(7月9日)
●小学校三年生くらいのとき、
妹を笑わせようとリカちゃん人形の
コカコーラの瓶を鼻の穴に入れ、
「フンッ!」
御想像どおり、取れなくなり、
指で取ろうとしても奥へはまっていくばかり。
母に言うと鼻水吸い器を使ったりして
取り出そうとしましたが取れず、結局耳鼻咽喉科へ。
夜に外出したことのなかった私は
町のネオンをみて、
「わぁ、きれい!」と
鼻におもちゃの瓶を詰めながら喜んでいたそうです。
最後は待合室で大きなくしゃみをひとつ、
大量の鼻水とともに無事排出されました。
(ゴルダ)
●子供の頃、ラジオのDJのように、
録音ができるラジカセを使って、
「は〜い、○○です。今日もみんな、
元気に聴いてくれているかなぁ〜?
今日の一曲目は誰々の何とかです」
とひとりラジオごっこをやりつつ、
その歌を一生懸命、自分で歌って
吹き込んでいたりなんかしてました。
数年後のある日、そのテープを再生したら、
もの凄く恥ずかしい思いをした覚えがあります。
(山ねこ)
●あれは私が小学校一年生の時でした。
学校から帰ろうと下駄箱を開けると、
その中に小さな紙切れを見つけました。
「なんだろう?」と見てみると、
同じクラスの双子の男の子の、あっちゃんからの手紙。
それも「あいしてます」って書いてある強烈なラヴレター。
えぇ〜っ!!そうだったの?
恥ずかしいやら嬉しいやら・・・でその手紙を握り締めて、
家まで急いで走って帰って、母親に自慢げに見せました。
すると・・・それは私に、ではなく、
隣の下駄箱の女の子宛だったようで・・・
会社から帰って来た父親にまでもからかわれ、
それまで好きでもなんでもなかったあっちゃんのことを
過剰に意識するようになってしまいました。
次の日、こっそりと隣の女の子の下駄箱に
手紙は入れておいてあげましたが、
私としてはあっちゃんに対する
せめてもの愛情表現というか・・・
今から思うと健気な女の子だったんだなぁって
我ながらおかしく思い出しちゃいます。
(michy)
●私が小学生の時の話です。
「地球は丸いんだって!」と、
仕入れたばかりの情報を兄に報告していたら、
「地球は核戦争があったから、完全な丸じゃないんだ。
ちょっとかけているんだよ」
と真剣な表情でいうので、
すっかり感心して間に受けて、
次の日学校の授業で手をあげて
そのことを得意げに発言したら、
笑われてバカにされ、
すんごく恥ずかしい思いをしました。
(かばごん)
●今日電車に乗って、終点が近づいたので、
パスネットを取り出して、手に持った。
手に持ちながら何となくぼんやり考えていた。
「もし、終点で降りたとき、
急に病気になって気を失って倒れたら、
この手に持っているパスネットはどうなるだろう。
私の手から離れたパスネットは誰か、
悪い奴がさっと拾って、
もって行ってしまうに違いない。
今日買ったばかりの五千円のパスネットなのに。
もし、犯人が捕まったとき、
これが私のものだという証明は
どうしたらできるんだろう」
と思いながら、自分のパスネットの特徴を
一生懸命探そうとしている自分にはっと気がつき、
いい年をしてこんな想像を膨らませている自分が
はずかしくなりました。
「がきの頃は馬鹿だった」どころではなく、
今でも馬鹿やってると思いました。
(mine)
●母と妹と私の3人で出かけて、
母が近所のおばさんと長々と立ち話したり、
買物にものすごく時間がかかったりした時に
いつも母の後ろから妹が考えた歌というか
呪文のようなものをこっそり唱えていました。
「馬、馬ダリダリ、ダリダリうまま
パッパカパッパカ馬、馬パッパカパッパうまま」
というもので不思議と母が歩き出すので
考案した妹を尊敬すらしていました。
いろいろ細かいきまりがあり、
多用してはならないとか
母に気づかれてはいけないとか、
後ろで手綱を持っているような
ポーズをするとか・・・・・・・。
周りから見たらかなり不気味だったと思います。
そして本当に信じ切っていたので友達にも
教えていたような記憶があります。
ものすごく恥ずかしいです。
妹と呪文を教えた友達が読んでいませんように。
(もーもー)
●小学5年の時でした。
隣の席の男の子が、
授業中、シャックリをし始めました。
その当時
「シャックリが100回出ると死ぬ」
という噂があったので(まだあるのかなぁ?)
その男の子に、
「シャックリが100回出ると死ぬから、
何回出たか数えた方がいいよ」
と言って、正の字で
シャックリのカウントをさせました。
数が増えていくごとに、
近くの席の子たちも気になりはじめ、
授業どころではなくなってしまいました。
そして、90歳を過ぎて・・・
みんなが注目する中、
95回にしてシャックリが止まったのです!
みんなで「おぉ〜!」と、
喜んだのはいうまでもありません。
それからしばらくは、みんなシャックリが出ると、
回数を数えていました。
だいたい20〜30回くらいで止まってましたが。
(とぱーず)
●おばあちゃんの話はもう遅いですか?
父の実家はお寺さんだったのですが、
おじいちゃんが早くに亡くなって
おばあちゃんがずっと一人でお寺を守ってました。
私は両親が共働きなのでよくそこへ預けられていました。
夜、本堂で寝ていると
居間の方からおばあちゃんの声がします。
朝起きてから「昨日誰かお客さんきたの?」
と聞くと
「○○さんがね、寂しいから遊びにきたんだよ」
と言います。
そうです、○○さんというのは前の日に
お葬式をあげられた、亡くなった方なのです。
当時はしょっちゅうだったので
当たり前のように聞いていましたが、
今考えると恐ろしいです。
夏に向けて怪談話になってしまいましたか・・・?
(あ)
●アイドル歌手が歌っている時、
足元に出てくる煙に憧れていた友達がいました。
ある日彼女は、母親がエンジンを入れる
車の後ろに立って、排気ガスを煙に見立て、
アイドル歌手になりきって歌っていたそうです。
そしていい気分のところ、それを知らずに
バックさせた母親の車に轢かれて、骨折したそうです。
(K)
●りんご投げ女伝説で思い出しました。
口裂け女です!中学一年の今頃の季節でした
午後の授業の合間に学年中に噂が広まりました
口が耳まで裂けていて「私って綺麗?」と
マスクを取ってみせるとか
大きな鎌をもっているとか
ポマードといえば逃げるとか色々ありましたが
我が中学では調子に乗った先生が
職員室の廊下に女性週刊誌にでも出ていた
口裂け女の写真の切り抜きを貼ったものだから
「先生が貼るくらいだから本当なんだ!」
とすごく恐くなった覚えがあります
その時間には隣の中学に来ているなんて情報も流れて
泣き出す子やら塾を休む事に決めた子やら大変でした。
梅雨だし薄暗かったな〜
自主集団下校したような気がする。
後日談ですが写真を貼った先生は
次の日の職員会議で怒られたらしいです
(ぶるま)
●幼稚園の頃、鼻歌は口を閉じているので
絶対に周囲に音が漏れていないという確信があり
朝の会でも帰りの会でも
気分の良いときは
最大ボリュームで鼻歌を歌っていました。
(多分ヒデキの歌とか)
となりに座っている子が
ある日「うるさい」と言った一言で
自分の勘違いを察し大人になったのでした。
(じゅん)
●横向きで寝ると
耳がぴったり枕にくっついて、
ざくっざくっと心臓の音が聞こえるんですが、
子どもの頃はそれを
「あ、今、耳くそが耳の奥に向かって
一列に並んで行進していくんだ」
とマジに信じていました。
だから、耳掃除のときに親が
「うわあ、こんなに奥からデカイのが!」
と言うんだと。行進する耳くそは、
顔や手はついていないんですが、
細い足に赤い靴を履いているイメージでしたね。
(@)
●私は、小学生の頃は好きな人の話になると
毎日違う子の名前を挙げるような気の多い子でしたが
実は、ずっと好きだった子が一人いました。
幼稚園から小学4年生までずっと同じクラスで
学年の中でも人気の高いかっこいい子でした。
5年に上がる時のクラス替えの前に、先生に
「○○くんとは、もう7年も同じクラスだから、
そろそろ他のクラスに変えて欲しいな」
と何気なく言ってしまったところ
本当にクラスが離れてしまって
とっても悲しくなってました。
私と同じようにもう一人
ずっと同じクラスだった女の子がいて
その子は、5年に上がるときも同じクラスになり
なんと9年間も彼と同じクラスでした。
その二人が両想いだとか
そんな気配は全くなかったのですが
「負けた・・・」と一人勝手に敗北感を味わい
先生に一言言ってしまった自分と、
ホントにクラスを変えた先生を恨んだものです。
(きゅ)
●それは、「初恋」なんて言葉も
しらなかった幼稚園児のころ。
夏のある日、みんなで
幼稚園のプールに入ったときのことです。
女の子はほとんどワンピースの水着を着用していたなか、
なぜか私の水着はセパレートでした。
しかし、まだ手先が不器用な幼稚園児に
セパレートの水着が上手に着られるわけもなく、
肩ヒモが背中のほうでねじれていたのでした。
プールの中でそれに気がついた私が、
そのときそばにいた
“ひろゆきくん”に、
「ひろゆきくん、なおしてぇ〜」
と助けを求めたところ、
彼はやや戸惑った表情を浮かべながらも、
きちんと肩ヒモを直してくれました。
そばに女の子の友だちもたくさんいたというのに、
なぜあのとき私はひろゆきくんに助けを求めたのか?
「男の子」ということを
まだ意識していなかったゆえの行動かもしれませんが、
今考えると大胆なことをしたものだと思うのです。
それから9年後の中学3年のとき、
私はほんとうにひろゆきくんを
好きになってしまったのですが、
想いを伝えることもないまま
高校進学で離ればなれになり、
さらに数年後、彼は天国に逝ってしまいました。
私にとっては、幼稚園の頃のあわーい大切な思い出、
彼は覚えていたかなぁ?
(AI)
●子どもだったので、
恋心がよくわかっていませんでした。
転校の多い小学生だったので、わりと
お別れになれていたのですが、
小学校四年生の夏に引っ越した夜、
布団のなかでなんか悲しくなって
ボロボロ泣いて、好きな気持ちに気がつきました。
ロマンチックとも、とろいともいえる初恋でした。
ちょっと、ガキ話とリンクですね。
わかんなかったもんねー、かわいいヤツだ、と
かなり大人な今の自分なら言えるけど、
当時は、びっくりして、ちょっと
気持ちをもてあましてたみたいです。
いやー、ちょっと恥ずかしいかも。
(かねきゅー)
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(ミニコメント)
「ガキばなし」と同じ時期に
無料配信メルマガ・ほぼ日デリバリー版で募集した
「初恋ばなし」や「チームプレーばなし」には、
「ガキの頃の初恋」「子どものチームプレー」など、
のきなみ、ガキ関連のメールが、混ざってきたんです。
初恋の思い出は、
それこそほんとにどのメールもかわいくて、
けっこう「ホロリ」ものもあった、好評企画でした。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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