(7月3日)
●小学生の頃、
雨の中、裸足でさまようという
悲しい少女の設定に憧れました。
母と買い物の帰り、
家までの短い道のりでのこと。
「裸足で帰っていい?」と
勇気をふりしぼって聞いたところ、
母も「面白そうだからお母さんも」と
裸足になってくれました。裸足の少女ひとりから、
裸足の親子になり、妄想はパワーアップ!
ちょうどこんな6月の雨の下、
二人で裸足でトボトボ家まで帰ったときの達成感は、
忘れられません。お母さん!ありがとーう!!!
(和)
●小学生のころ、
学校から家まで何歩で帰れるか、
一歩ずつ数えて帰ることが流行りました。
1、2、3…100…と、
がんばって友達と一緒に数えたけど、
必ず途中で違うことを考えたりして
(へびいちごを見つけたりして)
ぜったい最後まで数えることができなかった…。
あと、下校途中に上靴のまま帰っている
自分に気づいたことも何度かあります。
あ〜、なつかし。
(みい)
●私は両親のうちどちらかというと父に似ているので、
家にお客さんなどがくると
「まあお父さん似なのねー」と、
特に小さいころはよく言われていました。
私はそういわれるといつも怒った顔というか、
なくのを我慢した顔をしていました。
あまりにも毎回そういう顔をするので、
母は私が本当に父のことを嫌いなのかと心配しました。
でも私が真剣に悩んでいたのは、
「お父さんに私が似ているということは
あんなふう に濃いひげがはえてくるんだ・・・
おんなのこなのにやだよ・・・」
ということだっ たのです。
母の問いかけに私はこんなふうに真剣に答え、
母の笑い声とともに両親の悩みも解消したのでした。
(mi)
●小学生の頃、下校時の事です。
晴れた日に限られるのですが、
走っている車の影にひかれないように
(影を踏まないように)するのに必死でした。
走ってくる車の影を見つめ、
自分とすれ違う瞬間にジャンプ!
車が繋がっている時はとっても大変でした。
でも「影にひかれてしまったら自分は死んでしまう」
と、どこか本気で思ってて、
重いランドセルを背負って
ジャンプを続けていたのでした。
友達と帰る時も、もちろんジャンプ!です。
いつも付き合って一緒にジャンプしてくれたなぁ。
高学年になって、部活が忙しくなり、
日の有るうちに帰れなくなって、
ジャンプは終わってしましました。
(miyu)
●小さい頃、夜寝る時に枕もとにぬいぐるみを並べてた。
朝起きると、ぬいぐるみの配置が変っているから
あたしが寝ている夜の間に、
このぬいぐるみは動き回っている!と思っていた。
ただ寝相が悪いだけなのに。
(が)
●小学校の時、授業参観が「水泳」の時があった。
事前の連絡で、
「父兄も濡れてもよい格好で来て下さい」
との通知があり、どのお母さんも、
Tシャツにジーパンや、ちょっと短めなスカートと、
通常の授業参観よりもラフな支度だった。
そんな中、現れた私の母の出で立ちは・・・
タンクトップに短パン。
しかも上下揃いのエメラルドグリーン!
眩しい!!
その時いたどのお母さんよりも、
若々しく、逞しく、肉々しいウチの母。
(※標準よりちょっと太め、ちょっと短め)
当時の私はなぜか、そんな母の
勇姿を心底誇らしく思ったものです。
しかし、家に帰ってみると、
「だって、濡れてもいい格好なんていうから。
何だかお母さん一人だけ恥ずかしかった〜!」
と、決まり悪そうに言い訳する母が。
そんなことないよ!と当時は励ましましたが、
大人になるにつれ、このことを思い出すと、
その時の母の恥ずかしさが、
しみじみわかるようになりました・・・。
(イヌキチ)
●私には6つ年の離れた兄がいます。
小学生の頃は兄にかまってほしくて
よくケンカを売っていましたが、
中学生で思春期真っ盛りの兄は全く相手にしてくれず。
ある日、兄にてきとーにあしらわれカチンと来た私は、
兄に向かって大声で叫んだのでした。
「お兄ちゃんのブラボー!!」
よくわかんないけど
濁音が多いから悪い意味の言葉なんだろう、
と勝手に解釈してました。
私としてはちょっと難しい言葉を使って
兄を見返してやろうとしたのですが、
兄には大爆笑されてしまいました。
それ以来、
よく知らない言葉は使わないようにしています。
(みお)
●小さい頃、初めて福神漬を食べて
そのおいしさにはまってしまった私。
あるときおばーちゃんの家に行ったら
机の上に福神漬が!!
こっそりとつまみ食いをしたら、
それはなんと紅ショウガでした・・・。
赤い色だけで
大好きな福神漬だと信じてしまったのですが、
裏切られたショックとショウガのからさにやっつけられて
それ以来紅ショウガは恐怖の対象でした。
しかし高校生のときに牛丼屋さんで
試しに食べてみたところ、思ったより辛くなく、
牛丼には紅ショウガだね♪なんて思えるようになったとき、
オトナになったなぁ…と
しみじみ思いました。
(サワ)
●母のことを書かせて下さい。
私が通っていた小学校は、普通の市立でしたが、
なぜだか「理科」を熱心に指導する学校だったらしく、
理科室が4つもありました。
当然、夏休みは「自由研究」というものがあって、
それは理科系のものでなくては、なりませんでした。
小学校2年生の時、そのころから
理数科に興味が無く、文系の私。
母は、私に絵日記を書かせました。
絵は下手だけれど、作文大好きっこだったので、
毎日の日記は、やたら文章が長いものでした。
宿題の意味もよく分かっていなかったので、
9月1日に、意気揚々と
その絵日記を持って学校へ行きました。
もちろん、学校の先生には「??」と言う顔をされ、
親宛に書かれたお手紙を頂きました。
おそらくそれには、課題不十分、
云々と書いてあったのでしょう。
母は激怒し、次の日学校へ乗り込み、
「子どもが毎日自然を感じて、書いた日記なのよ。
これのどこが悪いのよ!」などなど・・・。
その勢いに負け、先生も私の日記を認めてくれました。
激怒して髪を振り乱した母を、
ちょっと恥ずかしいと感じながらも、子どもながらに、
自分の書いた文章を認めてくれた事は、
やはり嬉しかったです。
その後も、作文好きは続き、
中学生の時には小説も書いたりして、
全国で3本の指に入ったりしました。
今は、文章を書く仕事をしていませんが、
この想い出は、私の宝です。
今でも、文章を書くのは大好きです。
お母さん、さんきゅう!!
(かりおか)
●こどもの頃、
どういういきさつだったのかは忘れましたが、
友だちと数人で、
「塩水の飲み比べ」というのをやったことがあります。
どんどん濃い塩水を作っていって
誰がいちばん濃いのを飲めるか、って。
わたし、どろどろのやつを飲んで、
そのあと吐きました(笑)。
しばらく塩が嫌いになりました。
(RUN)
●空高く飛んでいってしまった
風船をずーっと見上げていた私。
周りに居た大人たちはかわいそうに思ったのか
「あの風船はきっとアメリカまで飛んでいって、
アメリカの子供がひろってくれるかもしれないねえ」
と慰めてくれました。
それを真正面に受け止めた私は
地球は各国ごとに階層になっているんだ、と解釈。
つまり、どんどん上昇した風船はそのうち
アメリカの階まで到達し、
アメリカの人たちは
「お!地下から風船が昇ってきたぞ!」ってカンジで。
そして日本の端っこに行けば断崖絶壁があり
そこから何か落としたら、
下の階の国にご迷惑をかけるんだなあ、
危険だなあ、と本気で心配していました。
さらに日本語でもローマ字で書けば
海外でも当然通用するとも思ってました。
幼稚園くらいだったでしょうか・・・。
(じゃりり)
●風呂場でオナラを集めたという人の話がありましたが、
私も小学生の時、弟と湯船の中で
キャップつきのコップ(密封加)に毎日オナラを溜めて、
容器を全てオナラで満たす→そして嗅ぐ、
という試みをしていました。
オナラが容器の大半を占めたある日、
例によって、(弟ではなく)私は
力み過ぎて実を浴槽に出てしまい、
親に大変怒られた記憶があります。
ちなみに溜めた屁は日数をおいたからか、
全く臭くありませんでした。
(makotop)
●子供の頃、庭の蟻と
どうしても友達になりたくて、
私が友好的だということを示すために、
角砂糖を糸でくくり、そこに爪楊枝を差し、
蟻が砂糖を「おさるのかごや」のように
持ち運べるようにして庭に置いた。
今になって考えると、多分大きすぎたらしく、
蟻は持っていってくれませんでした。
(ぐりこ)
●寒い冬の夜は、コタツの中でついつい
うたた寝をしてしまっていた幼かった私。
そうすると、母に「早く布団で寝なさい!」と
いつもしかられていた。
そこで私は、うたた寝体勢に入る時は、
横になったままコタツの上に片手だけ出して、
ピアノを弾く真似をし、寝てないんだよ、
横になってピアノを弾いているんだよ、というのを
母に無言でアピールしていました。
もちろん目を閉じているので、
今思えばバレバレだったはず。
(yu)
●先程のデリバリー版で、
私と同じ思いしてきた人がいたんだ!
と嬉しくなりました。
自分の脈の音が、道の向こうから
誰かがやってくるような気がしていました。
しかも、数人の大男が
ザッ・ザッって行進して来るような気がして
なりませんでした。
他の誰からもこんな話聞いたことなかったし、
聞くのも恐かったし・・・未だかつて
誰にも話したことがありません。
カーテンに、やつらの影が映るのを
見てしまわないように壁の方を向いて眠っていました。
しかもこのカーテンがペイズリー柄でしたので、
目玉がたくさん見ているようだったし、
うごめいているような気がして恐かったです。
その音が、自分の脈の音だったってことに
気づいたのは結構大きくなってからでした。
最近酔っぱらって寝ていて
久しぶりに大きな男達がやってくる夢を見て、
「バカだなぁ・・・これは自分の脈の音なのに〜」
って話している夢を見ました。
(うろん)
●夕飯の時に、なにかの話の流れで
私たちは、動物なんだっていう話になったのですが
幼稚園児の私にとって動物と言えば犬やねこ、
ライオンやぞうのこと。
どんなに私たちは人間で、人間は動物なんだよと
説明されても納得できるはずもなく困った私は
「○○はロボットだもん!!」と
自分でもそれは違うなと思いつつも
言い切ってしまいました。
(きくぞう)
●小学生の頃の私は本当にイヤなガキで、
宿題でひらがなを練習するときは
「あまり完璧だと先生に良く思われない」
と考えてわざわざ間違えて練習したり、
九九を得意になって先生の前で
暗誦するクラスメートを
「そんなの誰だってできるよ」
と小ばかにしてみたりしていました。
そんなガキでしたが、
家の近くのどぶ川の看板
(おそろしい顔をしたカッパの絵に
「ここで遊ぶとカッパにおそわれます」
みたいなことが書かれていた)を見て、
「カッパは本当にいるんだ。
ここは早く通り過ぎないと、
どぶの中にひきずりこまれるんだ」
と毎回必死に走って通り過ぎていました。
しかも、カッパの存在を中学に入るまで信じてました。
(匿名のかた)
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(ミニコメント)
どんなにひねたガキにも、
ノーガードの部分が残っている。
それが、カッパの恐怖にあらわれたり、
「お兄ちゃんのブラボー!」になったりするんだなぁ。
関係ないんですけど、子どもの時の、
「誰々くんは、こういう特徴を持ってた」
っていうこととか、あだ名の不条理さとか、
今思うと、とんでもないものだったりしますよね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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