(7月14日)
●チビの頃、乗り物が大好きだった私は、
よく道路の端で
颯爽と走る自動車を眺めるのが好きだった。
当時、本当に“チビ”だった私は、
トラックやバスなどの大きく堂々とした車に
特に興味を持ち、車体の横に
ペインティングされた社名やマークを憶えては、
夕飯の支度をする母にすりより、
その日見た車の話をして聞かせた。
ある日、母とお出かけしている時に
「岡山県貨物運送」と書かれたトラックを見た私は、
漢字が分からず、(意味も解らない)母にこう訊ねた。
「お母ちゃん、あのトラックなんて書いてあるの?」
「オカヤマケンカモツウンソウって書いてるのよ」
「???・・・何て意味?」
「岡山県の人はケンカが大好きで、
ケンカに使う道具を運んでるのよ。ウフフ・・・」
「・・・・・・」
母の何気ない冗談が
子供心に物凄いショックで言葉を失った。
同時に、あの荷台にはどんなケンカの道具が
載っているんだろうと好奇心が沸々と沸きあがった。
あれから数十年、「オカヤマケンカモツウンソウ」の
トラックとすれ違うと、いまだに顔がニヤケてしまう。
(コットン)
●大学生だった頃、
薄い生地が重なっているスカートをはいて
遅刻しそうだったので自転車で駅に向かいました。
人通りが多くなってきた交差点で
ペダルを踏み込んだ途端、
後ろから引っ張られる感覚と布の裂ける音が…。
振り返るとスカートが
見事に後輪に巻き込まれてしまっていました。
「大丈夫?」
と駆け寄ってきてくれたおばさんに
手伝ってもらって
何とか自転車と自分を切り離しましたが、
後にはターザンのようなボロ布が
腰の周りにまとわりついている状態。
半べそかきながら
人が少ない道を猛スピードで帰宅し
その日は大学を休んでしまいました。
(ハテ)
●まだ幼稚園だったころ、
母と乳母車に乗せられた弟と私で
近くの商店街に買い物にいった帰りのこと、
乳母車の荷台から、買ったばかりのゴボウが
てんてんと道に落ちているのに気づいた母は
私に拾ってくるようにと云ったが、
私は頑なに拒否した。
たぶん、ゴボウを拾う自分を
他人に見られるのが恥ずかしかったのだろう。
30年以上前のことなのに、今でも思い出して、
恥ずかしいと思って拾ってあげなかった事を
恥じています。
(せつ)
●保育園、年長の息子がTVを見ていて、
「お母さん、『浮気』ってなに?」と聞くので、
内心、「変な番組見てるな…」と思いながら
「『本気』の反対よ」と教えました。
数日後、保育園に迎えに行くと、
見送ってくださる先生の前で、
「ぼく、今日洋平君とサッカーした。
ちゃんと『浮気』でやったよ」
と元気よく言いました。
意味不明できょとんとする先生に、
そそくさと挨拶をして、園を出た私でした。
ちなみに、洋平君はひとつ歳下の年中さんです。
もう少し大きくなったら、
「手加減する」っていう言葉も覚えてね。
(あきママ)
●娘が、幼稚園だったころ、その幼稚園では
よくいろんな歌を教えてくださってました。
ある日、うちに帰って何度も歌っている歌を良く聞くと、
「ほ、ほ、ほじょりん、ほじょりんのにわは〜」
てっきり替え歌だと思って聞いていたら、
本人はまじめそのもの。
自転車の補助輪と思って歌っていたそうです。
本当は、しょ、しょ、しょじょうじ…
しょうじょう寺のたぬきばやしでした。
今、この話をすると(小6です)
むちゃくちゃいやがります。
(かめ)
●小学校中学年のとき、
取調べを受けるのがものすごく恐怖でした。
ねずみ色の机と椅子しかない狭い部屋で、
スタンドを顔の近くに突きつけられて、
机をドンドン叩かれて、
「おまえがやったんだろうっ!」って。
刑事ドラマの見過ぎだったのでしょう。
「わたしがしました」って言えば
あの怖い刑事から逃れられるのだろうか、
でも言ったら刑務所だし…と、かなり悩みました。
悪い事をしなければいいんだ!と気が付いたのは、
ずっと後になってからでした。
(うず)
●三人姉妹の末っ子なのですが
子供のころ、チャンネル権はほとんどなく
姉たちが学校から帰ってくるまでが
のびのびと好きなものを見れる時間でした。
テレビっ子であった私は、
あるとき、どうしても見たいものがあって
でもそれは姉たちが帰ってくる時間にやっており
どうすれば、見ることができるかと考え
同じチャンネルをずっと見ていれば
きっと見れるはず!と安易に思って
見たくも無い番組を
「これ見てるんだもん!!」
と断固としてといってがんばった思い出があります。
でも無理があるだろ、"国会中継"なんて。
幼稚園生なのに・・・。
(にん)
●小学校の中庭でスープを作っていました。
3人で作っていました。
大きい鉄の缶にこうもりの死骸や腐った給食や
中庭で採れるへびいちごなどを入れました。
あと放課後に教室のカメで遊んでいると弱ってきたので、
カメをいや、間違えました。
カメは水槽に戻してその卵を
スープの犠牲にしてしまいました。
本当に極悪非道だったと思います。
すいませんでした。
(ゼンソク)
●今でもありありと覚えてるのですが、
小学校へ入学して、
ひらがなの授業をやっていた時です。
「は」の文字を先生が書き、その後、
皆が黙って先生の書き順を実演して、
それを見るのですが、
そのころ学習教材をやっていた私は、
「は」の文字を見たとたん、
つい「あ、これ知ってる!」と言ってしまいました。
皆は沈黙しているので、自分の声だけ教室に響き、
皆の視線が私のほうに来ました。
もちろん先生の視線も。
それは今思い出しても凄い恥ずかしいです…
今、自分が前に出て話すのが嫌いで苦手なのは
そのせいだと勝手に決め付けてます。
(l)
●16歳のときに、通学途中に自転車ですれ違う
21歳の男の人が大好きで毎朝会うのが楽しみでした。
ある雨の日、遅刻しそうであわててこいでいたら、
アーケードつきの商店街の滑りや
すいタイル状の道のため、スリップしてしまいました。
そのそのすべり方と行ったら半端でなく、
自転車から落ちて5メートルは
ツルーーーっと行ってしまい、
スカートも派手にめくりあがる始末。
悲鳴を上げる間もなかったのですが、
止まってハッとしてきょろきょろすると、
私がスリップした場所に自転車を止めて
息を飲んでこちらを見ている私の憧れの方が!!!
周りでおばちゃんが「大丈夫?」と
声をかけてくれるのにもかかわらず、
しばらく見詰め合ったままでしたが、
あの方は罰の悪そうな顔をして
立ち去っていかれました。
しばらく立ち直れませんでした…
(k)
●子供のころ、太っていた私は姉に
「ダイエットしなさい!」と言われ、
1日腹筋背筋腕立てを各30回と
家の前の公園のランニング5周を言い渡されました。
姉の見張りがついていたので
腹筋背筋腕立てはちゃんとやるのですが、
ランニングには姉もついてこないので、
てきとうにやって帰ろうと思って
トロトロ走ってました。
でも、家の前の公園ですから結構人もいて、
はずかしいわけですよね、そういうのを見られるのが。
それで、私は人がいる所を通るたびに
「急いでどこかに行こうとしているふり」
を演じていました。
5周も同じ所を走るのに、5周ともいつも
「急いでるふり」…?
我ながら頭の悪い演技です。
(ちはる)
●3歳ぐらいの時に、3つ上の姉に、
「私は実は宇宙人。
お父さんとお母さんを食べてしまうぞ。
ヒッヒッヒッー」
と変な踊りとともに言われ、恐怖に震えた。
「助けたければ、この種を庭にまけ!」と言われ、
父と母を助けたい、けなげな私は
姉がただティッシュを丸め、
セロテープでぐるぐる巻きにした「種」を
本物だと信じて必死にまいた・・・。
そのとき姉は笑いをこらえて、
必死に演技(変な踊り)を続けてたそうです。
非道。
(イリー)
●みなさんのを読んでいて私も書きたくなりました。
潔癖症というのではなく、金属のものには、
つかまったり、もたれたり
さわったりすることができない子どもでした。
もしさわってしまってたら、
その持ち主が殺されちゃったりなんかして
それで指紋を採取したら私の指紋がうかびあがって
あー、私は無実なのに犯人になっちゃうかも!?
って本気で思ってました。
でも、金属以外、
例えば木だったりしたらさわれるんですよねー。
バカです。
しかしまぁ、なんと想像力豊かな・・・。
今でも、多少?躊躇します
(もっち)
●小学校1年のある日、クラスメイトと夕方、
校庭で遊んでいたときの事。
6年生のお姉さん達が
「一緒に遊ぼう!」と私たちに声をかけてきました。
一年生から見る6年生は大きく、大人っぽくて、
ちびっこの私たちみんなはわくわくしました。
そして6年生の一人が
「じゃあ それぞれペアになって鬼ごっこしよう!」
と言い出しました。その時何故か私は
(そんな・・・わたしと
ペアになってくれる人なんていないよ)と
すごく悲しい気持ちになったのです。
選ばれるタイプじゃないと
自覚していたのかわかりませんが
最後に余っちゃうなと思っていました。
その次の瞬間 お姉さんの一人が
「私 この子!」と私の手をぱっと握ってくれました。
そのときの気持ちを思い出すと
今でもすごく嬉しくなります。
今から思えば誰かがひとりぼっちになるような事は
なかったと思うのですが・・・
その後暗くなるまで遊んで、
家まで送ってくれたお姉さんの事が忘れられません。
今の学校でもそんな事があるといいなって思います。
(くるみ)
●私が小学一年生の頃。
ある日、運動を沢山しすぎたみたいで、
足が痛くなってしまって。
その当時、松本伊代ちゃんのドラマが放送されてて。
そのドラマの内容というのが、
伊代ちゃんは足が痛くて
骨肉腫で死んでしまうというものだったんです。
だから私は「骨肉腫で死ぬんだー」って本気で思ってて。
それで、友達やお婆ちゃんが足が痛いって言うと、
必ず「骨肉腫で死んでしまう!」って
一人で焦っていました。
でも、こんな悲しいニュースは本人には言えなくて、
そうとう悩みました。
(りょうこ)
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(ミニコメント)
ゴボウを拾うことがはずかしかっただとか、
当事者の子ども本人にしかわからない羞恥心って、
きっと、たくさんあるんだろうなぁ。
今日は、子どもならではの残酷さや、
過去の自分のしたことについて、家族から
しつこく指摘されつづけるのを嫌うなどなど、
「なんとなく、わかるわ」ってものを、集めました。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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