(6月28日)
●高校生の時のことです。
なぜかわがクラスだけ体育の授業でやった
フォークダンスが大ブーム。
どんなときにも
手をつないで輪になって踊っていました。
極めつけは修学旅行の時、
夜のホテルの駐車場でフォークダンス。
まったく知らない人たちにとっては
不気味に見えたことでしょうね・・・。
(MT)
●小学生のころ、
席替えが悲しくて前日に布団の中で泣きました。
その頃はすごく仲良しな人ばかりで構成された
班(班も席順に基づいていた)だったので
その布団のなかで3班の歌を作りました。
内容は
「○○ちゃんは漢字をよく知ってるぅ~♪
△△くんはサッカーのシュートがうまい~♪」
といった、班員をこの上なく讃えるものだったのですが、
ちょっと前にケンカしていた××くんの部分だけは、
「××くんは走るのが『ちょっと』早い~♪」
と控えめにしてありました。
結局、恥ずかしくて誰にも言えませんでした。
(M)
●幼稚園の頃、
「アントニオ猪木」の「猪木」がなんのことかわからず、
自分のボキャブラリーの中に(かろうじて)あった
「いのち」のことだろうと思い、
いつも「アントニオいのち」と言っていた。
そして誰かが「猪木」という度に「いのち、だろ」と
心の中で訂正しつつ、やりすごしていた。
(はなび)
●私が子どもの頃、
田宮二郎が出てくるシリアスな病院ものの
ドラマがはやっていて、
当時幼稚園児だった私が最も注目していたのは
手術のシーンでした。
近所の幼なじみとの「ごっこ遊び」のなかで
その場面を再現する時は、私がドクターの役で
「メス!・・・メス!・・・オス!・・・メス!・・・」
と真面目に時々メスのなかにオスを織り交ぜて
言っていました。
(U)
●私もばかでした。
幼稚園の頃、お姫様ごっこにはまってたのですが、
ある日、もっとリアルにお姫様になろう!
って話が決まり・・・お姫様=ドレスって思った私達は
お母さんならきっと結婚式のドレスを持ってる!と思い、
翌日はお母さんのドレスを着て
集合することになったのです。
その日、いさんで家に帰り、
母に貸してくれと頼んだところ、
「私は和式だったからないわよ」の言葉。
すご~く泣きました。
もう私はお姫様ごっこはできないんだーって
絶望したのを今でも覚えています。
さて翌日。幼稚園から帰ると、なんと ドレスが!!
なんでも、
「親戚のやえちゃんが洋式だったから、
やえちゃんに借りた」そうで。
さっそく喜び勇んで、遊びにいきました。
み~んな とってもきれいなドレスを着ていました。
その時の光景、今もよーく覚えてるのですが、
今思うと、あれはどう見てもペティコートでした。
みんなが それぞれの母親のペティコートをはいて、
すっかりその気になってくるくる回って・・・。
おめでたいことでした。
ちなみに、うちの母が和式だったからって
頑なに言って
自分のペティコートを貸してくれなかったのは
訳はとても簡単。おデブだったからです。
と、今の私にはわかります。
親戚のやえちゃんにまで借りてくれて、
あの時はどうもありがとう!の心境です。
(ティーちゃん)
●「できるかな」のノッポさんは番組の中で
一言も口を利かないので、私は
「この人は生まれつき喋れない人で、
そのかわり手先がとても器用だったから、
NHKが雇ってくれているんだ」
と子供心にもそう思っていた。
しかし番組最終回の日、ノッポさんは喋った。
(しまちゃん)
●デリバリー版の
「自分から蜘蛛の糸がでているみたいで・・・」
に共感。私も同じ風に思っていました!
4人兄弟の3番目ってことで要領はよかったので
同じ場所を戻るようなことはせず、
何日かに一回思い立って、寝る前に
自分のお尻のあたりで糸をくるくる巻き取る仕草を
しばらく続けて、気が済むと
(よし、糸をリセットしたぞ)
と、安心して眠りについていたのでした。
ちょっとズルいかも。
(ぼんち)
●私も、お腹が空くとすぐに舐める
食品がありました。
それは、「ニド」というコーヒーに入れる
ミルクの粉で、ほんのーり甘い味が大好きでした。
ツバで指をしめらせてから、瓶に指をつっこんで
ベローンと舐めるんです。
これが不思議なことに、スプーンで舐めても、
全く美味しくないんですね。
もちろん見つかると、お母さんには怒られるし、
お父さんには呆れられました。
でも、私とお父さんの意見が一致するのは
「ニド」でないとだめなんです。
お母さんはどれでもいいらしく、
その時の気分で適当に「マリーム」や
「クリープ」なんかを買ってくると、
二人でかなりのクレームをつけていました。
今は、コーヒーに入れて飲むので、
特にこだわりはないです。
(いち)
●小学校1年の頃幼稚園児の妹と
チンドン屋さんのあとをついて歩きました。
どんどん友達がいなくなりやがて二人に。
お弁当を食べるチンドン屋さんの横で
途方にくれていると近所の捜索隊のお兄ちゃんが
自転車で探しに来てくれました。
ホッとしたチンドン屋さんと
私たち(妹はお弁当の味見もしていた)
家に帰ったとたんワーワー泣けて泣けて驚いた。
あれから40年以上たつけれど、方向音痴は治らない。
(はや)
●通学路の途中でよく道草を食っていました。
比喩的な意味ではなく、ほんとに草をかじってた。
赤っぽい草で、
酸っぱい味がお気に入りだったのですが、
それを先生に言ったら
「犬のおしっこがかかってるかもしれないから、
やめなさい」と言われました。
(ひとみ)
●うちのダンナの話しです。
小学校1年生の時に
配られる《算数セット》の中の
コインがあるんですが、
あのコインがお菓子屋の
ガチャガチャ(今で云うガチャポン)に入り、
オモチャが出てくる事を発見したらしいのです。
その時もっていた《算数セット》の中の
コイン全てでオモチャにしたそうです。
そして、しばらくするとお母さんがそのコインを持って
モーレツにダンナを怒ったらしいのです。
そのコインには全部名前が書いてあり、
お菓子屋のオバサンから
お母さんが呼び出しをされ怒られたそうです。
当たり前ですよね。1年生なんだから..。
(と)
●小学校低学年頃の話。
今にして思うと不潔な気がするのですが、
自分はアスファルトの路上に平気で座り込んだり、
時には寝そべったりして遊ぶ子供でした。
そして、自宅前の道で横になり、
そこにあるマンホールのフタに耳を付けた時に
聞こえてくる“下水の流れる音”を、
どういうわけか『地球が回る音』だと
思い込んでいたのでした。
(おそろしゴリラ)
●子供の頃、母がデパートに洋服を買いに行くのに
連れていかれ、母が「あーでもないこーでもない」と
悩んでいてほったらかされて退屈で仕方が無い時に
私がやってた馬鹿な遊び(?)は、
洋服を掛けてあるラックの下を匍匐前進しつつ、
ハンガーについてる「S, M, L」の表示を書いた
色とりどりのプラステックのビーズの様な物が
床に落下しているのを収集するという行為でした。
デパートの床は広いし、
意外な程このビーズの様な物は床に落ちてるんですよ!
一時かなりはまってやってました。
今考えると変な子供だったな~。
因みに収集した物を後どうしたかは思い出せません。
(はに)
●小学生のときにはまっていたのは落とし穴作りでした。
住んでる所が、都会だったので掘れる所が限られていて
いつも公園の砂場に落とし穴を作りに行き、
小さい子を遊ばせるお母さん達に白い目で見られながら、
穴を掘り、木を渡してふたを作り、
葉っぱや砂をのせてカモフラージュする
というのをひたすらやっていました。
ふたが丈夫すぎて踏んでも落ちない時までありました。
で、最後は「ちゃんと埋めて帰ってね」という
周りのおばさん達の言う通りに埋めて
帰っていました。
まあ、自分が主婦になった今は
そんな子供は確かに迷惑だっただろうと思います。
(n)
●うちの弟や妹はどんなに寒い日でも
制服の半袖、半パンで学校にいっていた。
病み上がりの日などは
母に言われしぶしぶ「ベスト」を
着るときもありましたが
「セーター」は断固として拒んでいた。
そのこだわりはどこからきてたんやろ。
(りんご)
●小学校の時幼なじみと、くしゃみをすると誰かが
自分のウワサをしていると言うけどそれは本当なのか
確かめてみよう、ということになり、何時何分から
何分間は彼女が私のウワサをし、そのあと
私が彼女のウワサをすることになりました。
家で突然私が彼女のウワサや悪口を言い出したので
家族は何ごとかとびっくりしていましたが、
理由を聞いて大笑いしていました。
結果は私も彼女も一度もくしゃみをしなかったので、
「誰かにウワサされるとくしゃみが出る」
というのはウソだと証明されました。
(アリス)
●私は「クマ」、それも「ヒグマ」に襲われるのが
とっても怖かったんです。
夜、暗い窓の方を見るとそこに・・・みたいな。
夜中にトイレに行くときは恐怖でした。
明かりをつけまくっても
窓ガラスを破って入ってくるヒグマを想像する。怖っ。
テレビ番組で見たんでしょうね、きっと。
ありえない、と判っていたので誰にも相談できず
恐ろしい思いで毎日を送っていました。
(トントン)
●小学2年生の時、
教室の黒板の上に掲げてあった標語。
1.先生の質問には、元気よく「はい」と手を挙げよう。
2.わからないときは「わかりません」と返事をしよう。
挙手は、正誤はともかく自分なりの
解答を有している者がとる能動的な行為。
一方「わかりません」とは、
先生がみんなに挙手を求めず、
直接一生徒を指名した際にとる受動的な行為。
標語に隠されたそんな暗黙の了解なんぞ知らなかった、
バカな私。
毎日、標語を自分なりに忠実に守って、
たとえ先生の質問内容がわからずとも、
やみくもに手を挙げ続けておりました。
そんなある日、不幸は突然訪れました。
手を挙げている大勢の生徒の中から先生が私を指名、
起立した私の答えは、当然、「わかりません」
当惑し、哀れむような表情の先生と大爆笑の級友たち。
(北国育ちの九州人)
●正月の笑いのネタになることですが、
私の弟が、4歳くらいのときのお正月のことで、
親戚のおじさんたち(飲んべぃ揃い)のおつまみで、
ビーフジャーキーがあり、おじさんが弟に勧めたところ、
「ぼくは騙されない、ぼくは知っている、
それは、タブ(私の愛犬)のおやつだもん!」
と半泣きで怒り、渡されたジャーキーを投げた瞬間、
バランスを崩して、
テレビ台で右の頭をぶつけて切ってしまいました。
大事には至りませんでしたが、
次の日、さっさと1人で起きて、
左の頭に絆創膏を張っていました。
右は、見るのも無残な血の塊ができていたのに。
しかも、痛くないはずの左の頭を触ると、
「痛いじゃないか!」と、怒りました。
(ちょ)
●「味の素を隠れて食べる」
という事で思い出したのですが、
私の場合は「クリ-プ」でした。
スプーンですくって食べるあの美味しさといったら!
格別でした。
ちなみにスジャータを3個いっぺんに
口に入れて味わうことにも一時期はまっていました。
ポイントは飲み込まずに
一個づつパックをあけて急いで流し込むのです。
母に似ず、コーヒーは大人になった今でも苦手なので
大きくなってからはこの習慣もなくなりました。
(Y)
●3歳のときに、ほんの出来心で
おばあちゃんからもらった100円玉を
「飲み込んでみたらどうなるのだろう」
と飲み込んでしまい、
母親があわてて病院に駆け込み、
あわや割腹か!という話まで進んだのですが、
「自然に出てくるまで待ってみましょう」
ということでとっくにオムツが外れて普通に
トイレを使っていたのにおまるに逆戻り。
…出てきた100円玉は
未だに母親が保存しているそうです。捨てて欲しい…
(k)
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(ミニコメント)
今回は、小学生の頃のガキばなしが多かったけど、
一番最初の修学旅行の思い出のような、
「高校生の頃」っていうのも、とんでもなかったよなぁ。
ほんとに意味不明なことは、何も起きないんだけれども、
ものの見方が、限定された情報から来ているせいか、
とんでもなく、偏った力強い行動をしちゃったりして…。
ただ、高校生には、小学生ほどの、
「ほんとに妙な趣味」ってのは、ないかもしれないですね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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