(6月27日)
●うちのイギリス人のだんなもかわいいんですよ。
彼は5才位の時に小さい手に持てるだけのビー玉を
握り締める練習をしてたそうです。
で、あるとき思い立って、
ギネスブックに手紙を書いたそうです。
「僕はビー玉をたくさん手に持てます。
たぶん世界一だと思います」
こんな感じで。そしたらなんと返事が来たそうです。
それには、
「今はそういった記録は
ギネスブックには載ってないけれども、
もし、そういう記録が載るとしたら
間違いなく君が一番だよ」
という内容だったそうです。今も手紙とってありますよ。
バカな話というか、なんかほかほかする話でした。
(まっくすたー)
●小さいころなんせすっごい怖がりでした。
玄関から3歩で父の仕事場があるのですが
夕方日が落ち始めると
父を呼びに表に出れないぐらいの怖がりで、
玄関の扉を1cmほど開けて
「おとうちゃ〜ん!!ご飯ですよ〜!!」と
ご近所様に響き渡る大声で叫んでいました。
その声が父に届かず何の返答も無いと
仕事場まで行かなくてはならず
そのたびに目を閉じて3歩をダッシュ!!
2回に1回は仕事場のドアに体当たりでした。
何がそんなに怖かったのか・・・。
ちなみに、夜になるとお風呂のふたも
一人では怖くって開けられませんでした。
(うに)
●小学4年生の頃、
学校帰りに知らない男性に声をかけられ、
「チョコレートあげるし…」
というセリフがドラマに出てくる
誘拐犯と同じだったので、
あわてて逃げて帰りました。
帰宅して母に話すと、学校にも知らせたらしく
翌朝、先生にその男性の似顔絵を
書くように言われました。
でも、書いてるうちに
だんだん担任の先生そっくりになってしまい
先生は
「ほんまにこんな顔やった?」と悲しそうでした。
(香織)
●小学生のころ、スポ根ドラマが流行っていて、
雪の降る中でバレーボールして、
レシーブできなかったら雪の上に正座して
特訓してました。
すっかりドラマの中に入りきってました。
(ちー)
●歩道で
「黒いパネルを踏んだら穴に落ちて一機減る」
という俺ルールを心決めして歩いてました。
しかしガキの頃ならまだしも、
それを割と最近までやっていて、恥ずかしいから
「黒いパネル禁止、かつ他人に気付かれてはならない」
とルールを拡張。
知らずに邪魔をする連れに憤慨したものです。
(とらひげ)
●小学校3年のとき。
おかきの袋に入っていた「シリカゲル」(乾燥剤)の袋に
「これは無害ですが食べられません」と書いてあることに
矛盾を感じました。
見たところ、透明な白とブルーのつぶつぶで、
どちらかというとおいしそうに見えます。
「なぜ無害なのに食べられないの?」
という疑問を解くために、
勇気を出して、10粒ほど食べてみました。
・・・やっぱ、無害ですが食べられない味でした。
それから数日は、2〜3時間に1回ぐらいチョコレートを
口に入れて後味をしのぎました。
(み)
●私も親の方針でお菓子を制限されていました。
飴さえも滅多に買って貰えなかった私が目を付けたのは
・・・糖衣錠。風邪薬によくあるアレです。
瓶から失敬してしばらくの間口の中に広がる甘味を楽しみ、
苦くなったら捨てていました。
ゴミ箱に捨てるとばれて怒られると思ってベッドの下に。
数ヵ月後、年末大掃除で見つかり、ど叱られしました。
(うさみみ)
●駐車場に生えていた草を摘むと、
白い液が出てきたのですが、
それをミルクだと思ってたくさん飲んでいました。
あと、糸杉を水の中に入れてかき混ぜると、
納豆になるんだと思い込んでいました。
タンポポの根っこが大根だと思っていました。
さすがに小学校の2年生になるころには、
「もしかしてヤバいかもしれない…」
と思い出しましたが、
そう思ったのは私だけであったのか、
依然としてみんな食べていて、
私だけ仲間はずれにされると困るので、
やっぱり食べてました。
そんなわけで、おままごとをして
お母さん以外の役になると、
お皿に盛られたよくわからない草を食べるはめに。
食べたふりをして、
「もぐもぐ。おいしいねー」と言おうもんなら、
「食べたふりをしてもだめ!
好き嫌いはいけませんよ!」と、
お母さん役にひどく叱られました。
その話を今友人にすると、
「生きていてよかったね」と言われます。
(みやび)
●みのもんたさん司会の「危機一髪!SOS」という番組で
「子供がお金を飲み込んでしまった!
あなたならどう対処するか!?」という問題。
真剣に答えを考える私の横でダンナが
「そんなもんほっといたらウンコと一緒に出てくる」と。
聞けばダンナの弟は100円玉と10円玉を
一緒に飲み込み、次の日難なく110円を出産。
しかもピッカピカの。
義母は「それはキレイだったわよー」と
今でもケースに入れてとってあるとのこと。
(ミチ)
●デリバリー版の、
同じ道を帰らないと糸がからまっちゃう、
っていうお話に共感をおぼえてメールいたしました。
わたしの場合、
だから同じ道を帰らないと気がすまない
っていうほどではなくて、
むしろ、糸がほどけるように道順を歩けたときだけ、
ああ、糸がほどけてよかったなー、
と思う程度なのですが。
同じ発想をしている人がいるんだなーと思って
なんか心がむずがゆいです。
これってほぼ日読者メールの醍醐味ですよね。
(ななこ)
●子供の頃からずっと、母が
「私は若くて美人だ」
というのを、100%信じていました。
TVでタレントを見ても、
「ママの方が若くて美人だ!」と思っていました。
妹が「ママが美人じゃなくってイヤだった」と
言ったのを聞いたときは、心の底から驚きました。
クラス中に「うちのママは若くて美人だ!」って
言いふらしていましたので・・・
どうりで賛同が得られなかったわけだ。
真実を知った、30才の冬でした。
(みほ)
●小さいころ、「透明自動車道」の存在を信じていた。
(maki)
●子供の頃誰もが経験したガキっぽいことといえば
やっぱり「横断歩道の白色のみ渡る」ことでしょう。
白しか踏まずに渡れば良い事がある!!とか、
踏み外すと死んじゃうとか…
勝手な理由付けてましたね。
あとは魔法使いとかがホントに居ると思いこんでたり。
自分はエスパーで選ばれた人間なんだとかね。
懐かしいなぁ〜
(たっきー)
●幼稚園の頃、
雨が降ると長靴を履いて通っていた通学路に、
あるお宅の雨樋から雨水が勢いよく流れ出るのをみて、
その水を長靴の中に流しいれ、
ポチャンポチャンと歩くのが好きでした。
家に入る前にちゃんとその水は捨ててましたが、
毎回びしょ濡れの長靴と靴下を見て
不思議がっている母には
「川に落ちちゃった」と、
近所に川なんて流れてないのに
いつも同じウソをついてました。アホすぎる…
(m)
●小学生のころ,秘密という言葉にすごくどきどきした。
昔,マンション内にある公園の草むらに
朝のうちにお菓子を隠しておいて,
帰宅時に友達と食べる・・・というのが流行った。
外に置いといた物を食べることが,
なんとなくサバイバーっぽくて,
かっこよかったし,なぜだか,
私達だけの秘密・・・と響きに
大人っぽさを感じ,憧れていたのだ。
今考えると,封をあけてなくても
不衛生な気がするが、学校で交わす友達との
「おいてきた?」「うんうん♪」という会話が
楽しくてしょうがなかったのだ。
(あん)
●父は仕事一本の人で、
長女の私はあまり遊んでもらった覚えがありません。
ある小雨の日、私は父の真似を始めました。
父と同じペースでご飯を食べ、爪楊枝を使い、
鼻を噛み、靴を履き、外に出て、
そこまでは順調でした。
が、父は立ち小便をしたんです!
女の子の私には出来なかった。
「父にはかなわない・・・」
打ちのめされた5歳の春でした。
(かなか)
●幼稚園の頃、買ってもらったクレヨンを
使うのがなぜかとてももったいなく思えて、
最初にまず自分の顔にぐりぐり描いてしまいました。
そのまま、家に帰って母親大笑い・・・。
(最初の角張った端っこって、
使うのが惜しいような、うれしいような
ヘンな気分になりませんか??)
(ますたろう)
●子供のころのエロ話です。
それはいくつまで信じていたのかはわすれましたが、
親がちゅーをしたから自分が生まれたのだと信じていました。
ガキでしょ〜?
(むーみん)
●自分では覚えていないのですが・・・。
5歳頃、真冬の2月、兵庫県の山奥の川で泳ぎました。
泳ぐと言うより、“入水”。
真紫の唇、ガタガタ震えているのを大人に発見され、
お風呂屋さんに抱えられて直行。
何を考えていたんでしょう?判らん。
(カプメイ)
●親が、子供にもいいだろうと毎朝くれた
『アリナミン』という黄色い糖衣錠の錠剤1つぶ。
主成分がなんだったのかいまだに私にはわかりませんが
お水でサッと飲みなさいよ、という言葉と共に
いつもはのどを通る小さな錠剤の
一瞬の甘さだけを楽しんでいました。
で、とうとうある日欲が出てしまって、
その甘さを一瞬のモノにしたくなくて、
であればいっそ、なめながら登校するのがいいだろう!
と気が付き、さっそくチャレンジしてみたわけです。
ああ、旨いものの予感。
最初は、そうそう、この甘さよ、ふふー、
あれ?なんか味が変わてきたね、あれ、
あ、わわ、ぎゃ〜〜〜〜〜っ!!!
・・・通学路で早朝から電柱にへばりついて
ゲロる児童、約1名。
糖衣錠、っていうのはそもそも、
成分丸出しでは到底摂取できるわけもない、
ゲロまず〜いモノを砂糖にくるんでごまかしてます、
っていうシロモノなんですね。
死ぬほどショックでした。
ほとんど立っていられないくらい、
気絶寸前、爆撃みたいな経験でした。
ショックをだれにも汲み取ってもらえず(バカ過ぎて)
その経験はふところにしまわれたまま時は過ぎ
私はすっかり大人になりました。
今でもちゃんと思い出せるあのマズ〜イ味。ゲ〜。
(ババチョフ)
●たしか、小学校低学年の頃のことです。
商店街の魚屋さんで買い物すると、
ゴム引きの前掛けをしたおじさんが
小さく切った新聞紙に魚をささっと包んでくれたり、
お代は天井から下がっている籠の中へひょいと入れて、
そこからお釣りもとったりするのが
めちゃくちゃかっこ良く思えて
母に「私、大きくなったら魚屋さんと結婚する」と
自分では内緒話のつもりで言ったのを
おじさんにしっかり聞かれて
「もっと、偉い人と結婚しな」と
にこにこ言われてしまいました。
小学生の私には、偉い人と結婚するより
生き生きした楽しい暮しのように見えたんですね。
(プー)
●小学校1年のとき駐在所の娘のTちゃんと
大の仲良し。
学校から帰るとそこの家の2階の畳の部屋で、
おかしの空き箱におしっこをして、
窓から捨てて、よろこんだり、
2人で一緒にトイレ(当然和式・汲み取り式)の
便器にまたがり、せーのでおしっこしたり、
近所の物置の裏に捨てるようにおいてあった
便器でおしっこするのがものすごーーーく楽しかった。
おばかな女の子たちでした。
(き)
●行きと同じ道を帰らないと気がすまない、
という話がありましたよね。
ちょっと似てます。
大好きな親友のK子ちゃんと
毎日毎日毎日、一緒にいました。
どっちかというと、わたしが
K子ちゃんに執着していたのですが
二人で歩いていて
途中、たとえば電柱などで
彼女とわたしの進路が分かたれたりすると
ふたりの間の絆(わはは)が切れるような気がして
わざわざ戻って
つなぎ直してきたりしたものです。
その障害物が、走行中の自転車のときは
もう半泣きで
その自転車のあとを追っかけました。
でも、今でも
歩いている人のうしろには
くもの糸みたいなオーラが出ていると思ってます。
(みけこ)
●僕がガキだったなァっと思ったのは、
親から聞かされた話です。
3歳のころだったようですが、
近所のおばさんが僕のほっぺを見て、
「かわいらしい!食べちゃいたい!」
って言ったようなんです。それを聞いて、僕は
「痛いからやめて!」と大泣きして、
母とそのおばさんを大いに困らせたようです。
(むーみん)
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(ミニコメント)
たくさんの「ガキばなし」を読んでいると、
「俺ルール」や「俺願かけ」の、多いこと!
自分でも、やっていたことがあるって人や、
ヘタすると、今でもやっているという人もいる。
白線だけを踏んでいくとか、影だけを踏んでいくとか、
それが達成できたらこうなるとか……。
微妙に「努力」と関係があるところに、
「徳を積む」とかいう概念の基礎を見るような気もします。
イギリス人のダンナがもらった、「ギネスブック」からの
おたよりの返事は、ジェントルマンですよねぇ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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