(6月29日)
●小学校の低学年の理科の授業で
1日は何時から何時までだと思いますか?
との先生の質問に自信満々で手をあげて
「1日は朝6時に始まって夜8時に終わります!」
と答えた私。
なんてことはない私が毎日このサイクルで
生活させられただけのこと。
職人だった父の影響で家は朝早くて夜も早かった。
そんな父はリタイアした今でも8時就寝・4時起床。
世の中にはいろんな職業や
生活サイクルがあるなんてあの頃は知らなかったもんね。
(o)
●15年以上前です。
When Iwas小学生、スケボーがブームでした。
近所のちょっと悪っぽい
中学生達に混ざって腕を磨くデブでした。
その頃のスケボー少年たちの定番スタイルだったのが
ダボダボのハーフパンツにダボダボのTシャツで、
どれもがこれ以上無い蛍光色。
めちゃめちゃ憧れてました。
ところがどんなに蛍光ハーフパンツをねだっても
親は「みっともない」の一点張り。
これはいよいよ自分のお小遣いで買うしかねぇ!と、
近くのデパートへ。
あるあるあるある!派手派手のデカパン!
しかも安ぅ!!喜び勇んで二枚も購入。
かくして翌日からいつもの路上には
ブリーフの上にトランクスを重ね履きして
意気揚々と滑り回るデブが・・・。
(p)
●私のガキの頃のお話です。
あれは保育園の年中さんくらいの頃。
なぜかティッシュを食べるのが流行っていました。
流行っていたといっても
おそらく仲間内だったと思います。
身支度で持たされるポケットテッシュを
保育園に行っては食べてました。
保育園の頃は今のように綺麗なお姉さんが
配ってくれるものではなく、
イラストがプリントされていたり、
香りがついていたりしており、
バニラの香りのティッシュはバニラの味がする!
といっては、口の中へ入れていました。
ティッシュは最後小さな固まりになるまで
噛み、捨てていました。
美味しいと感じていなかったのに、
何故、ティッシュだったのか未だに謎です。
え、味ですか?
ティッシュの味がしましたよ。(今でも蘇ります)
(あさわっきー)
●小学校低学年の頃、一休さんの伝記漫画を読んで、
「将来は世のため人のために坊さんになりたい」
と言い、悟りを開くために、
団地の階段の踊り場で座禅を組み、
人が通ると「喝!」とか
叫んだりしていた時期がありました。
(カポ)
●江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに
はまっていた小学2年生の頃。
怪人20面相にさらわれて
孤島の牢に監禁される事を想像しては、
ゾクゾクワクワクしていました。
探偵7つ道具を真似して、脱出用ロープ、
非常食品の飴・チョコと、伝書鳩がわりの
紙飛行機用折り紙、ナイフがわりのはさみなどを、
いつもポシェットに入れて持ち歩いていました。
(Fumiko)
●私が小学生高学年になった頃
友達のYちゃんに
「宇宙の端っこには星があって、
そのまたむこうにも星があって、
そのまたむこうにもまた星があって、
行っても行っても星があって・・・
って考えてると、眠れなくなる」
と言ったことがあるそうです。
私は覚えてないけど。
Yちゃんいわく、私は不思議な子どもだったそうな。
大人になった今でも時々、
不思議がられることがあります。
(ふいづ)
●バカだったこと、いっぱいありすぎて・・・。
特に小学校4年生くらいのころだったかなぁ、
近所に割と広い敷地をかまえた会社があったんですけど、
僕と友達のU君とで、夕方、人通りが少なくなったころ、
会社の敷地内に侵入して、用水路みたいなところで
二人並んで「運固」をしました。
しかもちゃんとティッシュペーパー持参で。
そんで次の日になって、ちゃんとそこに運固が
あることをしっかり確認してから学校に行ってました。
でも、せっかく見つからないように運固したのに、
「あーっ!、あったあった!!」
なんて朝っぱらから叫んでるんですよ?
そこを会社の人に見つかったら
即アウトってことに
どうして気付かなかったのかなぁ。
(なかむ)
●母が弟をお風呂に入れていた時。
マッチをつけるしぐさに憧れていた私は、
何度もトライしたけれどなかなか点けられず。
あのなんともいえないにおいをかいでいるうちに、
いつしか「ぼっ」と火が。
憧れの大人の気分のあと
「ごみはごみ箱へ」
お風呂場へ戻り母と話をしていると、
あの黄色いごみ箱からオレンジ色が見え隠れ。
しれーっとしながら
「お母さんごみ箱燃えてるよ」
ばかですね。燃やしたのは私。
まっ裸の母はピンクジャイアントのように消防隊員となり
そのあとお尻をかなりたたかれました。
(PG)
●小学校2年の頃、学校の帰りに
近所の友人と「洞窟探検」に行くことを決めた。
持ち物は懐中電灯・食料としてお菓子。
「道に迷うと行けないから糸をもっていこうぜ」
「そうだね。どのくらいの長さにする?」
「そうだなあ、1メートル」
「うん、1メートルあれば大丈夫だね」
実はその日、算数の授業で
1メートルを習ったばかりだったのだ。
そして、探検しようとしていた洞窟は
芋を保存しておくための「芋穴」だった。
(Min)
●「はらっぱ」といいます。
小学5年生くらいまで、
テレビは全て「生放送」だと思ってました。
CMも含めて。
なので、あるチャンネルで歌っていたアイドルが
チャンネルを変えた先でCMに出ていたりすると、
「ああ、もうテレビ局を移動している。
やっぱりアイドルって忙しいんだな」
と感心していました。
あとは、外国のシーンだと
「もう飛行機に乗って着いてロケしてる!」とか。
でも、ある日CMが流れているとき、他のチャンネルに
切り替えても同じCMをやってるのに出くわしたときに、
「あれっ?」と思って気がつきました。
さすがに「同時中継」の可能性には
思い至らなかったようです。
(はらっぱ)
●幼稚園のころ
「ねずみに噛まれるとペストになって死ぬ」
と信じていました。
ネズミ捕りに入ったねずみをいたずらしていて
噛まれたとき
「もう、自分は死ぬんだ」と思いました。
ねずみに噛まれたことを親に話しても、相手にされず。
「もう、医者に行っても無駄だからほっとくんだ」と。
(i)
●子供時代は群馬の山間部で育ちました。
あるとき、「全ての川は海に注いでいる」という話を
読んだか聞いたかして、海に行こうと決断!
家の近所の小さな谷川の淵を歩き始めました。
しばらく歩くと、
川の上に自動車の行き交う道が見えました。
もう海が近いに違いないと思い谷底から
その道路に上がるってみると、自分の家から
300メートルほど離れたところを走る県道の道端でした。
この世はものすごく広いんだと感じました。
(もんぢ)
●私は幼稚園の頃、歯医者さんに
「硬いものを食べないとだめだよ」と言われ
(硬いもの…硬いもの…硬いもの……割り箸っ!)
という結論に達したため、
ひたすら割り箸を咥えては右手で折り、咥えては折り…。
母が帰宅したときには、
ピアノの上に山のように積もった折れた割り箸。
(りょう)
●小学校低学年の頃、ひそかに、
「巨人の星」の花形満を愛していました。
そして、エンディングテーマで彼のアップが
出てきたときTV画面にキスしたのが
私のファーストキスです。あほやん。
(だ)
●子どものころ住んでいたところは
山を切り開いて造成した住宅地だったので
坂が沢山あり、雨が降ると溝から溢れだした水が
坂道の斜面をザ−っと流れているようなところでした。
雨の日は長靴をはいて登校していましたが、
長靴の中がシケっている感触はきらいなのに
水がたまってがっぽがっぽする音と感触が大好きで、
帰り道でも雨が降っているとがまんできずに、
溝の中を歩き、それだけでは水量が足りない場合は、
家の壁にある下水管から溢れ出す流れの中に
足を突っ込んでわざわざ水を溜めていました。
今考えるととっても汚い事をしていたんですが、
あのときはひんやりした水の気持ちよさと
じゃっぶっがっぽがっぽという音が面白くて夢中でした。
母はそんなに雨が降っていたの?と驚いていましたが
まさかどぶに足を突っ込んでいたとは
思わなかっただろうなあ。
(み)
●こんな話、よくあることだと思うんですけど、
うちは兄弟2人だったため、
やっぱり毎日のようにケンカしてましたね。
お菓子の取り合いとか、かわいらしい理由だったけど
子供にしてみれば死活問題だったんですね。
たいていは兄の私が勝ちますが、負けた弟にいつも
「ばか!あほ!おまえのカーチャンでべそ!」
とののしられていました。
(ケイチョ)
●意地悪をした近所の男の子に注意をしてもらおうと、
駅まで連れて行き、改札口で切符を切っていたおじさんに
「おまわりさん、この人、
いじわるするから叱ってください」
と言ったのはわたしです。
(て)
●小学校3年ぐらいの頃、
『窓際のトットちゃん』を読んだ私は、
トットちゃんの真似をして、体育館の窓から
「ちんどんやさ〜ん」と叫んだりしてました。
ちんどんやさんを見たかったのか…。
当時好きだった子にその模様を目撃され、
とても恥ずかしかったという記憶があります。
(もりとも)
●子どもがどこからくるのかまだ分らなかった頃、
私は女の人はある程度の歳になると、
自然に妊娠するのだと思っていました。
「未婚の母」が後ろ指を差されがちなのは、
妊娠するまで結婚相手を見つけられなかったからだ、
と解釈しておりました。
(きっこ)
●木に登っていたわたしは、
その木に大嫌いなくもが
いっぱいついていたのに気づき、パニックになって、
降りることができなくなった。
泣き喚くわたしに、いとこが、
恥ずかしくて見せてくれなかった痔
(子どもなのに痔だった)を、
「わたしの痔を見せてやるから、降りて来い!」
と言ったので、やっと降りることのできたわたし。
(あき)
●小学生の頃、寝るときに
「死ぬ」ということについて考えたことがありました。
死んでしまったらお母さんにもお父さんにも、
おばあちゃんにもおじいちゃんにも2度と会えない。
今こうして存在していることが無くなって、
何にも見えなくて、何にも考えられえなくなって、
何にもすることができなくなる。
そういうことを考えていたら、無性に悲しくなって、
涙が止まりませんでした。
その日、枕が涙でぐしょぐしょになるまで泣いて、
お母さんに慰められながら寝ました。
次の日になるとすっかり忘れて元気になってるんですが、
なぜか夜が来て、布団に入るごとに
そのことを思い出しては、泣く日が数日続きました。
成長した私は、そのことを友達に話したところ、
爆笑されました。
真面目にそのときは死ぬことが怖かったんだよぅ。
現在16歳です。
(ラフィル)
●小学校の修学旅行で日光に行ったとき、予言の本に、
「○月○日関東地方大地震」と書かれていたのが、
ちょうどその日だった事を思い出し、ソワソワしていた。
夜寝るときも、荷物を足元に置いて
いつでも逃げられるようにした。
──結局、朝まで何もなかった。
(めみ)
●小学校1年の頃、良い子の教育の一環として、
横断歩道を渡る時道を譲ってくれた車に
お礼をするというのがあった。素直だった僕は
「お礼のオジギは早いほうがいい!」と思いこんで、
日に日にオジギはスピードアップしていった。
あの日、横断歩道を渡りきって、
すさまじいターンでオジギに移行したところ、
その日は雨だったためまるで
コマのようにクルクルクルと回って後頭部を打った。
頭もドライバーの視線も痛かったのを覚えている。
(よしぞ〜)
●小学生の頃、
麺類を食べるのにものすごいこだわりがありました。
1本ずつ食べるのが正しいと思い込んでいたのです。
そして、食べ終わった後に残ったスープに
浮いた油をお箸で一つずつ突ついてくっ付け、
大きな一つの油の塊になるまで
「ご馳走様」ができませんでした。
食欲が勝った中学生になってから、
麺類は思っていたほど多量ではないことに
びっくりしました。
ぼわぼわにのびて、どんどん量が増えていくのが
麺類だと思っていたのでした。
(もにくら)
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(ミニコメント)
憧れ、陶酔、監禁願望、
聞きかじった言葉をいきなり使う・・・。
全国の「ガキ」たちは、今も
ドラマチックなんだろうなぁと思います。
妙な連想「割り箸」や、
死を覚悟した後の英雄的しぐさに、
「かわいいなぁ」と、思いましたよー。
「痔を見せるから降りてこい」の友情も、いいですね。
自分なりの儀式もたくさんあるし、
子どもって、けっこういそがしいわ!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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