KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月9日)

小学校三年生くらいのとき、
 妹を笑わせようとリカちゃん人形の
 コカコーラの瓶を鼻の穴に入れ、
 「フンッ!」
 御想像どおり、取れなくなり、
 指で取ろうとしても奥へはまっていくばかり。
 母に言うと鼻水吸い器を使ったりして
 取り出そうとしましたが取れず、結局耳鼻咽喉科へ。
 夜に外出したことのなかった私は
 町のネオンをみて、
 「わぁ、きれい!」と
 鼻におもちゃの瓶を詰めながら喜んでいたそうです。
 最後は待合室で大きなくしゃみをひとつ、
 大量の鼻水とともに無事排出されました。
 (ゴルダ)

子供の頃、ラジオのDJのように、
 録音ができるラジカセを使って、
 「は〜い、○○です。今日もみんな、
  元気に聴いてくれているかなぁ〜?
  今日の一曲目は誰々の何とかです」
 とひとりラジオごっこをやりつつ、
 その歌を一生懸命、自分で歌って
 吹き込んでいたりなんかしてました。

 数年後のある日、そのテープを再生したら、
 もの凄く恥ずかしい思いをした覚えがあります。
 (山ねこ)

あれは私が小学校一年生の時でした。
 学校から帰ろうと下駄箱を開けると、
 その中に小さな紙切れを見つけました。
 「なんだろう?」と見てみると、
 同じクラスの双子の男の子の、あっちゃんからの手紙。
 それも「あいしてます」って書いてある強烈なラヴレター。
 えぇ〜っ!!そうだったの?
 恥ずかしいやら嬉しいやら・・・でその手紙を握り締めて、
 家まで急いで走って帰って、母親に自慢げに見せました。
 すると・・・それは私に、ではなく、
 隣の下駄箱の女の子宛だったようで・・・
 会社から帰って来た父親にまでもからかわれ、
 それまで好きでもなんでもなかったあっちゃんのことを
 過剰に意識するようになってしまいました。
 次の日、こっそりと隣の女の子の下駄箱に
 手紙は入れておいてあげましたが、
 私としてはあっちゃんに対する
 せめてもの愛情表現というか・・・

 今から思うと健気な女の子だったんだなぁって
 我ながらおかしく思い出しちゃいます。
 (michy)

私が小学生の時の話です。
 「地球は丸いんだって!」と、
 仕入れたばかりの情報を兄に報告していたら、
 「地球は核戦争があったから、完全な丸じゃないんだ。
  ちょっとかけているんだよ」

 と真剣な表情でいうので、
 すっかり感心して間に受けて、
 次の日学校の授業で手をあげて
 そのことを得意げに発言したら、
 笑われてバカにされ、
 すんごく恥ずかしい思いをしました。
 (かばごん)

今日電車に乗って、終点が近づいたので、
 パスネットを取り出して、手に持った。
 手に持ちながら何となくぼんやり考えていた。
 「もし、終点で降りたとき、
  急に病気になって気を失って倒れたら、
  この手に持っているパスネットはどうなるだろう。
  私の手から離れたパスネットは誰か、
  悪い奴がさっと拾って、
  もって行ってしまうに違いない。
  今日買ったばかりの五千円のパスネットなのに。
  もし、犯人が捕まったとき、
  これが私のものだという証明は
  どうしたらできるんだろう

 と思いながら、自分のパスネットの特徴を
 一生懸命探そうとしている自分にはっと気がつき、
 いい年をしてこんな想像を膨らませている自分が
 はずかしくなりました。
 「がきの頃は馬鹿だった」どころではなく、
 今でも馬鹿やってると思いました。
 (mine)

母と妹と私の3人で出かけて、
 母が近所のおばさんと長々と立ち話したり、
 買物にものすごく時間がかかったりした時に
 いつも母の後ろから妹が考えた歌というか
 呪文のようなものをこっそり唱えていました。
 「馬、馬ダリダリ、ダリダリうまま
  パッパカパッパカ馬、馬パッパカパッパうまま」
 というもので不思議と母が歩き出すので
 考案した妹を尊敬すらしていました。
 いろいろ細かいきまりがあり、
 多用してはならないとか
 母に気づかれてはいけないとか、

 後ろで手綱を持っているような
 ポーズをするとか・・・・・・・。
 周りから見たらかなり不気味だったと思います。
 そして本当に信じ切っていたので友達にも
 教えていたような記憶があります。
 ものすごく恥ずかしいです。
 妹と呪文を教えた友達が読んでいませんように。
 (もーもー)

小学5年の時でした。
 隣の席の男の子が、
 授業中、シャックリをし始めました。
 その当時
 「シャックリが100回出ると死ぬ」
 という噂があったので(まだあるのかなぁ?)
 その男の子に、
 「シャックリが100回出ると死ぬから、
  何回出たか数えた方がいいよ」
 と言って、正の字で
 シャックリのカウントをさせました。
 数が増えていくごとに、
 近くの席の子たちも気になりはじめ、
 授業どころではなくなってしまいました。
 そして、90歳を過ぎて・・・
 みんなが注目する中、
 95回にしてシャックリが止まったのです!
 みんなで「おぉ〜!」と、
 喜んだのはいうまでもありません。
 それからしばらくは、みんなシャックリが出ると、
 回数を数えていました。
 だいたい20〜30回くらいで止まってましたが。
 (とぱーず)

おばあちゃんの話はもう遅いですか?
 父の実家はお寺さんだったのですが、
 おじいちゃんが早くに亡くなって
 おばあちゃんがずっと一人でお寺を守ってました。
 私は両親が共働きなのでよくそこへ預けられていました。
 夜、本堂で寝ていると
 居間の方からおばあちゃんの声がします。
 朝起きてから「昨日誰かお客さんきたの?」
 と聞くと
 「○○さんがね、寂しいから遊びにきたんだよ」
 と言います。
 そうです、○○さんというのは前の日に
 お葬式をあげられた、亡くなった方なのです。
 当時はしょっちゅうだったので
 当たり前のように聞いていましたが、
 今考えると恐ろしいです。
 夏に向けて怪談話になってしまいましたか・・・?
 (あ)

アイドル歌手が歌っている時、
 足元に出てくる煙に憧れていた友達がいました。
 ある日彼女は、母親がエンジンを入れる
 車の後ろに立って、排気ガスを煙に見立て、
 アイドル歌手になりきって歌っていたそうです。

 そしていい気分のところ、それを知らずに
 バックさせた母親の車に轢かれて、骨折したそうです。
 (K)

りんご投げ女伝説で思い出しました。
 口裂け女です!中学一年の今頃の季節でした
 午後の授業の合間に学年中に噂が広まりました
 口が耳まで裂けていて「私って綺麗?」と
 マスクを取ってみせるとか
 大きな鎌をもっているとか
 ポマードといえば逃げるとか色々ありましたが
 我が中学では調子に乗った先生が
 職員室の廊下に女性週刊誌にでも出ていた
 口裂け女の写真の切り抜きを貼ったものだから
 「先生が貼るくらいだから本当なんだ!」
 とすごく恐くなった覚えがあります
 その時間には隣の中学に来ているなんて情報も流れて
 泣き出す子やら塾を休む事に決めた子やら大変でした。

 梅雨だし薄暗かったな〜
 自主集団下校したような気がする。
 後日談ですが写真を貼った先生は
 次の日の職員会議で怒られたらしいです
 (ぶるま)

幼稚園の頃、鼻歌は口を閉じているので
 絶対に周囲に音が漏れていないという確信
があり
 朝の会でも帰りの会でも
 気分の良いときは
 最大ボリュームで鼻歌を歌っていました。
 (多分ヒデキの歌とか)
 となりに座っている子が
 ある日「うるさい」と言った一言で
 自分の勘違いを察し大人になったのでした。
 (じゅん)

横向きで寝ると
 耳がぴったり枕にくっついて、
 ざくっざくっと心臓の音が聞こえるんですが、
 子どもの頃はそれを
 「あ、今、耳くそが耳の奥に向かって
  一列に並んで行進していくんだ」

 とマジに信じていました。
 だから、耳掃除のときに親が
 「うわあ、こんなに奥からデカイのが!」
 と言うんだと。行進する耳くそは、
 顔や手はついていないんですが、
 細い足に赤い靴を履いているイメージでしたね。
 (@)

私は、小学生の頃は好きな人の話になると
 毎日違う子の名前を挙げるような気の多い子でしたが
 実は、ずっと好きだった子が一人いました。
 幼稚園から小学4年生までずっと同じクラスで
 学年の中でも人気の高いかっこいい子でした。
 5年に上がる時のクラス替えの前に、先生に
 「○○くんとは、もう7年も同じクラスだから、
  そろそろ他のクラスに変えて欲しいな」
 と何気なく言ってしまったところ
 本当にクラスが離れてしまって
 とっても悲しくなってました。
 私と同じようにもう一人
 ずっと同じクラスだった女の子がいて
 その子は、5年に上がるときも同じクラスになり
 なんと9年間も彼と同じクラスでした。
 その二人が両想いだとか
 そんな気配は全くなかったのですが
 「負けた・・・」と一人勝手に敗北感を味わい
 先生に一言言ってしまった自分と、
 ホントにクラスを変えた先生を恨んだものです。
 (きゅ)

それは、「初恋」なんて言葉も
 しらなかった幼稚園児のころ。
 夏のある日、みんなで
 幼稚園のプールに入ったときのことです。
 女の子はほとんどワンピースの水着を着用していたなか、
 なぜか私の水着はセパレートでした。
 しかし、まだ手先が不器用な幼稚園児に
 セパレートの水着が上手に着られるわけもなく、
 肩ヒモが背中のほうでねじれていたのでした。
 プールの中でそれに気がついた私が、
 そのときそばにいた
 “ひろゆきくん”に、
 「ひろゆきくん、なおしてぇ〜」
 と助けを求めたところ、
 彼はやや戸惑った表情を浮かべながらも、
 きちんと肩ヒモを直してくれました。
 そばに女の子の友だちもたくさんいたというのに、
 なぜあのとき私はひろゆきくんに助けを求めたのか?
 「男の子」ということを
 まだ意識していなかったゆえの行動かもしれませんが、
 今考えると大胆なことをしたものだと思うのです。

 それから9年後の中学3年のとき、
 私はほんとうにひろゆきくんを
 好きになってしまったのですが、
 想いを伝えることもないまま

 高校進学で離ればなれになり、
 さらに数年後、彼は天国に逝ってしまいました。
 私にとっては、幼稚園の頃のあわーい大切な思い出、
 彼は覚えていたかなぁ?
 (AI)

子どもだったので、
 恋心がよくわかっていませんでした。
 転校の多い小学生だったので、わりと
 お別れになれていたのですが、
 小学校四年生の夏に引っ越した夜、
 布団のなかでなんか悲しくなって
 ボロボロ泣いて、好きな気持ちに気がつきました。

 ロマンチックとも、とろいともいえる初恋でした。
 ちょっと、ガキ話とリンクですね。
 わかんなかったもんねー、かわいいヤツだ、と
 かなり大人な今の自分なら言えるけど、
 当時は、びっくりして、ちょっと
 気持ちをもてあましてたみたいです。
 いやー、ちょっと恥ずかしいかも。
 (かねきゅー)
(ミニコメント)

「ガキばなし」と同じ時期に
無料配信メルマガ・ほぼ日デリバリー版で募集した
「初恋ばなし」や「チームプレーばなし」には、
「ガキの頃の初恋」「子どものチームプレー」など、
のきなみ、ガキ関連のメールが、混ざってきたんです。

初恋の思い出は、
それこそほんとにどのメールもかわいくて、
けっこう「ホロリ」ものもあった、好評企画でした。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

2003-07-08-TUE
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