KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月13日)

こどもの頃、姉と同じ部屋で寝ていたのですが
 窓の外の物干し竿と月の光の角度の関係で
 壁に人の横顔のような影ができることがありました。
 それを『大阪のユウレイ』
 (なぜ“大阪”だったのかは不明)と呼んで、
 二人でいたく怖がっていました。
 一人残されると怖さ倍増なので、
 姉より早く眠りにつけるよう必死で祈っていました。
 (K)

さて、私のガキばなし。
 幼稚園のころ、当時おもちゃ屋さんに売っていた
 『パーマンヘルメット』をかぶったら、
 空が飛べると信じていました。
 今思えば、どんなにねだっても、
 絶対に買ってくれなかった親の判断は正しいと思います。
 でないと2階の窓から自殺をはかってました。
 (こまこ)

私の家の近所には、
 電車の高架下に公園がありました。
 高架下なので、街灯はあっても
 いつもなんとなく薄暗い感じのするところでした。
 小学校高学年だったと思うのですが、
 友達と二人、公園をきれいに飾ろう!ということになり、
 近くの神社から紅葉したイチョウの落ち葉を
 たくさん集めて持って来て、
 ブランコの敷地内に敷き詰めたことがあります。

 本人達は「きれいに明るくなった」と
 大満足だったのですが、
 通りすがりのおじさんに当然のように
 「何、ゴミ散らかしてるんだ!」と怒られました。
 素直に片付けましたが、納得いきませんでした。
 (YOKO)

私の淡い恋心が消えた瞬間を思い出しました。
 中学になって、それまで一クラスだけの
 地元の幼稚園から知っている子しかいなかった世界から、
 たくさんの同級生ができて、浮かれていたのでしょう。
 はじめて男の子を君付けで呼び(それまで呼び捨て)、
 ‥だよね(‥ながやちゃ、‥ながいぜ、が今まで)、
 なんて言ってました。
 それで、同じクラスの勉強が出来て紳士的な
 かっこいい子がちょっと好きで、
 ますます気取っていたのです。
 が、その子が「パパ」と何気なく言ったのです。
 すーっと気持ちが消えました。
 この感覚、わかるかなあ?

 (s)

ファミコンを買ってくれない親に対抗するため、
 ガチャポンで当てたファミコンコントローラーの
 ミニチュアを使い、
 画用紙に自分で考えたゲームの絵を書いて
 「ドキュン、ドキュソー」 
 とか言いながら遊んでたら、
 親もあきらめてファミコンを買ってくれました。
 (hoacha)

幼稚園の頃か小学校4年くらいのころ
 家に親戚の女の子と二人だけになっていて
 どうしてそうなったのかは覚えていないけど
 階段の上から、互いの背中を押して
 下までころげおちて遊んでた

 当時は無茶苦茶楽しんでやってたみたい・・・
 今やると多分死ぬと思う・・・
 (Y.kato)

保育所に行っていた冬のある日。
 お昼寝の途中でおなかの調子悪かった私のお尻から、
 出てきてはいけないもの(うんち)が、こんにちわ!
 何とか保育所ではバレずに、
 帰り道「雪」でキレイにしたつもりで
 帰ったものの、家に戻るとたまたま来ていた
 親戚のおばちゃんにすぐにバレてしまい
 「どうかね、あんたはー」と言われながら、
 情けなくも気持ちよくなって行く
 お尻の感触が思い出されました。

 (46歳のもと男の子)

幼稚園のころは自分にとって、
 試練の時のように思います。
 まず、怪我や事故などが絶えなくて、
 特にひどかったものをいくつか紹介します。
 運動場で転んだとき、手のひらをすりむくのが
 嫌だったらしく、顔面からダイレクトに転んで、
 顔全体をすりむいたことがあります。
 遊んではいけないと言われた小川で
 一人で遊んでいるとき足を滑らせて
 500M流されたらしく、
 近くを通りすがった人から発見され無事生還しました。
 自転車に乗って、
 坂道を下っていたらブレーキがきかなくて、
 焦ってハンドルも動かさなくて
 そのまま坂道の先の崖の下にあった
 ブドウ畑にダイブして、
 顔だけ地面に刺さっていたそうです。

 アイススケートで鬼ごっこを知らない大学生としてて、
 はしゃぎすぎてこけて左腕を折りました。
 この前まで、『催し物』のことを、
 『いたしもの』と読んでいた23歳です。
 (スマイリスト)

小学生の頃、衛生車のことを
 「バキュームカー」と呼ぶのを知らなくて、
 スポーツカーのひとつだと思っていました。
 窓際の生徒が「バキュームカーが通ってる」と
 いうのを聞いて、どんなカッコイイ車なんだろうと
 夢見てました。
 (シモン)

3歳のころ、初めて行った豪華なホテル。
 わたしはホテルの玄関で
 やおら靴を脱いできちんと揃え、
 かしこまってロビーに入っていったそうです。
 じゅうたんを靴で歩くなんて
 予想だにしなかったあの頃のわたしに戻りたい…。
 (ジンゴロ)

私の子供のときの話をひとつ。
 「呪い」という言葉に対して、うまく概念がつかめず、
 ジョッカーみたいな全身黒タイツ人が来て、
 なにかされてしまうことだと思ってました。
 例 「あそこの滑り台は呪われている」
 →滑ろうとすると、ジョッカーがきて
  滑ろうとしてるところから連れ去られる
 だから、○○は呪われてるという噂を聞くたび、
 ジョッカーはいないかどうか
 周りを見回している子供でした。

 (はるな子)

4歳になったばかりの次男坊。
 「おかあちゃん、今日ね、ソラ君ね、
  耳のとこね、ハチミツに刺されたんよ。」
 「ぐふっふっフ・・・おいしそー」と、長男。
 台所で醤油を手にしている長男(5歳)。
 「何しよるん?」怪しい気配に、父。
 やおら、自分の眼鏡をはずして、長男。
 「醤油につけて、サングラスにするんヨ」
 なかなかに春や夏を感じさせてくれる兄弟です。
 (匿名希望)

小学校4年生の頃、クラスメイトの男子二人が
 自分で自分の首を絞めてじっとしていた。
 「何やってんの?」と声をかけると、
 「いや、死のうと思って」と真顔で言ってた。
 その時僕は「ふ〜ん」としか思わなくて、
 こいつらがどれだけ
 アホな行為をしているか全然気付かなかった。
 数分後に彼らを見ると、もうやめていた。
 あともうひとつ、小学生1年の頃、
 兄と一緒にかめはめ波を出そうと頑張ってましたが、
 コレは絶対俺だけじゃないはず・・・。
 (shinji/20歳)

小3の時、それまで母と通っていたピアノ教室に、
 1人で自転車で行くことになりました。
 途中小さい橋を渡るのですが、毎週
 「もし渡っている最中に
  橋が壊れて落ちたらどうしよう?」

 と不安になり、
 無事渡りきると心底ホッとしたものでした。
 小さいと言っても普通に車が往来する橋なんですけどね。
 結局橋が壊れて落ちたことはないですが、
 自転車でバランスを崩し田んぼに落ちたことはあります。
 いっそのこと橋が壊れたのなら、
 あんなに恥ずかしい思いはしなくてすんだのに・・・。
 (千編)

おねしょ恐怖症(?)だった4つ下の妹は、
 足が冷えるとオシッコが製造される
 思い込んでいたらしく、寝る直前にトイレに行き、
 猛スピードで布団に飛び込み、
 必ず布団の中で靴下を脱いでいた。
 (ゆ)

いつもより早く帰宅すると、母が外出、ドアに鍵。
 私はおもむろに、髪からヘアピンを抜き、鍵穴に。
 あれ?開かない。
 キーハンターではいつもうまくいってるのに!
 もう、絶対、ごそごそ、かしゃ!
 って開くものと思ってました。

 いや、私ならできる、と。
 必死で開けようとしているところに母が
 「何してるの?」
 見られたくない姿を見られて狼狽。
 数年後、りっぱな大人の塾の先生が、
 鍵がかかって入れない教室の前で、
 「ヘアピン貸して!」と私に言った。
 やっぱり、鍵穴にはヘアピンだよな、と思いました。
 (ちゃい)

カレーライスがこの世で一番おいしい食べ物だと
 思っていた小学生時代(今も?)。
 「カレーがこんなにおいしいんなら、
  カレーのルーにはさらに
  おいしさがつまっているに違いない!」
 と確信し、母に隠れてこっそりとひとかけらをパクリ。
 あまりのまずさにすぐに吐き出してから数日後…。
 「ねずみがこんなに四角く齧れるわけないでしょ!
  誰が食べたのか正直に言いなさい!」と、母の怒声。
 なぜだか恥ずかしくなって、
 最後まで言い出せませんでした。

 なんで恥ずかしかったんだろ???
 (ピロコ)

「走ると風が来るすずしい!」
 の方のお話で思い出しました。
 小学生の頃、夏の日の夕方、なぜかお風呂上がりに、
 まだ髪の毛が濡れている状態で
 自転車に乗って出かけることになった私は、
 ふと良いことを思いつきました。
 「そうだ、風で髪の毛が乾くじゃん!」
 必死にスピードをあげました。
 そこで、またもや名案が...。
 「頭をふればなお乾きが早い!私って天才かも」
 と自画自賛しつつ、
 できるだけ速く激しく頭を左右にふり、
 更にスピードをあげました。
 それから数秒後
 ブロック塀に激突したのは言うまでもありません...。
 (まるん)

わたしもガキのころのバカ話をひとつ。
 小学1年の、体育の時間のことです。
 その日、どういう理由を使ったのかは分かりませんが、
 私は体育を見学(ズル休み)しました。
 なぜか体操着にも着替えなくてすんでいました。
 ところが、下校の時になって、
 大変なことに気がついたのです。
 体操着が、汚れていないのです。
 「お母さんにおこられるーーーー!!!」
 そして、閃いたのが、体操着入れのなかに、
 校庭の砂利を入れることでした。
 「これでバレずにすむ!!!!」
 袋をよく振って、砂利をまんべんなく行き渡らせ、
 得意になって帰りました。
 ところがやっぱり、
 「なにっ、これ!!!!
  アンタ体育やすんだでしょっっ!!!!!」
 と、カミナリが......。
 当時、なぜバレたのか、
 どう考えても分からなかったようなのです。(失笑)
 あさはかなうえに、あまりにもアホすぎて....。
 そして、繰り返し、母にこの話を
 持ち出されることになるのは、皆さんと一緒です。
 しかし、私はこの話を
 自分の結婚式でも披露してしまいました。
 (ノ)

初恋は幼馴染でした。同じ年の彼とは、
 田舎の小さい町でずーっと一緒に育ちました。
 思春期に告白しましたけど、
 お互いに子供過ぎて訳がわからない状態に。
 しかし、超楽観主義な私は、
 ぶっきらぼうな彼とは今結ばれなくても
 最後にはきっと結ばれるんだわと
 勝手に思い込んでいました。
 それから20年。
 オトナになって何年かに一度飲み会で会う程度ですが
 お互いにムズムズするのは、
 初恋がまだ続いていると言うことでしょうか?

 私たちはこのまま初恋を引きづりながら、
 おじいちゃんとおばぁちゃんになるのかなぁ。
 子供の頃の思い込みが、現実になったらいいのになぁ
 と近頃思います。
 やっぱり一番彼が好きかもなー。
 (ペタジーニ)

私の初恋は4歳の頃。
 相手は、家の隣のガソリンスタンドに勤めていた、
 かっこよくてやさしい”松岡のお兄ちゃん”。
 お客さんのいない時には遊んでくれたので、
 もう毎日のように通っていました。
 お兄ちゃんの方は決して家に来なかったのですが、
 ある日、突然やってきました。
 大きなお人形を抱えて。
 お兄ちゃんが来てくれたことも
 プレゼントも嬉しくて、嬉しくて…。
 でも。
 それがお別れの挨拶だったと
 理解したのはしばらく経ってからでした。

 いつの間にか,「会いたい」は
 「会ってみたい」に変わってしまいました。
 (クララベル)
 
   
(ミニコメント)

「なぜか恥ずかしくて言えない」とか、
「いないかどうか確かめないと気がすまない」とか、
不安感や、緊張感というようなものが
並外れておおきいのが、子ども時代なんでしょうね。
緊張を強いる場面がわかっているオトナに比べて、
子どもの場合は、ぜんぶの時間が油断できないから・・・。
バキュームカーも、依然、人気あるわー!

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
       

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-07-13-SUN
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