KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月8日)

幼稚園のころから芸能ニュースを
 毎日みていた若い頃の私は、
 「大きくなって有名になったときのために、
  テレビで若かった頃の暴露話をされないように
  学校で好きな人の話は
  いっさい友達にしないようにしよう!」
 と決意しました。
 実は高校生くらいまで守っていました。
 ちなみに幼稚園の頃は婚約指輪も
 プロポーズされればされるほど、
 何個でももらえるものだとおもってました。
 「大きくなったら最低6個はもらうぞー」
 と意気込んでおりました。
 (KAORU)

うちの妹の話ですが、まだ小さい頃
 どうしてもトイレで用を足す事が出来ず
 部屋の隅っこの畳の上にウ○チをし、
 「ちょっとちょっと」と母親を呼んで来て
 何を言うのかと思えば自分のウ○チを指差し
 「バイキンが落ちてる」と言っていた。

 (ミュー)

「とんびはどんな遠いところからでも
  泣いている子をみつけると頭をつつきにくる」

 と信じていました。
 ためしに泣くフリをして、手で顔を覆うと必ず、
 百発百中、さっきまでいなかったはずの
 とんびが頭上にいます。
 以来、外を歩く時はけしてうなだれず、
 下を見ず、手を顔に持ってこない癖が
 付いてしまいました。
 それから30年。
 それがウソだという実証をつかめぬまま
 人の子の母になってしまい
 今、子供にマジで
 「外で泣いたらとんびが頭をつつきに来るよ」
 と諭してしまいます。
 東京生まれの我が子はとんび自体が
 わからないみたいできょとんとしています。
 ホントに泣く子がわかるのか、教えてくれ、とんび。
 (世田谷どたどた隊)

3、4歳の頃、お向かいのおばさんにすごく
 可愛がってもらい、いつも遊びに行ってました。
 そこには無口だけど優しいおじいちゃんもいて、
 いつもキセルをとっても美味しそうに吸ってました。
 もちろん、子供が吸ってはいけないものと
 教えられていたのですが、
 おじいちゃんがあまりにも美味しそうに吸うので、
 ある日こっそりくわえて思いっきり吸い込みました...
 その時の衝撃は忘れられません。
 幼いながらも、それまでの人生の中で
 一番不味いものを飲み込んでしまったと思いました。
 30年以上たった今でもあの味は思い出せます。
 (ペコたま)

小学生の頃、
 海に遊びに行くと、
 向こうにうっすら見える房総半島を見ては、
 父が、優し〜く、教えてくれました。
 「あれ、ハワイだよ。
  がんばって泳げばハワイに行けるんだよ」
 そりゃあ、もう、妄想はふくらみ、
 水泳の練習にチカラを入れた夏休みでした。

 (和)

まだサンタクロースを信じていた頃、
 クリスマスのプレゼントに
 ふわふわのキツネのマフラーがどうしても欲しくて
 それを毎日毎日、なぜか仏壇にお祈りしていました。
 (おじいちゃん、キツネのマフラーを下さい、
  キツネのマフラーが絶対に欲しいです)と。
 サンタとおじいちゃんは別物だと認識しているのに、
 プレゼントを持って来るのはサンタだと信じているのに
 なぜかお祈りするのは
 亡くなったおじいちゃんに対してなのです。
 ……不条理です。
 そしてそのクリスマスに、
 希望通りにキツネのマフラーをゲット。
 その後大きくなってサンタの正体を知ってから、
 母親に
 「どうしてあの時、私がキツネのマフラー
  欲しがってるのわかったの?」
 と質問しましたところ、
 「お前、願いごとを
  思いっきり声に出して言ってたんだよ」

 との返事が。知らなんだ……。
 (イクミ)

読書家の私は小学生高学年の頃、
 「庭いじり」も趣味としていました。
 よその家にある草木を切って庭に植え
 「さし木」で増やそうとしたり、
 半端な知識で好き勝手にいじっていました。
 ある日、
 「ミミズは枯葉等を食べ、
  土を耕しその糞は肥料になる」
 「ミミズは砕片分離(自切)によって
  自らの体を幾つもの断片にちぎり、
  それぞれの断片は前方に頭,後方に尾を再生する」
 と本で読み、庭の石や下水のふたを
 ひっくり返してはミミズをみつけ半分に切断しては
 盆栽の植木鉢に投げ入れ
 「ミミズの増殖」を試みていました。

 ごめんねミミズ君、今はもう、さわれない。
 (めえめえ)

25日分の「ガキの頃は…」を読んで
 笑い転げたところで、私も。
 52才になる今日まで、右利きにもかかわらず、
 左右の判別が付きません。
 理由はハッキリわかっています。
 幼稚園入園直前に、
 母が[右]と[左]を教えてくれました。
 
 ご多分に漏れず
 「箸を持つ手が右、茶碗を持つ手が左」です。
 なるほど、その形を取ってみれば、
 私は右利きですから、箸を持つ手は右がわです。
 (なぁんだ、簡単じゃん。覚えなくっても、
  左右の判別が必要なときに
  茶碗と箸を持つかっこうをすれば良いんだもん)
 小賢しくもそう考えた私は、
 きちんと覚えることを止めてしまったのでした。
 
 でも! でもなんです・・・。
 中学生にもなると、そのたびに
 その形を取ること事態がはずかしいわけで・・・。
 結局「左右」をきちんと覚えられないまま、というより
 完全に取り違えて、混乱したまま今日を迎えております。

 でも、そういう人々は案外に多いんです。
 以前、夫が仕事の際に
 同僚2人と車で出かけたときのこと。
 「あ、次の角を左ね」と言うナビゲートに対し、
 ドライバーが「左ね、わかった」と言いつつ
 ハンドルを右に回し・・・
 何の問題も無く目的地に着いたそうです。
 (あすとらっど)

小学校低学年の頃、年の離れた兄が(中学生)
 自分の腕の種痘の予防接種のあと(?)を見せて
 「これはキーハンター
  (当時とても人気があった番組)の
  撮影がうちの近所の郵便局であって、
  それを見ていたら
  間違って鉄砲で撃たれた時のあとなんだ」
 と私に教え込み
 「うちの兄ちゃんは
  キーハンターに鉄砲で撃たれたんだ」

 とかなり長い間信じてました。
 その兄は
 「テレビの中の人からも
  少しだけこっちが見えるから気を付けろ」
 ということも私に教え込んで
 ニュースのアナウンサーに向かって
 私に挨拶をさせていたという前科もある人です。
 (クッキー)

私は小さいころ、
 サングラスをかけている人は
 みんなギャングだと思っていたらしい。
 夏になるといつも母に、
 「夏は悪い人が増えるねえ」と言っていたようだ。
 それと同様、黒い車の人もギャングだと思っていた。
 しかし妹は、黒い車は社長さんの車と決めており、
 黒い車の人は、偉い人(社長さん)か
 悪い人(ギャング)かでけんかになった。
 (なつ)

飲み残しのジュースをコップごと冷蔵庫に
 しまっていた貧乏性な僕。数時間後に飲んでみたら
 なぜか味が薄くなっていました。
 こんなことが何度か続き、不思議に思った僕は
 物知りな兄にこのことを相談しました。
 するとこんな答えが返ってきました。
 「ジュースをコップに入れたままラップも閉めずに
  冷蔵庫に入れておくと、
  味が外に逃げて薄くなってしまうんだよ。
  お母さんもおかずの残りには
  いつもラップしてるだろ?」
 うーん一理ある。やはり兄は頼りになる。
 それ以降、飲み残しのコップには
 いつもラップをかけるよう心掛けました。
 ・・・兄が僕のジュースを
 こっそり飲んでは水増ししていた

 事実を知ったのは、それから何年も後のことでした。
 (ツカサ)

娘が小さかった頃のことです。
 幼稚園の入園試験の面接でのことです。
 地方の幼稚園で、決して今の
 「お受験」等のようなことはありませんでした。
 それでも一応当日の朝気軽に娘に、
 「お名前は?」に始まって
 色々質問してシュミレーションをしていたところ、
 「お母さんのお名前は?」と尋ねると、
 「○○まつだせいこ」と答えるのです。
 確かに私も同じ「せいこ」です。
 始めはふざけているのかと思い、
 訂正して聞き直してみました。
 でも何度聞いても、
 苗字の間に「まつだ」が入ってしまいます。
 本人も家族もファンだったという訳でも
 なかったのですが・・・。
 こうして不安を抱えたまま
 親子三人面接に望んだわけですが、
 幸いこの質問はなく、
 ホット胸をなでおろした次第です。
 現在娘23歳、劇団の研究生。
 今もってこの事は
 我が家の語り草になっております。
 (Ganchan)

子供の頃、身長が伸びるっていうのは
 ロシアの人形
 (大きい人型の中にひと回り小さい人形が入ってて
  最後に赤ちゃんが入ってるってやつ)のように
 自分の中にちょっと前の自分が入ってて、
 更にその中に過去の自分が
 入ってるものだと思い込んでました。
 なので今現在の自分の中には
 ちょっと前の自分が入ってるんだと思い、
 そして今の自分はあと少しで
 大きく成長した自分の中で
 ずっと過ごす事になるんだと信じきっていました。
 母に
 「今の私はもうすぐ見れなくなっちゃうけど
  忘れないでね」
と泣きながら
 必死に訴えていたのを覚えています。
 (ゆずび)

自分の話でなくて恐縮ですが。
 ネコヤナギを鼻に詰めてしまった方も
 3歳のときでしたが、息子3歳のおり、
 保育園から家に着いて「はながいたい」と
 言い出したのは、
 パンジーの花びらを詰めたからでした。
 紫の鼻水を出しながら痛がる息子と
 ピンセットで格闘しましたが、
 とろけてしまって取り出せず、
 最後の手段はお風呂で
 頭のてっぺんからシャワーでした。
 顔にお湯がかかってワーワー泣いたら、
 いっしょに出たらしくすっきりしてました。

 (ちびこ)

フランケンシュタインの
 お話を読んで思い出したのですが
 小学校のころ口裂け女が流行った時に
 学校から帰って、家に
 口裂け女がいたらどうしようと心配になり、
 家に入れずにランドセルを
 家の前において外に避難して

 母の帰りを待っていた時期がありました。
 (めぐ)

僕が小学生の頃、
 夜のゴールデンタイムに
 宇宙戦艦ヤマトが放映されていましたが、
 ある日最後のセリフで
 「地球滅亡まであと××日」
 とナレーターの人が言ったのを聞いて、
 地球が壊れてしまうのが怖いと思ってしまい、
 その日以来ヤマトを見れなくなってしまい、
 裏番組のサルの軍団を見ていました。
 本当はヤマトが見たいのに
 最後のセリフが気になって
 断片的にしかヤマトを見てませんでした。
 (てのひら) 

(ミニコメント)

ふと聞いたひとことに、
自分のこれまでの経験を総動員して、
正解をひねりだして、実行してみる・・・。
ほほえましい失敗をたくさん生み出すこの方法って、
語学をやるとか、そういう見地から見ると、
すっごい効果的な学習法でもあるんですよねぇ。
子どもの「世界への適応のはやさ」なんて
考えつつ、バックナンバーを読みかえしてみても、
案外、おもしろいかもしれません。

それにしても、
口裂け女の恐怖におびえていた人は、
ずいぶんたくさんいるのよ。メールありがとうございます!
やっぱり、一世を風靡するウワサなだけはあるわ・・・。

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2003-07-08-TUE
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