KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月22日)

小学校3年生のころ、
 和室のちゃぶ台にけだるそうにもたれかかって
 ワイングラスに入れた
 ファンタグレープを飲み干しながら
 「マスター!もういっぱい!」
 一人でマスター役もこなして
 「もうやめときなさいって」
 そこでまたワイングラス傾けつつ
 「いいじゃない 今日はもうなんだっていいのよぉ〜」
 子供心に最高に楽しかった『ふられた女ごっこ』でした。
 (まり)

左手への差別、驚きました。
 私はぶきっちょな左手がふびんで
 おはじきで一人遊びするときは、
 必ず左手が勝つように右手に失敗させていました。
 つかんだおはじきを手の甲に放り乗せ、
 また手の甲を返さず空中で掴み取る遊びです。
 一人じゃんけんでも勝たせてたな〜
 懐かしいことを思い出させてくれて
 はじめてメールしました。
 58歳になった元女の子より。
 (かりん)

子どもの頃、水戸黄門の唄の2番で
 「あとからきたのにおいこされ、
  泣くのがいやならさあ歩け」という歌詞の意味を、
 あとからきたヤツだって、おいこされてはイカン
 という意味だと思っていて、
 「あとからきたんだから、遅くてもいいじゃん。
  やっぱ武士の世界は厳しいんだなあ」

 と、変に感心していました。
 (匿名のかた)

小さい頃、TVで宇宙人の番組を見ては
 「いつかボクも宇宙人にさらわれて、
  何かを体に埋め込まれたりされるんだ」と思っていた。
 なので、寝るときはかならず
 完璧に布団の中に身を隠るすかたちで寝て、
 時たま布団の間から外を見ては、
 「ボクは隠れてるから大丈夫、
  どうか家族の皆をさらわないで」
と、願っていた。
 (monty)

ものごころついた頃から、
 しいたけはタヌキだと思っていました。
 色といい、感触といい・・・。
 (うりぼう)

道を歩いてると、縁石の角や建物の角から
 レーザーみたいなものが
 出てたんです、ぼくの頭の中では。
 そのレーザーをよけるように歩いておりました。
 そういう感覚的なところって、
 そう簡単には治らないみたいです。
 ガキの頃もバカでした。
 (雄介)

独り言を、とても大人っぽいとおもっていました。
 また、バス停で本を読む人も、
 たいへんかっこいいと思っていました。
 この2つを組み合わせたら、とてもいいに違いない!
 と思い込み、
 毎日教科書を音読しながら家に帰っていました。
 電柱にぶつかったり、どぶに落ちたりしながらも。
 近所で相当なガリ勉と思われていたと
 最近母から聞きました。
 (もにくら)

子供のころ、走行中の車や電車から手や指を出すと、
 「後ろから鎌を持ったライダーが
  追っかけて来て、切り落としに来る!」

 と信じきっていて、怖くて手が出せませんでした。
 (ゆっきい)

小学校の頃、兄貴の部屋に入り
 ホッチキスを爪切りと勘違いをして、
 足の親指に針を刺した。

 親に叱られるのを恐れた私は、
 針の刺さった指を必死に隠した。
 (t)

母親に
 「水道水はバイキンだらけ。
  絶対そのまま飲んじゃだめ。
  一回沸騰させてから」と言われてました。
 で、友達のおばちゃんが蛇口からコップに水を汲んで
 「はい、どうぞ」と手渡してくれた時、
 「私はおばちゃんに嫌われてるんだ。
  じわじわ殺されるんだ」

 と本気で思いました。
 (すなふきん)
 
小学校低学年の頃
 おもちゃのギターを買ってもらった妹は
 「でんでんでんでんでんでんでんでん・・・
  誰かが音楽鳴らしてる〜
  だ〜れ〜が鳴らしてる〜
  わ〜たしが鳴らしてる〜
  わ〜たしの誰かさん〜
  でんでんでんでんでんでんでんでん・・・」

 という自作の歌を歌いながら
 ギターをかきならしていた。
 (カオリ)

小さい頃、なぜか知らないけど
 自分の名前を[カンドゥクル]と決めていました。
 どうやら、この響きが気に入ったらしく、
 名前はと聞かれる度にカンドゥクルと答えてました。
 親に直せと言われても泣きながら抵抗して、
 「俺はカンドゥクルだ」と叫んでいました。
 今となっては、なぞ、ばかりです。
 (Y)

子どもの頃、キ〜ンと耳鳴りがすると
 「宇宙からメッセージがきた!」
 と考えていて、解読するのに必死でした。
 (ぴあ)

うちの次男は現在10歳ですが、
 「サングラスに黒っぽい服」という
 それだけで怪しい奴と思っているようで、
 ある時ともだち(10歳)と
 私の3人で駅に向かう地下道、
 そういう風体の「怪しい奴」に気づいた次男は、
 能天気にとでかい声でしゃべっていたのをピタリと止め、
 相変わらず話を続けるともだちを制止し一言、
 「やめろ!あいつはスパイだ!」
 と思いっきり小さな声で・・・
 次男の頭の中では、一体どんなストーリーが・・・
 (こけ)

あまりにバカなことが頭に浮かんだときには、
 「あ、今もし誰か自分の考えを『読まれ』てたら
  すごく恥ずかしいかも。冗談だよ、冗談」

 と必死にその超能力者に(誰だかも分からないのに)
 頭の中でフォローしてました。
 (sho)

バターは、牛をギューッとしぼって出た、
 「痛い汁(汗とは違う)」
 固まったものだと信じていました。
 牛は毎日しぼられて痛い思いをしてるんだ、と信じ、
 私だけでもバターを食べるのはやめていました。
 (のりこ)
 
一時期、
 風呂の湯船が海に繋がっているという妄想を抱き、
 いつサメが現れて食いつかれるかと、
 毎日、非常に恐怖を味わっていました。
 「50数えないと、風呂をあがってはいけない」
 というルールがあったので、一つ一つ数える度に
 死を噛み締める、覚悟を決めた武士の気持ちでした。
 (スリッポン)

3歳にして草刈正男がすきだったシブ好みのわたしは
 彼がテレビにでているときは向こうからみられないように
 かくれて着替えていたそうです。
 (yuko)

高いところから飛び降りると、
 足の裏がジーンとしますよね。
 小学生の頃、「ビビンチョ」と言いながら
 飛び降りたら痛くないんだよ、と誰かが言い出し、
 「ほんとだ、痛くない!」
 と友達の間でブームになりました。
 ・・・いったい、なんだったんだろう?
 (たま吉)

幼少の頃、ウルトラマンものを
 毎回欠かさず見ていて、見終わると、必ず、
 「次の回では私の町に怪獣がやって来る」
 という妄想に取りつかれていました。
 毎晩寝るときには、宝物の入った箱を枕もとにおき、
 突然の襲撃にも大丈夫な体制を取っていました。
 (まーちゃん)

幼稚園の時、
 「大きくなったら何になりたい?」
 という話しになった時、
 「ロボットになりてぇ!!!
  あの変身するやつ!!!」(真剣)
 とのたまってました。
 あの時の私は大人になったら
 何にでもなれると思ってました。
 たとえば車。
 人間→車とか、人間→家、人間→木という風に・・・。
 お父さんはいつになったら、
 なりたいものになるんだろう?

 といつも思ってました。
 (w)

兄が双子だった私は自分が双子じゃないのが
 不思議で寂しくて、鏡の向こう側の、
 私の「かたわれ」といつも一組にして考えていました。
 鏡が窓で、向こうは今の私と同じように
 なにか世界を持っていて、鏡の前で会話するんです。

 で、その鏡の前を離れる時、
 「じゃあね!」と相手に言ってそれぞれ別れるんです。
 寂しさをまぎらわせていたのでした。
 (ま)

幼稚園の頃、お母さんとお風呂に入ったとき
 お母さんに下の毛が生えているのをみて
 女の自分にはあんなのが生えていないから
 「うちのお母さんは実は男なんだ…どうしよう」
 と真剣に悩んだことがありました
 (くろ)

アニメの女の子(発明が得意)が真の母だと思い、
 お母さんに叱られると物陰でぬりえの絵を眺めて
 「お母さん助けて!」と呟いて泣いていました。
 あと、自分は地球の声が聞けると思っていました。
 ・・・今思うとかなり不気味です。
 (とらふ)

5歳ごろ、人にあいさつをして
 ほめられたのがうれしくて、朝の通勤タイム、
 家の近くの人通りの多い道にひとりで立ち、
 来る人来る人に笑顔で
 「おはようございます」「おはようございます」
 とあいさつしていたことがありました。

 道行く背広姿のおじさんたちは、
 「は?」というような顔をしたり、
 「お、おはよう。きみはここでなにをしてるの?」
 と、うろたえ気味に返してくれたりでした。
 そんなふうにうろたえるオトナたちを見て、
 なぜか勝ち誇ったような気分を感じていました。
 (りょー)

幼稚園の頃、
 ちんちんのふくろに縫い目があることに気づき、
 「自分は最初は女の子だったのに、
  2人も女はいらないと男に改造されたんだ」

 「このちんちんは作りものなんだ」と信じてました。
 (とときち)

小1のとき、担任の男の先生が大好きで、
 先生直筆の年賀状はもちろん、
 コメントが書かれたプリントなんかも大切にしてました。
 そんなある日教室で鼻血を出してしまい、
 大好きな先生が応急処置をしてくれました。
 脱脂綿を鼻に詰めたまま帰宅した私は、
 鼻血がとまってからも
 「先生が私だけのためにちぎって丸めてくれた脱脂綿」
 をうっとりと眺め、どうしても捨てられずに
 自分の血液が染みこんだそいつを、
 わたしの宝箱のまん中に鎮座させていたのです。
 確か1年後ぐらいに、
 ひょんなことから母親に自慢の宝物を披露。
 彼女が半狂乱になってどす黒く変色した脱脂綿を
 ゴミ箱に投げ込んだのは言うまでもありません。
 (j)

私はもともと左利きなのですが、
 お箸や文字を書くのは右手です。
 みんな私と同じと思っていたので
 「なんで左の方が器用なのに、右手でするのだろう」
 という疑問に対しては、
 「それこそが人生の試練だ!!」
 という、訳のわからない解釈をしておりました。
 が、世の中には右利きと左利きというものがあって、
 左利きの人は左でそういうことをしても
 良かったのだと気づいたとき、なんだか無性に腹が立ち、
 更に、インドかどっかでは、
 左手はトイレで尻を拭くときしか使っちゃいけない、
 というような話を聞いて
 余計右手に対する怒りは頂点に達し、
 「なんだよ、大して器用でもないくせに、
  多数派だから珍重されてきたのかよ!
  お前なんか!こうしてやる!」

 と、それまで利き手の左で拭いていた尻を、
 右手で拭くことに変えました。
 他にも、嫌な作業は
 すべて右手にさせることに至上の喜びを感じ、
 「正義はなされたのだ」という満足気分でいました。
 (みけねこ)

弟は、小さい頃、祖父の白髪頭を見て
 「僕のおじいちゃんは外人や」と言っていました。
 (こおり)

子供のころ、
 家の近所に歩行者用の信号がありました。
 車がめったに通らない道だったので、
 ふだんはみんな信号を無視していたのですが、
 なにを思ったか、
 突然、この信号がかわいそうに思えてしまい、
 そこを通るたびに信号機に話しかけてました。

 「今日は暑いね」とか「ばいば〜い」とか。
 (みずまる)

小学校1年くらいの頃、なぜだか
 「なーんにも考えない」ということに憧れて、
 毎日、考えないことに挑戦し続けていました。
 口を開けて空をながめたり、逆立ちをしてみたり、
 お風呂で半分浮いてみたり、壁に頭をぶつけてみたり、
 いろいろ試したのですが、
 「あっ、できた!」と思った瞬間、
 それはもう「考えた」ことになってしまうので、

 どうしてもちゃんとできなくて
 ひとりで悲しい思いをしていました。
 (monalien)

小学生の頃、
 干してある布団の間に入るのが好きでした。
 ふかふかになって、太陽の匂いのする布団の間で、
 私は、悪者に捕らえられたお姫様になりきっていました。
 「ああ、もうすぐ悪者が
  私のところへやってくる。助けて!」

 と妄想していました・・・。
 (ぴろみん)

ぼくが3歳くらいの頃のある日、
 自分の影に気がついて、
 それがずっと自分から離れないので
 怖がって泣き叫んでいたそうです。
 「ついてくるなぁ〜!」
 泣き叫びながら棒で影を叩いて、
 自分の影から逃げまわって。

 その後、木陰にはいると自分の影が消えるのに気がつき、
 木の下に入ってしばらくじっと待って、
 もういいだろうと思ったのか木陰から出ると
 やっぱり影がついてくるので、
 また泣きながら棒で叩いて逃げまわってたそうです。
 (よう)
 
(ミニコメント)

昨日、土曜日発行の無料メルマガ
「ほぼ日デリバリー版」でおとどけしたネタと、
どこにも紹介していない新着の「ガキばなし」を、
おとどけいたしました。どういう話が好きでしたか?

選者のわたし「ほぼ日」の木村としては、
学校の先生が手当てしてくれた脱脂綿を取っておいたり、
鏡の向こう側の、自分の「かたわれ」と話をしたり、
みんなが無視する信号とともだちになったりっていうのが、
せつなすぎて、笑いつつも、うれしくなっちゃったんです。

昨晩は、子育て中のお母さんからも、
「妙なこだわりがあるのは、
 うちの子だけじゃないんですね。
 考えてみれば、わたしも、そうでした」
というおたよりも、いただいています。

たのしいものもしみじみものも混ぜつつ、
もちろん、明日、月曜日も、たくさん、ご紹介しますね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は、
postman@1101.com
こちらで、ひきつづき、募集していますので、よろしく!
       

2003-06-22-SUN
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