KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月24日)

小さい頃、口の中で、
 唾液がどのくらい溜められるのか
 チャレンジするのに凝っていました。

 口の中がつば(唾液)で満水になるのを夢みて
 とにかく飲み込まないようにがんばるのですが、
 いつも後ちょっとのところで
 「ゴクリ」と飲んでしまい
 一人でくやしがっていました。
 (チョップ子)

がっちゃまん全盛期。
 自分はもともと、がっちゃまんの白い奴と、
 女のがっちゃまんのこどもで、
 しかしいろんな理由からすてられたのだ。

 と本気でおもっていました。
 がっちゃまんになりたかった前はロボコン。
 あのロボコンのように腕ぐるぐる回して
 走れば早く走れるはず
 と、一人特訓に毎日はげみました。
 いつか家出したときのために犬小屋で寝る特訓。
 是はきつかった。犬はすこぶる迷惑顔。
 (かく)

隣の家の兄弟ふたりと私と弟とで、
 粘土探しにでかけました。
 近所の崖、工事現場の盛り土、
 広場のはじっこなんかをいっぱい掘って、
 ようやく見つけたこぶし大の粘土。
 私は発見物を独占し、にぎにぎして
 お餅のような感触を楽しんでいました。
 続けざまに出てくるだろうと思ったのに、
 見つかったのはそれだけ。
 あれ、そういえばなんだかさっきから臭いぞ。
 ふと粘土のにおいを確かめた、
 あああのときの衝撃!まぎれもないにおい!
 今でも思い出すと手を洗いたくなります。
 (きりん)

小さいころゴミ収集の人に憧れていました。
 車の後ろに片足をかけて、片手でつかまっている姿。
 まるでヤッターマンの様でカッコよかったです。
 (tyugen)

私達の小学校は山ん中でした。
 低学年の1学期終わり頃道草を食いながら
 下校してました。
 スイバ(何かの新芽)やイタドリを食べながらです。
 勝ちゃん(友人)は必ず途中でウンコをします。
 「紙で拭いたら目だつやろ、
  せやから葉っぱで拭くねん」

 だそうです。
 野糞の勝ちゃん(60年後の今もそのアダナで)は
 ぼくらの英雄でした.
 (G.Iジョー)

大工の夫が、めずらしい時間に家にいて、
 5歳になったばかりの娘と
 アニメ番組を観ていました。
 娘ははしゃいで、
 「これって忍者の学校の話なんだよ」
 と言うと、夫は
 「お父さんも小さいころ忍者になりたくてなあ、
  裏山で練習してたんだ」と言いました。
 その姿が容易に想像できるのでおかしかったのですが、
 そのあと即座に娘が
 「そしたら大工になっちゃったんだ」
 と納得顔で言っていました。
 大工なら、忍者の修行の延長上に
 あり得る職業かもしれませんね。
 (な)

小学一年生の頃、突然、
 父の事をなんと呼べばいいか
 判らなくなったことがありました。
 父は田舎の中学校の校長先生でした。
 周りの人が、「先生、先生」と呼ぶので、
 突然、自分も「先生」と呼ばなければいけないような。
 昨日まで何と呼んでいたのか???
 夕方父が帰って来ても、
 姉たちが何と呼ぶか確かめるまで
 父のそばに寄れませんでした。
 確かめると、うれしくなって
 「父ちゃん!おかえりなさい!」
 と大声で叫びました。
 子煩悩の父で、大好きな父ちゃんでした。
 (i)

保育園にも行ってない位だから、多分3歳頃の記憶。
 近所の商店に「両替して下さい」って
 穴のあいた金属(ボルト?)を持っていって
 軽くあしらわれてました。
 お母さんにはしてくれるのに
 なんであたしには両替してくれないの?
 って憤慨してたような...。
 「大人はそうやってお金を増やせるんだ」
 って思ってたのかな〜自分。
 (京都の道産子)
 
小学生の頃、歌手を夢見て、
 よく部屋の蛍光灯の紐(スイッチの紐)の前で、
 垂れ下がった紐をマイクに見立てて歌ってました。
 また2階から歌手気取りで、歌いながら、
 ゆっくり階段を降りてきたりしてました。
 なりきって自分の世界に入っていたので、
 時折手など振って、ファンに答える仕草まで
 していたように思います。キャー、恥ずかし!!
 (ナオ)

姉妹の間で
 『証文』を書いていたという話を
 読んで思い出しました。
 小学生のころ、双子の妹との間で
 「○回いうことを聞くからお願い!」
 ということをやっていました。
 たとえばUFO特集のあった深夜などに
 「10回いうこと聞くからトイレについてきて」
 というふうにしていくのです。
 (奴隷になるとかいってた気も・・・)
 たま〜にお願いがたまりにたまって
 100回いうことを聞くとかになっちゃうんです。
 そういうときはお互いに恩をおしつけあい
 50回分相殺!!みたいにやっていました。
 立場が限りなく同等な双子だから
 できた決まりごとだったのかな〜。
 (りさ)

小学生の頃に読んだ漫画か何かで、
 電信柱と壁の間を通ると違う世界になっていて、
 しかもメビウスの輪のように何度も同じ日が繰り返され、
 二度ともとの世界には戻れないと、いう話がありました。
 その頃は『まさかぁ』と思いながらも、
 決して電信柱と壁の間は通りませんでした。
 ところがある日、車を避けようとして
 迂闊にもその間を通ってしまったのです。
 その日はもちろん眠れず、
 次の日の同じ時間が来るまでドキドキで、
 「違う世界になっていませんように・・・」
 と祈りながらその時を迎えました。
 今でもなんとな〜く避けて通る場所です。
 (モ)

小学一年生のとき、職員室にあいさつをして
 下校するのが日課でした。
 「さよ」で一礼した後、「うなら」で
 くるっと背を向けお尻を突き出すのです。

 (つまり「おなら」を表現していました。)
 幸い実際に放屁をすることはありませんでしたが、
 本当にバカだったなぁと思います。
 温かく見守ってくれた先生、ありがとう。
 (あさこ)

小さい頃、りんご投げ女伝説が流行りました。
 これは、何かの不幸で乳房を失くした女の人が
 りんごを胸に入れていて、近くを通ると
 そのりんごを投げつけられるという、怖い話です。
 今考えると笑い話のような話ですが、
 その頃は怖くてたまりませんでした。
 そんなわけで外を歩くのが怖くて怖くて、
 外の世界はこれほど危険であるということを
 涙ながらに母親に訴えました。
 その時の母の反応は、確か、
 「何アホみたいなこと言うてんの」という感じで、私は、
 「私が殺されてから後悔しても知らんからね!」
 と泣きに泣きました。
 あの時の恐怖感は今でもかなり鮮明に覚えています。
 なので、私の子供が夜に時々怖くて眠れないとか言うと、
 あの時の、ばかばかしい話を
 真剣に怖がっていた自分を思い出して
 とってもいとおしい気持ちになります。
 (怖がり)

私は子供の頃、布団に横になると
 「部屋を逆さまにひっくりかえして
  天井を床にしたらどんな生活になるか」
 を懸命に考えてました。
 「台所に行く時はあの板(欄間のこと)で
  転ばないようにしなきゃ」
とか…
 (ときぼう)

小さい頃、お父さんとお母さんが1人ずつなのに、
 どうしておじいちゃんとおばあちゃんは
 2人ずつなのか分からず
 「どっちが本物?」と悩んでいた。
 でも、本人たちに聞いてしまうのは
 偽者がかわいそうな気がしてずっと聞けなかった。
 そして、わたしの夫は
 小さいころ、親戚の家でかくれんぼをしたとき、
 ガラスのテーブルの下で息を殺していて真っ先に見つかり
 大人たちに大爆笑されたそうである。
 (あず)

スーパーマンと同じように
 空を飛べると信じた私は、風呂敷を首に巻いて、
 庭にあった柿の木から飛び降りました。
 横に飛んだつもりが、当然ながら下に落ち、
 石垣に頭をぶつけて気を失ったそうです。
 意識を取り戻して、泣きながら言ったのは、
 「わーん、僕は飛べなかったーっ」
 けがが痛くて泣いたのではなかったそうです。
 (いちろー)

子供の頃祖父母の家に遊びに行ったときだけ
 一緒に遊ぶ友達がいました。
 その子達と遊ぶとき
 私は必ず犬の役をやっていました。
 お母さんでも子供でもなく犬で、
 しかもその犬は、ラッシーのように頭のいい犬で
 家族におきた事件を解決する名犬でした。
 火曜サスペンスのようなお話を毎回考えては
 犬になって解決していました。
 (迷犬)

音の話を読んでいて思い出したのですが、
 私が小学生の頃、我が家には
 ボーンボーンと鳴る時計がありました。
 そしてそれが12回鳴ったら
 お化けの出る時間だと思い込んでいた私は、
 12回鳴っても眠れなかった時、
 お化けを見てしまったらどうしようと思って、
 布団を頭からかぶって
 ビクビクしていたのを覚えています。
 でも、実際は何にもないんですけどね。
 暗闇の時計の音が怖そう度を上げていたのかもしれません。
 (ちえ猫)

小学生向け雑誌で見た
 赤い色で描かれたリアルなカッパの絵を見て以来、
 お風呂に一人で入れなくなりました。
 カッパは水が好き→お風呂には水がある…
 ってところまではいいのですが
 →カッパはお風呂の窓をガラッと開けて
  よいしょっと入ってくる

 という妄想に取り付かれ恐れていて、
 誰かを誘ってお風呂に入っていました。
 どうして「ガラッ」とか「よいしょっ」って
 擬音が必要だったのかなあ。
 (ジェレミー)

私がまだ5、6歳だった頃、
 なぞなぞがマイブームでした。
 遊んでいる時、となりにいる兄に向かって
 「なぞなぞするよ!」と唐突に出題。
 「ワニとライオン、どっち?」
 なぞなぞになってナイ。
 もちろん、問題を出された兄は
 石になっておりました。
 時にカマキリになったりパンダになったり
 はてはザリガニが出てきたりと
 忙しいなぞなぞ(?)でしたが、
 正解は私の気分しだいなのでどうもままならず。
 しかし答えないでいるとしつこく
 「どっち!?」とうるさいので、
 兄は仕方なく適当に答えていたようです。
 今でも語り草にされていますよ。
 (イクミ)

小学校3年生くらいの頃、
 「自分で決めたきまりごとを守って家まで帰る」
 なんてマイブームがあって、
 「地面タイルのこの柄に沿って進む」とか
 「白い部分だけ踏む」とか、
 毎日懲りずに実行しては満足していました。
 そんなある日、きまりごとをを実行中に、
 「大丈夫?どこに行きたいの?」
 とおばさんに救出されかかりました。
 「大丈夫です」とだけ言いながらしっかり目を開いて
 その場から逃げ去ったのですが
 「目をつぶったまま家までたどりつこう」なんて
 ひたすらいろんなところを中腰しつつ
 手探りで進んでいたなんて・・。
 その日を最後にマイブームは終了しました。
 (まこ)

昔、CMで「ミルキーはママの味〜♪」
 というくだりを聞いて、どうしても試したくなり、
 母に頼んで、指をなめさせてもらったことがあります。
 全然ミルキーの味はしませんでした。
 (まみーくん)

雨に濡れるのが好きでした。
 洋服が肌にくっつく感じと、
 悪いことをしているって感じが妙に気にいっていて。
 どんなどしゃぶりでも
 傘もささずにスキップしていました。
 中学に入っても好きだったんですが、
 ある日すごいどしゃぶりの中帰ったら、
 次の日までに制服が乾かなくて、
 すごいにおいの制服となり、
 それを着て学校に行ったのがショックで止めました。
 大人になった今でも、雨にぬれるのが好きで、
 帰宅時はこぶりだと傘をささずに帰ってしまいます。
 恥ずかしいけど、やめられません。
 (びびび)

弟共々馬鹿でした。
 よく二人で『トラちゃんごっこ』してました。
 弟がトラで私が調教師。
 餌をやり芸をさせる。
 餌が足りないと本気で噛み付いてくる。
 それが元でケンカしてました。で、母親に怒られる。
 それもしょっちゅうです。
 今考えると、やらなきゃいいのに。
 本当に馬鹿でした。
 (はな)

私が小学生低学年のころ。
 よく、雨上がりにガソリンがこぼれて
 七色に光っていますよね。
 それを見た2つ年上で秀才のいい子ちゃんだった兄が
 「これを踏むと、靴の裏が溶けて足が火傷する!」
 言った言葉をずっと信じていました。
 多分、中学生になったころまで。
 頭のいいお兄ちゃんが言うことなので
 疑うことを知らなかった私。
 今思うと、友だちに教えてやらなくて
 本当によかった!
 (オヤジ)

(ミニコメント)

昨日のお昼の
無料配信メルマガ「ほぼ日デリバリー版」で
お送りしたメールに加え、
ほとんどを、新着ばなしで、そろえました。
おたのしみいただけましたか?

幼児期特有の心配って、
「陰謀がうずまく世界に生まれいずる悩み」
とでも言えるものから、来てるのかもしれないですね。

子どものような視点を獲得したいとか言われる一方で、
獲得したら獲得したで、子どもの視点で生活するのは、
そうとう、必死さやタフさを要求するものかもしれない。

「唾液がどのくらい溜められるのかチャレンジ」
などの、試行錯誤の中でみつけた趣味みたいなものも、
やっぱり、かわいくて、いいですよねぇ!

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postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

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件名に「ガキ」と書いて、
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2003-06-24-TUE
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