KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月6日)

子供の頃は、きっと可愛かったと思います。
 見た目ではなくて、行動が。
 小学校3年生くらいまでは、
 「夜の真っ黒な空の上は
  いつも青い空があるんだ」
と思っていました。
 飛行機が雨雲を潜りぬけると
 青い晴れた空が広がっているじゃないですか。
 そのイメージがあったので、
 ずっとそう思っていました。
 (kihachi)

毎週「サザエさん」を楽しく見ていました。
 なぜか予告編を見て、次週タイトルを
 カレンダーに書き込むのを習慣にしていました。
 3本あるので、妹と手分けして覚えて、
 カレンダーの翌週の欄に書いておくんです。
 翌週の放送が、そのタイトル通りなのを
 確認して安心してました。
 (はっさん)

小学5年生の頃。
 男女の10人ほどのグループで
 「好きなタイプ」を話していた。
 あの子は結構「メンクイ」だからという話に
 「俺もやで!スープは最後に飲む!」と力説していた。
 私は「面食い」=「先に麺を食う人」と思っていた。
 (taka)

私は、子供のころ、社宅に住んでいました。
 そのせいで、よく、引越がありました。
 引越があるたびに私は、
 今度越してきた人と、前に住んでいた人で、
 家を交換しあっているのだ
と思い込んでいました。
 (じい)

小学生の頃、マンホールを踏むと、
 10秒以内に電信柱にタッチしないと
 「マンホールの神様(!?)」に呪われるという
 噂がはやりました。マンホールを踏むたび、
 全力で電信柱にタッチしていた私たちって・・・。
 今は、そんなことするのははずかしいので、
 マンホールを極力踏まないように歩いています。
 (m)

小学校二年生のときの事です。
 母方の祖父が経営する工場の裏には
 小さな用水路がありました。
 学校帰り、ザリガニなどは居ないかと
 用水路へ一人で入っていったのですが、
 そこは泥が厚く堆積した底なし沼のような所でした。
 なんとしてもザリガニを捕まえたかった私は
 足をとられながらも、
 「隊長!ザリガニは見つかりませんね!」
 「もっと奥の方へ行けば、きっと見つかるはずだ!」
 とか、一人二役の独り言をつぶやきながら、
 どんどん深みにはまっていきました。
 体の半分が泥に没した時、
 ようやく身の危険に気づいた私は、
 妄想の隊長が当てにならない事に絶望し、
 我に帰って悲鳴をあげていました。
 すると工場から母親がすっ飛んできて、惨状を見るなり
 「アホー!」
 と叫び、私を引っ張りあげてくれました。
 泥だらけの服をぬがされ、
 すっぽんポンで家に帰りました。
 その後、事件当時の衣服は処分されましたが、
 何故かはいていた靴だけが家の外の洗い場に
 ずっと放置されており、それを見ては
 いつも命のありがたみをしみじみ噛み締めていました。
 子供がとんでもないことをする時には大概、
 もう一人の誰かを作り上げている
に違いありません。
 (y)

小学生6年生まで父の仕事の内容がよくわからず、
 友人には「なんでも溶かす薬を作っている」
 説明していました。
 それは何の容器に入っているのかと聞かれたときは、
 ガラス瓶で、ガラスはどんな薬でも溶けないんだよ、
 と説明していました。
 外科のお医者さんだってのは知っていたんですけど、
 医者に行った事がなかったので、
 どんな仕事なのか知らなかったんです。
 (みいみ)
 
私が5歳くらいの頃、
 何がきっかけだったか死ぬという事の意味がわかって、
 一晩中、おお泣きした記憶があります。
 それ以来いろんなものを大切にしようと思ったらしく、
 書斎の脇にあった自分用の
 小さな机を宝物箱にしてました。
 そのなかに、洗ってない牛乳パックや
 焼きたてのパンを大事にしまっていた事を覚えています。
 またそこに加えるべく、姉の部屋へ忍び込み、
 においつき消しゴムの欠片を少しずつくすねてました。
 それからはパトカーの音が聞こえるたびに、
 逃げ道を確認したり、
 言い訳を考えてびくびくしてました。

 わかってるなら止めるなり、
 返すなりすればいいんですけどね。
 (k)

ぜったいにありえないような田舎なのに、
 スカウトされるかもしれないから、
 と、友人と2人で大きな声で、
 歌をうたいながら橋を往復していた。

 (地元では、大きな橋)
 (あさ)

洋裁が出来る母は、
 たぶん今思うと集金に来ていたのでしょうか?
 たびたび「ブラザーミシン」さんが来ていました。
 小学生3年くらいの私は
 「ブラザー」さんだか「ブラジャー」さんだか
 イマイチわからず
 「お母さん、ブラジャーさんが来たよ」
 少し恥ずかしがりながら伝えていました。
 ブラジャーもまだなんだかよくわからないけど、
 なんとなく恥ずかしいものと直感しておりました。
 (yoko)

幼稚園生のときでした。
 私の送り迎えのためだけに免許をとった方向音痴の母。
 二人で車に乗っていたとき、
 母は道を迷ったらしいそぶり。
 私がその時真剣に悩んだことは!
 「これからは他人の家で他人の箸で
  ご飯を食べることになるんだ!どうしよう」
 ということだった。
 なぜ家に帰れないと思い、
 そして、なぜ箸にこだわるのだ?
 不可解であり、母には失礼な話である。
 (えつこ)

いまはもう大人になった弟が、
 ガキの頃、目に涙を溜めて、
 「おねえちゃん、手伝って欲しい」と言うので、
 話を聞いたところ、
 もらったお年玉をどこに隠すか悩みまくった挙句、
 空き地に埋めてしまったのだそうです。
 私「なにか目印は無いの?」
 弟「小石を乗せておいたのだけど」
 私「・・・」
 空き地は小石だらけでした。
 そもそも、お年玉を「隠す」という発想が
 今思うとガキなのだなぁ・・・
 (かよりんぐ)

子供のころ、約束するときに言う、
 「うそついたら、針千本のーます!!」
 というのを、
 「うそついたら、針千本のーばす!!」
 だと思ってた。
 針を千本も伸ばすのは大変だと思ってたけど、
 飲むと知ってたら、うそもつかなかったかも。
 (Y.S)

子供の頃によく見た夢で、連ドラのように
 シリーズ化していたものがありました。
 (なぜ、日をまたがっているのにも関わらず、
 続きモノの夢が見られたのか分かりませんが)
 それは、キダタローが赤い車に乗って
 空からやって来る、という夢です。

 夢の中で、彼はお昼寝をしない子供を
 拉致して空に連れて行ってしまいます。
 そこで、連れて行かれた子供達は
 空の上でボス(なぜか山城新吾)の命令を訊き、
 国家のスパイとして養成されるのです。
 今でも、TVで彼らを見かける度にドキドキしています。
 (ゆう)

ざっと50年前、小学校低学年だった私は
 美空ひばりの“東京キッド”や
 宮城まり子の“ガード下の靴磨き”にあこがれていた。
 母がデニムのオーバーオールを買ってくれたとき
 まっさらなそれに色紙を貼り付け
 クレヨンで縫い目を描いて(継ぎ当てのつもり)
 風呂椅子と靴磨き道具一式を抱えて
 商売に出かけようとしたところを、
 裏口で首根っこをつかまれ敢え無く失敗。
 「お父ちゃんは死んで、おかあちゃんは肺病で・・・」
 って、泣かせるせりふまで考えてたのに。
 当時我が家は目抜き通りのデパートの前で
 ちっとは名の知れたレストランを経営していたので
 周辺の人はみんな私を知っていた。
 ちなみに戦前生まれの兄は
 家中の鍋釜しゃもじの類を持ち出し
 神社の境内に筵を敷いて
 「何でも10銭、買わなきゃ損だよ!!」
 とやっているところを、
 ご近所のご注進で駆けつけた親に
 こっぴどく叱られたらしい。血筋?
 (ぶっちー)

親指にホッチキスしたらどうなるか?
 痛いからやめなさい と止める母を後目に 
 ワクワクはうなぎ登り耐え切れずにガッチャン!
 芯は突き刺さり・・・泣きました。痛かったです
 (かっちゃん)

我ながらみなさんに負けず劣らずバカガキだったと、
 自負しているのですが…
 中でもいちばん意味がわからなかったのが、
 にいちゃん(11歳上)と
 水族館のアシカショーを見た後、ずーっと、
 「うぅおっ、うぅおっ!」と、
 2時間くらいアシカのまねをし続けた事
でしょうか。
 「恥ずかしいからやめてくれ」と、言われても、
 「どうして恥ずかしいんだろう?」と思ってました。
 そりゃ恥ずかしかろう、
 とやっと分かった21歳の春、でした。
 (あさっこ)

あれは小学2年生のとき、
 初めての海水浴で千葉の岩井海岸へ行き
 生まれて初めての海を見て、
 遠くに三浦半島とコンビナート郡が見えるのを見て
 「あれがアメリカとロケットの発射台なんだ…」
 と喜んでいました。
 あの頃、なぜか世界は狭かった。
 (あっちゃん)

わたしは小学校高学年くらいまで、
 かつおぶしは魚の匂いがする木だと
 信じて疑いませんでした。
 母がかんな(と呼ぶんでしょうか、かつおぶし削り機)で
 削っているのを見るたびに、
 「世の中にはすごい木があるなぁ」
 といちいち感動していました。
 かつおぶしとはまったく関係ない算数の授業中、
 真実に「あっ」と気が付いて、ひとりで愕然とし、
 その日の残りの授業は全然集中できませんでした。
 なんでそんなにショックだったのか、
 今でもわかりません。
 (月見うどん)

小学生3,4年の頃、
 怖い話をしてくれる先生の影響を受けて、
 自分で怖い話を作るのが好きでした。
 先生のしてくれた話や、本で読んだ話をアレンジし、
 自分が怖いだろうと思うことなどを入れて
 毎日、下校する時に友だちに話すのです。
 道で別れる時、無理矢理、
 終わりになるようにしていました。
 私は充実感がありましたが、一方的に
 そんな話を毎日されていた友達は、
 どう思っていたでしょうか・・・。

 (ゆき)

さるのおせっかいを食しながら、メールを打ってます。
 私のガキの頃はばかだったなあ の話です。
 小学生の頃、
 「眠っている間に火事がおきて
  私だけ取り残されたらどうしよう!」
 と心配で、布団に入ってもなかなか寝付けない子供でした。
 毎年、初詣には
 「今年は寝る前に変なことを思いませんように」
 と願っていました。
 幼稚園の頃、静かにしないといけないとき
 先生が「はい、お口にチャック!」と
 チャックをしめるまねをよくしてましたが、
 「チャックしただけじゃまたすぐ開いちゃう!」と、
 私はそのあと丁寧にカギまでかけるマネをしてました。
 (はちこ)

幼稚園くらいの頃、
 靴が小さくなると母に
 「靴が小さくなったね〜」と言われるので、
 本当に靴はだんだんと
 小さくなっていくものだと思っていた。

 (らま)

(ミニコメント)

キダタローの夢の意味のなさに、笑っちゃいました!
・・罪の意識や、はじらいや、科学的観察や、
かっこよさのこと・・・あらわれかたがちがうだけで、
ほとんどの子どもも、オトナが年中考えるようなことを
それなりに悩んでいたりするんですね。
小学生に小さなオヤジギャグのくりかえしが受けるのも、
最近、なんだか、わかるような気がしてきた・・・。

子どもも「もうひとりの人格の立ちあげ」については、
いろんな報告もあるので、やっぱり、興味深いです。

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2003-07-05-SAT
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