(6月26日)
●小学生の頃、
アニメ「北斗の拳」を異常に恐れていました。
「19XX年・・・」というナレーションが始まると、
家から脱走。
運悪く病院のテレビで始まろうものなら、
これまた脱走。
ヒデブー連発のオープニングだけでも
チビリそうでした。
逃げるのに一生懸命で、
どうやらチャンネルを変えるという
発想はなかったらしいです。
(ヤマチ)
●小三のある日、
フト手のひらを見たら生命線が短かったので、
「私は16歳になったら死んじゃうんだー」
とずっと思っていました。
なぜ16歳だと思ったのかは不明です。
(みそぢ)
●夜、眠る時になると豆電球を見ながら
「死んだら自分はどうなるんだろう?」
と恐くなり、こんな感じかな?と息を止めて
「ああっ、苦しい。やっぱり恐い!」
と思いながら、
お布団の中で泣いたりしていました。
(えがぴー)
●誕生日に親に買ってもらった
『花の子ルンルン』のコンパクト。
わくわくしながらパカッとひらき、呪文を唱えました。
何回も、何回も、唱えました。
ちっとも花の精に変身できないことに気づいた瞬間、
お向かいさんにまで聞こえるほど、号泣していました。
それを見た母の爆笑する顔が、忘れられません。
魔法がひとつ、消えてしまった思い出です。
(ふ)
●忙しい朝、姉に怒っている母に、
「お母さんは年寄りなのに、怒るとおっかないねぇ」
と言ったら、
「お母さんは年寄りじゃないよっ!!」
と怒られ、ビックリして泣きました。
その後、すこし落ち着いた母に
「・・ごめんね」と言われ、また泣きました。
まさか傷つけるなんて思わなかったんです。
なんたって保育園時代ですから。
(おりと)
●小学校低学年の頃、丸顔だった私は
面長な人をかっこいいと思い込んでおり
たまたま乗ったバスの正面にかわいい子が座ったので
唇を閉じたまま口を思いっきり開け、
かっこいい男を演出し悦に入っておりました。
大人になって思い出し鏡に向かってやってみたら
少し悲しい気持ちになりました。
(JK)
●放っとくと朝から晩まで一日中でも、
おにんぎょさん遊びをしている子でした。
右手と左手にジェニーちゃんとリカちゃんを
向かい合わせて一体ずつ持ち、
海もお城も舞台セットは空想で造り上げ、
ふたりの会話も私の頭の中だけで展開・・・。
何もないじゅうたんの上、
無言で人形をかたかた動かす姿は
かなり無気味だったのでしょう。母に、
「暗いから、せめて声に出して遊んで」
と言われた覚えがあります。
(mihoco)
●小学校の頃、「置き手紙」に憧れました。
洗濯物を干している母の目を盗み、
机の上に「前の公園に行って来ます」と書き、
こっそり外に出ていこうとしたところ、
母に見つかり「何こそこそしてるの?」と怒られました。
「こ、公園に行って来るの」と私。
「じゃあちゃんんと公園にいってきます!
って言えばいいじゃない!」と母。
置き手紙のムードを楽しめないなんて、母は
なんて子どもなんだろう、と憤慨したのを覚えています。
(和)
●子供の頃、自分の宝物を庭に埋め、
場所を記した宝の地図を作ろうとしていました。
もし宇宙人や宇宙外の生物が
この地図を見つけたときにもわかるように、
宝の埋まった住所を
「宇宙 地球 日本…」から書いていました。
その前に、宇宙人は日本語読めないだろ。
(sumochi)
●子供の頃、4つ下の妹がベンピで大変でした。
硬くて毎日苦労していたんですが、あるとき父が
「ベンピが治る歌を歌え」と言って、
「♪へ〜になれ クソになれ竹の節にな〜るな〜」
という歌を教えてくれました。
私はトイレの外で、中の妹と一緒になって
歌ってあげたのですが、ふと思いつき、
「な〜るな〜」の後に
「ジュンコ(妹)のおならはぴっぴっぴっ!!」
とつけてみたら思いの外面白く、
得意になって歌い続けていたら、
中から「うわ〜あん」と妹の泣き声。
可哀想になった私は
「…わたしのおならはぺっぺっぺっ…」
と付け加えていました。
(たかりん)
●これは母から聞いた話なのですが、
私がまだ一才半の時のことです。
ビデオテープのラベルの1〜9、A〜Zの小さいシールを、
私は一心不乱に冷蔵庫の扉に貼っていたそうです。
母が言うに、最初の方は元気だったのに、
最後のほうになると疲れ果てて1個シールを貼る度に
「はぁ〜」とため息をつくのですが、
「もうやめたら?」
と言っても頑として聞き入れなかったそうです。
その根性、今欲しいです。
(えりか)
●小学生のころ、友達と学校からの帰りの話です。
水前寺清子の「365歩のマーチ」の中の
「1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる」
のところだけをエンドレスに歌いながら、
そのとおりに4歩進んで、2歩戻ってたら、
なかなか進まず、遅くなって、親に叱られました。
かなり、真剣にやってたのになぁ。バカだけど、
今となっては、自分で自分をほめてやりたい。
(まる)
●白い牛は牛乳を出す。
黒い牛はコーヒーを出す。
白と黒のぶち牛はコーヒー牛乳を出す。
子供の頃、親に教わりました。
未だに、牧場で黒牛を見ると
「コーヒー出すんだよなぁ、あの牛」
って、心の中で密かに思ってます。
(ゆい)
●僕が小学校2年の頃、
つのだじろうの『恐怖新聞』を読んでいた時の事でした。
年の離れた従兄弟に、
「小学校4年以下の子が『恐怖新聞』読むと、
ポルターガイストが家に出るんだぞ」
と脅かされました。
なぜ4年生以下なのか。
そんな初歩的な疑問は頭にも浮かばず、
それを本気で信じた僕は、
ポルターガイストがでてきても目が合わないように、
布団の隣にあったタンスの方に向き、
顔をくっつけるようにして寝ていました。
それから十数年、今だに、
うえを向いて上手に寝る事ができません。
(ぺい)
●中学校の頃に乳首にコリコリしたものができたのを
乳がんだと思って、
一人夜通し泣き尽くしたことがあります。
成長期頃にたいていの男子は経験していると思いますが、
当時はしばらく悩みました。
(うめたけ)
●小学校あがりたての7歳。
帰り道でう○ちがしたくなり、
道ばたでためらいながらやっちゃいました。
ハンカチちりかみは忘れずに、と
あれほど教室の壁にでっかく書いてあったのに……。
ちりかみがないのに気付いたのは、
出してしまった後でした。
そのままの態勢で困ること数分。
日傘をさしたおばさんが、無言でちりかみをくれました。
尻を拭くのに精一杯で、
お礼を言えなかったのが心残りで、しばらくのあいだ
毎日そこでしゃがんで待っていたのですが、
とうとう会えませんでした。
子供心に「犯人は現場に戻る」ってな発想だったんですが
現場に戻ったのはわたしだったんですね。
今も切ない記憶です。
(iyo)
●ケンカして、
「○○するのはよくないんだぞ!」
と言われると必ず、
「そんなこと法律に書いてあるんですかー。
それは何て言う法律の、第何条ですかー」
とやりかえしてました。
「あんた、○○って言ったじゃない!」
と言われると、
「いつゆったんですかー。それは何時何分ですかー」
と答えてました。
同じ手で返されることも多かったので、
カチンとくると時計を見る癖がありました。
なんとかして「ぎゃふん」と言わせようと必死でしたね。
(なお)
●子供の頃はドラクエが流行っていて、
そのアイテムに「薬草」というのがあるんですが、
友達と「薬草作り」にはまっていました。
家の裏に空き地があり、
そこに生えている草をすりつぶして、
水を加える、といったレシピでした。
ところが、どう作っても体に良さそうな
色の薬草はできるはずもなく、
途中から趣旨が変わって
「毒薬作り」になっていきました。
傷薬やら、犬のウ○コやら、ハエの死体やら、
原料がどんどんグロくなっていき、
「今日のは一発でバッタが殺せた」とか、
そういう自慢合戦までしてました。
ガキはエスカレートすると止まらないもんですね。
肥溜めの中身を原料にしたヤツは、
ヒーロー扱いでした。
(s)
●私が小さい頃はやってたブームがあります。
その頃私達市営住宅っ子(笑)は、
住宅の中にある、公園の砂場で、
砂場の固い砂を四角く、深く切り取って、
そのキレイさを競い合っていました。
そしてそのかたまりを見せ合い、
崩すのを楽しみに遊んでいました。
それを私達は「かたまり」といって
学校から帰ってその遊びを楽しんでいました。
今思えば、凄くアホだなと思います。
今もそこには、私達がほった
砂のあとがくっきりと残っています。
今の子達・・・ごめんね。
その四角い穴は私達が掘ったんだよ・・・・。
(銀杏)
●中学1年の時のある日曜日、
家の回転イスでぐるぐるまわってたら
気持ち悪くなって熱が出てしまい、
翌日学校いけませんでした。
中学2年の時のある日曜日には、
父親とオセロゲームをしてたら
頭を使いすぎたらしく知恵熱が出てしまい、
翌日学校いけませんでした。
(たいら)
●小さい頃
「17才になったら社交界にデビューする」
と思っていました。
夢じゃなく、当たり前のこととして。
自分の中では ピンクのドレスを着て
羽のついた扇子を持って
螺旋階段を下りて来る様子が
出来上がっていました。
もちろん縦ロールの金髪です。
ちなみに当時住んでいたのは
6畳と4畳半に脱衣所の無い
風呂場のついた市営住宅でした。
(Y)
●父と歩くとき、同じタイミングで、
右、左、右、左と足を揃えて
歩かないといけなかったのです。
そうすれば、明日や明後日にいつどこで歩いても、
父と同じタイミングで歩けると思っていた…。
でも、歩幅が広いし足の運びは速いし、大変でした。
(うず)
●小学生の頃、私たちの間では
いろんなものを混ぜて得体の知れない物体を
作るのが大流行りでした。
はじめはかわいいものでした。
お花と砂と水を混ぜたものや、
水槽のコケと給食の残りの牛乳を混ぜたものなど。
でも、だんだん過激になってきて、
あるときから体育館の裏の
ほとんど使われない用具入れの中で、
秘密の儀式が行なわれる様になったのです。
それは、でっかいバケツの中に
おしっ○とう○こをためにためて
ぐりぐり混ぜるという世にも恐ろしい儀式。
しまいにゃそれでも物足りなくなって
ライン引き用の石灰を入れたりする始末。
もう見ても何がなんだか分からない物体です。
そしてこれは私たち数人の大の秘密だったのですが…
ある日、めったに使われない
その用具入れに入った人がいたようなのです。
しかもその物体の中に
うっかり手を突っ込んでしまったらしい!!
その得体の知れない物体の噂は
あっという間に広がりました。
私たちはもちろん言い出せる訳もありません。
やがて用具入れには鍵が掛けられ、
立ち入り禁止になってしまいました。
そうして私たちの放課後の秘密の楽しみは
終わりを告げたのでした。
…っていうか何考えてたんでしょうか。
なんで子供の頃ってうんことか好きなんでしょうねぇ。
今となっては謎です。
あー、初めて人に話したのですっきりしました。
それでは、ガキの特集楽しみにしております。
(alisa)
●私は小学生ぐらいまで、
夜空にかがやく月は、アメリカだと思ってました。
自分の住んでいる市が日本と考えていたからこそ、
なのでしょうが…。
(ガミ)
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(ミニコメント)
ちょっとした迷信を、
いちばん最初にクラスで言いだすやつって、
いったい、誰だったんだろう?
・・・それを思い出せないほどに、
一気にひろまるのが、ガキの間の「定説」ですよねぇ。
「ほぼ日」で3年前にやっていた
「ガキの頃は…」の特集では、こんなメールもありました。
「そういえば
『おれ、おしっこ飲んだことあんねん!』
って豪語してた友だちを
めっちゃ教祖的な目で見てた。
尊敬ついでに恋もした。
ばかって言うか、あほやろ(しのりん)」
自信の多寡が、リーダーシップを生んでるのか?
子ども世界にも、独特の謎があります・・・。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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