KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(6月29日)

小学校の低学年の理科の授業で
 1日は何時から何時までだと思いますか?
 との先生の質問に自信満々で手をあげて
 「1日は朝6時に始まって夜8時に終わります!」
 と答えた私。
 なんてことはない私が毎日このサイクルで
 生活させられただけのこと。
 職人だった父の影響で家は朝早くて夜も早かった。
 そんな父はリタイアした今でも8時就寝・4時起床。
 世の中にはいろんな職業や
 生活サイクルがあるなんてあの頃は知らなかったもんね。
 (o)

15年以上前です。
 When Iwas小学生、スケボーがブームでした。
 近所のちょっと悪っぽい
 中学生達に混ざって腕を磨くデブでした。
 その頃のスケボー少年たちの定番スタイルだったのが
 ダボダボのハーフパンツにダボダボのTシャツで、
 どれもがこれ以上無い蛍光色。
 めちゃめちゃ憧れてました。
 ところがどんなに蛍光ハーフパンツをねだっても
 親は「みっともない」の一点張り。
 これはいよいよ自分のお小遣いで買うしかねぇ!と、
 近くのデパートへ。
 あるあるあるある!派手派手のデカパン!
 しかも安ぅ!!喜び勇んで二枚も購入。
 かくして翌日からいつもの路上には
 ブリーフの上にトランクスを重ね履きして
 意気揚々と滑り回るデブが・・・。
 (p)

私のガキの頃のお話です。
 あれは保育園の年中さんくらいの頃。
 なぜかティッシュを食べるのが流行っていました。
 流行っていたといっても
 おそらく仲間内だったと思います。
 身支度で持たされるポケットテッシュを
 保育園に行っては食べてました。
 保育園の頃は今のように綺麗なお姉さんが
 配ってくれるものではなく、
 イラストがプリントされていたり、
 香りがついていたりしており、
 バニラの香りのティッシュはバニラの味がする!
 といっては、口の中へ入れていました。
 ティッシュは最後小さな固まりになるまで
 噛み、捨てていました。
 美味しいと感じていなかったのに、
 何故、ティッシュだったのか未だに謎です。
 え、味ですか?
 ティッシュの味がしましたよ。
(今でも蘇ります)
 (あさわっきー)

小学校低学年の頃、一休さんの伝記漫画を読んで、
 「将来は世のため人のために坊さんになりたい」
 と言い、悟りを開くために、
 団地の階段の踊り場で座禅を組み、
 人が通ると「喝!」とか
 叫んだりしていた時期がありました。
 (カポ)

江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに
 はまっていた小学2年生の頃。
 怪人20面相にさらわれて
 孤島の牢に監禁される事を想像しては、
 ゾクゾクワクワクしていました。

 探偵7つ道具を真似して、脱出用ロープ、
 非常食品の飴・チョコと、伝書鳩がわりの
 紙飛行機用折り紙、ナイフがわりのはさみなどを、
 いつもポシェットに入れて持ち歩いていました。
 (Fumiko)

私が小学生高学年になった頃
 友達のYちゃんに
 「宇宙の端っこには星があって、
  そのまたむこうにも星があって、
  そのまたむこうにもまた星があって、
  行っても行っても星があって・・・
  って考えてると、眠れなくなる」

 と言ったことがあるそうです。
 私は覚えてないけど。
 Yちゃんいわく、私は不思議な子どもだったそうな。
 大人になった今でも時々、
 不思議がられることがあります。
 (ふいづ)

バカだったこと、いっぱいありすぎて・・・。
 特に小学校4年生くらいのころだったかなぁ、
 近所に割と広い敷地をかまえた会社があったんですけど、
 僕と友達のU君とで、夕方、人通りが少なくなったころ、
 会社の敷地内に侵入して、用水路みたいなところで
 二人並んで「運固」をしました。
 しかもちゃんとティッシュペーパー持参で。
 そんで次の日になって、ちゃんとそこに運固が
 あることをしっかり確認してから学校に行ってました。

 でも、せっかく見つからないように運固したのに、
 「あーっ!、あったあった!!」
 なんて朝っぱらから叫んでるんですよ?
 そこを会社の人に見つかったら
 即アウトってことに
 どうして気付かなかったのかなぁ。
 (なかむ)

母が弟をお風呂に入れていた時。
 マッチをつけるしぐさに憧れていた私は、
 何度もトライしたけれどなかなか点けられず。
 あのなんともいえないにおいをかいでいるうちに、
 いつしか「ぼっ」と火が。
 憧れの大人の気分のあと
 「ごみはごみ箱へ」
 お風呂場へ戻り母と話をしていると、
 あの黄色いごみ箱からオレンジ色が見え隠れ。
 しれーっとしながら
 「お母さんごみ箱燃えてるよ」
 ばかですね。燃やしたのは私。
 まっ裸の母はピンクジャイアントのように消防隊員となり
 そのあとお尻をかなりたたかれました。
 (PG)

小学校2年の頃、学校の帰りに
 近所の友人と「洞窟探検」に行くことを決めた。
 持ち物は懐中電灯・食料としてお菓子。
 「道に迷うと行けないから糸をもっていこうぜ」
 「そうだね。どのくらいの長さにする?」
 「そうだなあ、1メートル」
 「うん、1メートルあれば大丈夫だね」
 実はその日、算数の授業で
 1メートルを習ったばかりだったのだ。

 そして、探検しようとしていた洞窟は
 芋を保存しておくための「芋穴」だった。
 (Min)

「はらっぱ」といいます。
 小学5年生くらいまで、
 テレビは全て「生放送」だと思ってました。
 CMも含めて。
 なので、あるチャンネルで歌っていたアイドルが
 チャンネルを変えた先でCMに出ていたりすると、
 「ああ、もうテレビ局を移動している。
  やっぱりアイドルって忙しいんだな」

 と感心していました。
 あとは、外国のシーンだと
 「もう飛行機に乗って着いてロケしてる!」とか。
 でも、ある日CMが流れているとき、他のチャンネルに
 切り替えても同じCMをやってるのに出くわしたときに、
 「あれっ?」と思って気がつきました。
 さすがに「同時中継」の可能性には
 思い至らなかったようです。
 (はらっぱ)

幼稚園のころ
 「ねずみに噛まれるとペストになって死ぬ」
 と信じていました。
 ネズミ捕りに入ったねずみをいたずらしていて
 噛まれたとき
 「もう、自分は死ぬんだ」と思いました。
 ねずみに噛まれたことを親に話しても、相手にされず。
 「もう、医者に行っても無駄だからほっとくんだ」と。
 (i)

子供時代は群馬の山間部で育ちました。
 あるとき、「全ての川は海に注いでいる」という話を
 読んだか聞いたかして、海に行こうと決断!
 家の近所の小さな谷川の淵を歩き始めました。
 しばらく歩くと、
 川の上に自動車の行き交う道が見えました。
 もう海が近いに違いないと思い谷底から
 その道路に上がるってみると、自分の家から
 300メートルほど離れたところを走る県道の道端でした。
 この世はものすごく広いんだと感じました。
 (もんぢ)

私は幼稚園の頃、歯医者さんに
 「硬いものを食べないとだめだよ」と言われ
 (硬いもの…硬いもの…硬いもの……割り箸っ!
 という結論に達したため、
 ひたすら割り箸を咥えては右手で折り、咥えては折り…。
 母が帰宅したときには、
 ピアノの上に山のように積もった折れた割り箸。
 (りょう)

小学校低学年の頃、ひそかに、
 「巨人の星」の花形満を愛していました。
 そして、エンディングテーマで彼のアップが
 出てきたときTV画面にキス
したのが
 私のファーストキスです。あほやん。
 (だ)

子どものころ住んでいたところは
 山を切り開いて造成した住宅地だったので
 坂が沢山あり、雨が降ると溝から溢れだした水が
 坂道の斜面をザ−っと流れているようなところでした。
 雨の日は長靴をはいて登校していましたが、
 長靴の中がシケっている感触はきらいなのに
 水がたまってがっぽがっぽする音と感触が大好きで、
 帰り道でも雨が降っているとがまんできずに、
 溝の中を歩き、それだけでは水量が足りない場合は、
 家の壁にある下水管から溢れ出す流れの中に
 足を突っ込んでわざわざ水を溜めていました。

 今考えるととっても汚い事をしていたんですが、
 あのときはひんやりした水の気持ちよさと
 じゃっぶっがっぽがっぽという音が面白くて夢中でした。
 母はそんなに雨が降っていたの?と驚いていましたが
 まさかどぶに足を突っ込んでいたとは
 思わなかっただろうなあ。
 (み)

こんな話、よくあることだと思うんですけど、
 うちは兄弟2人だったため、
 やっぱり毎日のようにケンカしてましたね。
 お菓子の取り合いとか、かわいらしい理由だったけど
 子供にしてみれば死活問題だったんですね。
 たいていは兄の私が勝ちますが、負けた弟にいつも
 「ばか!あほ!おまえのカーチャンでべそ!」
 とののしられていました。
 (ケイチョ)

意地悪をした近所の男の子に注意をしてもらおうと、
 駅まで連れて行き、改札口で切符を切っていたおじさんに
 「おまわりさん、この人、
  いじわるするから叱ってください」

 と言ったのはわたしです。
 (て)

小学校3年ぐらいの頃、
 『窓際のトットちゃん』を読んだ私は、
 トットちゃんの真似をして、体育館の窓から
 「ちんどんやさ〜ん」と叫んだりしてました。
 ちんどんやさんを見たかったのか…。
 当時好きだった子にその模様を目撃され、
 とても恥ずかしかったという記憶があります。
 (もりとも)

子どもがどこからくるのかまだ分らなかった頃、
 私は女の人はある程度の歳になると、
 自然に妊娠するのだと思っていました。

 「未婚の母」が後ろ指を差されがちなのは、
 妊娠するまで結婚相手を見つけられなかったからだ、
 と解釈しておりました。
 (きっこ)

木に登っていたわたしは、
 その木に大嫌いなくもが
 いっぱいついていたのに気づき、パニックになって、
 降りることができなくなった。
 泣き喚くわたしに、いとこが、
 恥ずかしくて見せてくれなかった痔
 (子どもなのに痔だった)を、
 「わたしの痔を見せてやるから、降りて来い!」
 と言ったので、やっと降りることのできたわたし。
 (あき)

小学生の頃、寝るときに
 「死ぬ」ということについて考えたことがありました。
 死んでしまったらお母さんにもお父さんにも、
 おばあちゃんにもおじいちゃんにも2度と会えない。
 今こうして存在していることが無くなって、
 何にも見えなくて、何にも考えられえなくなって、
 何にもすることができなくなる。

 そういうことを考えていたら、無性に悲しくなって、
 涙が止まりませんでした。
 その日、枕が涙でぐしょぐしょになるまで泣いて、
 お母さんに慰められながら寝ました。
 次の日になるとすっかり忘れて元気になってるんですが、
 なぜか夜が来て、布団に入るごとに
 そのことを思い出しては、泣く日が数日続きました。
 成長した私は、そのことを友達に話したところ、
 爆笑されました。
 真面目にそのときは死ぬことが怖かったんだよぅ。
 現在16歳です。
 (ラフィル)

小学校の修学旅行で日光に行ったとき、予言の本に、
 「○月○日関東地方大地震」と書かれていたのが、
 ちょうどその日だった事を思い出し、ソワソワしていた。
 夜寝るときも、荷物を足元に置いて
 いつでも逃げられるようにした。
 ──結局、朝まで何もなかった。
 (めみ)

小学校1年の頃、良い子の教育の一環として、
 横断歩道を渡る時道を譲ってくれた車に
 お礼をするというのがあった。素直だった僕は
 「お礼のオジギは早いほうがいい!」と思いこんで、
 日に日にオジギはスピードアップしていった。
 あの日、横断歩道を渡りきって、
 すさまじいターンでオジギに移行したところ、
 その日は雨だったためまるで
 コマのようにクルクルクルと回って後頭部を打った。
 頭もドライバーの視線も痛かったのを覚えている。
 (よしぞ〜)

小学生の頃、
 麺類を食べるのにものすごいこだわりがありました。
 1本ずつ食べるのが正しいと思い込んでいたのです。
 そして、食べ終わった後に残ったスープに
 浮いた油をお箸で一つずつ突ついてくっ付け、
 大きな一つの油の塊になるまで
 「ご馳走様」ができませんでした。

 食欲が勝った中学生になってから、
 麺類は思っていたほど多量ではないことに
 びっくりしました。
 ぼわぼわにのびて、どんどん量が増えていくのが
 麺類だと思っていたのでした。
 (もにくら)

(ミニコメント)

憧れ、陶酔、監禁願望、
聞きかじった言葉をいきなり使う・・・。
全国の「ガキ」たちは、今も
ドラマチックなんだろうなぁと思います。

妙な連想「割り箸」や、
死を覚悟した後の英雄的しぐさに、
「かわいいなぁ」と、思いましたよー。
「痔を見せるから降りてこい」の友情も、いいですね。
自分なりの儀式もたくさんあるし、
子どもって、けっこういそがしいわ!

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-06-28-SAT
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