(7月8日)
●幼稚園のころから芸能ニュースを
毎日みていた若い頃の私は、
「大きくなって有名になったときのために、
テレビで若かった頃の暴露話をされないように
学校で好きな人の話は
いっさい友達にしないようにしよう!」
と決意しました。
実は高校生くらいまで守っていました。
ちなみに幼稚園の頃は婚約指輪も
プロポーズされればされるほど、
何個でももらえるものだとおもってました。
「大きくなったら最低6個はもらうぞー」
と意気込んでおりました。
(KAORU)
●うちの妹の話ですが、まだ小さい頃
どうしてもトイレで用を足す事が出来ず
部屋の隅っこの畳の上にウ○チをし、
「ちょっとちょっと」と母親を呼んで来て
何を言うのかと思えば自分のウ○チを指差し
「バイキンが落ちてる」と言っていた。
(ミュー)
●「とんびはどんな遠いところからでも
泣いている子をみつけると頭をつつきにくる」
と信じていました。
ためしに泣くフリをして、手で顔を覆うと必ず、
百発百中、さっきまでいなかったはずの
とんびが頭上にいます。
以来、外を歩く時はけしてうなだれず、
下を見ず、手を顔に持ってこない癖が
付いてしまいました。
それから30年。
それがウソだという実証をつかめぬまま
人の子の母になってしまい
今、子供にマジで
「外で泣いたらとんびが頭をつつきに来るよ」
と諭してしまいます。
東京生まれの我が子はとんび自体が
わからないみたいできょとんとしています。
ホントに泣く子がわかるのか、教えてくれ、とんび。
(世田谷どたどた隊)
●3、4歳の頃、お向かいのおばさんにすごく
可愛がってもらい、いつも遊びに行ってました。
そこには無口だけど優しいおじいちゃんもいて、
いつもキセルをとっても美味しそうに吸ってました。
もちろん、子供が吸ってはいけないものと
教えられていたのですが、
おじいちゃんがあまりにも美味しそうに吸うので、
ある日こっそりくわえて思いっきり吸い込みました...
その時の衝撃は忘れられません。
幼いながらも、それまでの人生の中で
一番不味いものを飲み込んでしまったと思いました。
30年以上たった今でもあの味は思い出せます。
(ペコたま)
●小学生の頃、
海に遊びに行くと、
向こうにうっすら見える房総半島を見ては、
父が、優し〜く、教えてくれました。
「あれ、ハワイだよ。
がんばって泳げばハワイに行けるんだよ」
そりゃあ、もう、妄想はふくらみ、
水泳の練習にチカラを入れた夏休みでした。
(和)
●まだサンタクロースを信じていた頃、
クリスマスのプレゼントに
ふわふわのキツネのマフラーがどうしても欲しくて
それを毎日毎日、なぜか仏壇にお祈りしていました。
(おじいちゃん、キツネのマフラーを下さい、
キツネのマフラーが絶対に欲しいです)と。
サンタとおじいちゃんは別物だと認識しているのに、
プレゼントを持って来るのはサンタだと信じているのに
なぜかお祈りするのは
亡くなったおじいちゃんに対してなのです。
……不条理です。
そしてそのクリスマスに、
希望通りにキツネのマフラーをゲット。
その後大きくなってサンタの正体を知ってから、
母親に
「どうしてあの時、私がキツネのマフラー
欲しがってるのわかったの?」
と質問しましたところ、
「お前、願いごとを
思いっきり声に出して言ってたんだよ」
との返事が。知らなんだ……。
(イクミ)
●読書家の私は小学生高学年の頃、
「庭いじり」も趣味としていました。
よその家にある草木を切って庭に植え
「さし木」で増やそうとしたり、
半端な知識で好き勝手にいじっていました。
ある日、
「ミミズは枯葉等を食べ、
土を耕しその糞は肥料になる」
「ミミズは砕片分離(自切)によって
自らの体を幾つもの断片にちぎり、
それぞれの断片は前方に頭,後方に尾を再生する」
と本で読み、庭の石や下水のふたを
ひっくり返してはミミズをみつけ半分に切断しては
盆栽の植木鉢に投げ入れ
「ミミズの増殖」を試みていました。
ごめんねミミズ君、今はもう、さわれない。
(めえめえ)
●25日分の「ガキの頃は…」を読んで
笑い転げたところで、私も。
52才になる今日まで、右利きにもかかわらず、
左右の判別が付きません。
理由はハッキリわかっています。
幼稚園入園直前に、
母が[右]と[左]を教えてくれました。
ご多分に漏れず
「箸を持つ手が右、茶碗を持つ手が左」です。
なるほど、その形を取ってみれば、
私は右利きですから、箸を持つ手は右がわです。
(なぁんだ、簡単じゃん。覚えなくっても、
左右の判別が必要なときに
茶碗と箸を持つかっこうをすれば良いんだもん)
小賢しくもそう考えた私は、
きちんと覚えることを止めてしまったのでした。
でも! でもなんです・・・。
中学生にもなると、そのたびに
その形を取ること事態がはずかしいわけで・・・。
結局「左右」をきちんと覚えられないまま、というより
完全に取り違えて、混乱したまま今日を迎えております。
でも、そういう人々は案外に多いんです。
以前、夫が仕事の際に
同僚2人と車で出かけたときのこと。
「あ、次の角を左ね」と言うナビゲートに対し、
ドライバーが「左ね、わかった」と言いつつ
ハンドルを右に回し・・・
何の問題も無く目的地に着いたそうです。
(あすとらっど)
●小学校低学年の頃、年の離れた兄が(中学生)
自分の腕の種痘の予防接種のあと(?)を見せて
「これはキーハンター
(当時とても人気があった番組)の
撮影がうちの近所の郵便局であって、
それを見ていたら
間違って鉄砲で撃たれた時のあとなんだ」
と私に教え込み
「うちの兄ちゃんは
キーハンターに鉄砲で撃たれたんだ」
とかなり長い間信じてました。
その兄は
「テレビの中の人からも
少しだけこっちが見えるから気を付けろ」
ということも私に教え込んで
ニュースのアナウンサーに向かって
私に挨拶をさせていたという前科もある人です。
(クッキー)
●私は小さいころ、
サングラスをかけている人は
みんなギャングだと思っていたらしい。
夏になるといつも母に、
「夏は悪い人が増えるねえ」と言っていたようだ。
それと同様、黒い車の人もギャングだと思っていた。
しかし妹は、黒い車は社長さんの車と決めており、
黒い車の人は、偉い人(社長さん)か
悪い人(ギャング)かでけんかになった。
(なつ)
●飲み残しのジュースをコップごと冷蔵庫に
しまっていた貧乏性な僕。数時間後に飲んでみたら
なぜか味が薄くなっていました。
こんなことが何度か続き、不思議に思った僕は
物知りな兄にこのことを相談しました。
するとこんな答えが返ってきました。
「ジュースをコップに入れたままラップも閉めずに
冷蔵庫に入れておくと、
味が外に逃げて薄くなってしまうんだよ。
お母さんもおかずの残りには
いつもラップしてるだろ?」
うーん一理ある。やはり兄は頼りになる。
それ以降、飲み残しのコップには
いつもラップをかけるよう心掛けました。
・・・兄が僕のジュースを
こっそり飲んでは水増ししていた
事実を知ったのは、それから何年も後のことでした。
(ツカサ)
●娘が小さかった頃のことです。
幼稚園の入園試験の面接でのことです。
地方の幼稚園で、決して今の
「お受験」等のようなことはありませんでした。
それでも一応当日の朝気軽に娘に、
「お名前は?」に始まって
色々質問してシュミレーションをしていたところ、
「お母さんのお名前は?」と尋ねると、
「○○まつだせいこ」と答えるのです。
確かに私も同じ「せいこ」です。
始めはふざけているのかと思い、
訂正して聞き直してみました。
でも何度聞いても、
苗字の間に「まつだ」が入ってしまいます。
本人も家族もファンだったという訳でも
なかったのですが・・・。
こうして不安を抱えたまま
親子三人面接に望んだわけですが、
幸いこの質問はなく、
ホット胸をなでおろした次第です。
現在娘23歳、劇団の研究生。
今もってこの事は
我が家の語り草になっております。
(Ganchan)
●子供の頃、身長が伸びるっていうのは
ロシアの人形
(大きい人型の中にひと回り小さい人形が入ってて
最後に赤ちゃんが入ってるってやつ)のように
自分の中にちょっと前の自分が入ってて、
更にその中に過去の自分が
入ってるものだと思い込んでました。
なので今現在の自分の中には
ちょっと前の自分が入ってるんだと思い、
そして今の自分はあと少しで
大きく成長した自分の中で
ずっと過ごす事になるんだと信じきっていました。
母に
「今の私はもうすぐ見れなくなっちゃうけど
忘れないでね」と泣きながら
必死に訴えていたのを覚えています。
(ゆずび)
●自分の話でなくて恐縮ですが。
ネコヤナギを鼻に詰めてしまった方も
3歳のときでしたが、息子3歳のおり、
保育園から家に着いて「はながいたい」と
言い出したのは、
パンジーの花びらを詰めたからでした。
紫の鼻水を出しながら痛がる息子と
ピンセットで格闘しましたが、
とろけてしまって取り出せず、
最後の手段はお風呂で
頭のてっぺんからシャワーでした。
顔にお湯がかかってワーワー泣いたら、
いっしょに出たらしくすっきりしてました。
(ちびこ)
●フランケンシュタインの
お話を読んで思い出したのですが
小学校のころ口裂け女が流行った時に
学校から帰って、家に
口裂け女がいたらどうしようと心配になり、
家に入れずにランドセルを
家の前において外に避難して
母の帰りを待っていた時期がありました。
(めぐ)
●僕が小学生の頃、
夜のゴールデンタイムに
宇宙戦艦ヤマトが放映されていましたが、
ある日最後のセリフで
「地球滅亡まであと××日」
とナレーターの人が言ったのを聞いて、
地球が壊れてしまうのが怖いと思ってしまい、
その日以来ヤマトを見れなくなってしまい、
裏番組のサルの軍団を見ていました。
本当はヤマトが見たいのに
最後のセリフが気になって
断片的にしかヤマトを見てませんでした。
(てのひら)
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(ミニコメント)
ふと聞いたひとことに、
自分のこれまでの経験を総動員して、
正解をひねりだして、実行してみる・・・。
ほほえましい失敗をたくさん生み出すこの方法って、
語学をやるとか、そういう見地から見ると、
すっごい効果的な学習法でもあるんですよねぇ。
子どもの「世界への適応のはやさ」なんて
考えつつ、バックナンバーを読みかえしてみても、
案外、おもしろいかもしれません。
それにしても、
口裂け女の恐怖におびえていた人は、
ずいぶんたくさんいるのよ。メールありがとうございます!
やっぱり、一世を風靡するウワサなだけはあるわ・・・。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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