(7月1日)
●幼稚園にはいる前のこと。
私は「うんこがしたいからトイレにいく」
のではなくて
「トイレにいくとなぜか自然にうんこがでる」
ものだと思っていた。
そこで、私は実験をした。
実験タイトルをつけるならば
「トイレ以外でもうんこはでてくるのか?」
だったであろう。
親の寝室にあった
つみきの箱のフタに向かって力むと、
しばらくはでなかったが、
なんとか小石大のうんこがでた。
これにより
「うんこはトイレ以外でもでる」
ことが証明された・・・。
(tomo)
●ガキの頃、
アイドルの唇がテカテカしているのを見て、
私もなりたいと思い、
毎日よだれをタップリ唇に付けてました。
しかし、歌を一曲歌い終わる頃には
(勝手に家で熱唱していただけですが)
唇は乾きテカテカに
何処かに行ってしまっていました。
お母さんに
「どうしてアイドルは唇がテカテカしっぱなしなの?」
と質問すると、
「オトナになると唇が伸びてヒカルの」
と教えられました。
しかし大きくなってあれが
グロスっていうものだったと知りました。
お母さんウソ教えないで下さい。
今思えば教えてる貴女の唇はカサカサでした。
(h)
●私はもともと天然パーマで
小さい頃はいつもいつもショートカットでした。
髪をのばしたくても母が許してくれず、
風になびく髪の毛に
ものすごい憧れを持っていました。
そして、いつの日からかどうしても
髪の毛をなびかせたくなり、なにをどう思ったのか
くりくりの自分の毛に洗濯ばさみをくっつけて、
頭を振って揺れる洗濯ばさみを楽しんでいました。
イメージはズバリ!当時はやっていたティモテ!
本当は揺らす度に髪が痛くて大変だったのですが、
あの揺れる感じが嬉しくてティモテ〜と
歌いながらやっていました。
でも、なんとなく変な事と思ってたらしく、
人目は忍んでやってました。
(カオリ)
●母から聞いた話。
お父さんが大好きで大好きでしょうがなくて、
いつもまとわりついていたらしい私。
そんな私に、母が一言
「お父さんはお母さんのだから、
あなたにちょっと貸してあげてるだけなのよ」
その言葉に私は大泣きしたそうです。
いったい父のことを
自分のなんだと思っていたのでしょう。
(あやこ)
●子どもの頃けんかをして
気まずいまま朝食を食べていました。
父も母も兄も私も。
そしたらおもむろに、
父が「ぶぶっ」っておならをしました。
その音で全員がいっせいに
「なに〜お父さん、くっさいよ〜」
ってあっというまに場が和みました。
(こなつ)
●小学校の頃、
「アタックNo.1」「サインはV」に熱中。
スポ根ものに憧れてました。
毎日、家の近所の他人のうちの外壁に向かって
ひとりでバレーボールを打ち付けて
アタック、レシーブの特訓。
「木の葉落とし」を
本気でマスターしようと思ってました。
苦しくても、疲れてもひたすら
「これを乗り越えるんだ!
オリンピックにいくために!」
と大汗かいて、泣きながら
根性はいってる一人遊び。
近所のおばさん、無気味な子だったと
思っていたでしょう。
しつこく、大学までバレーボールやってました。
もちろんオリンピックにはいっていませ ん。
あのころ、窓ガラスをわられたり、
家の玄関の柵を壊された近所のかたがた、
ど−も申し訳ありませんでした。
(ジン)
●ふと思い出したガキ話です。
小さい頃、私は
「今ここに泥棒が入ったら、どうやって逃げればいいか」
のルートを考えるクセがありました。
家だったら、マンションのベランダから
柱を伝って屋上に登り、他人の家に逃げる。
ベランダ伝いに下の階に逃げて、地上に逃げる。
学校、デパート、友人の家に至るまで、
まずひととおりのシチュエーションを考えて、
それぞれに安全な逃げ道を
シミュレーションし終わるまで
絶対に安心できなかったのを覚えています。
でも逃げ道も、屋上から別の屋上に飛ぶ、とか
階段を10段飛ばしで降りるとか、
今思うと不可能なことばっかです…。
これだけ不安なくせに、何事もなくそこを出ると
なんだかいつも残念でした。
(シロ)
●小学生の頃、本気でドラえもんに会いたかったんです。
その方法を一生懸命考えて、ついにひらめきました。
「タイムマシンに乗ればいい!」
勉強机の引き出しをあけて、のび太がしていたように、
足を乗せると・・・バキッ!!!
引き出しは破壊されました。ショックでした。
(A)
●子供の頃、布団の中でする独り遊びが有りました。
腹ばいになり拳を二つ並べ、
その上に目をつぶり眼球を少し痛いくらい押しつけます。
しばらくするとサイケなビジュアルが
まぶたの裏に映し出されるのです。
子供ながらに毎日楽しんでいました。
何故こんな事を発見したのか思い出せませんが、
今は映像関係の仕事につけた要因かと思ってます。
(純)
●夫は小さい頃「どんな手術も1分で終わるものだ」と
思い込んでいたそうだ。
それはドラマなどで手術のシーンを表すのに、
時計が写って「カチカチ」と秒針が回るのを見て
そう思ったらしい。
まわりの友達や先輩にも信じられていたらしい。
「尺取虫に足先から頭まで登られると必ず死ぬ」
というのも友人達の間では定説だったとか。
だから、尺取虫が体につくとどんなことがあっても
頭は守っていたらしい。
でもそんなにとりつくことがあるんだろうか、
尺取虫って。
(エドガワーゼ)
●「バカと子供は高いところが好き」
を地でいく子供時代。
小学生の頃、近所のビルやマンションの
屋上に上るのが大大大っ好きでした!
屋上ブームの初期は友人たちと徒党を組んで、
放課後から日没まで何軒の屋上を
制覇できるか張り切ってました。
エレベーターがあるマンションやビルでも
律義にせっせと階段を使ってましたっけ。
調子いい日は5〜6軒制覇。
1軒も屋上に上れない日は、それは凹んだものです。
気持ちいいんですよね!
高い所に吹く風。屋上から見る景色。沈む夕日の美しさ。
子供心にもう、すっっごくロマンを感じてました。
ブーム後期は一人でも頑張ってました(←大バカ)。
ああ、余談も後日談もあるなぁ……
(plearure)
●幼稚園の頃、「男前」は
ほめ言葉だってことはわかっていました。
間違っていたのは、「男まえ」とは
髪を七三に分けることだと思っていたこと。
七三に分けた人とすれ違うたび、
母に「あの人男前だね」と
本人に聞こえるような声でいっていました。
30年以上経つのに、いまだに母から
「恥ずかしかった想い出」として語られます。
(クララベル)
●中学生の時チンパンジーを飼うことに憧れていましたが
無理っぽいので、代わりに4コ下の妹を飼っていました。
色が黒くやせて手足の長い妹に
ちんぱこちゃんと名前を付け、
「ちんぱこちゃんやってー」
とお願いしては、サルっぽく
首の周りに抱きついてもらい、頭をなでていました。
2年くらいその遊びを続けていましたが
ある日母が「その呼び名はやめなさい!」と激怒し、
その日以来ちんぱこちゃんは封印されました。
私の中ではすごく楽しい思い出だったのですが、
大人になってから妹から
「すごく嫌だったけどお姉ちゃんに逆らえなかった」
と聞き、なんだか悲しかった。
(あちこ)
●うちの弟は幼稚園のころ、友達に
「うちのおとーさんとおかーさんよぉー、
ちんちんとこに草が生えてるんだぜっ!」
と得意げに言っていました。
(ゆう)
●甥っ子が2歳くらいのころ。
まだよくしゃべれないくらいだったのに、
テレビのCMの優香を見て「スキ」と言いました。
男は幼児のころからオトコだな、と思った。
(あ)
●小学生の頃、日本一の結婚式場は
錦糸町の「ロッテ会館」と信じていました。
大人になったら、ロッテ会館で結婚式をして、
その後は「新婚さんいらっしゃい」に
出演しなければいけないものだと思ってました。
恥ずかしいからどうやって
出演を断ればいいんだろうと真剣に悩んでました。
(かなな)
●ひとりっ子だったせいか、
ひとりで遊ぶのが大好きでした。
なかでもお気に入りは、1人2役のひとりごとです。
「そうよね、でもあなたはどう思う?」
「わたしはさ、違うと思うなぁ。
だってそんなのヘンじゃない」
「やっぱり?そうよねー」などと、
ひとりで延々しゃべっていました。
特にトークが弾むのが、トイレにしゃがんだときで
心ゆくまで話し込んでいました。
(モリー)
●母は幼い頃、
ミカンのフサについている白い筋のような繊維は
食べると耳垢になると思っていたそうです。
私はコーラは正露丸を溶かしたものだと思っていました。
(まぁま)
●中学生くらいまで、ベッドで眠りにつくまで毎日、
バニラアイスに、チョコレートを重ねて、
その上にホイップクリームを重ねて
ウエハースを重ねて、ストロベリーアイスを重ねて、
チーズケーキを重ねて・・・・と
無限に甘いものを重ねる想像をしていた。
今は考えただけで胸焼けがするけど。
(みけ)
●小学校1年生頃の話です。
当時、あの有名な口裂け女の話が流行っていました。
ある日ガッコの先生が
「口裂け女は時速100キロで追いかけてきます。
みんな校庭で逃げる練習をしましょう!」
といったとき、恐怖のどん底に突き落とされました。
学校イチの鈍足で、
人の背中を見ずに走ったことのなかった私は、
逃げる練習でももちろんビリッけつ。
「ああ、私が一番に犠牲になるのね…。
みんな、私がおとりになるから逃げ延びて…」と、
最後はやけくその英雄気取りで
自分をなぐさめたのでした。
(あ)
●子供のころ、我が家はいわゆるボットン便所でした。
トイレの中の空気は、ウンチに
直接触れたはずだからフケツだと思ってて、
大腸菌がほかの部分に付着しないようにと、
口を閉じ、息を止め、時には目をつぶって
用を足してました。
耳から入ったらどうしよー、という恐怖と戦いながら。
しかし、用便後、きちんと手を洗わないことのほうが
よっぽどフケツだということには、
まったく気づいていませんでしたよー。
(ゆるゆる)
●いなかのおばあちゃんちの床の間にあった,
木でできた馬の置物がお気に入りでした。
4,5歳のわたしが
乗ろうと思えば乗れるくらいの大きさ。
あるとき,いつものように
「馬に乗って草原を駆けめぐる少女」や,
「疲れた馬をいたわる少女」を
演じているうちに,ひとり遊びは白熱。
想像の中で“ふん”をした愛馬に,
「うわあ,いっぱいしたねえ。
じゃ,おしりふいてあげるねっ!」
と元気よく言ったとたん,
隣の部屋でおとなたちが爆笑し,
わたしは正気に返りました。
・・・馬のお尻は拭かなくていいんだよ,と,
都会の子どもだったわたしに告げてあげたいです。
(蝶々)
●幼稚園くらいの頃。
テレビに向かって包丁を突き刺せば、
中でしゃべっている人が死んでしまう。
と、かなり本気で思い込んでました。
とくに、ニュースキャスターなど、
こっち向きにしゃべっている人を見ると
「刺されやすいかっこうしたらだめじゃないか!」
と、心の中でひやひやしたものです・・・。
(た)
●一生のうちに喋れる語数は限られているのだ!
と思って、しょうもないことは、
ボディランゲージで伝えるんだ!
と、やっきになったことがあります。
「ちょうちょがいる!」と言いたいところを、
手をひらひらさせておばあちゃんに訴えたりしました。
でも、そんなことを実行したのは、
たった1日、というのも覚えています。
(えみこ)
●小学校低学年の頃、
読んでた本に影響されて
「なぞなぞノート」なるものを作ってました。
市販のなぞなぞ本を買っては、
お気に入りのノートに
ガリガリなぞなぞを書き写す毎日。
確か4冊ほどは作ったかな?
今でも数冊残ってるんですが、
Bくらいの濃い鉛筆で書いてたため
どのページも真っ黒で
小さい頃の気合がひしひしと伝わってきます。
(匿名のかた)
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(ミニコメント)
素直な疑問の提起、そして一方的な自分解決。
活性の高さと、正義感と、徹底さがすごいです……!
屋根の制覇だとか、避難経路確認グセとか、
建物についてのフェティシズムも、子どもならではですねぇ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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