
「ああ、もうすぐ悪者が
私のところへやってくる。助けて!」
と妄想していました・・・。
(ぴろみん)
●ぼくが3歳くらいの頃のある日、
自分の影に気がついて、
それがずっと自分から離れないので
怖がって泣き叫んでいたそうです。
「ついてくるなぁ〜!」
泣き叫びながら棒で影を叩いて、
自分の影から逃げまわって。
その後、木陰にはいると自分の影が消えるのに気がつき、
木の下に入ってしばらくじっと待って、
もういいだろうと思ったのか木陰から出ると
やっぱり影がついてくるので、
また泣きながら棒で叩いて逃げまわってたそうです。
(よう)
|
(ミニコメント)
昨日、土曜日発行の無料メルマガ
「ほぼ日デリバリー版」でおとどけしたネタと、
どこにも紹介していない新着の「ガキばなし」を、
おとどけいたしました。どういう話が好きでしたか?
選者のわたし「ほぼ日」の木村としては、
学校の先生が手当てしてくれた脱脂綿を取っておいたり、
鏡の向こう側の、自分の「かたわれ」と話をしたり、
みんなが無視する信号とともだちになったりっていうのが、
せつなすぎて、笑いつつも、うれしくなっちゃったんです。
昨晩は、子育て中のお母さんからも、
「妙なこだわりがあるのは、
うちの子だけじゃないんですね。
考えてみれば、わたしも、そうでした」
というおたよりも、いただいています。
たのしいものもしみじみものも混ぜつつ、
もちろん、明日、月曜日も、たくさん、ご紹介しますね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は、
postman@1101.com
こちらで、ひきつづき、募集していますので、よろしく!
|
|