KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月26日)

小学生の頃、
 アニメ「北斗の拳」を異常に恐れていました。
 「19XX年・・・」というナレーションが始まると、
 家から脱走。
 運悪く病院のテレビで始まろうものなら、
 これまた脱走。
 ヒデブー連発のオープニングだけでも
 チビリそうでした。
 逃げるのに一生懸命で、
 どうやらチャンネルを変えるという
 発想はなかったらしいです。
 (ヤマチ)

小三のある日、
 フト手のひらを見たら生命線が短かったので、
 「私は16歳になったら死んじゃうんだー」
 とずっと思っていました。
 なぜ16歳だと思ったのかは不明です。
 (みそぢ)

夜、眠る時になると豆電球を見ながら
 「死んだら自分はどうなるんだろう?」
 と恐くなり、こんな感じかな?と息を止めて
 「ああっ、苦しい。やっぱり恐い!」
 と思いながら、
 お布団の中で泣いたりしていました。
 (えがぴー)

誕生日に親に買ってもらった
 『花の子ルンルン』のコンパクト。
 わくわくしながらパカッとひらき、呪文を唱えました。
 何回も、何回も、唱えました。
 ちっとも花の精に変身できないことに気づいた瞬間、
 お向かいさんにまで聞こえるほど、号泣していました。
 それを見た母の爆笑する顔が、忘れられません。
 魔法がひとつ、消えてしまった思い出です。
 (ふ)

忙しい朝、姉に怒っている母に、
 「お母さんは年寄りなのに、怒るとおっかないねぇ」
 と言ったら、
 「お母さんは年寄りじゃないよっ!!」
 と怒られ、ビックリして泣きました。
 その後、すこし落ち着いた母に
 「・・ごめんね」と言われ、また泣きました。
 まさか傷つけるなんて思わなかったんです。
 なんたって保育園時代ですから。
 (おりと)

小学校低学年の頃、丸顔だった私は
 面長な人をかっこいいと思い込んでおり
 たまたま乗ったバスの正面にかわいい子が座ったので
 唇を閉じたまま口を思いっきり開け、
 かっこいい男を演出し悦に入っておりました。

 大人になって思い出し鏡に向かってやってみたら
 少し悲しい気持ちになりました。
 (JK)

放っとくと朝から晩まで一日中でも、
 おにんぎょさん遊びをしている子でした。
 右手と左手にジェニーちゃんとリカちゃんを
 向かい合わせて一体ずつ持ち、
 海もお城も舞台セットは空想で造り上げ、
 ふたりの会話も私の頭の中だけで展開・・・。
 何もないじゅうたんの上、
 無言で人形をかたかた動かす姿は
 かなり無気味だったのでしょう。母に、
 「暗いから、せめて声に出して遊んで」
 と言われた覚えがあります。
 (mihoco)

小学校の頃、「置き手紙」に憧れました。
 洗濯物を干している母の目を盗み、
 机の上に「前の公園に行って来ます」と書き、
 こっそり外に出ていこうとしたところ、
 母に見つかり「何こそこそしてるの?」と怒られました。
 「こ、公園に行って来るの」と私。
 「じゃあちゃんんと公園にいってきます!
  って言えばいいじゃない!」と母。
 置き手紙のムードを楽しめないなんて、母は
 なんて子どもなんだろう、
と憤慨したのを覚えています。
 (和)

子供の頃、自分の宝物を庭に埋め、
 場所を記した宝の地図を作ろうとしていました。
 もし宇宙人や宇宙外の生物が
 この地図を見つけたときにもわかるように、
 宝の埋まった住所を
 「宇宙 地球 日本…」から書いていました。
 その前に、宇宙人は日本語読めないだろ。

 (sumochi)

子供の頃、4つ下の妹がベンピで大変でした。
 硬くて毎日苦労していたんですが、あるとき父が
 「ベンピが治る歌を歌え」と言って、
 「♪へ〜になれ クソになれ竹の節にな〜るな〜」
 という歌を教えてくれました。
 私はトイレの外で、中の妹と一緒になって
 歌ってあげたのですが、ふと思いつき、
 「な〜るな〜」の後に
 「ジュンコ(妹)のおならはぴっぴっぴっ!!」
 とつけてみたら思いの外面白く、
 得意になって歌い続けていたら、
 中から「うわ〜あん」と妹の泣き声。
 可哀想になった私は
 「…わたしのおならはぺっぺっぺっ…」
 と付け加えていました。
 (たかりん)

これは母から聞いた話なのですが、
 私がまだ一才半の時のことです。
 ビデオテープのラベルの1〜9、A〜Zの小さいシールを、
 私は一心不乱に冷蔵庫の扉に貼っていたそうです。
 母が言うに、最初の方は元気だったのに、
 最後のほうになると疲れ果てて1個シールを貼る度に
 「はぁ〜」とため息をつくのですが、
 「もうやめたら?」
 と言っても頑として聞き入れなかったそうです。
 その根性、今欲しいです。
 (えりか)

小学生のころ、友達と学校からの帰りの話です。
 水前寺清子の「365歩のマーチ」の中の
 「1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる」
 のところだけをエンドレスに歌いながら、
 そのとおりに4歩進んで、2歩戻ってたら、
 なかなか進まず、遅くなって、親に叱られました。

 かなり、真剣にやってたのになぁ。バカだけど、
 今となっては、自分で自分をほめてやりたい。
 (まる)

白い牛は牛乳を出す。
 黒い牛はコーヒーを出す。
 白と黒のぶち牛はコーヒー牛乳を出す。
 子供の頃、親に教わりました。
 未だに、牧場で黒牛を見ると
 「コーヒー出すんだよなぁ、あの牛」
 って、心の中で密かに思ってます。
 (ゆい)

僕が小学校2年の頃、
 つのだじろうの『恐怖新聞』を読んでいた時の事でした。
 年の離れた従兄弟に、
 「小学校4年以下の子が『恐怖新聞』読むと、
  ポルターガイストが家に出るんだぞ」
 と脅かされました。
 なぜ4年生以下なのか。
 そんな初歩的な疑問は頭にも浮かばず、
 それを本気で信じた僕は、
 ポルターガイストがでてきても目が合わないように、
 布団の隣にあったタンスの方に向き、
 顔をくっつけるようにして寝ていました。
 それから十数年、今だに、
 うえを向いて上手に寝る事ができません。
 (ぺい)

中学校の頃に乳首にコリコリしたものができたのを
 乳がんだと思って、
 一人夜通し泣き尽くしたことがあります。

 成長期頃にたいていの男子は経験していると思いますが、
 当時はしばらく悩みました。
 (うめたけ)

小学校あがりたての7歳。
 帰り道でう○ちがしたくなり、
 道ばたでためらいながらやっちゃいました。
 ハンカチちりかみは忘れずに、と
 あれほど教室の壁にでっかく書いてあったのに……。
 ちりかみがないのに気付いたのは、
 出してしまった後でした。
 そのままの態勢で困ること数分。
 日傘をさしたおばさんが、無言でちりかみをくれました。
 尻を拭くのに精一杯で、
 お礼を言えなかったのが心残りで、しばらくのあいだ
 毎日そこでしゃがんで待っていたのですが、
 とうとう会えませんでした。
 子供心に「犯人は現場に戻る」ってな発想だったんですが
 現場に戻ったのはわたしだったんですね。
 今も切ない記憶です。
 (iyo)

ケンカして、
 「○○するのはよくないんだぞ!」
 と言われると必ず、
 「そんなこと法律に書いてあるんですかー。
  それは何て言う法律の、第何条ですかー」
 とやりかえしてました。
 「あんた、○○って言ったじゃない!」
 と言われると、
 「いつゆったんですかー。それは何時何分ですかー」
 と答えてました。
 同じ手で返されることも多かったので、
 カチンとくると時計を見る癖がありました。
 なんとかして「ぎゃふん」と言わせようと必死でしたね。
 (なお)

子供の頃はドラクエが流行っていて、
 そのアイテムに「薬草」というのがあるんですが、
 友達と「薬草作り」にはまっていました。
 家の裏に空き地があり、
 そこに生えている草をすりつぶして、
 水を加える、といったレシピでした。
 ところが、どう作っても体に良さそうな
 色の薬草はできるはずもなく、
 途中から趣旨が変わって
 「毒薬作り」になっていきました。
 傷薬やら、犬のウ○コやら、ハエの死体やら、
 原料がどんどんグロくなっていき、
 「今日のは一発でバッタが殺せた」とか、
 そういう自慢合戦までしてました。
 ガキはエスカレートすると止まらないもんですね。
 肥溜めの中身を原料にしたヤツは、
 ヒーロー扱いでした。
 (s)

私が小さい頃はやってたブームがあります。
 その頃私達市営住宅っ子(笑)は、
 住宅の中にある、公園の砂場で、
 砂場の固い砂を四角く、深く切り取って、
 そのキレイさを競い合っていました。
 そしてそのかたまりを見せ合い、
 崩すのを楽しみに遊んでいました。
 それを私達は「かたまり」といって
 学校から帰ってその遊びを楽しんでいました。
 今思えば、凄くアホだなと思います。
 今もそこには、私達がほった
 砂のあとがくっきりと残っています。

 今の子達・・・ごめんね。
 その四角い穴は私達が掘ったんだよ・・・・。
 (銀杏)

中学1年の時のある日曜日、
 家の回転イスでぐるぐるまわってたら
 気持ち悪くなって熱が出てしまい、
 翌日学校いけませんでした。
 中学2年の時のある日曜日には、
 父親とオセロゲームをしてたら
 頭を使いすぎたらしく知恵熱が出てしまい、
 翌日学校いけませんでした。

 (たいら)

小さい頃
 「17才になったら社交界にデビューする」
 と思っていました。
 夢じゃなく、当たり前のこととして。
 自分の中では ピンクのドレスを着て
 羽のついた扇子を持って
 螺旋階段を下りて来る様子が
 出来上がっていました。
 もちろん縦ロールの金髪です。
 ちなみに当時住んでいたのは
 6畳と4畳半に脱衣所の無い
 風呂場のついた市営住宅でした。
 (Y)

父と歩くとき、同じタイミングで、
 右、左、右、左と足を揃えて
 歩かないといけなかったのです。
 そうすれば、明日や明後日にいつどこで歩いても、
 父と同じタイミングで歩ける
と思っていた…。
 でも、歩幅が広いし足の運びは速いし、大変でした。
 (うず)

小学生の頃、私たちの間では
 いろんなものを混ぜて得体の知れない物体を
 作るのが大流行りでした。
 はじめはかわいいものでした。
 お花と砂と水を混ぜたものや、
 水槽のコケと給食の残りの牛乳を混ぜたものなど。
 でも、だんだん過激になってきて、
 あるときから体育館の裏の
 ほとんど使われない用具入れの中で、
 秘密の儀式が行なわれる様になったのです。
 それは、でっかいバケツの中に
 おしっ○とう○こをためにためて
 ぐりぐり混ぜるという世にも恐ろしい儀式。

 しまいにゃそれでも物足りなくなって
 ライン引き用の石灰を入れたりする始末。
 もう見ても何がなんだか分からない物体です。
 そしてこれは私たち数人の大の秘密だったのですが…
 ある日、めったに使われない
 その用具入れに入った人がいたようなのです。
 しかもその物体の中に
 うっかり手を突っ込んでしまったらしい!!
 その得体の知れない物体の噂は
 あっという間に広がりました。

 私たちはもちろん言い出せる訳もありません。
 やがて用具入れには鍵が掛けられ、
 立ち入り禁止になってしまいました。
 そうして私たちの放課後の秘密の楽しみは
 終わりを告げたのでした。
 …っていうか何考えてたんでしょうか。
 なんで子供の頃ってうんことか好きなんでしょうねぇ。
 今となっては謎です。
 あー、初めて人に話したのですっきりしました。
 それでは、ガキの特集楽しみにしております。
 (alisa)

私は小学生ぐらいまで、
 夜空にかがやく月は、アメリカだと思ってました。
 自分の住んでいる市が日本と考えていたからこそ、
 なのでしょうが…。
 (ガミ)

(ミニコメント)

ちょっとした迷信を、
いちばん最初にクラスで言いだすやつって、
いったい、誰だったんだろう?
・・・それを思い出せないほどに、
一気にひろまるのが、ガキの間の「定説」ですよねぇ。

「ほぼ日」で3年前にやっていた
「ガキの頃は…」の特集では、こんなメールもありました。

「そういえば
 『おれ、おしっこ飲んだことあんねん!』
 って豪語してた友だちを
 めっちゃ教祖的な目で見てた。
 尊敬ついでに恋もした。
 ばかって言うか、あほやろ(しのりん)」

自信の多寡が、リーダーシップを生んでるのか?
子ども世界にも、独特の謎があります・・・。

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2003-06-26-WED
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