KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月18日)

父親っ子だった私は、父が大好きなあまり、
 自分を男だと信じるだけではあきたらず、
 「ボクは大きくなったら、パパになるんだ!」
 とつねに公言していたそうです。
 で、お風呂で自分に「ついてない」のに着眼し、
 「まぁ、そのうち生えてくるんだろう」と
 自分を納得させていました。
 今思えば、あまりにフロイト説に合致しているので
 イヤになり、
 学のある知り合いには絶対に言えません。

 しかし親戚一同は、成人してからも許してくれず、
 「アンタ、男になるんじゃなかったん?」
 などとイジメてくれます。
 (female)

小学生の頃、
 「花粉症ってかっこいいね」と、
 妹と近所の友達と
 試しに杉の花粉を吸ってみました。
 ハックション、ハクション、ヘックション、
 その日から見事3人そろって、
 花粉症デビュー!!
 花粉症になって分かるこのツラさ。
 ぜんぜんかっこよくない事に気づきました。
 (当たり前)
 でも当時まだ花粉症がこんなに流行っておらず、
 「私、花粉症なんだよね〜」と
 ちょっと自慢げに言っていたのを思い出します。
 (くう)

読んでるうちに
 自分の子供のときのことも色々思い出しました。

 その壱
 幼稚園にあがる前、
 夕暮れになると毎日「朝にしてぇ」とわんわん泣き、
 母を困らせていたらしい。今でも夕方は苦手です。

 その弐
 小学生1年生の頃、弟とケンカになると
 「1足す1は?!」と問いかけると沈黙することを利用して
 攻撃してました。しかし、そのうち彼も答えを学んだため
 この姑息な手段は使えなくなりました。
 (iz)

オタマジャクシを30匹ほど捕まえて、
 友達にプレゼントしました。
 バケツにうじゃうじゃといるオタマに
 激怒したのは友達の母さん。
 見たくもない!と、倉庫に監禁。
 数日してこっそり覗いてみると30匹もいたオタマが1匹。
 その1匹には後ろだけ足が生えてました。
 29匹は蛙になったんだろうなぁ。倉庫の中で。
 妹の中学1年生の春の遠足は,
 初めての飯盒炊爨(はんごうすいさん)でした。
 プリントに書かれた「持っていくもの」を
 入念にチェックしながら準備したそうです。
 しかし,当日,
 大切な「お茶」を忘れてしまいました
 (忘れたことにしました)。
 飯盒炊爨に期待しすぎて,自分だけ
 「お茶の葉」を持っていってしまったからです。
 (クララベル)

小学校6年生のころ
 「星の王子様」というこっくりさんもどきのゲームが
 大流行しました。
 必ず数人でやらなければいけなかったのですが、
 ある日近所の川の橋の下で
 友人の見ている前で私一人でやってみました。
 多分「○○君は私のことが好きですか」なんて
 たわいもないことを聞いていたと思いますが、
 やっているうちに鉛筆を握った自分の右手で
 左手の甲を何度も刺しはじめました。
 突き刺さるほどの強さではなかったのですが、
 自分で自分のことがコントロールできなくなってしまい、
 ものすごく怖くなってしまいました。
 ルールでは
 「終りにします。ありがとうございました」
 と言ってから終らなければいけなかったのですが、
 こわくてとちゅうでやめてしまいました。
 すると友人が
 「途中でやめると呪われるよ」と言ったので、
 非常に怖かったのですが、
 15年くらい経った今でも呪いはないようです。
 思春期って誰でも情緒不安定なのかな。
 今でもああいうの、はやっているんだろうなぁ。

 女の子って必ずああいうのに一度ははまりますよね。
 今では本当に不思議。
 (くわりん)

私が小学生の頃、歌手の三田明がヒットさせていた
 「美しい十代」と言う曲名を「美しい重大」と思い込み、
 美しい重大の重大とは、いったい
 どんな大変なことなのか
と真剣に悩んだ時期がありました。
 (ター坊)

小学生のころは、凶暴というか、
 元気いっぱいでした。皆がそうでした。
 学校からの帰り道、道路わきに生えている
 背の高い草をなぎ払いながら帰る、という遊びが流行り、
 傘や拾った棒を振り回しながら帰っていました。
 子供心にサムライにでもなったつもりでした。
 飽きると、回し蹴りで草を折りながら帰っていました。
 次の日になるとまた生えているので、
 まるで何かと戦っている気分でした。
 今思うと近所の人に迷惑な遊びだったなぁ、と思います。
 道路が散らかるんです、非常に。
 (匿名のかた)

小学校低学年の頃、6才年上の姉とよく喧嘩をした。
 毎回負けて気が済まなかった私は
 姉のガラスのテーブルに釘で「バカ・アホ」と彫った。
 それから10年、姉がお嫁に行く際に、
 お下がりの家具は私の元へやって来た。
 10年前の悪戯などすっかり忘れていた私が
 ガラスのテーブルに貼られていた
 不自然なテープを剥がしてみると・・・その言葉、
 そっくり自分に返って来ました。

 (みいま)

小さいころ、自分は呼吸をしていないと信じていました。
 ふ、と気づくと呼吸をしているのですが、
 これは、自分を普通の人間だと思わせるために、
 そのときだけ呼吸しているのであって、
 普段は絶対に呼吸をしていないのだと思っていました。
 親に「みんなしてるのよ」と言われても、
 「でも私はしてないもんっ」と思っていました。
 ある日、なぜか突然、あ、私、普段もも呼吸してる、
 と思ったとき、普通の大人になってしまった気がして
 ものすごく残念だったのを覚えています。
 でも多分幼稚園くらいのころだったので
 ちっともオトナになってはいなかったんですが。
 しかも、その後数年は、自分は水の中でも
 呼吸できると信じていました。
 なんであんなに呼吸に執着してたんだろう・・・。
 (ゆん)

私の子供時代といえば、小学生のとき、
 仲の良かった友達と毎日のように遊び、
 わけのわからん漫画やら歌を作ってました。
 とくによく覚えてるのが、うちの母の歌です。
 うちの母は結構変わり者で、
 たまに変な事を言ったりするので、
 私達にはそれが凄く面白く感じたようです。

 「♪赤チェック、はば、脂肪分♪
   だけどだけど、あきらめな〜い♪
   まずは、赤チェック♪
   いやがる娘をごういんに〜♪
   買ったばかりにビンタされ〜♪
   最後に娘が死亡した〜♪」

 うちの母が、
 私が「そんなんいらん!」と言うのも聞かずに
 赤チェックの派手な服を
 買った事が題材になってます。(笑)
 この歌は「赤チェック」と「はば」と「脂肪分」で
 3番まであります。
 (ちはる)

自転車にどうしても乗れない子がいた時です。
 私も小学生だった頃。冗談半分に
 『自転車の荷台(後輪の上のところ)に腰掛けて、
  腕をめいいっぱい伸ばした体勢だとバランスが取れる』
 といってみたんです。
 『あとね、この方が
  楽ちんなんだよね(当時はそう思っていました)』
 すると、その子は、これがほんとにその体勢でのみ
 自転車に乗れるようになっちゃったんです。
 少年野球でグランドに行く時も、
 彼はいつも後ろ座りで、
 『みんなぁ〜、速いよぉ〜、待ってよぉ』
 とちょっと遅れて追いかけてきたのを思い出します。
 みんなはいわゆる自転車の立ち漕ぎで、
 彼に差をつけようと先に急ぎました。
 立ち漕ぎ集団を、後ろ座りの自転車が追いかける図。
 先日、いわゆるヤンキーがこの乗り方で、
 よろよろ自転車をこいでいました。
 やっぱ楽ちんなのでしょうか・・・。
 (鵜)

姉と2人で
 お風呂に入っている時限定でする遊びがありました。
 タイルの上に、薄いスポンジで出来た
 お風呂マットみたいなのを敷いていたんですけど、
 その上に石鹸を塗りたくって、
 2人で当時全盛期だったジュリアナ東京の真似をして
 きゅきゅっと、腰をふって踊りまくっていました。
 あまりの恍惚感に我を忘れて踊っていると、
 突然姉が派手に滑り真横につるっとこけました。

 裸で海老のように身体を折って痛がる姉を見て、
 一瞬にして現実にかえりました。
 お風呂をでた夕食の時も
 とても痛そうにしていましたが、
 まさかそんなことをしていたとも言えず。
 でもそれ以来、2人が
 その遊びをすることはありませんでした。

 が、それに懲りたわけではなく次に流行ったのは、
 ヤクルトをお風呂に持ち込んで
 温泉内で晩酌している人の真似をすることでした。
 ヤクルトの空をお風呂場のゴミ箱で発見されては
 叱られていました。
 今でも友達に銭湯に行こう!なんていわれると、
 とってもはしゃいでしまいます。
 ガキの頃も、バカでした。
 (もうすぐ母)

小学4年の頃。
 母とお風呂に入っていたとき、自分で
 「わたしねぇ、赤ちゃんが
  どうやって出来るのかは知ってるんだけど
  どこから産まれてくるのかわかんないんだよねぇ〜」
 と、のたまったのを記憶しています。
 その時の母の困った顔も覚えています。
 いったい何がわかっていたのでしょうか?
 (かいままん)

小さい頃、
 「自分は今びっくりカメラに撮られていて、
  あたしが変なことをすると、
  テレビを見ている友達に大笑いされるんだ」
 と信じきっていました。
 だから、よく部屋の天井の隅とかを睨んで、
 カメラがないかきょろきょろしてました。

 クセで、今でもよくきょろきょろします。
 (水)

わたしはコドモの時に作詞作曲しました。
 「い〜もむしど〜ろごろ♪
  ご〜ろごろ♪ご〜ろごろ♪(※くりかえし)
  たのし〜いな♪」という歌なのです。
 「これはスゴイ!」と思って
 そばにいた祖母と母に歌って聞かせたのですが
 「そんなの、どっかで聞いた詩でしょ?
  あんたが作ったんじゃない!」とあしらわれました。
 実際小学校に上がって音楽の教科書に
 「いもむしごろごろ」という、まさにその通りの曲を
 見た時には「わたしのほうが先なのに...」と
 悔しい思いでいっぱいでした。
 でも、曲は違う曲調だったので、曲だけでも
 「わたしが作曲したんだ!」と思っていました。
 時が過ぎてわたしも成人。
 このエピソードを恋人に話して、歌って聞かせた所、
 「メリーさんの羊のメロディじゃん!」とあっさり言われました。
 ......!!
 曲もパクリだったのか..。
 曲だけはオリジナルと20年間信じて来たのになぁ。
 (むう太)

僕が幼稚園児くらいのころだったと思います。
 母方の実家に帰ったときに
 ○○ちゃんはかわいいね〜、かわいいね〜と
 みんなから言われ、一人でトイレにこもって
 「カッコイイのほうがいい!!」
 といってぐずっていたのを覚えています。
 あの年でも一応男としての自覚があったようです。
 (寅弥)

練習と言えば思い出すのが自転車に乗る練習。
 小学校の1年の時の先生が割と熱心で、
 放課後に自転車に乗れない子を集めて
 みんなで校庭で練習したのです。
 だんだん暗くなるにつれて乗れる子が増えてきて、
 とうとう、私とあと一人だけになってしまいました。
 しかも、その子は一生自転車に乗る気はないと言っている子。
 実質最後だ、というか、ここで諦めたら
 私も一生自転車に乗れないままだ!と思ってそれが嫌で、
 「えいや」ってこぎだして乗れるようになりました。
 自転車に乗ると時々思い出します。
 (しま)

バスで降りるときに押すボタンを
 運転手さんとの早押し競争だと思っていました。
 押さなくても停まってくれるのだと思っていた私は
 初めて一人でバスに乗ったときに(小1)、
 二つも停留所を乗り過ごすはめになり、ようやく頭の中で
 『ボタン=停まる』と回線がつながりました。
 (文)
 
   
(ミニコメント)

「いったいどういう重大なことなのか」
とんでもないほど悩むけど、ムダな悩み。
子どもには、いっぱいありまして、でも、
それをあとで、笑いながら思い出せるのならば、
それだけでも、悩んだ甲斐は、あったもんです。
「自転車にのるとおもいだす」とか、
そういうきっかけになるエピソードが
たくさんある人、豊かなたのしみを味わったんだなぁ。

子どもについての言葉を、4つ、ご紹介しましょう。

「子供は五歳までに、
 その生涯に学ぶべき事を学び終える(フレーベル)」

「子供の遊びの動機となっている願望は、結局は
 大人になりたい、大きくなりたいという願望である。
 この願望は子供を教育する上の
 助けになっているものなのである(フロイト)」

「子供というものは、生まれながらにして
 すでにさまざまな性格や気質を負っている
 恐るべき老人なのである(モーリアック)」

「子供と動物はずいぶんよく似ています。
 どちらも自然に近いのです。
 でも子供が狡猾な猿よりも良く理解する事が
 一つあります。
 それは偉人の立派な行為のことです(プラトン)」

どれも、このコーナーを読んでると、
なるほど、と思える行動が、具体的に浮かびますね。

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2003-07-18-FRI
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