(7月6日)
●子供の頃は、きっと可愛かったと思います。
見た目ではなくて、行動が。
小学校3年生くらいまでは、
「夜の真っ黒な空の上は
いつも青い空があるんだ」と思っていました。
飛行機が雨雲を潜りぬけると
青い晴れた空が広がっているじゃないですか。
そのイメージがあったので、
ずっとそう思っていました。
(kihachi)
●毎週「サザエさん」を楽しく見ていました。
なぜか予告編を見て、次週タイトルを
カレンダーに書き込むのを習慣にしていました。
3本あるので、妹と手分けして覚えて、
カレンダーの翌週の欄に書いておくんです。
翌週の放送が、そのタイトル通りなのを
確認して安心してました。
(はっさん)
●小学5年生の頃。
男女の10人ほどのグループで
「好きなタイプ」を話していた。
あの子は結構「メンクイ」だからという話に
「俺もやで!スープは最後に飲む!」と力説していた。
私は「面食い」=「先に麺を食う人」と思っていた。
(taka)
●私は、子供のころ、社宅に住んでいました。
そのせいで、よく、引越がありました。
引越があるたびに私は、
今度越してきた人と、前に住んでいた人で、
家を交換しあっているのだと思い込んでいました。
(じい)
●小学生の頃、マンホールを踏むと、
10秒以内に電信柱にタッチしないと
「マンホールの神様(!?)」に呪われるという
噂がはやりました。マンホールを踏むたび、
全力で電信柱にタッチしていた私たちって・・・。
今は、そんなことするのははずかしいので、
マンホールを極力踏まないように歩いています。
(m)
●小学校二年生のときの事です。
母方の祖父が経営する工場の裏には
小さな用水路がありました。
学校帰り、ザリガニなどは居ないかと
用水路へ一人で入っていったのですが、
そこは泥が厚く堆積した底なし沼のような所でした。
なんとしてもザリガニを捕まえたかった私は
足をとられながらも、
「隊長!ザリガニは見つかりませんね!」
「もっと奥の方へ行けば、きっと見つかるはずだ!」
とか、一人二役の独り言をつぶやきながら、
どんどん深みにはまっていきました。
体の半分が泥に没した時、
ようやく身の危険に気づいた私は、
妄想の隊長が当てにならない事に絶望し、
我に帰って悲鳴をあげていました。
すると工場から母親がすっ飛んできて、惨状を見るなり
「アホー!」
と叫び、私を引っ張りあげてくれました。
泥だらけの服をぬがされ、
すっぽんポンで家に帰りました。
その後、事件当時の衣服は処分されましたが、
何故かはいていた靴だけが家の外の洗い場に
ずっと放置されており、それを見ては
いつも命のありがたみをしみじみ噛み締めていました。
子供がとんでもないことをする時には大概、
もう一人の誰かを作り上げているに違いありません。
(y)
●小学生6年生まで父の仕事の内容がよくわからず、
友人には「なんでも溶かす薬を作っている」と
説明していました。
それは何の容器に入っているのかと聞かれたときは、
ガラス瓶で、ガラスはどんな薬でも溶けないんだよ、
と説明していました。
外科のお医者さんだってのは知っていたんですけど、
医者に行った事がなかったので、
どんな仕事なのか知らなかったんです。
(みいみ)
●私が5歳くらいの頃、
何がきっかけだったか死ぬという事の意味がわかって、
一晩中、おお泣きした記憶があります。
それ以来いろんなものを大切にしようと思ったらしく、
書斎の脇にあった自分用の
小さな机を宝物箱にしてました。
そのなかに、洗ってない牛乳パックや
焼きたてのパンを大事にしまっていた事を覚えています。
またそこに加えるべく、姉の部屋へ忍び込み、
においつき消しゴムの欠片を少しずつくすねてました。
それからはパトカーの音が聞こえるたびに、
逃げ道を確認したり、
言い訳を考えてびくびくしてました。
わかってるなら止めるなり、
返すなりすればいいんですけどね。
(k)
●ぜったいにありえないような田舎なのに、
スカウトされるかもしれないから、
と、友人と2人で大きな声で、
歌をうたいながら橋を往復していた。
(地元では、大きな橋)
(あさ)
●洋裁が出来る母は、
たぶん今思うと集金に来ていたのでしょうか?
たびたび「ブラザーミシン」さんが来ていました。
小学生3年くらいの私は
「ブラザー」さんだか「ブラジャー」さんだか
イマイチわからず
「お母さん、ブラジャーさんが来たよ」と
少し恥ずかしがりながら伝えていました。
ブラジャーもまだなんだかよくわからないけど、
なんとなく恥ずかしいものと直感しておりました。
(yoko)
●幼稚園生のときでした。
私の送り迎えのためだけに免許をとった方向音痴の母。
二人で車に乗っていたとき、
母は道を迷ったらしいそぶり。
私がその時真剣に悩んだことは!
「これからは他人の家で他人の箸で
ご飯を食べることになるんだ!どうしよう」
ということだった。
なぜ家に帰れないと思い、
そして、なぜ箸にこだわるのだ?
不可解であり、母には失礼な話である。
(えつこ)
●いまはもう大人になった弟が、
ガキの頃、目に涙を溜めて、
「おねえちゃん、手伝って欲しい」と言うので、
話を聞いたところ、
もらったお年玉をどこに隠すか悩みまくった挙句、
空き地に埋めてしまったのだそうです。
私「なにか目印は無いの?」
弟「小石を乗せておいたのだけど」
私「・・・」
空き地は小石だらけでした。
そもそも、お年玉を「隠す」という発想が
今思うとガキなのだなぁ・・・
(かよりんぐ)
●子供のころ、約束するときに言う、
「うそついたら、針千本のーます!!」
というのを、
「うそついたら、針千本のーばす!!」
だと思ってた。
針を千本も伸ばすのは大変だと思ってたけど、
飲むと知ってたら、うそもつかなかったかも。
(Y.S)
●子供の頃によく見た夢で、連ドラのように
シリーズ化していたものがありました。
(なぜ、日をまたがっているのにも関わらず、
続きモノの夢が見られたのか分かりませんが)
それは、キダタローが赤い車に乗って
空からやって来る、という夢です。
夢の中で、彼はお昼寝をしない子供を
拉致して空に連れて行ってしまいます。
そこで、連れて行かれた子供達は
空の上でボス(なぜか山城新吾)の命令を訊き、
国家のスパイとして養成されるのです。
今でも、TVで彼らを見かける度にドキドキしています。
(ゆう)
●ざっと50年前、小学校低学年だった私は
美空ひばりの“東京キッド”や
宮城まり子の“ガード下の靴磨き”にあこがれていた。
母がデニムのオーバーオールを買ってくれたとき
まっさらなそれに色紙を貼り付け
クレヨンで縫い目を描いて(継ぎ当てのつもり)
風呂椅子と靴磨き道具一式を抱えて
商売に出かけようとしたところを、
裏口で首根っこをつかまれ敢え無く失敗。
「お父ちゃんは死んで、おかあちゃんは肺病で・・・」
って、泣かせるせりふまで考えてたのに。
当時我が家は目抜き通りのデパートの前で
ちっとは名の知れたレストランを経営していたので
周辺の人はみんな私を知っていた。
ちなみに戦前生まれの兄は
家中の鍋釜しゃもじの類を持ち出し
神社の境内に筵を敷いて
「何でも10銭、買わなきゃ損だよ!!」
とやっているところを、
ご近所のご注進で駆けつけた親に
こっぴどく叱られたらしい。血筋?
(ぶっちー)
●親指にホッチキスしたらどうなるか?
痛いからやめなさい と止める母を後目に
ワクワクはうなぎ登り耐え切れずにガッチャン!
芯は突き刺さり・・・泣きました。痛かったです
(かっちゃん)
●我ながらみなさんに負けず劣らずバカガキだったと、
自負しているのですが…
中でもいちばん意味がわからなかったのが、
にいちゃん(11歳上)と
水族館のアシカショーを見た後、ずーっと、
「うぅおっ、うぅおっ!」と、
2時間くらいアシカのまねをし続けた事でしょうか。
「恥ずかしいからやめてくれ」と、言われても、
「どうして恥ずかしいんだろう?」と思ってました。
そりゃ恥ずかしかろう、
とやっと分かった21歳の春、でした。
(あさっこ)
●あれは小学2年生のとき、
初めての海水浴で千葉の岩井海岸へ行き
生まれて初めての海を見て、
遠くに三浦半島とコンビナート郡が見えるのを見て
「あれがアメリカとロケットの発射台なんだ…」
と喜んでいました。
あの頃、なぜか世界は狭かった。
(あっちゃん)
●わたしは小学校高学年くらいまで、
かつおぶしは魚の匂いがする木だと
信じて疑いませんでした。
母がかんな(と呼ぶんでしょうか、かつおぶし削り機)で
削っているのを見るたびに、
「世の中にはすごい木があるなぁ」
といちいち感動していました。
かつおぶしとはまったく関係ない算数の授業中、
真実に「あっ」と気が付いて、ひとりで愕然とし、
その日の残りの授業は全然集中できませんでした。
なんでそんなにショックだったのか、
今でもわかりません。
(月見うどん)
●小学生3,4年の頃、
怖い話をしてくれる先生の影響を受けて、
自分で怖い話を作るのが好きでした。
先生のしてくれた話や、本で読んだ話をアレンジし、
自分が怖いだろうと思うことなどを入れて
毎日、下校する時に友だちに話すのです。
道で別れる時、無理矢理、
終わりになるようにしていました。
私は充実感がありましたが、一方的に
そんな話を毎日されていた友達は、
どう思っていたでしょうか・・・。
(ゆき)
●さるのおせっかいを食しながら、メールを打ってます。
私のガキの頃はばかだったなあ の話です。
小学生の頃、
「眠っている間に火事がおきて
私だけ取り残されたらどうしよう!」
と心配で、布団に入ってもなかなか寝付けない子供でした。
毎年、初詣には
「今年は寝る前に変なことを思いませんように」
と願っていました。
幼稚園の頃、静かにしないといけないとき
先生が「はい、お口にチャック!」と
チャックをしめるまねをよくしてましたが、
「チャックしただけじゃまたすぐ開いちゃう!」と、
私はそのあと丁寧にカギまでかけるマネをしてました。
(はちこ)
●幼稚園くらいの頃、
靴が小さくなると母に
「靴が小さくなったね〜」と言われるので、
本当に靴はだんだんと
小さくなっていくものだと思っていた。
(らま)
|
(ミニコメント)
キダタローの夢の意味のなさに、笑っちゃいました!
●・・罪の意識や、はじらいや、科学的観察や、
かっこよさのこと・・・あらわれかたがちがうだけで、
ほとんどの子どもも、オトナが年中考えるようなことを
それなりに悩んでいたりするんですね。
小学生に小さなオヤジギャグのくりかえしが受けるのも、
最近、なんだか、わかるような気がしてきた・・・。
子どもも「もうひとりの人格の立ちあげ」については、
いろんな報告もあるので、やっぱり、興味深いです。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|