(6月25日)
●友達のゆみちゃんがお葬式で学校を休んだ。
そのとき先生は
「ゆみさんは今日は忌引きです」と言った。
しばらくして東山動物園のゴリラのゴンタが死んだ。
「お葬式で休むのは忌引き」と覚えていた私は
「ゴンタのお葬式に行くから明日は学校を休む。
でも、忌引きだからいいんだよ」と祖父に言った。
祖父は母に
「うちにはゴリラの親戚がいたのか(笑)」
と伝えたらしく、それ以来私はお葬式があるたび
このことをネタにされる…
(m)
●左利きで基準がないため、
右方向と左方向がわからない、
というかたがいらっしゃいましたが、
わたくしもそうです。
「おはしを持つほうだよ」
右をあらわすためによくつかわれる表現ですが、
左で持つため、よく混乱してました。
いまだに運転中
「そこ、右」なんて急に言われても
「どっち?」と混乱してまがれません。
右足から、なんていわれたときは
足が赤くなるほどたたいて、
右足にプレッシャーをかけていたのを思い出します。
そのほかに「何時?」ときいて9時10分前だよ、
といわれると、9時8分くらいのことだと思ってました。
いまだに「違う!」と自分につっこみをいれます。
(匿名希望)
●ある日、父親が盲腸の傷を見せながら
(昔の盲腸の手術跡って、けっこうはげしい)
「おまえは、お父さんから生まれたんだよ、
ほら、これがその傷跡」って・・・。
僕は小学1年生頃までずっと信じてた。
そして全てを知った時(いつかは忘れたけど)
ものすごいショックだった。
(くろ)
●わたしは、
親の言うことを素直に信じてばかにされました。
お正月の「うまに」は、
馬に喰わせるだけ作るから
「うまに」というのだと聞いて、友達に自慢しました。
高校生になっても言ってましたし、
社会人になっても同僚や先輩に
もっともらしく話しました。
・・・どうも、違うらしいですね。
(ペりかん)
●小学3年か4年のとき、
プールの授業の着替えは教室で男女一緒に
行われていました。
クラスでもスケベで有名な『はっしゃん』(あだ名)は
女の子が着替えている方へ嬉しそうにやってきては、
『おんなのヌードル♪ッハハンハンおんなのヌードル♪』
と意味不明のフレーズを小躍りしながら繰り返して、
みんなからいやがられていました。
(T)
●あの頃は蛇やトカゲを見たら
親指をこぶしの中に隠していました。
そうしないと親が死ぬと聞かされていました。
蛇やトカゲがウヨウヨいる時代でしたから
石垣を登ったり、
草つきの斜面を滑り降りたりする途中で
親指を隠したり出したりするのは至難の技でした。
(Y)
●歩行者信号用の、押しボタン。
昔は待ち時間の表示機能なんぞなく、
押してもずーっと待たされっぱなし、
ってことありましたよね。
幼い私がこの機械について考えたこと。
「・・・このボタンには、指紋の識別装置がついてて、
何人信号待ちをしているかが判るに違いない!」
そして、早く渡りたいがために、
いろんな指でボタンを押していました。
右手・左手、手のひら、逆さにして押したりとか。
(おーみ)
●小学校時代、
家から学校までの蜘蛛の巣の数を数えたり,
他の登校班と,
みんな必死なあまり無言の早歩きバトルしたり,
車が通ったとき,
その車の影をジャンプしてかわしてみたり
(バスの場合影が長いので
低学年の子にはかわすのが難しかった)
バカバカしいけどスゴク楽しかった
なつかしい思い出です。
(o)
●小学生のときに外人に会ったら
その人が舌をひっぱりながら耳を動かしてくれました
そのときからずっと白人は日本人と違って
舌と耳がつながっているんだと思っていました
20歳の時に友達に
「外人って舌ひっぱると耳動くよね」と言って
「あんた何言ってんの?」と笑われて
それは違うんだと初めて知りました
(くろ)
●子供の頃、といっても中学くらいまで、
対になっているものへ
平等に愛を与えようと努力していました。
例えば右手と左手、右足と左足、自転車の前輪と後輪。
左手足や後輪はあまり使われなくて
かわいそうだといつも思っていました。
今思うと、たぶん兄と二人兄妹だったことが
関係しているんだと思います。
(うに)
●子どもの頃は、とにかく
フタの中身が気になって仕方ありませんでした。
特に、外にあるヘヴィなフタの中身が気になり、
友達といっしょに、マンホールの鉄のフタや
下水道のコンクリートのフタ、そして、
肥溜め(汚物タンク)のフタなど、
フタというフタを開けて、
中を見たりニオイをかいだりしました。
特に肥溜めのフタは、近所中の家のフタを制覇しました。
当然と言えば当然ですが、外にあるフタの中身は、
ゲップー的なニオイばかり
(ゲップーのニオイは嗅いだことないですが)でした。
なんであんなキタナイもんばっかり好きだったのかなぁ。
(しまみゅーら)
●私が保育園年長さんになった夏、
うだるような暑さの中、
ともだちとふたり、町内をぶらぶら歩いては、
「暑いね、暑いね」と言っていました。
ちょっとした坂道を下るとき、
少し駆け足ぎみになった私はひらめいたのです。
「走ると、風が来る!すずしい!」
その発見を友だちに言うと、
「ほんとだ!すずしい!」ということになり、
くそ暑い中、私たち二人は
「すずしい!すずしい!」と全力疾走で、
どこへいくでもなく街の中を走り回っていました。
(スミコ)
●子供の頃、空中を絶対歩けると信じて
特訓に励んでいました。
布団をしいて押入れによじ登り、
まず右足を前に出し
落ちる前に左足を出すという練習に没頭していました。
ある日必ずすたすたと歩き出すことができると
信じていました。
(mag)
●幼稚園のころ、なぜかドブの水面を
沈まずに歩けると思っていました。
帰り道、自らドブに下りたのですが
這い出すことができなくなり、
へりにつかまったままの状態になりました。
一緒にいた友達は驚いて、
三十分の道のりを一度も止まらずに走って
私の親を呼びに行き、その間に私は
通りすがりの小学生のお姉さんに
引っ張りあげられました。
お姉さんの家に母と菓子折りを持って
お礼に行ったのもほろ苦い思い出です。
他の方のお話を読んでいて、
しょっちゅうふき出しています。
(サワー)
●私が3歳の頃「鼻が痛い!」と大騒ぎをし、
母親に耳鼻科に連れて行かれて、
耳鼻科の先生がピンセットを鼻の穴に突っ込んで
取り出したものはネコヤナギでした。
ネコヤナギのふさふさした感触が好きでした。
何故か悪い事をしているように感じ、
隠れて顔に擦りつけていたのです。
ふとした間違えで1つのネコヤナギが
鼻の穴に入ってしまって、
取り出そうと必死に指を入れたのですが、
更に奥に入って行くばかり・・・。
(フリード)
●私は小さい時、夜、家の廊下を歩く時、
いつも自分の後ろに
フランケンがついてきていると思い込んでいました。
「誰かがいる」なんて漠然としたものではなく、
なぜかフランケンシュタインでした。
怖くて振り返れないけど、
自分の後ろをついてくる(と思い込んでいる)
フランケンをまくために、
ゆっくり歩いていたくせに部屋に入る時の
一歩目だけすごい早足で忍び込んでいました。
部屋に入った瞬間、後ろ手でドアを
「ばたん!」としめるので、
「そろっとしめなさい」と怒られていました。
怒られながらも、
「そうしいひんと
部屋にフランケンがついてくるんやもん」
と正々堂々と理由を説明していました。
今でも、たまに急に、夜に自転車にのっていると
荷台にフランケンがのっているような気がして、
ジグザグ走行なんてして振り落とそうとしています。
後ろを振り返る勇気はないんですけど、
怖くて死にそうになっています。
(R)
●ひとつのものに飽きるまで固執するというくせは、
子供のときからの習性だったと確信しています。
今でも思い出す、苦い思い出。
下痢止め薬のビオフェルミンを
いたく気に入ってしまったあの頃、
台所のテーブルの下に隠れてお菓子のように
バリボリ食べ、その結果おなかをくだし
病院へ連れて行かれました。
とことんまでつきつめる心意気は、今改めて見直すぜ。
やるね、わたし。
(キキ)
●小学校低学年の頃、自分の前世は魚だと信じていました。
そのせいか、雨上がりの公園の滑り台の下に出来た
大きな水たまりを見てたまらなくなり、
服を着たまま泳いでしまいました。
あと、よちよち歩きの頃の写真を見ると、
何故か自動販売機のおつりが出てくる所に
手を突っ込んでいるのが何枚もあったり…とか。
こういうことって、延々と
ことあるごとに話題に出されるので…(汗)
(m)
●子供の頃、学校から帰る時はアスファルトの
新しく掘り返されて色の違うところは、
踏んではいけない。
と自分ルールを持っていました。
ある日学校から帰ると、
家の前の道路が数メートルにわたり
掘り返されていました。
「あそこまでは飛べない・・・」
とその日から泣く泣く断念しました。
(モカッチャ)
●小学校6年のころ、鬼ごっこをよくやった。
最後のころには女子も入れて、もう中学校に入ったら
しないであろう子供の遊びに夢中になってた。
鬼ごっこ最後の日なんか、
「この日のことは一生忘れないな」
というほど感傷的にすらなった。
でもその後、中二まで鬼ごっこをやってた・・・・。
(Y.S)
●地震がくるたびに、地割れが起こってその隙間に
私が落ちて、そしてなぜかその地割れが閉じて
地割れに挟まれる私を想像して怖がっていました。
(はな)
●小学1年生の頃です。
どこで覚えたのか、首をかしげるのが
最高に可愛いポーズだと思っていたらしく、
その頃の写真はすべて首をかしげています。
でも笑ってないんです。
無表情で首を横に曲げる姿は、まるで寝違えです。
(sato)
●古くなった歯ブラシを捨てるとき
「ごめんね、ごめんね」といつも泣きました。
それを見ていた父が「偽善者め」と・・・。
(はむらぼん)
●小学校の時、仲間だけの路地裏通学ルート。
一人の友人の家が坂道の途中にあった。
その一人と別れたあと、残った仲間は
坂道の頂上付近にある家のトイレの汲み取り口が
少し開いて居るのを見つけてしまった。
子供が黙って見過ごすはずがなく、
小石を落として
「ポッチャーン」という音に大受けしていた。
それが病みつきになり毎日の下校時の日課となって、
必然的に石の大きさもグレードアップして行き、
終いには二人でやっと持ち上げられる程の
大きな石にまでエスカレート。
ある日、いつものルートを下校すると、
その坂道の下まで続く悪臭を放つ小川が誕生していた。
坂の途中に住む友人は、
その流れの源を確かめてから泣き出してしまった。
(がんじ)
●サザエさんのオープニングで
サザエさんが全国の観光地を訪れているのを見て
ウチ(岩手)の近くにも来てくれないかなぁ〜
といつも思っていました。
先週、なんとなくテレビをつけていたら
サザエさんが始まったのですが
なんとサザエさんは岩手を旅行中!
しかもわたしがガキの頃にはなかった
本当に近所の新名所にまで来ていたんです!
急いで誰かに知らせたくなりました。
って、ガキじゃないじゃん・・・。
(ほの)
●弟はセールスマンを何かのヒーローだと
勘違いしてたみたいで、事あるごとに
「セールスマンになる!」と豪語してました。
(ぐちよ)
●子供の想像力ってほんとにスゴイですよね。
私が小学生のときなぜか自分の中で
トイレは10秒以内という決まりがあって、
リビングから立ち上がってから猛ダッシュ。
「い〜ち、に〜い」と数えながら
どうしても間に合わなそうなときは、
「は〜ち、てんてん、きゅ〜う、てんて〜ん」と
テンポを遅らせながら家の中をダッシュしたものです。
いったい何に追われていたのでしょう。
(クマの子ぷぅこ)
●小学校低学年の時、
母親の買い物(服屋さん)についていった私は、
服がかかっている下の方に潜りこんでじっと座っている、
という行為を繰り返していました。
母が「何してるの?そんな所にいないで出ておいで」
と言ったら、
「いいの。落ち着くから」と答えたらしいです。
何が落ち着くのか、今となっては意味不明です。
(し)
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(ミニコメント)
「誰にも知られなかった冒険」というのは、
覚えていなかったことも含めると、ほんとにたくさん、
小さい頃に、経験したんだろうなぁと、実感しました。
みなさんが、この「ガキ」メールを書いてるうちに
なんだか「自分好き」になっていく様子が、
手にとるようにわかって、おもしろかったりもします。
忌引きのメールが、とくに、かわいらしかったなぁ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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