KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月1日)

幼稚園にはいる前のこと。
 私は「うんこがしたいからトイレにいく」
 のではなくて
 「トイレにいくとなぜか自然にうんこがでる」
 ものだと思っていた。
 そこで、私は実験をした。
 実験タイトルをつけるならば
 「トイレ以外でもうんこはでてくるのか?」
 だったであろう。
 親の寝室にあった
 つみきの箱のフタに向かって力むと、
 しばらくはでなかったが、
 なんとか小石大のうんこがでた。
 これにより
 「うんこはトイレ以外でもでる」
 ことが証明された・・・。
 (tomo)

ガキの頃、
 アイドルの唇がテカテカしているのを見て、
 私もなりたいと思い、
 毎日よだれをタップリ唇に付けてました。
 しかし、歌を一曲歌い終わる頃には
 (勝手に家で熱唱していただけですが)
 唇は乾きテカテカに
 何処かに行ってしまっていました。
 お母さんに
 「どうしてアイドルは唇がテカテカしっぱなしなの?」
 と質問すると、
 「オトナになると唇が伸びてヒカルの」
 と教えられました。
 しかし大きくなってあれが
 グロスっていうものだったと知りました。
 お母さんウソ教えないで下さい。
 今思えば教えてる貴女の唇はカサカサでした。
 (h)

私はもともと天然パーマで
 小さい頃はいつもいつもショートカットでした。
 髪をのばしたくても母が許してくれず、
 風になびく髪の毛に
 ものすごい憧れを持っていました。
 そして、いつの日からかどうしても
 髪の毛をなびかせたくなり、なにをどう思ったのか
 くりくりの自分の毛に洗濯ばさみをくっつけて、
 頭を振って揺れる洗濯ばさみを楽しんでいました。
 イメージはズバリ!当時はやっていたティモテ!
 本当は揺らす度に髪が痛くて大変だったのですが、
 あの揺れる感じが嬉しくてティモテ〜と
 歌いながらやっていました。
 でも、なんとなく変な事と思ってたらしく、
 人目は忍んでやってました。
 (カオリ)

母から聞いた話。
 お父さんが大好きで大好きでしょうがなくて、
 いつもまとわりついていたらしい私。
 そんな私に、母が一言
 「お父さんはお母さんのだから、
  あなたにちょっと貸してあげてるだけなのよ」
 その言葉に私は大泣きしたそうです。
 いったい父のことを
 自分のなんだと思っていたのでしょう。
 (あやこ)

子どもの頃けんかをして
 気まずいまま朝食を食べていました。
 父も母も兄も私も。
 そしたらおもむろに、
 父が「ぶぶっ」っておならをしました。
 その音で全員がいっせいに
 「なに〜お父さん、くっさいよ〜」
 ってあっというまに場が和みました。
 (こなつ)

小学校の頃、
 「アタックNo.1」「サインはV」に熱中。
 スポ根ものに憧れてました。
 毎日、家の近所の他人のうちの外壁に向かって
 ひとりでバレーボールを打ち付けて
 アタック、レシーブの特訓。
 「木の葉落とし」を
 本気でマスターしようと思ってました。
 苦しくても、疲れてもひたすら
 「これを乗り越えるんだ!
  オリンピックにいくために!」

 と大汗かいて、泣きながら
 根性はいってる一人遊び。
 近所のおばさん、無気味な子だったと
 思っていたでしょう。
 しつこく、大学までバレーボールやってました。
 もちろんオリンピックにはいっていませ ん。
 あのころ、窓ガラスをわられたり、
 家の玄関の柵を壊された近所のかたがた、
 ど−も申し訳ありませんでした。
 (ジン)

ふと思い出したガキ話です。
 小さい頃、私は
 「今ここに泥棒が入ったら、どうやって逃げればいいか」
 のルートを考えるクセがありました。
 家だったら、マンションのベランダから
 柱を伝って屋上に登り、他人の家に逃げる。
 ベランダ伝いに下の階に逃げて、地上に逃げる。
 学校、デパート、友人の家に至るまで、
 まずひととおりのシチュエーションを考えて、
 それぞれに安全な逃げ道を
 シミュレーションし終わるまで
 絶対に安心できなかったのを覚えています。

 でも逃げ道も、屋上から別の屋上に飛ぶ、とか
 階段を10段飛ばしで降りるとか、
 今思うと不可能なことばっかです…。
 これだけ不安なくせに、何事もなくそこを出ると
 なんだかいつも残念でした。
 (シロ)

小学生の頃、本気でドラえもんに会いたかったんです。
 その方法を一生懸命考えて、ついにひらめきました。
 「タイムマシンに乗ればいい!」
 勉強机の引き出しをあけて、のび太がしていたように、
 足を乗せると・・・バキッ!!!
 引き出しは破壊されました。ショックでした。
 (A)

子供の頃、布団の中でする独り遊びが有りました。
 腹ばいになり拳を二つ並べ、
 その上に目をつぶり眼球を少し痛いくらい押しつけます。
 しばらくするとサイケなビジュアルが
 まぶたの裏に映し出されるのです。
 子供ながらに毎日楽しんでいました。
 何故こんな事を発見したのか思い出せませんが、
 今は映像関係の仕事につけた要因かと思ってます。
 (純)

夫は小さい頃「どんな手術も1分で終わるものだ」と
 思い込んでいたそうだ。
 それはドラマなどで手術のシーンを表すのに、
 時計が写って「カチカチ」と秒針が回るのを見て
 そう思ったらしい。
 まわりの友達や先輩にも信じられていたらしい。
 「尺取虫に足先から頭まで登られると必ず死ぬ」
 というのも友人達の間では定説だったとか。
 だから、尺取虫が体につくとどんなことがあっても
 頭は守っていたらしい。
 でもそんなにとりつくことがあるんだろうか、
 尺取虫って。
 (エドガワーゼ)

「バカと子供は高いところが好き」
 を地でいく子供時代。
 小学生の頃、近所のビルやマンションの
 屋上に上るのが大大大っ好きでした!
 屋上ブームの初期は友人たちと徒党を組んで、
 放課後から日没まで何軒の屋上を
 制覇できるか張り切ってました。
 エレベーターがあるマンションやビルでも
 律義にせっせと階段を使ってましたっけ。
 調子いい日は5〜6軒制覇。
 1軒も屋上に上れない日は、それは凹んだものです。
 気持ちいいんですよね!
 高い所に吹く風。屋上から見る景色。沈む夕日の美しさ。
 子供心にもう、すっっごくロマンを感じてました。
 ブーム後期は一人でも頑張ってました(←大バカ)。
 ああ、余談も後日談もあるなぁ……
 (plearure)

幼稚園の頃、「男前」は
 ほめ言葉だってことはわかっていました。
 間違っていたのは、「男まえ」とは
 髪を七三に分けることだと思っていたこと。

 七三に分けた人とすれ違うたび、
 母に「あの人男前だね」と
 本人に聞こえるような声でいっていました。
 30年以上経つのに、いまだに母から
「恥ずかしかった想い出」として語られます。
 (クララベル)

中学生の時チンパンジーを飼うことに憧れていましたが
 無理っぽいので、代わりに4コ下の妹を飼っていました。
 色が黒くやせて手足の長い妹に
 ちんぱこちゃんと名前を付け、
 「ちんぱこちゃんやってー」
 とお願いしては、サルっぽく
 首の周りに抱きついてもらい、頭をなでていました。
 2年くらいその遊びを続けていましたが
 ある日母が「その呼び名はやめなさい!」と激怒し、
 その日以来ちんぱこちゃんは封印されました。
 私の中ではすごく楽しい思い出だったのですが、
 大人になってから妹から
 「すごく嫌だったけどお姉ちゃんに逆らえなかった」
 と聞き、なんだか悲しかった。
 (あちこ)

うちの弟は幼稚園のころ、友達に
 「うちのおとーさんとおかーさんよぉー、
  ちんちんとこに草が生えてるんだぜっ!」

 と得意げに言っていました。
 (ゆう)

甥っ子が2歳くらいのころ。
 まだよくしゃべれないくらいだったのに、
 テレビのCMの優香を見て「スキ」と言いました。
 男は幼児のころからオトコだな、と思った。
 (あ)

小学生の頃、日本一の結婚式場は
 錦糸町の「ロッテ会館」と信じていました。
 大人になったら、ロッテ会館で結婚式をして、
 その後は「新婚さんいらっしゃい」に
 出演しなければいけないものだと思ってました。
 恥ずかしいからどうやって
 出演を断ればいいんだろう
と真剣に悩んでました。
 (かなな)

ひとりっ子だったせいか、
 ひとりで遊ぶのが大好きでした。
 なかでもお気に入りは、1人2役のひとりごとです。
 「そうよね、でもあなたはどう思う?」
 「わたしはさ、違うと思うなぁ。
  だってそんなのヘンじゃない」
 「やっぱり?そうよねー」などと、
 ひとりで延々しゃべっていました。
 特にトークが弾むのが、トイレにしゃがんだときで
 心ゆくまで話し込んでいました。
 (モリー)

母は幼い頃、
 ミカンのフサについている白い筋のような繊維は
 食べると耳垢になると思っていたそうです。
 私はコーラは正露丸を溶かしたものだと思っていました。
 (まぁま)

中学生くらいまで、ベッドで眠りにつくまで毎日、
 バニラアイスに、チョコレートを重ねて、
 その上にホイップクリームを重ねて
 ウエハースを重ねて、ストロベリーアイスを重ねて、
 チーズケーキを重ねて・・・・と
 無限に甘いものを重ねる想像をしていた。
 今は考えただけで胸焼けがするけど。
 (みけ)

小学校1年生頃の話です。
 当時、あの有名な口裂け女の話が流行っていました。
 ある日ガッコの先生が
 「口裂け女は時速100キロで追いかけてきます。
  みんな校庭で逃げる練習をしましょう!」
 といったとき、恐怖のどん底に突き落とされました。
 学校イチの鈍足で、
 人の背中を見ずに走ったことのなかった私は、
 逃げる練習でももちろんビリッけつ。
 「ああ、私が一番に犠牲になるのね…。
 みんな、私がおとりになるから逃げ延びて…」と、
 最後はやけくその英雄気取り
 自分をなぐさめたのでした。
 (あ)

子供のころ、我が家はいわゆるボットン便所でした。
 トイレの中の空気は、ウンチに
 直接触れたはずだからフケツだと思ってて、
 大腸菌がほかの部分に付着しないようにと、
 口を閉じ、息を止め、時には目をつぶって
 用を足してました。
 耳から入ったらどうしよー、という恐怖と戦いながら。
 しかし、用便後、きちんと手を洗わないことのほうが
 よっぽどフケツだということには、
 まったく気づいていませんでしたよー。
 (ゆるゆる)

いなかのおばあちゃんちの床の間にあった,
 木でできた馬の置物がお気に入りでした。
 4,5歳のわたしが
 乗ろうと思えば乗れるくらいの大きさ。
 あるとき,いつものように
 「馬に乗って草原を駆けめぐる少女」や,
 「疲れた馬をいたわる少女」を
 演じているうちに,ひとり遊びは白熱。
 想像の中で“ふん”をした愛馬に,
 「うわあ,いっぱいしたねえ。
  じゃ,おしりふいてあげるねっ!」

 と元気よく言ったとたん,
 隣の部屋でおとなたちが爆笑し,
 わたしは正気に返りました。
 ・・・馬のお尻は拭かなくていいんだよ,と,
 都会の子どもだったわたしに告げてあげたいです。
 (蝶々)

幼稚園くらいの頃。
 テレビに向かって包丁を突き刺せば、
 中でしゃべっている人が死んでしまう。
 と、かなり本気で思い込んでました。
 とくに、ニュースキャスターなど、
 こっち向きにしゃべっている人を見ると
 「刺されやすいかっこうしたらだめじゃないか!」
 と、心の中でひやひやしたものです・・・。
 (た)

一生のうちに喋れる語数は限られているのだ!
 と思って、しょうもないことは、
 ボディランゲージで伝えるんだ!

 と、やっきになったことがあります。
 「ちょうちょがいる!」と言いたいところを、
 手をひらひらさせておばあちゃんに訴えたりしました。
 でも、そんなことを実行したのは、
 たった1日、というのも覚えています。
 (えみこ)

小学校低学年の頃、
 読んでた本に影響されて
 「なぞなぞノート」なるものを作ってました。
 市販のなぞなぞ本を買っては、
 お気に入りのノートに
 ガリガリなぞなぞを書き写す毎日。
 確か4冊ほどは作ったかな?
 今でも数冊残ってるんですが、
 Bくらいの濃い鉛筆で書いてたため
 どのページも真っ黒で
 小さい頃の気合がひしひしと伝わってきます。
 (匿名のかた)

(ミニコメント)

素直な疑問の提起、そして一方的な自分解決。
活性の高さと、正義感と、徹底さがすごいです……!
屋根の制覇だとか、避難経路確認グセとか、
建物についてのフェティシズムも、子どもならではですねぇ。

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2003-07-01-MON
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