KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月23日)

消灯してベッドに入ったからといって、
 すぐに寝ないで
 いつもしばらくは遊んでいた私達三姉弟。
 両親が覗きにきたらサッと寝たふりをしていた。
 親「もう寝た人?」
 私達「・・・」
 親「あれ?寝た人は返事するねんけどなあ」
 私達「(元気よく)はーーーい」
 親「おお、もうみんな寝たか、かしこいかしこい」
 親にからかわれていたということに
 かなりの間気がつかなかった私達。
 私が親となった今では、
 やっぱり自分の子供に同じ事をしてしまう。
 そして陰でほくそ笑む。
 (りる)

小学生の頃、「国」とか「園」とか、
 周りが囲まれている文字を書くとき、
 中にある文字が窮屈そうで、かわいそうで、
 かならずスキマをあけて書き、
 「これで逃げられる」と安心していました。
 (ともこ)

信号機と友達の方が、
 他にもいたのでおどろきました。
 わたしは子供の頃、近所の幼稚園の角にある信号機は、
 わたしに恋をしているんだと思っていました。
 その証拠に、わたしが近づくと
 いつもいいタイミングで青になる・・・。
 いちいち渡るときに、
 「いつも青にしてくれてありがとう」
 と心の中で声をかけていました。
 たまに赤にぶつかっても、
 「他の信号機との関係で、いま青にできないんだよね。
  わかってるわかってる。気にしないで」
 などと心の中で気を使っていました。
 ・・・ちょっとうぬぼれが過ぎるかも。
 (さんきち)

息子が小学校の低学年の時、
 主人が結婚式に出席するということで
 わたしが、最寄の駅まで息子と一緒に送っていきました。
 その帰り、息子が一言。
 「お父さん、どんな女と結婚するんだろうね」
 一瞬、目が点になりました。
 (き)

小学校に上がるまで、一人っ子の私にとって、
 世の中で一番怖い場所はトイレでした。
 「お母さん、ちゃんとそこにいる?」
 という声掛けは必須。
 そんな私に、一人のお留守番は何よりも恐怖の時間。
 中でも最悪なのは暗くなってからのウンチ。
 おしっこならまだ何とか大急ぎで済ませられるのですが、
 ウンチばかりはどうもいけない。
 そこで、何とか早く両親に帰ってきてもらいたいと、
 必死の覚悟で私が取った行動というのが、
 窓を開け(真冬でも)
 外に向かって大声で叫ぶというもの。
 「○○のお母さん。早く帰ってきてくださぁーい。
  ウンチがしたいです。
  ○○団地○丁目の○○○子のお母さ〜ん。
  ウ〜ン〜チ〜がしたいで〜す!」

 本人としてはもう生きるか死ぬかの瀬戸際なわけで、
 脂汗ダラダラの状態で、
 泣きながら一生懸命母親を呼んでいるのですが、
 近所の人は一体どう思っていたことか。
 (クリオネ)

大学生ですが、僕も読心術者への
 弁解みたいなことはいまだにやってたりしますし、
 ふりかけの残量は全味均等でなくてはならないとか、
 鉛筆に差別をしてはいけないとか
 なかなか「あの頃俺はばかだった」とは
 割り切れないものがあって、

 三つ子の魂だなあと変に感心しました。
 デパートで呼び出しのチャイムが鳴ると、
 そんなわけないのに、
 「俺かも」とまじめに考えたりもします。
 (匿名のかた)

小さな頃、友達に「私ニワトリ飼ってるんだー」と
 嘘をつき、その後強い罪悪感を感じて、
 画用紙にせっせとニワトリとひよこたちの
 絵を描いてはさみで切り取り、
 家族に知られたら恥ずかしいので、
 机の裏に隠しておいた。友達が家に来たら、
 あれを見せるつもりだったのだろうか?
 それでも、一連の作業を終えて、
 「私嘘はついてないもんね」
 と心が晴れ晴れしたのを覚えている。
 (八角)

私もこどもの頃に
 「平等にする」のがマイブームになったときがあり、
 そのときは、とにかく
 「右手と同じように左手も使ってあげる」
 ように心がけていました。
 箸を持つ手を左に変えたり、
 宿題の漢字練習を左手で書いてみたり
 (先生には、手を抜いているとしか
  思ってもらえずショックでした)

 歯磨きを持つ手を左に変えたのもその頃でした。
 そして、大人になり、
 トランプの繰り方やお札のめくり方が
 他人とは違うと気づいたことがきっかけで
 「実は本当は左ききなんだ」
 ということが判明しました。
 そういえば、ズボン履くときは左足からだし・・・。
 今では両ききとしてすっかり器用になりました。
 でも、基準がないので「右」方向と、「左」方向を
 未だに間違えるんです。そんな人はいませんか?
 (えいみ)

幼稚園の頃、母のナプキンを、
 何かステキなものと勘違いしていた私。
 お出かけの時、持って行くのはもちろん、
 しかも「いいでしょ〜」と
 まわりに見せびらかしていました。

 お客様には、お土産として
 差し上げたりしていました。
 相手の方の、もらって困った顔とかは、
 全く記憶にございません。あー恥ずかしい!
 (やっち)

小学生のとき、学校での耳鼻科検診で、
 鼻をぐいっと広げるお医者さんを見て、
 「先生が見やすいように
  キレイにしておかなくちゃ!」と思った私。
 こっそり鼻をお掃除していたら、
 血が流れてきました。

 そんな私を、先生はチラッと見て、
 「鼻炎」と書き込んでいました。
 毎年それの繰り返し。
 子供の頃って、
 なんであんなに簡単に鼻血が出たんだろ!
 (まい)

私は小学生の頃、
 読んでいた少女マンガのセリフを
 ものすごく感情を込めて
 自分でカセットテープに吹き込み、

 その後、そのカセットテープを聴きながら
 もう一度マンガを音声付で読み返していました。
 (とく)

小学生の頃、ひとりで
 留守番をしていた私は、ナポリタンを作りました。
 材料はパスタ、ケチャップ、ベーコン、ピーマン、
 そして芽が伸びてるタマネギ。
 出来上がったナポリタンを食べていると
 なんだか味がおかしい気が・・・
 「いやいやそんなことはない、気のせいだ」
 とフォークをすすめると、
 今度は明らかに気持ち悪くなってきたのです。
 小学生の私は悟りました。
 「タマネギの芽には猛毒があって、
  それを食べてしまった私は
  もう毒が全身に回って死ぬしかないんだ」と。
 泣きそうになりながら片付けを終えると、
 おもむろに布団を敷きました。
 そっと横になるとお腹の上で指を組み、目を閉じました。
 もう二度と目覚めることはないだろう
 と思いながら・・・

 二時間後、ぐっすりお昼寝をした私は、
 気分爽快で目覚めました☆
 (絹子)

ある日、姉と空き地で遊んでいると、
 近くの草むらにしゃがんでるおじいさんがいました。
 少しして、その方向を見たときには
 もう姿がありませんでした。
 さっきまでおじいさんがしゃがんでいた場所に
 行った姉が、びっくりした様子で私を呼びました。
 なんとそこには真っ白なウンチが!!
 バリウムなんて物の存在すら知らない子供の頃。
 「人間に変装した宇宙人だったんだ・・・」
 と本気で思っていました。
 (めそ)

お姫様になりたかった私は、
 王子さまとどうにかして結婚しようと
 日々アイディアをしぼっていました。
 ある日、ひらめいた!
 「冬の日の空気をびんにつめて
  夏にびんのふたを開けたら涼しい!」
 私は茨城産の空気をびんにつめ
 夏が来るのを心待ちにしてました。
 夏が来たら、王子の家来に売りつけて
 結婚のための取引をしよう

 と、たくらんでいた小学生。
 自転車でいける範囲に王子が見つからなかったため
 挫折して今にいたる。
 (花の女子大生)

小学生の頃、
 畳の部屋で祖母と弟と一緒に寝ていました。
 たまに寝付けないことがあるとき、
 ふと天井を見ていると天井の模様が人の顔に見えてきて、
 「早く寝ないとあの人が襲ってくる!」
 と思い込み、怖くなって
 布団をかぶって寝た記憶があります。
 朝起きてみれば、ただの模様なんですけどねー。
 (ひろ)

敵の襲来にそなえ爆弾を作った人の話がありましたが、
 私はせっせと「毒」作りをしていました。
 にがそうな葉っぱと、毛虫をお菓子の空き瓶に入れ、
 保存がきくようにと塩をいっぱいかけておきました。
 (ブロビー)

ドラマなどで死んじゃう役の人はホントに死ぬ、
 だからテレビでは死にたい人を
 常に募集しているんだと思ってました。
 「太陽にほえろ!」で
 ロッキー刑事がガケから落ちるシーンで
 それが明らかに人形だったのを見てもなお
 「今回は死にたい人が足りなかったんだ」と
 思ってました。

 ちなみにロッキーはそのとき死にませんでしたが。
 (しぐれ)

小学校2・3年の頃、
 自分の眠る瞬間が見てみたいと、
 寝る時にはその瞬間に神経を集中していました。

 いつもいつの間にか眠ってしまい、
 なかなか成功しなかったのですが、ある夜、
 眠くて眠くてどうしようもないのを
 必死にこらえている時に、
 自分の体の中から何かが出ていこうするのを
 経験しました。
 たぶんそれが眠る瞬間だったのでしょうが、
 その時の私は、体から魂が抜けて
 死んでしまう時なのだと思ったのです。
 なんとそれからは毎夜、それを経験するようになり、
 死なないように、その瞬間と格闘していました。
 あの時は本当に怖かった。
 (ごまどうふ)

私は小学校低学年のころ
 父親とお風呂に入るたびに
 「お父さんにはなんでおちんちんがみっつ
  あるんだろう?」
と思っていました
 しかも それを
 「お父さん すげーっ みっつかあ うらやましい」
 なんて思ってました
 うらやましいって・・・ねえ
 (たかぽこ)

幼稚園児の頃、
 「ありがとう」を丁寧にすると
 「どうもありがとう」となることを学んだ。
 そこまでは良かったのだが、
 なぜか私は「ありがとう」というお礼の言い方に
 お姫様が乳母に言う「ご苦労。下がって良し」
 というような不遜な印象を持ち、
 「どうも」の方が謙遜していて素敵だと思った。
 知人にお菓子をもらったときなどに
 「どうも」と言うと
 母に「ありがとう、でしょ!」と叱られたが、
 納得がいかず、「どうも」を使い続けていた。
 赤い縁の瓶底メガネをかけて「どうも」って…
 今思うと、かわいげがなさすぎる。
 (ま)

自分の本当のお父さんは「長渕 剛」だと思ってた。
 父は健在です…。
 (あや)

小学4年生の少女だった頃、
 偶然聞いたラジオで DJのおにいさんが
 「おしっことうんこは同時にできねーよなぁ」
 と言うのを聞いて
 「私にはできるもん!」と思い、
 「証拠写真を撮って送ってあげよう」
 と決心して、ラジオ局の住所を調べました。
 幸い すぐに忘れてしまったため
 写真は撮りませんでしたが、
 あの時本当に撮っていたら…と思うと冷や汗が出ます。
 (まみ)

小学生の時、弟と風呂に入り、
 二人でどれだけのオナラが集められるか、
 ということに夢中になりました。
 風呂桶を使って、「あ、俺出る!」みたいな感じで。
 当時幼稚園児だった弟には加減が難しかったらしく、
 ある日ふんばった拍子に固形物まで出してしまい、
 二人で浴槽に浮かぶそれを見て
 パニックに陥った記憶があります。
 それ以来もうやらなくなりました。
 (おか)

私以外の人間は体の一部分が触れると、
 相手の気持ちがわかると信じ込み、
 2コ下の妹と手をつないで寝る時は
 何も考えないようにドキドキして寝てました。
 もしくは心の声で、
 「この声聞こえてる?
  聞こえてたら指で反応して?」

 とかを必死に念じて、反応を待ったりしてました。
 (かよ)
 
(ミニコメント)

昨晩の無料メルマガ「ほぼ日デリバリー版」で
お送りしたものに加え、大多数を新着メールで、
おとどけいたしましたが、いかがでしたでしょうか?
あいかわらず、必死な時の台詞まわしが、
子ども独特だよなぁ、なんてたのしんでいます。

ドキドキする体験の多さも、
何かが変わるという出来事の多さも、
やっぱり、ちょっとだけ、うらやましくもありまして。
「無垢な人には、世界はいつもあたらしくて新鮮」
という「ほぼ日」で作った脳の本を思い出しつつ、
みなさんからのメールを、読んでいたんですよ。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-06-23-MON
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