(7月2日)
●ある日、赤い目覚まし時計の音が気になり
耳をあてると、なにやらしゃんしゃん聞こえて。
その日よりその時計の中には
音楽隊が入っていると信じ込み、
分析さえしはじめました。
「昨日は8人だったけど、
今日は12人の演奏者がいるね。
良かったね、病気が治って」
とか、一人で喜んで。
遅くなったらみんなが出てくると思い、
押入れの中に隠れて目を指であけて
必死になって7福神のような人々を待っていたけれど、
決して見られる日は来ませんでした。
(ヒロコ)
●小学校低学年の頃、漫画雑誌の付録で
けっこうしっかりした作りの日記帳が
ついていたことがありました。
なんと紙製ですが鍵付きです!
「これなら日記をつけてみてもいいかな」
とうきうきしていた私でしたが、
その日、テレビで強盗殺人事件を再現した
とても残酷な番組を見てしまい、
(見てはいけない、と思うほど凝視していまい)
これが私の家に起きたら…と想像し、
本気で将来を悲観しました。
そして、記念すべき日記の1ページ目には、
『ごうとうが入ったとき、身のまわりで
きょうきにできるもの』と書き、
フライパン、いす、じしょのカド、まごのて…など、
かなり変な選考ですが、
その時はひたすら必死で考えてました。
コドモながらに精一杯自衛しようとしたようです。
習った漢字を律儀に使っているところも幼さ爆発。
(モスモス)
●りんご投げ女で思い出しました。
小学校低学年の頃、幼稚園児だった妹と
りんごを皮ごと丸かじりするのがカッコいいと思い
部屋の端と端に座って丸かじりしては相手に投げ、
交代に食べて喜んでいました。
名づけて「キャッチりんご」あーバカバカ。
(よう&なお)
●小学生の頃、一日に何度も命を賭けてました。
信号の青が点滅し始めるまでに渡りきらないと死ぬ!
とか、
お風呂に百秒以上浸かれなかったら死ぬ!とか。
賭けるといっても心の中だけだから、
実行できなかったときは
いつも(うそうそ、今のは冗談。)と
弁解してました。いったい何度命を落としたことか。
(なつみ)
●小学校低学年の頃、突然
「そうだ!
未来の人達が発掘できるように遺跡を埋めよう!」
と思い立ちました。
そこで用意したのはプラスチックの積み木。
それと解読用に文字も必要とマジックで
自分の名前を書きました。
そして、これを発見した未来の人は、
これを何だと思うのかなー、
この文字は日本の女の子の名前ってわかるかなー、
あ、この名前って教科書に載るんちゃうん、
きゃー、有名人になってしまうやーん。
と勝手に想像を膨らまして喜んでいました。
でも、それを埋めたのは自分の家の庭、
しかも深さ、15cm程度。
すぐに母親に発掘されました。
(naka)
●幼稚園年少さんの頃、
同じく幼稚園年長さんの従兄と一緒に、
毎日近所のコンビニにH本を、
立ち読みならぬ座り読みに行っていました。
店員さん(不思議とお姉さん限定)に
「あのね、ボクたち…」などと注意されたりすると
店を出て、その前にあった公園で
ブランコを思い切り漕ぎながら、それまで覚えた
「Hな単語」の数々をメロディに乗せ、
大声で歌っていました。得意顔でした。
3〜4歳ぐらい?。
あーあ、バカだったなあ。
(かーき)
●小学1年のころ、
チェルシーのCMで
「金髪の外国人の女の子が
美しい小川にかわいいブーケと
チェルシーを乗せた小舟を流す」
というのに憧れて、
段ボールで作った船(?)に、
ありったけの駄菓子とその辺で摘んできた
シロツメクサを乗せ、家の近くのドブ川に流しながら、
「ほーら、チェルシーィ!
もひとーつ、チェルシー♪」
と歌いながら追っかけてました。
段ボール製の船は緻密製に欠けており、
加えて「過積載」だったため、
3メートルと保たず水が浸みて、
あっという間にドブ川に沈んでしまいました。
どこまで流すつもりだったのかは覚えていませんが
「成功」するまで何度もやった記憶があります。
(ち)
●小学校2年のころ、ほんとに大好きだった森が伐採されて
ゴルフ場になること、
そして既に工事がはじまっていることを知った僕は、
落ちている犬の糞を
インスタントコーヒーの空き瓶にかき集めて
近くの草むらに隠し、
早朝クワガタを捕りに行くことを口実に家を抜け出し、
工事現場のブルドーザーやショベルカーのハンドルに
塗りたくって、工事を阻止しようとしました。
今思えば馬鹿だし、ちょっと
いたずらが過ぎるかもしれないけど、当時は真剣でした。
(国吉)
●幼稚園児の私。
道に迷ったときは、
足の間から後を覗くと、正しい道が分かる。
という超能力を頼りに、
よく独りで「道に迷う旅」を行っていた。
「あ、迷ったかも・・・」
焦りながら足の間に頭をつっこみ後を見る・・・。
超能力のおかげで今日も無事、家に帰り着く。
なんのことはない、
幼き日の私の独り芝居(大袈裟な台詞アリ)でした。
あと、
「20年ぶりの故郷に帰ってくる都落ちした女」の
独り芝居もお気に入りだったなぁ・・・。
「この町は変わんないなぁ」が
好きな台詞(日常会話はネイティブの九州弁なのに)。
今度、久しぶりにやってみようかな?
(たいよん)
●確か小学校5年生の頃、
ちょっと暗めの友達、
みちこちゃんの家に遊びに行った時。
みちこちゃんがおやつをとりに部屋を出て行ったので、
何気にカセットテープを聴きました。
そこから流れてきたのはみちこちゃんのDJ。
自分でラジオ局を作って遊んでいたみたいです。
その架空のラジオ局には
ちゃんと悩み相談のはがきも届き、
その悩みに答えつつ曲を紹介していたみちこちゃん。
いつもの暗めの彼女とは違い、
いきいきとしたしゃべりには驚きつつ面白かった。
そのテープを聴いて唖然としているところに
みちこちゃん登場。
聴いてはいけないものを聴いてしまった私。
恥ずかしさでどうしたらいいか分からなくなっている、
みちこちゃん。二人の間に、
何ともいえない空気が流れたのを覚えています。
(YUMI)
●子供の頃の冬のある晩、
母は、暖まるからとミカンの皮を
入れた袋をお風呂に浮かべようとしましたが、
すでに風呂に入っていた妹はそれを見たとたん
「ミカン入れたら取れへんよーになるー」
と半狂乱になって泣き出しました。
排水溝に詰まる、という意味か
それとも一体?と皆思ったようですが、
彼女のあまりの取り乱しぶりに圧倒されて
ミカンは入れずじまいでした。
未だにそのセリフは謎のままです。
(りる)
●3〜4歳の頃、
小学生のおねえちゃんと一緒によく
「チルチル・ミチル(メーテルリンク・青い鳥)」
ごっこと称して、家の庭とか塀の間の隙間とかを
ぐるぐる歩き回って、
「青い鳥はどーこーにーいーるーのー」
と探しまわった。
おやつの時間になって家に入ると、
「青い鳥はウチにいた!!」
というおちになった。
(チャリ)
●幼稚園の時、
可愛がってもらっていた村松先生のことを
「むらまつ?まつむら?」
といつもわからなくなっていました。
どっちだったかな?と悩みに悩むんですが、
二分の一の確率なのに自分で出す結論は必ず
「まつむらせんせーい」
最後には、先生はどっちを呼んでも
返事をして下さってたように思います。
(りる)
●4歳の頃、父の誕生日にプレゼントをしようと
紙をわっかにして繋げた首飾りを作っていました。
「これはお父さん絶対喜ぶぞー!」
と一人大喜びで作っていたのですが、そのうち
「お父さんがこれを貰ったらどうするか?」
という妄想が始まりました。
「お父さんは、これを貰って凄く嬉しくなって、
きっとお葬式の時にも棺おけに
一緒に入れてねってお願いするんだ。
そして、私が入れてあげて、
そしたらそれをつけたまま天国へいくんだ。
あ!でも、閻魔様に会ったときに、
『おまえそれいいな!俺によこせ!』
っていって首飾りを奪われちゃって、
お父さん泣いちゃうんだ!
そんなのお父さんかわいそうだ!」
という縁起でもない妄想の果てに
「お父さんかわいそうーーーー!!!」
と突然号泣しだし、
そんな娘に母は大変困惑した様子でした。
しかも、この話を「バカだけどいい話だよねー」と
最近友達にしたら
「それあんた父と娘のいい話っていうより、
あんたがどれだけ自分の作品の素晴らしさに
自信を持っていたかっていう話じゃない!」
とつっこまれ、「ああ本当だ…」と
「父想い」のエピソードが
ガラガラと音を立てて崩れました…。
(なっかん)
●ガキの頃ならまだ許せる話ですが・・
ついこの間まで私は
「さお竹〜さお竹〜」って売りに来ますよね。
その「さお竹」の意味を
「さおだけ」=「さおだけを売りに来た」
=「さおだけを売りに来たよ」と思いこんでいたのです。
この間、会社での飲み会があった際、その話題が出て・・。
そこで始めて自分の勘違いに気がついた訳です。
(か)
●子供のころから小心者だった私は、
ノストラダムスとか冷戦の影響だとかで
とにかく地球が滅びる日を
体験しそうな気がしていました。
特に育ちが広島だからか、
爆弾投下やミサイル発射に危機感を覚えていて、
身近で誰かがカウントダウンするたびに
「落ちてくる?」とドキドキしていました。
ドキドキするのが嫌なので、誰かが
「3,2,1、ゼロ」と言っているのを
少しでも聞こうものならパッと耳を塞ぎ、目を閉じ、
しばらくして安全を確かめ、
「地球滅亡を回避した」と本気で思っていました。
いまにして思えばすっごくバカな子供ですが、
子供なりに必至だったと思います。
毎日毎日「明日も平和でありますように」と
世界中の神様の名前をたくさん挙げて
お祈りをするおまじないまでしていました。
(k)
●結婚すると、
新婚旅行から帰って来たその日から
新居に住みはじめると思っていたので、
さっそく旦那さんにごはんを作らなきゃいけないけど、
たぶん疲れてるだろうし、いきなり
インスタントものも恥ずかしいし・・・とさんざん悩み、
「焼そばならできるかも!」と、
小学生の時点で新婚旅行帰りのメニューは
焼そばに決めていました。
(おでん)
●わたしは、
「大きくなったら何になりたいの?」
という問に「うさぎ」と答え、
びっくりするぐらい健全な母が
実はとんでもない不良だという
妄想をもっていました。
あ、「ムード」と「ヌード」の区別も
つきませんでした。
(匿名のかた)
●私は小学校の低学年くらいまで
日本語が全世界共通語だと思っていました。
だからニュースでアメリカの大統領なんかが
演説をしているのを見て
「うわぁ、世の中には私の知らない
日本語がまだまだたくさんあるんだなぁ。
日本語って難しいんだなぁ」
と、一人で感心していました。
もしあの頃海外に引っ越していたら
外国語も素直に高度な日本語として受け入れて、
今頃はぺらぺらになっていたかも!?
(めぐみ)
●小学校の頃の話です。
国語で、ごんぎつねという話を
取り扱ったことがありました。
その中の、ごんはいつもひとりぼっちでした、
といったような文に納得が行かなかったんです。
人間はひとりふたりと数えるけれど、
きつねは一匹二匹と数えるんだから
ひとりぼっちじゃなくて、
いっぴきぼっちと書いた方が正しいんじゃないか、
と思ったんです。
それで、国語のノートにもそのように書いたら、
見事に先生に訂正されてしまいました。
しかし結局、納得することはできませんでした。
自分の考えを曲げようとしない、
頑固で一途な少年だったようです。
(tri)
●うちの父は、知り合いを見かけると、
かなり遠いところからでも「お〜い」と大声で手を振り、
口笛を吹いたりと、はた迷惑な声のかけ方をします。
昔、弟のクラブの後輩にも、これをして、
「酔っ払いだから関わらないでおこう」
と無視されました・・・。
後日「先輩の父」であることが判明し、
後輩たちは弟に謝りにきたそうです。
「後輩を困らすのは辞めてくれ」
と弟は怒ってましたが、もちろん今も直ってません。
(り)
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(ミニコメント)
みちこちゃんのDJのテープの話が、最高でした!
そういうのって、かならず見つかるんですねぇ・・・。
成功するまで何度もやったりというケースも目立ちます。
子どもって、オトナ以上にガンコものなのかもしれない。
未来のためとか、地球滅亡とか、
生活の中で科学者的な視点が入るのも、子どもならでは。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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