(6月30日)
●中学校の時、電話の子機を間違えて
学校に持って行き友達に笑われた。その後に
「授業中に電話かかってきたらどうしょう」と言ったら
「携帯電話じゃあるまいし」とまた笑われた。
(オダ)
●子供の頃はっきり言って「おバカ」でした。
近所に住むSちゃんと毎日毎日、石拾いをしていました。
そして拾った石に
「ボンドで綿を付けて顔を描きおじいちゃん」とか
「表から見たら犬だけど裏にしたら猫」とか
表裏が違う絵を描いたりして芸術をしていました。
それだけなら、くだらない芸術をしている
「おバカ」な子供ですが、
拾った石が原因でケンカになることもあり、
「こっちの石の方がこの辺りがツルツルだもん」とか
「こっちの方が色が味わいがあるんだもん」と
訳分からん戦いを学校の帰り道に
ほぼ毎日、繰り広げていました。
Sちゃんとは今でも友達なのですが、
私の子供が石に興味を持つのを
ニコニコ顔で見つめてくれています。
いつか、お互いの子供が一緒に遊ぶようになったら
「おバカ」は受け継がれるのでしょうか?
(たぶちゃん)
●幼稚園のころ、家に遊びにきていた親戚のおばさんに、
「◎◎ちゃん、
これをごみばこまでもっていってちょうだい」
と頼まれた時、突然、自分の名前を変えれば
その用事はしなくてもいいはずだ!
とひらめいてしまったんです。そこでアタシは、
「アタシ、◎◎ちゃんじゃないもん、
りんごちゃんだもん!」
と自ら付けた名前を咄嗟になのってみました。
すると、なんと、おばさんは全然動じず、
「あら、ごめんなさい。それじゃ、りんごちゃん?
これをごみばこまでもっていってちょうだい」
と切り返してくるではありませんか。
予想外の展開に、くそー負けられん、と思ったアタシは、
さらに改名することに。
「もう、りんごちゃんじゃないもん、
さくらんぼちゃんだもん!」
敵もさるもの、そのあと何度改名しても、
新しい名前でアタシに話し掛け、
どうしてもゴミをすてにいかせようとします。
もう、なんとしても
ゴミ捨てにいきたくなかったアタシは、
「そうだ、名前を口にだせないような、
きたない言葉にすれば、おばさんは
もうアタシの名前をよべなくなるはず!」
と、思い、いくつかの下品な言葉
(幼稚園児なのでたかがしれてるボキャブラリー)
のなかから、そこそこ「なってもいいかな?」という
「もの」を想像しつつ慎重に名前を決定。
得意げに鼻息も荒く、
「アタシ、はなくそちゃんです!!」
と名乗りました。おばさんは一瞬あっけにとられ、
その後、大爆笑。
笑いが止まらないおばさんを置いて悠々と、
ゴミをすてることなく、
アタシは部屋を出ていくことができました。
しかし、その後、その話は親戚中にひろまり、
「あの鼻くそちゃんも高校生?」
「まあ、鼻くそちゃんが大学生になった!」
「お、鼻くそ大学院生」
20年以上たった今も
ことあるごとに親戚に言われます。
アホなアタシ、、、、、、タイムマシンがあったら、
あの頃のアタシに素直にゴミを捨てに行けと
忠告しにとんでいきたい気分になります。
(あいのすけ)
●小学校の頃、
ブッシュマンと呼ばれるアフリカの人々を
紹介する番組がありました。
こどもだったのでそれをみてやることといったら、
やはり「ブッシュマンごっこ」。
ここは日本なので、近所の竹やぶ(笹やぶ?)から
笹を切ってきて(怒られた)空き地に家を建て、
弓を作って狩りのマネを…
近所のみんなでやりました。
私は弓が上手に作れなかったので、
年上の子に作ってもらいました。
今思えば危険なよくない遊びですね。
でも今でもとても楽しかった思い出のひとつです。
最近落ち込んで、そんなメールを
送ってしまいましたが(すみません)、
これ思い出したら少し元気出ました。
(Sawa)
●小2の頃、学校から帰って来ると
家の前の道路を全速力で走るのが日課でした。
その日も全速力で走っていると、
姉が自転車で帰って来て、私に
「そこの角にう○ちあるから、気を付けな」
と忠告してくれました。
「わかったー!」
と元気良く返事をしながら全速力で走る、私。
そして近くの角を全速力で曲がった瞬間、
ぐにゃ‥と足に不思議な感触が‥。
せっかく姉が忠告してくれたのにも関わらず、
思いっきり踏んでしまいました。
その後、家族全員に笑われながら
お風呂場で半泣きで靴を洗った記憶があります。
人の話を聞かないくせは子供の頃からだったみたいです。
(m)
●小学6年生のマラソン大会前日、
運動音痴だった私はどうしても休みたかったんだけど、
母が厳しい人だったので、風邪でもひかなければ
絶対に休ませてもらえないと思い、
風呂場で必死に水浴びをしました。
なのに、逆に体が温かくなってきたような気がして、
これではヤバイと思い、
とにかく病気になればいいんだと、
せっけんをかじりました。
しょっぱくてまずかった・・・確かに
気分は悪くなったけど、その場限りでした。
もちろん翌日マラソン大会に出るはめに。
ビリから数人目「がんばれがんばれ」の
声援と拍手のなかむなしくゴールしました。
今考えるとバカですが当時は必死でしたよ、ほんと。
(きなり)
●器械体操のクラブに入っていた中学生の私は
家で倒立(逆立ち)をしていた時に
バランスを崩して窓枠の角で頭を打ち、
嘔吐したのを見た母親とともに救急車で
連れて行かれてしまいました。
派手なサイレンの音と近所の街角を過ぎて行くとき、
私はばかだなぁ。と思いました。
(てびち)
●私は三姉妹の長女。
妹たちは、アホなことをやっていた模様です。
その頃の声が入った
カセットテープが家に残っていました。
「きのこーーー」「きのこーーーって言うんだよ」
「(2人の声)きのこーーーー」
(バックに「あぅあぅ」という末っ子の声)
何を思って「きのこ」を連発していたかは
今となっては不明。
(しょう)
●ガキの頃は、
貯金になんで利息がつくのかよくわかってなくて、
「そうか、お金を預けるからお金が増えるのか!」
と、ある日大誤解。
以来、お年玉を銀行に預けさせようとする
両親に対して
「(預けるのは)おもちゃにする」などと宣言して、
周りを固まらせていました。
(ますたろう)
●私は小さい頃、
「寝ている間に泥棒が入ったらどうしよう」
と真剣に毎晩悩んでいました。
その頃私が寝ていたのは、窓際の二段ベッドの上段。
窓から凶暴な泥棒が入ってきたときのために、
できるだけ窓から離れた手すりすれすれに身体を寄せ、
腹を刺されても平気なように
お腹にしっかりと布団を巻きつけて寝ていました。
・・・悩み多き子供時代!
(もも)
●子どもの頃の思いこみなのですが、
外国とは雲の上にある場所だと思っていました。
外国に行くための飛行機が空を飛んで行くからです。
そして、その外国とは、
アメリカのことだと思っていました。
母に「外国って雲の上にあるんだね!」と
得意になって言ったときの、
母のなんとも困った顔が一緒に思い出されます・・。
(ぐるぐる)
●ガキの頃は・・・のなかに、
「公平にする」がマイブームだったという方が
いらっしゃり、
「ええ!?私だけじゃなかったの?」
とびっくりしました。
というのも、私も10歳くらいの頃、
そうだったのです。
たとえば、右手で雑誌をさわったとする。
そうすると
「ああ、これでは左手がかわいそう」と思い、
わざわざ左手でもぺたっと雑誌を触りなおしてました。
今思えば、あれは何だったんだって感じですが・・・。
(しゃんちー)
●私がまだ小学校入りたての頃、
夜中、家族が寝ている間にこっそり起きて
家じゅうの薬の箱にきったない文字で
「ふるい」と書いていた。
私は完全犯罪!とか思ってたのですが、
翌朝あっさり母にバレて叱られました。
(ちか)
●私は小学校高学年まで、
降水確率○%のところをその日にどのくらいの割合で
雨がふるというのではなく、
その日に○%の雨が降ると思っていました。
例えば、降水確率30%ならその日は
一日中30%の雨が降り続く・・・というように。
今思えば何でそのように考えたのか
不思議でたまりません。
(桐)
●小学1年生の理科のテストで、
イカを川に住む生き物と書き、
バツをもらった私と、砂浜で発見した
三角のコンニャク(たぶん海の家で売られていた田楽)を
海の産物であると思い込んでいた友。
だから20年以上も親友なんだなぁ・・・。
(みえ)
●小学生の頃の日記帳の表紙に
「19××年に買ってもらった記気!」
と書いてありました。
ずっと鍵付き日記帳が欲しくて、
やっと買ってもらえたので
興奮さめやらなかったのでしょうか。
今見ても笑っちゃいます。
(記気もとい日記)
●小学三年生のときに転校したクラスの女子の間では
なぜか、目の周りの毛をぬくことがはやっていました。
主に授業中に先生の眼を盗んで、
眉毛やらまつげを抜くのです。
休み時間になると、
どれくらい抜けたかを脱毛自慢しあい、私も負けじと、
まつげを抜くのに精を出していました。
ちょっとだけ痛いけど、それがまた快感。
ティッシュの上に並んだまつ毛を眺めては、
満足感にひたっていました。
とうとう上まつげがほとんどなくなり
カスカス状態になり、なんだか最近目にゴミが入るなぁと
母親に相談し、まつげを抜いていることをうち明けたら、
すごく怒られて「二度と生えてこなくなるよ」と言われ、
大泣きしました。そのせいか、今は密度のないまつげ。
(kkk)
●たぶん小学校の中頃まで、
紙幣が1万円札までだということを知りませんでした。
ドラマや映画などで、アタッシュケースいっぱいに
用意した身代金などを見て、
なんで1千万円札5枚とかで渡さないのか、
ずっと不思議に思っていました。
(はちひめ)
●弟は小学生の時、親と車で出かけると、
後続車をすべて怪しいと思いこみ、
「尾行されている!」と思っていたそうです。
しかも、父の車に乗ったときだけ。
ちなみにわたしは、
今でも「ガキ的思考」が
頭をよぎることがよくあるので、
「バカだったなぁ」と思いながら、
送ることができません。
もうちょっと待って!
(あい)
●その昔、お年玉で千円貰って、
ポチ袋ごと大事に母親に保管してもらっていました。
ある時中味を確かめると、お札のはずが
百円玉10枚にかわっていたのです。
新聞代か何かで使って、あとで補填したのでした。
「違う、あの千円じゃない」
悔し涙にくれて大騒ぎしたけれど、
「同じお金でしょ…」大人はわかってくれなかったさ。
生まれて初めて貰ったお札の千円は、宝物だったのに。
(きく)
●小学校低学年の頃、電車の中で、
何か宙を見ながら指折り数えている大人に
ものすごい憧れて、意味もなく宙を見つめ、
眉間にシワを寄せながら指折り数えてみていました。
まわりからは子供なのに
大人っぽいと思われていると確信しながら・・・。
(みみ)
●今のように遊び道具がなにもなかった私の子供の頃
1番楽しく遊んだのがトイレごっこでした。
塀に沿って穴を掘り、みんな1列になって
おしっこをするという、しごく単純な遊びです。
べつに、長くしている子がえらいとか、
早ければえばれるとかそんなんじゃなく
トイレを自分達で作るという喜びでした。
なんなんだろうなぁと、
今なつかしく思い出しています。
(まあ)
|
(ミニコメント)
地球の危機から、明日の運動会まで、
子どもたちは、心配ごとがあれば、
スパイにもなるし、せっけんも食べる・・・。
ヘンな任務を、ある日突然担ってしまった
子どもたちも、いっぱいいるんですよねぇ。
3年前の「ほぼ日」の特集でも、
「家の辺りは山ばっかりで、よく外で遊んでいると
毒(普通の?)きのこを発見した。
そのころは半径1メートル以内に近づくと
毒を噴射され死んでしまうと思い、
遊びながらも目を光らせていた。
毎日大変だったよー(たれたれ)」
こんな風な、毎日、任務をこなしてた
「ガキ」たちが、いっぱいいました。おつかれさま!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|