(7月18日)
●父親っ子だった私は、父が大好きなあまり、
自分を男だと信じるだけではあきたらず、
「ボクは大きくなったら、パパになるんだ!」
とつねに公言していたそうです。
で、お風呂で自分に「ついてない」のに着眼し、
「まぁ、そのうち生えてくるんだろう」と
自分を納得させていました。
今思えば、あまりにフロイト説に合致しているので
イヤになり、
学のある知り合いには絶対に言えません。
しかし親戚一同は、成人してからも許してくれず、
「アンタ、男になるんじゃなかったん?」
などとイジメてくれます。
(female)
●小学生の頃、
「花粉症ってかっこいいね」と、
妹と近所の友達と
試しに杉の花粉を吸ってみました。
ハックション、ハクション、ヘックション、
その日から見事3人そろって、
花粉症デビュー!!
花粉症になって分かるこのツラさ。
ぜんぜんかっこよくない事に気づきました。
(当たり前)
でも当時まだ花粉症がこんなに流行っておらず、
「私、花粉症なんだよね〜」と
ちょっと自慢げに言っていたのを思い出します。
(くう)
●読んでるうちに
自分の子供のときのことも色々思い出しました。
その壱
幼稚園にあがる前、
夕暮れになると毎日「朝にしてぇ」とわんわん泣き、
母を困らせていたらしい。今でも夕方は苦手です。
その弐
小学生1年生の頃、弟とケンカになると
「1足す1は?!」と問いかけると沈黙することを利用して
攻撃してました。しかし、そのうち彼も答えを学んだため
この姑息な手段は使えなくなりました。
(iz)
●オタマジャクシを30匹ほど捕まえて、
友達にプレゼントしました。
バケツにうじゃうじゃといるオタマに
激怒したのは友達の母さん。
見たくもない!と、倉庫に監禁。
数日してこっそり覗いてみると30匹もいたオタマが1匹。
その1匹には後ろだけ足が生えてました。
29匹は蛙になったんだろうなぁ。倉庫の中で。
妹の中学1年生の春の遠足は,
初めての飯盒炊爨(はんごうすいさん)でした。
プリントに書かれた「持っていくもの」を
入念にチェックしながら準備したそうです。
しかし,当日,
大切な「お茶」を忘れてしまいました
(忘れたことにしました)。
飯盒炊爨に期待しすぎて,自分だけ
「お茶の葉」を持っていってしまったからです。
(クララベル)
●小学校6年生のころ
「星の王子様」というこっくりさんもどきのゲームが
大流行しました。
必ず数人でやらなければいけなかったのですが、
ある日近所の川の橋の下で
友人の見ている前で私一人でやってみました。
多分「○○君は私のことが好きですか」なんて
たわいもないことを聞いていたと思いますが、
やっているうちに鉛筆を握った自分の右手で
左手の甲を何度も刺しはじめました。
突き刺さるほどの強さではなかったのですが、
自分で自分のことがコントロールできなくなってしまい、
ものすごく怖くなってしまいました。
ルールでは
「終りにします。ありがとうございました」
と言ってから終らなければいけなかったのですが、
こわくてとちゅうでやめてしまいました。
すると友人が
「途中でやめると呪われるよ」と言ったので、
非常に怖かったのですが、
15年くらい経った今でも呪いはないようです。
思春期って誰でも情緒不安定なのかな。
今でもああいうの、はやっているんだろうなぁ。
女の子って必ずああいうのに一度ははまりますよね。
今では本当に不思議。
(くわりん)
●私が小学生の頃、歌手の三田明がヒットさせていた
「美しい十代」と言う曲名を「美しい重大」と思い込み、
美しい重大の重大とは、いったい
どんな大変なことなのかと真剣に悩んだ時期がありました。
(ター坊)
●小学生のころは、凶暴というか、
元気いっぱいでした。皆がそうでした。
学校からの帰り道、道路わきに生えている
背の高い草をなぎ払いながら帰る、という遊びが流行り、
傘や拾った棒を振り回しながら帰っていました。
子供心にサムライにでもなったつもりでした。
飽きると、回し蹴りで草を折りながら帰っていました。
次の日になるとまた生えているので、
まるで何かと戦っている気分でした。
今思うと近所の人に迷惑な遊びだったなぁ、と思います。
道路が散らかるんです、非常に。
(匿名のかた)
●小学校低学年の頃、6才年上の姉とよく喧嘩をした。
毎回負けて気が済まなかった私は
姉のガラスのテーブルに釘で「バカ・アホ」と彫った。
それから10年、姉がお嫁に行く際に、
お下がりの家具は私の元へやって来た。
10年前の悪戯などすっかり忘れていた私が
ガラスのテーブルに貼られていた
不自然なテープを剥がしてみると・・・その言葉、
そっくり自分に返って来ました。
(みいま)
●小さいころ、自分は呼吸をしていないと信じていました。
ふ、と気づくと呼吸をしているのですが、
これは、自分を普通の人間だと思わせるために、
そのときだけ呼吸しているのであって、
普段は絶対に呼吸をしていないのだと思っていました。
親に「みんなしてるのよ」と言われても、
「でも私はしてないもんっ」と思っていました。
ある日、なぜか突然、あ、私、普段もも呼吸してる、
と思ったとき、普通の大人になってしまった気がして
ものすごく残念だったのを覚えています。
でも多分幼稚園くらいのころだったので
ちっともオトナになってはいなかったんですが。
しかも、その後数年は、自分は水の中でも
呼吸できると信じていました。
なんであんなに呼吸に執着してたんだろう・・・。
(ゆん)
●私の子供時代といえば、小学生のとき、
仲の良かった友達と毎日のように遊び、
わけのわからん漫画やら歌を作ってました。
とくによく覚えてるのが、うちの母の歌です。
うちの母は結構変わり者で、
たまに変な事を言ったりするので、
私達にはそれが凄く面白く感じたようです。
「♪赤チェック、はば、脂肪分♪
だけどだけど、あきらめな〜い♪
まずは、赤チェック♪
いやがる娘をごういんに〜♪
買ったばかりにビンタされ〜♪
最後に娘が死亡した〜♪」
うちの母が、
私が「そんなんいらん!」と言うのも聞かずに
赤チェックの派手な服を
買った事が題材になってます。(笑)
この歌は「赤チェック」と「はば」と「脂肪分」で
3番まであります。
(ちはる)
●自転車にどうしても乗れない子がいた時です。
私も小学生だった頃。冗談半分に
『自転車の荷台(後輪の上のところ)に腰掛けて、
腕をめいいっぱい伸ばした体勢だとバランスが取れる』
といってみたんです。
『あとね、この方が
楽ちんなんだよね(当時はそう思っていました)』
すると、その子は、これがほんとにその体勢でのみ
自転車に乗れるようになっちゃったんです。
少年野球でグランドに行く時も、
彼はいつも後ろ座りで、
『みんなぁ〜、速いよぉ〜、待ってよぉ』
とちょっと遅れて追いかけてきたのを思い出します。
みんなはいわゆる自転車の立ち漕ぎで、
彼に差をつけようと先に急ぎました。
立ち漕ぎ集団を、後ろ座りの自転車が追いかける図。
先日、いわゆるヤンキーがこの乗り方で、
よろよろ自転車をこいでいました。
やっぱ楽ちんなのでしょうか・・・。
(鵜)
●姉と2人で
お風呂に入っている時限定でする遊びがありました。
タイルの上に、薄いスポンジで出来た
お風呂マットみたいなのを敷いていたんですけど、
その上に石鹸を塗りたくって、
2人で当時全盛期だったジュリアナ東京の真似をして
きゅきゅっと、腰をふって踊りまくっていました。
あまりの恍惚感に我を忘れて踊っていると、
突然姉が派手に滑り真横につるっとこけました。
裸で海老のように身体を折って痛がる姉を見て、
一瞬にして現実にかえりました。
お風呂をでた夕食の時も
とても痛そうにしていましたが、
まさかそんなことをしていたとも言えず。
でもそれ以来、2人が
その遊びをすることはありませんでした。
が、それに懲りたわけではなく次に流行ったのは、
ヤクルトをお風呂に持ち込んで
温泉内で晩酌している人の真似をすることでした。
ヤクルトの空をお風呂場のゴミ箱で発見されては
叱られていました。
今でも友達に銭湯に行こう!なんていわれると、
とってもはしゃいでしまいます。
ガキの頃も、バカでした。
(もうすぐ母)
●小学4年の頃。
母とお風呂に入っていたとき、自分で
「わたしねぇ、赤ちゃんが
どうやって出来るのかは知ってるんだけど
どこから産まれてくるのかわかんないんだよねぇ〜」
と、のたまったのを記憶しています。
その時の母の困った顔も覚えています。
いったい何がわかっていたのでしょうか?
(かいままん)
●小さい頃、
「自分は今びっくりカメラに撮られていて、
あたしが変なことをすると、
テレビを見ている友達に大笑いされるんだ」
と信じきっていました。
だから、よく部屋の天井の隅とかを睨んで、
カメラがないかきょろきょろしてました。
クセで、今でもよくきょろきょろします。
(水)
●わたしはコドモの時に作詞作曲しました。
「い〜もむしど〜ろごろ♪
ご〜ろごろ♪ご〜ろごろ♪(※くりかえし)
たのし〜いな♪」という歌なのです。
「これはスゴイ!」と思って
そばにいた祖母と母に歌って聞かせたのですが
「そんなの、どっかで聞いた詩でしょ?
あんたが作ったんじゃない!」とあしらわれました。
実際小学校に上がって音楽の教科書に
「いもむしごろごろ」という、まさにその通りの曲を
見た時には「わたしのほうが先なのに...」と
悔しい思いでいっぱいでした。
でも、曲は違う曲調だったので、曲だけでも
「わたしが作曲したんだ!」と思っていました。
時が過ぎてわたしも成人。
このエピソードを恋人に話して、歌って聞かせた所、
「メリーさんの羊のメロディじゃん!」とあっさり言われました。
......!!
曲もパクリだったのか..。
曲だけはオリジナルと20年間信じて来たのになぁ。
(むう太)
●僕が幼稚園児くらいのころだったと思います。
母方の実家に帰ったときに
○○ちゃんはかわいいね〜、かわいいね〜と
みんなから言われ、一人でトイレにこもって
「カッコイイのほうがいい!!」
といってぐずっていたのを覚えています。
あの年でも一応男としての自覚があったようです。
(寅弥)
●練習と言えば思い出すのが自転車に乗る練習。
小学校の1年の時の先生が割と熱心で、
放課後に自転車に乗れない子を集めて
みんなで校庭で練習したのです。
だんだん暗くなるにつれて乗れる子が増えてきて、
とうとう、私とあと一人だけになってしまいました。
しかも、その子は一生自転車に乗る気はないと言っている子。
実質最後だ、というか、ここで諦めたら
私も一生自転車に乗れないままだ!と思ってそれが嫌で、
「えいや」ってこぎだして乗れるようになりました。
自転車に乗ると時々思い出します。
(しま)
●バスで降りるときに押すボタンを
運転手さんとの早押し競争だと思っていました。
押さなくても停まってくれるのだと思っていた私は
初めて一人でバスに乗ったときに(小1)、
二つも停留所を乗り過ごすはめになり、ようやく頭の中で
『ボタン=停まる』と回線がつながりました。
(文)
|
(ミニコメント)
「いったいどういう重大なことなのか」
とんでもないほど悩むけど、ムダな悩み。
子どもには、いっぱいありまして、でも、
それをあとで、笑いながら思い出せるのならば、
それだけでも、悩んだ甲斐は、あったもんです。
「自転車にのるとおもいだす」とか、
そういうきっかけになるエピソードが
たくさんある人、豊かなたのしみを味わったんだなぁ。
子どもについての言葉を、4つ、ご紹介しましょう。
「子供は五歳までに、
その生涯に学ぶべき事を学び終える(フレーベル)」
「子供の遊びの動機となっている願望は、結局は
大人になりたい、大きくなりたいという願望である。
この願望は子供を教育する上の
助けになっているものなのである(フロイト)」
「子供というものは、生まれながらにして
すでにさまざまな性格や気質を負っている
恐るべき老人なのである(モーリアック)」
「子供と動物はずいぶんよく似ています。
どちらも自然に近いのです。
でも子供が狡猾な猿よりも良く理解する事が
一つあります。
それは偉人の立派な行為のことです(プラトン)」
どれも、このコーナーを読んでると、
なるほど、と思える行動が、具体的に浮かびますね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|