(7月5日)
●兄がふたりいるけど、子供のころは
ほとんどひとりで遊んでいました。
なので、作ってしまいました。架空友達。
架空友達は「かわいい女の子」でした。
応接間のテーブルと椅子をぴょんぴょん
跳びながら架空友達と遊んでました。
自分でもこれは普通じゃない遊び方だとわかってたので、
親などにはいいませんでした。
けど、1回だけ自分の中でめちゃくちゃ盛り上がって、
勢いでおばあちゃんに紹介しました。
その時のおばあちゃんの反応は覚えてないけど、
「バカな子だ」と思われたんだろうな。
たぶんその頃から妄想力が強くなったんだろうなー。
(松)
●ことわざの『鬼のいぬ間に洗濯』。
洗濯は家の中の洗濯機でするものとしか
思っていなかった私は、
「鬼がせっかくいないんだったら、
洗濯なんかしてないで、
さっさと逃げ出したらいいのに」
とずっと思ってました。ごく最近、妹に
「鬼が山に引っ込んでいる間に、
村の川(あるいは井戸)で洗濯するのよ」
と教わって、まさに目からウロコが落ちました。
(ドゴ/♀)
●コドモのころの思い込み。
幼稚園の時縁日で買ったヒヨコが死んでしまい
母は「死」について説明はまだ早いと思ったのか
ヒヨコをやきそばとかのプラスチックのパックに入れ
近くの公園に埋めて
「しばらくしたら鶏になって出てくるからね」
と言った。
私は成長したら鶏になる事実とは別に
高校生くらいまでそれはそれで本気で信じてた。
ある時ふと矛盾に気が付いた。
母にそのこと言ったら
「よく覚えてるわね〜」
埋めた場所まで覚えております。
(こえなしうさぎ)
●小学校のころ、学校が遠くてバス通学していました。
家から通りに出てバスが
自分の横を通りすぎようとすると
ダッシュで追いかけていました・・・バス停まで。
あのころいつも寝坊していたので
こっちはかなり必死で毎朝バスと競争していたんですが、
バスの中でその様子を見てた人はびびってだろうなぁ〜。
徒競走ビリだった私は高校時代短距離で
インターハイに行けました。
私はあの頃の特訓のおかげだと思っています
(バスと共に去りぬ)
●小学校3年くらいの頃、友達2人と
公園の砂場で落とし穴を必死になって作ってました。
昼から掘り始めてもう夕方。
それでも「いやいや、まだまだ。もっと深く!」
と延々掘り続けました。
その間落される人の姿を想像して
ほくそ笑む以外、無駄口一切なし。
今思えばかなりストイックな作業だったと思います。
そしてついに夜に突入したとき
私達の理想の深さの落とし穴が完成!
したのはいいものの、
肝心の「だまして落ちる人」がいないことに
気づいた私達。
でも作ったからには絶対に落ちる瞬間を
この目で確かめねばならぬ、と
結局じゃんけんして負けた友達一人が
目を閉じて落とし穴に落ちることに。
薄暗闇の中で弱々しい悲鳴とともに
自ら落下していく友達の姿は、
今後も忘れられそうにありません。
(意味なし法一)
●幼稚園のころ、いとこのおじさんに
初めて京都に連れて行ってもらったとき、
初めて京都弁を耳にし、
東京育ちでそれまで方言など
耳にしたことがなかった私は
テレビの時代劇の言葉と同じだと勝手に解釈し、
この人たちはみんな昔の人なんだなぁ、
今自分は昔の人と会ってるんだ!
すごいなぁ、と勝手に感心してました。。
(Y)
●私が小学2年生の頃、転校先の学校ではなぜか
「アリを踏むと明日は雨」という妙な迷信を
みんな真剣に信じていました。
遠足の前の日なんかにうっかり踏んでしまうと
「あぁ〜、おまえのせいで明日雨だ 〜」
と大ひんしゅくをかってしまうので、
みんなで下ばかり見て歩いたものです。
(ニオ)
●小学生の頃、
テレビでガンの闘病ドキュメンタリーをみて
ガキのあたしは、
特有の妄想を膨らませ、おびえました。
「あたしはガンではないだろーか?」
むずかしい顔をしながら
アバラがちゃんと左右対称になっているか、
ひまをみつけては指で骨を数えてました。
意味不明な骨チェックが、ガンと何の関係があるのかと
問い詰めたい気分でいっぱいです。
(a)
●私は覚えていないのですが、妹から
小さい頃私が子供部屋の「おふれ」を作って
妹たちに守らせていたらしいです。
すごく嫌だったとまで言われ、
その記憶を消してしまいたいです。
(元独裁者)
●子供の頃、テレビのドラマにでてくる殺人現場や
病気のシーンは、死にたい人を募集して、
本当に殺しちゃったり、
死んじゃったりするんだと思ってました。
だからとても怖かったです。
(び)
●実家は自営業なので
小さい頃はあまり親にかまってもらえず、
寂しくなった私はケチャプを口の端につけて血に見立て、
冷蔵庫の前で誰かが気付くまで
倒れていたことがありました。
後からすごくバカにされました。
しかしその後も両親の気を引きたかった私は、
耳の中に小さなビーズを
いくつか入れてしまったのでした。
両親はさすがに慌てて私を病院まで連れて行き、
私の耳のビーズは掃除機のようなも
ので無事吸い取られたのでした。
今思い返すとすごく
寂しい子ども時代を送っていたような…
今じゃフツーなんですけども。
(とと)
●小学生低学年のころ,
トイレで大きいのをしたあとに紙で拭いても
全て拭き取れないものとおもっていました。
っていうか,パンツはその汚れをズボンにつけないために
はくものと思っていました。
で,小学3年生の夏休みの時,
友達のうちの庭でビニールプールで遊んだときのこと。
友達が
「あ〜,××(私)のパンツうんちついてる〜」
とはやしたてました。
私はそれが当たり前だと思っていたので
さして気にもせず
いっしょにけらけらわらっていました。
夏休みが終わり,教室のうしろに
クラス全員の宿題がはりだされました。
そのなかに
「×月×日 きょうビニールプールであそびました。
××(私)君のパンツにうんちがついていて,
みんなで笑いました」
という友達の絵日記が。その時初めて
「あ〜,うんちってちゃんと拭けば残らないものなんだ。」
と気付きました。
(coo)
●TVで洗剤やハミガキ粉のCMを見てて
「何で皆、”うちの洗剤はこんなにスゴイんですよ”
って自慢し合ってるんだろう?
大人のくせにみっともないなぁ」
と思っていました。
母に聞くと「スポンサーっていうのがあって」
というような事を言っていましたが、
そもそも、お金というもので
生活が成り立っている事自体を知らないので
よく分からなかった。
(おりと)
●小さい頃、じっと
自分の手を見つめていた私は突然泣き出しました。
驚いた家族がどうしたのか尋ねてみると、
「指が一本ない・・・」
親指と人差し指の間だけ他の指と指の間より
間隔が広いので、知らないうちに
一本なくなってしまったのだと、本気で震えながら
泣きじゃくる私に、家族全員が両手を差し出して、
親指と人差し指の間には指はないことを証明しました。
ものすごく恐ろしかったことだけ、憶えています。
(えっこ)
●幼稚園のころ、
いじけると園の大きな机の下に潜ってました。
机の下は自分だけの領土だと信じていたので
他の人が入ってくると激怒。
で、二時間ぐらい出てきませんでした。
(すう)
●子供の頃、何故かプラスチック製品が好きでした。
消しゴムもプラスチック製だと聞き、
ならばそのカスを捨ててはもったいない!と感じ、
「コンタクトレンズの代わりにしよう」
と、せっせと目に入れていました。
痛くてしようがないし、視力も上がらなかったので
いつしかやめてしまいましたが、
今でも100円ショップなどの
プラスチック製品の山を見ると
ちょっとわくわくします。
(よこあき)
●幼稚園のおやつの時間のお菓子が
プロ野球チップスだった時、
みんながプロ野球カードをちやほやして
盛り上がっているのを見て
野球を知らない私は仲間に入れないと焦り、
「私はこの王選手だって食べることができる!」
と王選手のカードを食べました。
みんなの白い目を尊敬のまなざしに変えようと
必死に食べましたが、
やっぱり半分くらい食べたところでバカバカしくなり
王さんの下半身だけ残しやめました。
その後一部の負けず嫌いの男の子の間で
「カード食べ」が流行りましたが
すぐに園内で禁止となりました。
(あまぐり)
●戦前生まれの両親をもつ私は、
子どもの頃から戦争のことを聞かされていました。
戦争というのは定期的に起こるものだと思いこみ、
敵機来襲に備え、庭に穴を掘って、
防空壕(もどき)を作りました。
子ども心に、ドキドキしました。
(さとみ)
●子供の頃、
ティッシュペーパーに砂糖をふりかけると
綿菓子ができあがると信じていました。
短冊状にちぎったテッシュをお皿にのせて
その上からグラニュー糖をぱらぱら・・・
たぶん近所の小さい子達に食べさせてたよ、私。
当時うちで使っていたティッシュペーパーは
ピンク色だったので、白いテッシュにしてくれたら
真っ白な綿菓子が作れるのになぁ〜と思ってました。
(ポリピロ)
●おばあちゃんが男だと思ってた、と言う話
うちの娘が幼稚園年長の頃、似たことがありました。
仲良しのS子ちゃんちから、血相変えて帰った娘は・・・
「あのね、S子ちゃんちのおばあちゃんは、
おじいちゃんだった。
だってね、自分のことをワシって言ったよ」
この地方では、歳をとると女性でも「ワシ」と言うのを、
娘はまだ知らなかったのです。
(き)
●子供の時、将来は絶対
アイドルになるんだって決めていました。
そのため、コマーシャルなどで、
アイドルがカレーやお菓子を食べたあと、
口をもぐもぐもせずにすぐに笑顔で
『さわやか○○!』などと言っているのを見て、
『あれができないとアイドルになれないんだ!』
と、ひとり必死で練習してました。
だって編集してるとか知らなかったし〜・・。
(かよ)
●友達はガキの頃、コカコーラのCMは
「さわやかにコーラを飲んでいる一般人」
を撮影したものだと信じ込んでいたそうです。
自分もコーラを飲んでいると
撮られるかもしれないと思い、コーラを飲むときは、
まわりを意識して、さわやかに飲んでいたそうです。
(m)
●小さい頃、
布団の中にカニの大群がいる妄想にとりつかれて
足をのばして寝ることができませんでした。
そのことを人に話すと、
その人の布団にもカニが出現すると
信じていて、誰にも言えませんでした。
(たま)
●高知市には昔から日曜市という
お城の下にたつ大きな市があります。
そこではほんとに何でも売っていました。
その当時5〜6歳だったと思いますが、
近所のタク君が立っておしっこできるのがうらやましく、
じぶんでやってみてもうまくいかないので、
いそいで家に帰り母におねだりしました。
「おかあちゃん、今度の日曜市で
あたしにもタク君みたいなおちんちん、買うてね」
・・・母がまじめに、
「うん、見つけたら買うちゃお」
と言ってくれたのですごく
うれしかったことを覚えてます。
(は)
|
(ミニコメント)
死への関心の高さは、ほんとうに共通してますね。
しかし、「自分診療」で「自分死の宣告」というのも、
ほんとに、たくさんの子が苦しまされてきたことでしょう。
今思うと、笑っちゃうし、ごはんの時は忘れるんだけど、
寝る前とか、本気で泣きそうになるんですよねぇ・・・。
まわりの目を気にする一連の行動もいいなぁと思ったし、
「オトナなのにみっともない」っていう洗剤の話も、好きよ!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|