KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月14日)

チビの頃、乗り物が大好きだった私は、
 よく道路の端で
 颯爽と走る自動車を眺めるのが好きだった。
 当時、本当に“チビ”だった私は、
 トラックやバスなどの大きく堂々とした車に
 特に興味を持ち、車体の横に
 ペインティングされた社名やマークを憶えては、
 夕飯の支度をする母にすりより、
 その日見た車の話をして聞かせた。
 ある日、母とお出かけしている時に
 「岡山県貨物運送」と書かれたトラックを見た私は、
 漢字が分からず、(意味も解らない)母にこう訊ねた。
 「お母ちゃん、あのトラックなんて書いてあるの?」
 「オカヤマケンカモツウンソウって書いてるのよ」
 「???・・・何て意味?」
 「岡山県の人はケンカが大好きで、
  ケンカに使う道具を運んでるのよ。ウフフ・・・」
 「・・・・・・」
 母の何気ない冗談が
 子供心に物凄いショックで言葉を失った。
 同時に、あの荷台にはどんなケンカの道具が
 載っているんだろうと好奇心が沸々と沸きあがった。
 あれから数十年、「オカヤマケンカモツウンソウ」の
 トラックとすれ違うと、いまだに顔がニヤケてしまう。
 (コットン)

大学生だった頃、
 薄い生地が重なっているスカートをはいて
 遅刻しそうだったので自転車で駅に向かいました。
 人通りが多くなってきた交差点で
 ペダルを踏み込んだ途端、
 後ろから引っ張られる感覚と布の裂ける音が…。
 振り返るとスカートが
 見事に後輪に巻き込まれてしまっていました。
 「大丈夫?」
 と駆け寄ってきてくれたおばさんに
 手伝ってもらって
 何とか自転車と自分を切り離しましたが、
 後にはターザンのようなボロ布が
 腰の周りにまとわりついている状態。

 半べそかきながら
 人が少ない道を猛スピードで帰宅し
 その日は大学を休んでしまいました。
 (ハテ)

まだ幼稚園だったころ、
 母と乳母車に乗せられた弟と私で
 近くの商店街に買い物にいった帰りのこと、
 乳母車の荷台から、買ったばかりのゴボウが
 てんてんと道に落ちているのに気づいた母は
 私に拾ってくるようにと云ったが、
 私は頑なに拒否した。
 たぶん、ゴボウを拾う自分を
 他人に見られるのが恥ずかしかったのだろう。

 30年以上前のことなのに、今でも思い出して、
 恥ずかしいと思って拾ってあげなかった事を
 恥じています。
 (せつ)

保育園、年長の息子がTVを見ていて、
 「お母さん、『浮気』ってなに?」と聞くので、
 内心、「変な番組見てるな…」と思いながら
 「『本気』の反対よ」と教えました。
 数日後、保育園に迎えに行くと、
 見送ってくださる先生の前で、
 「ぼく、今日洋平君とサッカーした。
  ちゃんと『浮気』でやったよ」
 と元気よく言いました。
 意味不明できょとんとする先生に、
 そそくさと挨拶をして、園を出た私でした。
 ちなみに、洋平君はひとつ歳下の年中さんです。
 もう少し大きくなったら、
 「手加減する」っていう言葉も覚えてね。
 (あきママ)

娘が、幼稚園だったころ、その幼稚園では
 よくいろんな歌を教えてくださってました。
 ある日、うちに帰って何度も歌っている歌を良く聞くと、
 「ほ、ほ、ほじょりん、ほじょりんのにわは〜」
 てっきり替え歌だと思って聞いていたら、
 本人はまじめそのもの。
 自転車の補助輪と思って歌っていたそうです。
 本当は、しょ、しょ、しょじょうじ…
 しょうじょう寺のたぬきばやしでした。
 今、この話をすると(小6です)
 むちゃくちゃいやがります。

 (かめ)

小学校中学年のとき、
 取調べを受けるのがものすごく恐怖でした。
 ねずみ色の机と椅子しかない狭い部屋で、
 スタンドを顔の近くに突きつけられて、
 机をドンドン叩かれて、
 「おまえがやったんだろうっ!」って。
 刑事ドラマの見過ぎだったのでしょう。
 「わたしがしました」って言えば
 あの怖い刑事から逃れられるのだろうか、
 でも言ったら刑務所だし…と、かなり悩みました。
 悪い事をしなければいいんだ!と気が付いたのは、
 ずっと後になってからでした。
 (うず)

三人姉妹の末っ子なのですが
 子供のころ、チャンネル権はほとんどなく
 姉たちが学校から帰ってくるまでが
 のびのびと好きなものを見れる時間でした。
 テレビっ子であった私は、
 あるとき、どうしても見たいものがあって
 でもそれは姉たちが帰ってくる時間にやっており
 どうすれば、見ることができるかと考え
 同じチャンネルをずっと見ていれば
 きっと見れるはず!と安易に思って
 見たくも無い番組を
 「これ見てるんだもん!!」
 と断固としてといってがんばった思い出があります。
 でも無理があるだろ、"国会中継"なんて。
 幼稚園生なのに・・・。
 (にん)

小学校の中庭でスープを作っていました。
 3人で作っていました。
 大きい鉄の缶にこうもりの死骸や腐った給食や
 中庭で採れるへびいちごなどを入れました。
 あと放課後に教室のカメで遊んでいると弱ってきたので、
 カメをいや、間違えました。
 カメは水槽に戻してその卵を
 スープの犠牲にしてしまいました。
 本当に極悪非道だったと思います。
 すいませんでした。
 (ゼンソク)

今でもありありと覚えてるのですが、
 小学校へ入学して、
 ひらがなの授業をやっていた時です。
 「は」の文字を先生が書き、その後、
 皆が黙って先生の書き順を実演して、
 それを見るのですが、
 そのころ学習教材をやっていた私は、
 「は」の文字を見たとたん、
 つい「あ、これ知ってる!」と言ってしまいました。
 皆は沈黙しているので、自分の声だけ教室に響き、
 皆の視線が私のほうに来ました。
 もちろん先生の視線も。
 それは今思い出しても凄い恥ずかしいです…
 今、自分が前に出て話すのが嫌いで苦手なのは
 そのせいだと勝手に決め付けてます。
 (l)

16歳のときに、通学途中に自転車ですれ違う
 21歳の男の人が大好きで毎朝会うのが楽しみでした。
 ある雨の日、遅刻しそうであわててこいでいたら、
 アーケードつきの商店街の滑りや
 すいタイル状の道のため、スリップしてしまいました。
 そのそのすべり方と行ったら半端でなく、
 自転車から落ちて5メートルは
 ツルーーーっと行ってしまい、
 スカートも派手にめくりあがる始末。
 悲鳴を上げる間もなかったのですが、
 止まってハッとしてきょろきょろすると、
 私がスリップした場所に自転車を止めて
 息を飲んでこちらを見ている私の憧れの方が!!!

 周りでおばちゃんが「大丈夫?」と
 声をかけてくれるのにもかかわらず、
 しばらく見詰め合ったままでしたが、
 あの方は罰の悪そうな顔をして
 立ち去っていかれました。
 しばらく立ち直れませんでした…
 (k)

子供のころ、太っていた私は姉に
 「ダイエットしなさい!」と言われ、
 1日腹筋背筋腕立てを各30回と
 家の前の公園のランニング5周を言い渡されました。
 姉の見張りがついていたので
 腹筋背筋腕立てはちゃんとやるのですが、
 ランニングには姉もついてこないので、
 てきとうにやって帰ろうと思って
 トロトロ走ってました。
 でも、家の前の公園ですから結構人もいて、
 はずかしいわけですよね、そういうのを見られるのが。
 それで、私は人がいる所を通るたびに
 「急いでどこかに行こうとしているふり」
 を演じていました。
 5周も同じ所を走るのに、5周ともいつも
 「急いでるふり」…?
 我ながら頭の悪い演技です。
 (ちはる)

3歳ぐらいの時に、3つ上の姉に、
 「私は実は宇宙人。
  お父さんとお母さんを食べてしまうぞ。
  ヒッヒッヒッー」

 と変な踊りとともに言われ、恐怖に震えた。
 「助けたければ、この種を庭にまけ!」と言われ、
 父と母を助けたい、けなげな私は
 姉がただティッシュを丸め、
 セロテープでぐるぐる巻きにした「種」を
 本物だと信じて必死にまいた・・・。
 そのとき姉は笑いをこらえて、
 必死に演技(変な踊り)を続けてたそうです。
 非道。
 (イリー)

みなさんのを読んでいて私も書きたくなりました。
 潔癖症というのではなく、金属のものには、
 つかまったり、もたれたり
 さわったりすることができない子どもでした。
 もしさわってしまってたら、
 その持ち主が殺されちゃったりなんかして
 それで指紋を採取したら私の指紋がうかびあがって
 あー、私は無実なのに犯人になっちゃうかも!?

 って本気で思ってました。
 でも、金属以外、
 例えば木だったりしたらさわれるんですよねー。
 バカです。
 しかしまぁ、なんと想像力豊かな・・・。
 今でも、多少?躊躇します
 (もっち)

小学校1年のある日、クラスメイトと夕方、
 校庭で遊んでいたときの事。
 6年生のお姉さん達が
 「一緒に遊ぼう!」と私たちに声をかけてきました。
 一年生から見る6年生は大きく、大人っぽくて、
 ちびっこの私たちみんなはわくわくしました。
 そして6年生の一人が
 「じゃあ それぞれペアになって鬼ごっこしよう!」
 と言い出しました。その時何故か私は
 (そんな・・・わたしと
  ペアになってくれる人なんていないよ)と
 すごく悲しい気持ちになったのです。
 選ばれるタイプじゃないと
 自覚していたのかわかりませんが
 最後に余っちゃうなと思っていました。
 その次の瞬間 お姉さんの一人が
 「私 この子!」と私の手をぱっと握ってくれました。
 そのときの気持ちを思い出すと
 今でもすごく嬉しくなります。
 今から思えば誰かがひとりぼっちになるような事は
 なかったと思うのですが・・・
 その後暗くなるまで遊んで、
 家まで送ってくれたお姉さんの事が忘れられません。
 今の学校でもそんな事があるといいなって思います。
 (くるみ)

私が小学一年生の頃。
 ある日、運動を沢山しすぎたみたいで、
 足が痛くなってしまって。
 その当時、松本伊代ちゃんのドラマが放送されてて。
 そのドラマの内容というのが、
 伊代ちゃんは足が痛くて
 骨肉腫で死んでしまうというものだったんです。
 だから私は「骨肉腫で死ぬんだー」って本気で思ってて。
 それで、友達やお婆ちゃんが足が痛いって言うと、
 必ず「骨肉腫で死んでしまう!」って
 一人で焦っていました。
 でも、こんな悲しいニュースは本人には言えなくて、
 そうとう悩みました。
 (りょうこ)
 
   
(ミニコメント)

ゴボウを拾うことがはずかしかっただとか、
当事者の子ども本人にしかわからない羞恥心って、
きっと、たくさんあるんだろうなぁ。

今日は、子どもならではの残酷さや、
過去の自分のしたことについて、家族から
しつこく指摘されつづけるのを嫌うなどなど、
「なんとなく、わかるわ」ってものを、集めました。

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2003-07-14-MON
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