(7月13日)
●こどもの頃、姉と同じ部屋で寝ていたのですが
窓の外の物干し竿と月の光の角度の関係で
壁に人の横顔のような影ができることがありました。
それを『大阪のユウレイ』
(なぜ“大阪”だったのかは不明)と呼んで、
二人でいたく怖がっていました。
一人残されると怖さ倍増なので、
姉より早く眠りにつけるよう必死で祈っていました。
(K)
●さて、私のガキばなし。
幼稚園のころ、当時おもちゃ屋さんに売っていた
『パーマンヘルメット』をかぶったら、
空が飛べると信じていました。
今思えば、どんなにねだっても、
絶対に買ってくれなかった親の判断は正しいと思います。
でないと2階の窓から自殺をはかってました。
(こまこ)
●私の家の近所には、
電車の高架下に公園がありました。
高架下なので、街灯はあっても
いつもなんとなく薄暗い感じのするところでした。
小学校高学年だったと思うのですが、
友達と二人、公園をきれいに飾ろう!ということになり、
近くの神社から紅葉したイチョウの落ち葉を
たくさん集めて持って来て、
ブランコの敷地内に敷き詰めたことがあります。
本人達は「きれいに明るくなった」と
大満足だったのですが、
通りすがりのおじさんに当然のように
「何、ゴミ散らかしてるんだ!」と怒られました。
素直に片付けましたが、納得いきませんでした。
(YOKO)
●私の淡い恋心が消えた瞬間を思い出しました。
中学になって、それまで一クラスだけの
地元の幼稚園から知っている子しかいなかった世界から、
たくさんの同級生ができて、浮かれていたのでしょう。
はじめて男の子を君付けで呼び(それまで呼び捨て)、
‥だよね(‥ながやちゃ、‥ながいぜ、が今まで)、
なんて言ってました。
それで、同じクラスの勉強が出来て紳士的な
かっこいい子がちょっと好きで、
ますます気取っていたのです。
が、その子が「パパ」と何気なく言ったのです。
すーっと気持ちが消えました。
この感覚、わかるかなあ?
(s)
●ファミコンを買ってくれない親に対抗するため、
ガチャポンで当てたファミコンコントローラーの
ミニチュアを使い、
画用紙に自分で考えたゲームの絵を書いて
「ドキュン、ドキュソー」
とか言いながら遊んでたら、
親もあきらめてファミコンを買ってくれました。
(hoacha)
●幼稚園の頃か小学校4年くらいのころ
家に親戚の女の子と二人だけになっていて
どうしてそうなったのかは覚えていないけど
階段の上から、互いの背中を押して
下までころげおちて遊んでた
当時は無茶苦茶楽しんでやってたみたい・・・
今やると多分死ぬと思う・・・
(Y.kato)
●保育所に行っていた冬のある日。
お昼寝の途中でおなかの調子悪かった私のお尻から、
出てきてはいけないもの(うんち)が、こんにちわ!
何とか保育所ではバレずに、
帰り道「雪」でキレイにしたつもりで
帰ったものの、家に戻るとたまたま来ていた
親戚のおばちゃんにすぐにバレてしまい
「どうかね、あんたはー」と言われながら、
情けなくも気持ちよくなって行く
お尻の感触が思い出されました。
(46歳のもと男の子)
●幼稚園のころは自分にとって、
試練の時のように思います。
まず、怪我や事故などが絶えなくて、
特にひどかったものをいくつか紹介します。
運動場で転んだとき、手のひらをすりむくのが
嫌だったらしく、顔面からダイレクトに転んで、
顔全体をすりむいたことがあります。
遊んではいけないと言われた小川で
一人で遊んでいるとき足を滑らせて
500M流されたらしく、
近くを通りすがった人から発見され無事生還しました。
自転車に乗って、
坂道を下っていたらブレーキがきかなくて、
焦ってハンドルも動かさなくて
そのまま坂道の先の崖の下にあった
ブドウ畑にダイブして、
顔だけ地面に刺さっていたそうです。
アイススケートで鬼ごっこを知らない大学生としてて、
はしゃぎすぎてこけて左腕を折りました。
この前まで、『催し物』のことを、
『いたしもの』と読んでいた23歳です。
(スマイリスト)
●小学生の頃、衛生車のことを
「バキュームカー」と呼ぶのを知らなくて、
スポーツカーのひとつだと思っていました。
窓際の生徒が「バキュームカーが通ってる」と
いうのを聞いて、どんなカッコイイ車なんだろうと
夢見てました。
(シモン)
●3歳のころ、初めて行った豪華なホテル。
わたしはホテルの玄関で
やおら靴を脱いできちんと揃え、
かしこまってロビーに入っていったそうです。
じゅうたんを靴で歩くなんて
予想だにしなかったあの頃のわたしに戻りたい…。
(ジンゴロ)
●私の子供のときの話をひとつ。
「呪い」という言葉に対して、うまく概念がつかめず、
ジョッカーみたいな全身黒タイツ人が来て、
なにかされてしまうことだと思ってました。
例 「あそこの滑り台は呪われている」
→滑ろうとすると、ジョッカーがきて
滑ろうとしてるところから連れ去られる
だから、○○は呪われてるという噂を聞くたび、
ジョッカーはいないかどうか
周りを見回している子供でした。
(はるな子)
●4歳になったばかりの次男坊。
「おかあちゃん、今日ね、ソラ君ね、
耳のとこね、ハチミツに刺されたんよ。」
「ぐふっふっフ・・・おいしそー」と、長男。
台所で醤油を手にしている長男(5歳)。
「何しよるん?」怪しい気配に、父。
やおら、自分の眼鏡をはずして、長男。
「醤油につけて、サングラスにするんヨ」
なかなかに春や夏を感じさせてくれる兄弟です。
(匿名希望)
●小学校4年生の頃、クラスメイトの男子二人が
自分で自分の首を絞めてじっとしていた。
「何やってんの?」と声をかけると、
「いや、死のうと思って」と真顔で言ってた。
その時僕は「ふ〜ん」としか思わなくて、
こいつらがどれだけ
アホな行為をしているか全然気付かなかった。
数分後に彼らを見ると、もうやめていた。
あともうひとつ、小学生1年の頃、
兄と一緒にかめはめ波を出そうと頑張ってましたが、
コレは絶対俺だけじゃないはず・・・。
(shinji/20歳)
●小3の時、それまで母と通っていたピアノ教室に、
1人で自転車で行くことになりました。
途中小さい橋を渡るのですが、毎週
「もし渡っている最中に
橋が壊れて落ちたらどうしよう?」
と不安になり、
無事渡りきると心底ホッとしたものでした。
小さいと言っても普通に車が往来する橋なんですけどね。
結局橋が壊れて落ちたことはないですが、
自転車でバランスを崩し田んぼに落ちたことはあります。
いっそのこと橋が壊れたのなら、
あんなに恥ずかしい思いはしなくてすんだのに・・・。
(千編)
●おねしょ恐怖症(?)だった4つ下の妹は、
足が冷えるとオシッコが製造されると
思い込んでいたらしく、寝る直前にトイレに行き、
猛スピードで布団に飛び込み、
必ず布団の中で靴下を脱いでいた。
(ゆ)
●いつもより早く帰宅すると、母が外出、ドアに鍵。
私はおもむろに、髪からヘアピンを抜き、鍵穴に。
あれ?開かない。
キーハンターではいつもうまくいってるのに!
もう、絶対、ごそごそ、かしゃ!
って開くものと思ってました。
いや、私ならできる、と。
必死で開けようとしているところに母が
「何してるの?」
見られたくない姿を見られて狼狽。
数年後、りっぱな大人の塾の先生が、
鍵がかかって入れない教室の前で、
「ヘアピン貸して!」と私に言った。
やっぱり、鍵穴にはヘアピンだよな、と思いました。
(ちゃい)
●カレーライスがこの世で一番おいしい食べ物だと
思っていた小学生時代(今も?)。
「カレーがこんなにおいしいんなら、
カレーのルーにはさらに
おいしさがつまっているに違いない!」
と確信し、母に隠れてこっそりとひとかけらをパクリ。
あまりのまずさにすぐに吐き出してから数日後…。
「ねずみがこんなに四角く齧れるわけないでしょ!
誰が食べたのか正直に言いなさい!」と、母の怒声。
なぜだか恥ずかしくなって、
最後まで言い出せませんでした。
なんで恥ずかしかったんだろ???
(ピロコ)
●「走ると風が来るすずしい!」
の方のお話で思い出しました。
小学生の頃、夏の日の夕方、なぜかお風呂上がりに、
まだ髪の毛が濡れている状態で
自転車に乗って出かけることになった私は、
ふと良いことを思いつきました。
「そうだ、風で髪の毛が乾くじゃん!」
必死にスピードをあげました。
そこで、またもや名案が...。
「頭をふればなお乾きが早い!私って天才かも」
と自画自賛しつつ、
できるだけ速く激しく頭を左右にふり、
更にスピードをあげました。
それから数秒後
ブロック塀に激突したのは言うまでもありません...。
(まるん)
●わたしもガキのころのバカ話をひとつ。
小学1年の、体育の時間のことです。
その日、どういう理由を使ったのかは分かりませんが、
私は体育を見学(ズル休み)しました。
なぜか体操着にも着替えなくてすんでいました。
ところが、下校の時になって、
大変なことに気がついたのです。
体操着が、汚れていないのです。
「お母さんにおこられるーーーー!!!」
そして、閃いたのが、体操着入れのなかに、
校庭の砂利を入れることでした。
「これでバレずにすむ!!!!」
袋をよく振って、砂利をまんべんなく行き渡らせ、
得意になって帰りました。
ところがやっぱり、
「なにっ、これ!!!!
アンタ体育やすんだでしょっっ!!!!!」
と、カミナリが......。
当時、なぜバレたのか、
どう考えても分からなかったようなのです。(失笑)
あさはかなうえに、あまりにもアホすぎて....。
そして、繰り返し、母にこの話を
持ち出されることになるのは、皆さんと一緒です。
しかし、私はこの話を
自分の結婚式でも披露してしまいました。
(ノ)
●初恋は幼馴染でした。同じ年の彼とは、
田舎の小さい町でずーっと一緒に育ちました。
思春期に告白しましたけど、
お互いに子供過ぎて訳がわからない状態に。
しかし、超楽観主義な私は、
ぶっきらぼうな彼とは今結ばれなくても
最後にはきっと結ばれるんだわと
勝手に思い込んでいました。
それから20年。
オトナになって何年かに一度飲み会で会う程度ですが
お互いにムズムズするのは、
初恋がまだ続いていると言うことでしょうか?
私たちはこのまま初恋を引きづりながら、
おじいちゃんとおばぁちゃんになるのかなぁ。
子供の頃の思い込みが、現実になったらいいのになぁ
と近頃思います。
やっぱり一番彼が好きかもなー。
(ペタジーニ)
●私の初恋は4歳の頃。
相手は、家の隣のガソリンスタンドに勤めていた、
かっこよくてやさしい”松岡のお兄ちゃん”。
お客さんのいない時には遊んでくれたので、
もう毎日のように通っていました。
お兄ちゃんの方は決して家に来なかったのですが、
ある日、突然やってきました。
大きなお人形を抱えて。
お兄ちゃんが来てくれたことも
プレゼントも嬉しくて、嬉しくて…。
でも。
それがお別れの挨拶だったと
理解したのはしばらく経ってからでした。
いつの間にか,「会いたい」は
「会ってみたい」に変わってしまいました。
(クララベル)
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(ミニコメント)
「なぜか恥ずかしくて言えない」とか、
「いないかどうか確かめないと気がすまない」とか、
不安感や、緊張感というようなものが
並外れておおきいのが、子ども時代なんでしょうね。
緊張を強いる場面がわかっているオトナに比べて、
子どもの場合は、ぜんぶの時間が油断できないから・・・。
バキュームカーも、依然、人気あるわー!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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