(6月24日)
●小さい頃、口の中で、
唾液がどのくらい溜められるのか
チャレンジするのに凝っていました。
口の中がつば(唾液)で満水になるのを夢みて
とにかく飲み込まないようにがんばるのですが、
いつも後ちょっとのところで
「ゴクリ」と飲んでしまい
一人でくやしがっていました。
(チョップ子)
●がっちゃまん全盛期。
自分はもともと、がっちゃまんの白い奴と、
女のがっちゃまんのこどもで、
しかしいろんな理由からすてられたのだ。
と本気でおもっていました。
がっちゃまんになりたかった前はロボコン。
あのロボコンのように腕ぐるぐる回して
走れば早く走れるはず
と、一人特訓に毎日はげみました。
いつか家出したときのために犬小屋で寝る特訓。
是はきつかった。犬はすこぶる迷惑顔。
(かく)
●隣の家の兄弟ふたりと私と弟とで、
粘土探しにでかけました。
近所の崖、工事現場の盛り土、
広場のはじっこなんかをいっぱい掘って、
ようやく見つけたこぶし大の粘土。
私は発見物を独占し、にぎにぎして
お餅のような感触を楽しんでいました。
続けざまに出てくるだろうと思ったのに、
見つかったのはそれだけ。
あれ、そういえばなんだかさっきから臭いぞ。
ふと粘土のにおいを確かめた、
あああのときの衝撃!まぎれもないにおい!
今でも思い出すと手を洗いたくなります。
(きりん)
●小さいころゴミ収集の人に憧れていました。
車の後ろに片足をかけて、片手でつかまっている姿。
まるでヤッターマンの様でカッコよかったです。
(tyugen)
●私達の小学校は山ん中でした。
低学年の1学期終わり頃道草を食いながら
下校してました。
スイバ(何かの新芽)やイタドリを食べながらです。
勝ちゃん(友人)は必ず途中でウンコをします。
「紙で拭いたら目だつやろ、
せやから葉っぱで拭くねん」
だそうです。
野糞の勝ちゃん(60年後の今もそのアダナで)は
ぼくらの英雄でした.
(G.Iジョー)
●大工の夫が、めずらしい時間に家にいて、
5歳になったばかりの娘と
アニメ番組を観ていました。
娘ははしゃいで、
「これって忍者の学校の話なんだよ」
と言うと、夫は
「お父さんも小さいころ忍者になりたくてなあ、
裏山で練習してたんだ」と言いました。
その姿が容易に想像できるのでおかしかったのですが、
そのあと即座に娘が
「そしたら大工になっちゃったんだ」
と納得顔で言っていました。
大工なら、忍者の修行の延長上に
あり得る職業かもしれませんね。
(な)
●小学一年生の頃、突然、
父の事をなんと呼べばいいか
判らなくなったことがありました。
父は田舎の中学校の校長先生でした。
周りの人が、「先生、先生」と呼ぶので、
突然、自分も「先生」と呼ばなければいけないような。
昨日まで何と呼んでいたのか???
夕方父が帰って来ても、
姉たちが何と呼ぶか確かめるまで
父のそばに寄れませんでした。
確かめると、うれしくなって
「父ちゃん!おかえりなさい!」
と大声で叫びました。
子煩悩の父で、大好きな父ちゃんでした。
(i)
●保育園にも行ってない位だから、多分3歳頃の記憶。
近所の商店に「両替して下さい」って
穴のあいた金属(ボルト?)を持っていって
軽くあしらわれてました。
お母さんにはしてくれるのに
なんであたしには両替してくれないの?
って憤慨してたような...。
「大人はそうやってお金を増やせるんだ」
って思ってたのかな〜自分。
(京都の道産子)
●小学生の頃、歌手を夢見て、
よく部屋の蛍光灯の紐(スイッチの紐)の前で、
垂れ下がった紐をマイクに見立てて歌ってました。
また2階から歌手気取りで、歌いながら、
ゆっくり階段を降りてきたりしてました。
なりきって自分の世界に入っていたので、
時折手など振って、ファンに答える仕草まで
していたように思います。キャー、恥ずかし!!
(ナオ)
●姉妹の間で
『証文』を書いていたという話を
読んで思い出しました。
小学生のころ、双子の妹との間で
「○回いうことを聞くからお願い!」
ということをやっていました。
たとえばUFO特集のあった深夜などに
「10回いうこと聞くからトイレについてきて」
というふうにしていくのです。
(奴隷になるとかいってた気も・・・)
たま〜にお願いがたまりにたまって
100回いうことを聞くとかになっちゃうんです。
そういうときはお互いに恩をおしつけあい
50回分相殺!!みたいにやっていました。
立場が限りなく同等な双子だから
できた決まりごとだったのかな〜。
(りさ)
●小学生の頃に読んだ漫画か何かで、
電信柱と壁の間を通ると違う世界になっていて、
しかもメビウスの輪のように何度も同じ日が繰り返され、
二度ともとの世界には戻れないと、いう話がありました。
その頃は『まさかぁ』と思いながらも、
決して電信柱と壁の間は通りませんでした。
ところがある日、車を避けようとして
迂闊にもその間を通ってしまったのです。
その日はもちろん眠れず、
次の日の同じ時間が来るまでドキドキで、
「違う世界になっていませんように・・・」
と祈りながらその時を迎えました。
今でもなんとな〜く避けて通る場所です。
(モ)
●小学一年生のとき、職員室にあいさつをして
下校するのが日課でした。
「さよ」で一礼した後、「うなら」で
くるっと背を向けお尻を突き出すのです。
(つまり「おなら」を表現していました。)
幸い実際に放屁をすることはありませんでしたが、
本当にバカだったなぁと思います。
温かく見守ってくれた先生、ありがとう。
(あさこ)
●小さい頃、りんご投げ女伝説が流行りました。
これは、何かの不幸で乳房を失くした女の人が
りんごを胸に入れていて、近くを通ると
そのりんごを投げつけられるという、怖い話です。
今考えると笑い話のような話ですが、
その頃は怖くてたまりませんでした。
そんなわけで外を歩くのが怖くて怖くて、
外の世界はこれほど危険であるということを
涙ながらに母親に訴えました。
その時の母の反応は、確か、
「何アホみたいなこと言うてんの」という感じで、私は、
「私が殺されてから後悔しても知らんからね!」
と泣きに泣きました。
あの時の恐怖感は今でもかなり鮮明に覚えています。
なので、私の子供が夜に時々怖くて眠れないとか言うと、
あの時の、ばかばかしい話を
真剣に怖がっていた自分を思い出して
とってもいとおしい気持ちになります。
(怖がり)
●私は子供の頃、布団に横になると
「部屋を逆さまにひっくりかえして
天井を床にしたらどんな生活になるか」
を懸命に考えてました。
「台所に行く時はあの板(欄間のこと)で
転ばないようにしなきゃ」とか…
(ときぼう)
●小さい頃、お父さんとお母さんが1人ずつなのに、
どうしておじいちゃんとおばあちゃんは
2人ずつなのか分からず
「どっちが本物?」と悩んでいた。
でも、本人たちに聞いてしまうのは
偽者がかわいそうな気がしてずっと聞けなかった。
そして、わたしの夫は
小さいころ、親戚の家でかくれんぼをしたとき、
ガラスのテーブルの下で息を殺していて真っ先に見つかり
大人たちに大爆笑されたそうである。
(あず)
●スーパーマンと同じように
空を飛べると信じた私は、風呂敷を首に巻いて、
庭にあった柿の木から飛び降りました。
横に飛んだつもりが、当然ながら下に落ち、
石垣に頭をぶつけて気を失ったそうです。
意識を取り戻して、泣きながら言ったのは、
「わーん、僕は飛べなかったーっ」
けがが痛くて泣いたのではなかったそうです。
(いちろー)
●子供の頃祖父母の家に遊びに行ったときだけ
一緒に遊ぶ友達がいました。
その子達と遊ぶとき
私は必ず犬の役をやっていました。
お母さんでも子供でもなく犬で、
しかもその犬は、ラッシーのように頭のいい犬で
家族におきた事件を解決する名犬でした。
火曜サスペンスのようなお話を毎回考えては
犬になって解決していました。
(迷犬)
●音の話を読んでいて思い出したのですが、
私が小学生の頃、我が家には
ボーンボーンと鳴る時計がありました。
そしてそれが12回鳴ったら
お化けの出る時間だと思い込んでいた私は、
12回鳴っても眠れなかった時、
お化けを見てしまったらどうしようと思って、
布団を頭からかぶって
ビクビクしていたのを覚えています。
でも、実際は何にもないんですけどね。
暗闇の時計の音が怖そう度を上げていたのかもしれません。
(ちえ猫)
●小学生向け雑誌で見た
赤い色で描かれたリアルなカッパの絵を見て以来、
お風呂に一人で入れなくなりました。
カッパは水が好き→お風呂には水がある…
ってところまではいいのですが
→カッパはお風呂の窓をガラッと開けて
よいしょっと入ってくる
という妄想に取り付かれ恐れていて、
誰かを誘ってお風呂に入っていました。
どうして「ガラッ」とか「よいしょっ」って
擬音が必要だったのかなあ。
(ジェレミー)
●私がまだ5、6歳だった頃、
なぞなぞがマイブームでした。
遊んでいる時、となりにいる兄に向かって
「なぞなぞするよ!」と唐突に出題。
「ワニとライオン、どっち?」
なぞなぞになってナイ。
もちろん、問題を出された兄は
石になっておりました。
時にカマキリになったりパンダになったり
はてはザリガニが出てきたりと
忙しいなぞなぞ(?)でしたが、
正解は私の気分しだいなのでどうもままならず。
しかし答えないでいるとしつこく
「どっち!?」とうるさいので、
兄は仕方なく適当に答えていたようです。
今でも語り草にされていますよ。
(イクミ)
●小学校3年生くらいの頃、
「自分で決めたきまりごとを守って家まで帰る」
なんてマイブームがあって、
「地面タイルのこの柄に沿って進む」とか
「白い部分だけ踏む」とか、
毎日懲りずに実行しては満足していました。
そんなある日、きまりごとをを実行中に、
「大丈夫?どこに行きたいの?」
とおばさんに救出されかかりました。
「大丈夫です」とだけ言いながらしっかり目を開いて
その場から逃げ去ったのですが
「目をつぶったまま家までたどりつこう」なんて
ひたすらいろんなところを中腰しつつ
手探りで進んでいたなんて・・。
その日を最後にマイブームは終了しました。
(まこ)
●昔、CMで「ミルキーはママの味〜♪」
というくだりを聞いて、どうしても試したくなり、
母に頼んで、指をなめさせてもらったことがあります。
全然ミルキーの味はしませんでした。
(まみーくん)
●雨に濡れるのが好きでした。
洋服が肌にくっつく感じと、
悪いことをしているって感じが妙に気にいっていて。
どんなどしゃぶりでも
傘もささずにスキップしていました。
中学に入っても好きだったんですが、
ある日すごいどしゃぶりの中帰ったら、
次の日までに制服が乾かなくて、
すごいにおいの制服となり、
それを着て学校に行ったのがショックで止めました。
大人になった今でも、雨にぬれるのが好きで、
帰宅時はこぶりだと傘をささずに帰ってしまいます。
恥ずかしいけど、やめられません。
(びびび)
●弟共々馬鹿でした。
よく二人で『トラちゃんごっこ』してました。
弟がトラで私が調教師。
餌をやり芸をさせる。
餌が足りないと本気で噛み付いてくる。
それが元でケンカしてました。で、母親に怒られる。
それもしょっちゅうです。
今考えると、やらなきゃいいのに。
本当に馬鹿でした。
(はな)
●私が小学生低学年のころ。
よく、雨上がりにガソリンがこぼれて
七色に光っていますよね。
それを見た2つ年上で秀才のいい子ちゃんだった兄が
「これを踏むと、靴の裏が溶けて足が火傷する!」と
言った言葉をずっと信じていました。
多分、中学生になったころまで。
頭のいいお兄ちゃんが言うことなので
疑うことを知らなかった私。
今思うと、友だちに教えてやらなくて
本当によかった!
(オヤジ)
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(ミニコメント)
昨日のお昼の
無料配信メルマガ「ほぼ日デリバリー版」で
お送りしたメールに加え、
ほとんどを、新着ばなしで、そろえました。
おたのしみいただけましたか?
幼児期特有の心配って、
「陰謀がうずまく世界に生まれいずる悩み」
とでも言えるものから、来てるのかもしれないですね。
子どものような視点を獲得したいとか言われる一方で、
獲得したら獲得したで、子どもの視点で生活するのは、
そうとう、必死さやタフさを要求するものかもしれない。
「唾液がどのくらい溜められるのかチャレンジ」
などの、試行錯誤の中でみつけた趣味みたいなものも、
やっぱり、かわいくて、いいですよねぇ!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!! |
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