KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月27日)

うちのイギリス人のだんなもかわいいんですよ。
 彼は5才位の時に小さい手に持てるだけのビー玉を
 握り締める練習をしてたそうです。
 で、あるとき思い立って、
 ギネスブックに手紙を書いたそうです。
 「僕はビー玉をたくさん手に持てます。
  たぶん世界一だと思います」
 こんな感じで。そしたらなんと返事が来たそうです。
 それには、
 「今はそういった記録は
  ギネスブックには載ってないけれども、
  もし、そういう記録が載るとしたら
  間違いなく君が一番だよ」

 という内容だったそうです。今も手紙とってありますよ。
 バカな話というか、なんかほかほかする話でした。
 (まっくすたー)

小さいころなんせすっごい怖がりでした。
 玄関から3歩で父の仕事場があるのですが
 夕方日が落ち始めると
 父を呼びに表に出れないぐらいの怖がりで、
 玄関の扉を1cmほど開けて
 「おとうちゃ〜ん!!ご飯ですよ〜!!」
 ご近所様に響き渡る大声で叫んでいました。
 その声が父に届かず何の返答も無いと
 仕事場まで行かなくてはならず
 そのたびに目を閉じて3歩をダッシュ!!
 2回に1回は仕事場のドアに体当たりでした。
 何がそんなに怖かったのか・・・。
 ちなみに、夜になるとお風呂のふたも
 一人では怖くって開けられませんでした。
 (うに)

小学4年生の頃、
 学校帰りに知らない男性に声をかけられ、
 「チョコレートあげるし…」
 というセリフがドラマに出てくる
 誘拐犯と同じだったので、
 あわてて逃げて帰りました。
 帰宅して母に話すと、学校にも知らせたらしく
 翌朝、先生にその男性の似顔絵を
 書くように言われました。
 でも、書いてるうちに
 だんだん担任の先生そっくりになってしまい
 先生は
 「ほんまにこんな顔やった?」と悲しそうでした。
 (香織)

小学生のころ、スポ根ドラマが流行っていて、
 雪の降る中でバレーボールして、
 レシーブできなかったら雪の上に正座して
 特訓してました。

 すっかりドラマの中に入りきってました。
 (ちー)

歩道で
 「黒いパネルを踏んだら穴に落ちて一機減る」
 という俺ルールを心決めして歩いてました。
 しかしガキの頃ならまだしも、
 それを割と最近までやっていて、恥ずかしいから
 「黒いパネル禁止、かつ他人に気付かれてはならない」
 とルールを拡張。
 知らずに邪魔をする連れに憤慨したものです。
 (とらひげ)

小学校3年のとき。
 おかきの袋に入っていた「シリカゲル」(乾燥剤)の袋に
 「これは無害ですが食べられません」と書いてあることに
 矛盾を感じました。
 見たところ、透明な白とブルーのつぶつぶで、
 どちらかというとおいしそうに見えます。
 「なぜ無害なのに食べられないの?」
 という疑問を解くために、
 勇気を出して、10粒ほど食べてみました。

 ・・・やっぱ、無害ですが食べられない味でした。
 それから数日は、2〜3時間に1回ぐらいチョコレートを
 口に入れて後味をしのぎました。
 (み)

私も親の方針でお菓子を制限されていました。
 飴さえも滅多に買って貰えなかった私が目を付けたのは
 ・・・糖衣錠。風邪薬によくあるアレです。
 瓶から失敬してしばらくの間口の中に広がる甘味を楽しみ、
 苦くなったら捨てていました。
 ゴミ箱に捨てるとばれて怒られると思ってベッドの下に。
 数ヵ月後、年末大掃除で見つかり、ど叱られしました。
 (うさみみ)

駐車場に生えていた草を摘むと、
 白い液が出てきたのですが、
 それをミルクだと思ってたくさん飲んでいました。
 あと、糸杉を水の中に入れてかき混ぜると、
 納豆になるんだと思い込んでいました。
 タンポポの根っこが大根だと思っていました。
 さすがに小学校の2年生になるころには、
 「もしかしてヤバいかもしれない…」
 と思い出しましたが、
 そう思ったのは私だけであったのか、
 依然としてみんな食べていて、
 私だけ仲間はずれにされると困るので、
 やっぱり食べてました。
 そんなわけで、おままごとをして
 お母さん以外の役になると、
 お皿に盛られたよくわからない草を食べるはめに。
 食べたふりをして、
 「もぐもぐ。おいしいねー」と言おうもんなら、
 「食べたふりをしてもだめ!
  好き嫌いはいけませんよ!」と、
 お母さん役にひどく叱られました。
 その話を今友人にすると、
 「生きていてよかったね」と言われます。
 (みやび)

みのもんたさん司会の「危機一髪!SOS」という番組で
 「子供がお金を飲み込んでしまった!
  あなたならどう対処するか!?」という問題。
 真剣に答えを考える私の横でダンナが
 「そんなもんほっといたらウンコと一緒に出てくる」と。
 聞けばダンナの弟は100円玉と10円玉を
 一緒に飲み込み、次の日難なく110円を出産。
 しかもピッカピカの。
 義母は「それはキレイだったわよー」
 今でもケースに入れてとってあるとのこと。
 (ミチ)

デリバリー版の、
 同じ道を帰らないと糸がからまっちゃう、
 っていうお話に共感をおぼえてメールいたしました。
 わたしの場合、
 だから同じ道を帰らないと気がすまない
 っていうほどではなくて、
 むしろ、糸がほどけるように道順を歩けたときだけ、
 ああ、糸がほどけてよかったなー、
 と思う程度なのですが。
 同じ発想をしている人がいるんだなーと思って
 なんか心がむずがゆいです。
 これってほぼ日読者メールの醍醐味ですよね。
 (ななこ)

子供の頃からずっと、母が
 「私は若くて美人だ」
 というのを、100%信じていました。
 TVでタレントを見ても、
 「ママの方が若くて美人だ!」と思っていました。
 妹が「ママが美人じゃなくってイヤだった」と
 言ったのを聞いたときは、心の底から驚きました。
 クラス中に「うちのママは若くて美人だ!」って
 言いふらしていましたので・・・

 どうりで賛同が得られなかったわけだ。
 真実を知った、30才の冬でした。
 (みほ)

小さいころ、「透明自動車道」の存在を信じていた。
 (maki)

子供の頃誰もが経験したガキっぽいことといえば
 やっぱり「横断歩道の白色のみ渡る」ことでしょう。
 白しか踏まずに渡れば良い事がある!!とか、
 踏み外すと死んじゃうとか…
 勝手な理由付けてましたね。
 あとは魔法使いとかがホントに居ると思いこんでたり。
 自分はエスパーで選ばれた人間なんだとかね。
 懐かしいなぁ〜
 (たっきー)

幼稚園の頃、
 雨が降ると長靴を履いて通っていた通学路に、
 あるお宅の雨樋から雨水が勢いよく流れ出るのをみて、
 その水を長靴の中に流しいれ、
 ポチャンポチャンと歩くのが好きでした。
 家に入る前にちゃんとその水は捨ててましたが、
 毎回びしょ濡れの長靴と靴下を見て
 不思議がっている母には
 「川に落ちちゃった」と、
 近所に川なんて流れてないのに
 いつも同じウソをついてました。アホすぎる…
 (m)

小学生のころ,秘密という言葉にすごくどきどきした。
 昔,マンション内にある公園の草むらに
 朝のうちにお菓子を隠しておいて,
 帰宅時に友達と食べる・・・というのが流行った。
 外に置いといた物を食べることが,
 なんとなくサバイバーっぽくて,
 かっこよかったし,なぜだか,
 私達だけの秘密・・・と響きに
 大人っぽさを感じ,憧れていたのだ。
 今考えると,封をあけてなくても
 不衛生な気がするが、学校で交わす友達との
 「おいてきた?」「うんうん♪」という会話が
 楽しくてしょうがなかったのだ。

 (あん)

父は仕事一本の人で、
 長女の私はあまり遊んでもらった覚えがありません。
 ある小雨の日、私は父の真似を始めました。
 父と同じペースでご飯を食べ、爪楊枝を使い、
 鼻を噛み、靴を履き、外に出て、
 そこまでは順調でした。
 が、父は立ち小便をしたんです!
 女の子の私には出来なかった。
 「父にはかなわない・・・」
 打ちのめされた5歳の春でした。
 (かなか)

幼稚園の頃、買ってもらったクレヨンを
 使うのがなぜかとてももったいなく思えて、
 最初にまず自分の顔にぐりぐり描いてしまいました。

 そのまま、家に帰って母親大笑い・・・。
 (最初の角張った端っこって、
  使うのが惜しいような、うれしいような
  ヘンな気分になりませんか??)
 (ますたろう)

子供のころのエロ話です。
 それはいくつまで信じていたのかはわすれましたが、
 親がちゅーをしたから自分が生まれたのだと信じていました。
 ガキでしょ〜?
 (むーみん)

自分では覚えていないのですが・・・。
 5歳頃、真冬の2月、兵庫県の山奥の川で泳ぎました。
 泳ぐと言うより、“入水”。
 真紫の唇、ガタガタ震えているのを大人に発見され、
 お風呂屋さんに抱えられて直行。

 何を考えていたんでしょう?判らん。
 (カプメイ)

親が、子供にもいいだろうと毎朝くれた
 『アリナミン』という黄色い糖衣錠の錠剤1つぶ。
 主成分がなんだったのかいまだに私にはわかりませんが
 お水でサッと飲みなさいよ、という言葉と共に
 いつもはのどを通る小さな錠剤の
 一瞬の甘さだけを楽しんでいました。
 で、とうとうある日欲が出てしまって、
 その甘さを一瞬のモノにしたくなくて、
 であればいっそ、なめながら登校するのがいいだろう!
 と気が付き、さっそくチャレンジしてみたわけです。 
 ああ、旨いものの予感。
 最初は、そうそう、この甘さよ、ふふー、
 あれ?なんか味が変わてきたね、あれ、
 あ、わわ、ぎゃ〜〜〜〜〜っ!!!
 ・・・通学路で早朝から電柱にへばりついて
 ゲロる児童、約1名。

 糖衣錠、っていうのはそもそも、
 成分丸出しでは到底摂取できるわけもない、
 ゲロまず〜いモノを砂糖にくるんでごまかしてます、
 っていうシロモノなんですね。
 死ぬほどショックでした。
 ほとんど立っていられないくらい、
 気絶寸前、爆撃みたいな経験でした。
 ショックをだれにも汲み取ってもらえず(バカ過ぎて)
 その経験はふところにしまわれたまま時は過ぎ
 私はすっかり大人になりました。
 今でもちゃんと思い出せるあのマズ〜イ味。ゲ〜。
 (ババチョフ)

たしか、小学校低学年の頃のことです。
 商店街の魚屋さんで買い物すると、
 ゴム引きの前掛けをしたおじさんが
 小さく切った新聞紙に魚をささっと包んでくれたり、
 お代は天井から下がっている籠の中へひょいと入れて、
 そこからお釣りもとったりするのが
 めちゃくちゃかっこ良く思えて
 母に「私、大きくなったら魚屋さんと結婚する」
 自分では内緒話のつもりで言ったのを
 おじさんにしっかり聞かれて
 「もっと、偉い人と結婚しな」と
 にこにこ言われてしまいました。
 小学生の私には、偉い人と結婚するより
 生き生きした楽しい暮しのように見えたんですね。
 (プー)

小学校1年のとき駐在所の娘のTちゃんと
 大の仲良し。
 学校から帰るとそこの家の2階の畳の部屋で、
 おかしの空き箱におしっこをして、
 窓から捨てて、よろこんだり、
 2人で一緒にトイレ(当然和式・汲み取り式)の
 便器にまたがり、せーのでおしっこしたり、
 近所の物置の裏に捨てるようにおいてあった
 便器でおしっこするのがものすごーーーく楽しかった。

 おばかな女の子たちでした。
 (き)

行きと同じ道を帰らないと気がすまない、
 という話がありましたよね。
 ちょっと似てます。
 大好きな親友のK子ちゃんと
 毎日毎日毎日、一緒にいました。
 どっちかというと、わたしが
 K子ちゃんに執着していたのですが
 二人で歩いていて
 途中、たとえば電柱などで
 彼女とわたしの進路が分かたれたりすると
 ふたりの間の絆(わはは)が切れるような気がして
 わざわざ戻って
 つなぎ直してきたりしたものです。
 その障害物が、走行中の自転車のときは
 もう半泣きで
 その自転車のあとを追っかけました。
 でも、今でも
 歩いている人のうしろには
 くもの糸みたいなオーラが出ていると思ってます。
 (みけこ)

僕がガキだったなァっと思ったのは、
 親から聞かされた話です。
 3歳のころだったようですが、
 近所のおばさんが僕のほっぺを見て、
 「かわいらしい!食べちゃいたい!」
 って言ったようなんです。それを聞いて、僕は
 「痛いからやめて!」と大泣きして、
 母とそのおばさんを大いに困らせたようです。
 (むーみん)

(ミニコメント)

たくさんの「ガキばなし」を読んでいると、
「俺ルール」や「俺願かけ」の、多いこと!
自分でも、やっていたことがあるって人や、
ヘタすると、今でもやっているという人もいる。
白線だけを踏んでいくとか、影だけを踏んでいくとか、
それが達成できたらこうなるとか……。
微妙に「努力」と関係があるところに、
「徳を積む」とかいう概念の基礎を見るような気もします。

イギリス人のダンナがもらった、「ギネスブック」からの
おたよりの返事は、ジェントルマンですよねぇ。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-06-27-FRI
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