(7月19日)
●わたしの甥っこ2人兄弟は
小学生の低学年の時、ドラえもんを観ていて、
しずかちゃんの入浴シーンが出ると
急にあせりだし、テレビからだだだと逃げ、
ふすまの影にかくれて観ていた。
しずかちゃんの入浴シーンに
何かを感じているに違いない。
(もゆ)
●今も昔もガキというのは
いろんなことをしでかすものですね。
わたしは図書ボランティアの親玉をしておりまして
時々小学校の図書室にいきますが
そこでもガキが、しょーもないことをしておりました。
図書室の一角が妙に騒がしい。
近づいてみると図鑑の上に
小学1年生が5人ほど覆いかぶさっている。
図鑑は人体に関するもので、開かれたページには
7センチ角ほどの上半身裸の女性の写真があり、
彼らはその写真のおっぱいをかわるがわるなめながら
「エロい!」
「うっひょー、エロすぎ!」
とウハウハしていたのであった。
…エロいというより、それはどうみても
いまだにおかあちゃんのおっぱいに
かじりついている図なんだけどなぁ。
笑い出しそうになるのを我慢して、
そのちびっこたちには
「図書室の本をなめたり
かじったりしてはいけないこと」と
「図書室では静かにすごすこと」を教えておいた。
しっかし。
おとこのこっていうのはおっぱいがすきなのねぇ。
(ぬばたまの)
●うちの弟ですが、
小さいころ有名な「この木何の木」のCMの曲に
言い知れぬ恐怖を感じていたらしく、
あのCMがはじまると、コタツにもぐっていました。
今、その話をすると怒り出します。
(ハチミツ)
●私は幼稚園の頃、夜泣きソバのチャルメラが
聞こえてくると「人さらいがやってきた!」と
通り過ぎるまで部屋のすみっこで息を殺していました。
なぜか夜泣きソバの屋台をひいている人は
ピエロの格好をしていて、
チャルメラの音色で子供を誘い出しては
屋台に詰めこみ、どこか知らない街へ売りとばすのだと
勝手に妄想していたのです。
今でもチャルメラを聞くと、ドキッとします・・・。
(ありんこ)
●子どもの頃、霊柩車が通った時に親指をかくさないと
親が死んでしまうという迷信があって、霊柩車が通ると、
自転車にのっている時なんかでも、必死に隠してました。
最初のうちは親指だけでしたが、そのうち
「人さし指はお母さん、なか指はお姉さん、
くすり指はぼくで、小指が妹」
って勝手に決めるようになって、
みんなが死なないようにと思って、
親指から小指まで順番に隠すようになりました。
結構大変なんですけど、実は今でもやってしまいます。
(かに)
●親戚が子どもの頃、自分より年上の人が集まって
なぞなぞの話をしている場所で、
自分も何とか話題に入りたいらしく
「赤くてぇ〜、四角くてぇ〜、
ポストみたいなのなぁ〜んだ?」
と出題し、周囲を爆笑の渦に巻きこんだらしい。
(シェパード)
●子どもの頃、
台フキン(テーブルを拭くやつ)が大好きで
チュッチュッチュッとよく吸っていました。
適度な湿り気と色んな味が混ざりあってて、
それを吸うのが好きで好きで・・・。
大人に見つかって何度も怒られたけど、隠れて続けてた。
今思うと吐きそうなくらい気持ち悪い・・・
(fumi)
●わたしの姉は、父から
「しょうゆを飲んだらノドから毛が生える」
と教わり、できるかぎりしょうゆを
少量しかとらないようにしてたそうです。
中学2年生の夏まで信じて、学校で泣きながらみんなに
「しょうゆで生える毛の恐怖」
を訴えてバカにされたらしく、
それがヤンキーになる原因だった・・・
と今でも言います。
しかし、なぜノドから毛が生えたら
怖かったのだろう?
(くじら)
●3歳年下の妹が
小さいころから可愛くて可愛くて仕方なかった私。
当時は「マミ」という名前が
世界で一番可愛い名前だと思っていたので、
妹のことを影で、こっそりマミちゃんと呼んでいた。
「あなたの本当の名前はマミ。
でもみんなには秘密ね」
と言い聞かせ、彼女をその名で呼ぶ度に、
ささやかな、でも確実に大きな幸せを感じていた。
(ぞるば)
●私は小学校1年生のあるとき、
一日中唾液を飲み込んでいることに気づきました。
「こんなにずっと
飲みこまなくちゃいけないんだったら、
お腹がいっぱいでご飯なんか食べられない」
と、本当にご飯が食べられなった時期があります。
(t)
●3〜4歳のころだと思います。
人は、寝ているとき息をしないものだと思っていたので、
寝るときはいつも息を止めていました。
そして息が続かなくなると、息継ぎをするのですが、
たいてい、2〜3回息つぎをした時点で寝入ってました。
(えんきょ)
●小学生の頃、飼い犬の散歩をしていて、
なぜか犬と同じ歩調で歩きたくなり、
ちょこまかと犬に合わせて足を動かし、
当然早歩きになり、
結果犬もつられて早く歩き出し、
それに合わせて私がもっとちょこまか歩く、
というループに陥りました。
(う)
●教育テレビの囲碁の番組が、
大好きで、よく見ていました。
単純にパネルに碁石のマグネットを貼る
という行為が格好いいと思ったんです。
いつも冷蔵庫の前で、
「はい、先生ここが取れますね」
とか一人で話しながら、
マグネットをつけたり、はずしたり。
ものすごい地味な遊びでした。
(和)
●家で宿題を教えてもらってた時
私「動詞って何?」
親「動くものだよ」
私「じゃあ、カブト虫って動くから、動詞だよね?」
(H)
●台フキンが好きでチュッチュッチュッ……
というのを読んで、わたしが子どもの頃、
湯船の湯が大好きだったことを思い出しました。
しかも洗面器にくんで、
ゴクゴク豪快に飲んでいました。
「どっちがたくさん飲めるか!」
と2つ違いの姉と競いながら、
それはそれはたらふくいただきました。
家族みんなが入ったあとの湯には、
ほのかに甘みがあるというか……
たぶん、ほどよいダシ(=垢?)が
出ていたのでは、と思われます。
・・・それにしても、気持ちわりぃ〜!
(ひらりん)
●前に「証文」の話が出ていましたが、
自分たち兄弟もやってました。
小銭の貸し借りをする時などに…。
我々の間で『契約書』と呼ばれていたそれには、
約束を破った場合のペナルティまで
設けられていたのですが、以下、その部分も含めて
問題の『契約書』に書かれた文面を再現してみます。
『契約書
私○○は○月×日に借りた000円を
00日以内に返すことを誓います。
なお、約束を破った場合は
お母さんに言いつけるものとする」
実に子供らしく情けない罰則ですが、
これのおかげで契約破りが
一度も発生しなかったことを考えると、
子供にとっていかに母親の権威が
絶対であったかがうかがえると思います。
(おそろしゴリラ)
●小学校3年生位まで
教科書のはじっこをちぎって食べてました。
最初は空腹を満たす為、
給食までお腹の足しにしていたのですが、
やがて、当時 国語の成績が一番良かった原因を
「教科書を食べるようになったから
頭が良くなったとんだ」と思い込み、
積極的に国語の教科書を食べていました。
無地だとあきるので、当時流行った
イチゴやオレンジの香りのペンを塗りたくって
味付けまでして食べてました・・・。
(さっぷ)
●若かりしOL時代の恥ずかしいお話です。
職場に向かって歩いていた時、
前方を歩いていた男性が白いハンカチを落としました。
私は善良な市民の勤めと思い、
「ハンカチ落としましたよ」と
白い物体を拾って渡そうとしました。
しかし、拾って愕然。
ハンカチではなく、ハナガミだったのです。
なんで私はこんなモンを拾ってしまったのか、
拾ってどうする!
それも帝国ホテルのまん前。
今思い出しても、とってもハズカシーーーー。
(みかわや)
●姉が書いた作文。
その題材になった出来事。
当時姉は小学生2年生、私は保育園児でした。
ある日姉とおばあちゃんが
自転車で保育園まで迎えに来てくれました。
自転車の後ろのカゴ椅子に私は座り、
おばあちゃんがおしてくれていました。
ちょうど軽い坂になっている所にさしかかった時、
おばあちゃんはバランスを崩し、
自転車は大きな音を立てて倒れました。
私は膝に大きな傷をつくり、
骨が見えそうなくらいえぐれていました。
ワンワン泣いた私を連れて家まで帰ってくれた
おばあちゃんも、実は肋骨が1本いってました。
1人無傷だった姉。
作文の最後はこうしめくくられていました。
「私じゃなくて良かった」
なんてヤツだ。
(ケダマ)
●小学生のとき、好きだった女の子と自分との会話を
想定して、一人芝居をテープに吹き込んでいました。
「○○くん(自分)だーいすき!
いやん、おっぱいさわらないでー」
不覚にもそれを姉に聞かれ、
おもいっきり軽蔑されました。
思えば、自分の声を聞いて何に興奮してたか知りませんが、
とにかくハズい思い出です。
(T)
●幼稚園の時のことです。
母がアイロン掛けしている横で、
幼児にしては大きめのタンスの手前側に
ぶら下がり暇を潰していたところ、
タンスが僕の方に倒れてきました。
僕はとっさにタンスを押し返し難を逃れました。
激しく母に怒られたのですが、僕は
「…フフフ、この力を使えば悪の軍団に勝てる!」
と思ってワクワクしてました。
(なおま)
●小学生の頃、家族全員で
TVアニメ「忍者はっとりくん」を見ていたとき。
リ〜ンと鳴った電話に
「ハイ。忍者はっとりくんです」
と出てしまった私。当然家族は大爆笑。
(ハセ)
●中学生になるまで
赤ちゃんはウンコの延長で
産まれてくるもんと思っていた。
堅いウンコの時など、ふんばったら
赤ちゃんが出てきやしなかとドキドキしながら
そろりそろりと頑張っていた。
(鷹)
●小学生のころ横浜の伯母の家に遊びに行くと、
「児童公園で遊んできたら?」とよく言われました。
それを私は「自動公園」だと思い込んでいて、
「何が自動なんだろう?入り口かなぁ。
やっぱり横浜は違うなぁ」と内心感心していました。
でもそのハイテクについてゆく自信がなく、
結局一度も行きませんでした。
(漆花)
●小学低学年のころ、アニメやドラマで
「つづく」という字幕を見るたび、
「終わりの時には、つづくって書くのがかっこいいんだ!」
と勘違いしていた私。物語でも絵本でも、
最後のページに必ず、
「つづく」と落書きしていました。
しかもマジックで・・・全然つづいてないし。
(たまふろ)
●デリバリー版に載っていた
「足の指をなめた」に反応してしまったのですが、
私は小さい頃、足の指の爪をかむのが大好きでした。
噛みすぎて深爪をしてしまい病院に行った時、
その体の柔らかさに驚かれたものです。
(きょん)
●足の親指をなめるって話、私もありました!
思い出しました。
保育所に通っていた頃、
お昼寝の時間はいつもこっそり
布団の中で足の親指を舐めるのが好きでした。
人に見られてはいけないという意識があったのか、
常に隠れて吸ってました。
普通、手の指をくわえることはあっても
足指をくわえるヤツはそうそういないぞ、
と自負しつつ、こっそりと。
(あら)
●テープの話で思い出しました。
たぶん幼稚園にも入らない頃、
私と3つ下の弟が
『忍者ハットリくん』のテーマソングを
なぜか号泣しながら歌っているのが
録音されたテープが、今でもあります。
20年近くたった今、それを母が料理しながら
BGMにして「あの頃はよかったのに…」とつぶやきます。
(みちこ)
●兄と私はムーミンがとても好きで、
幼稚園には遅れるくせに
どちらも放送開始時刻前にはテレビの前にいた。
とあるムーミン放送日、
兄が高熱を出して母に病院に連れて行かれた。
私は熱を出した兄は死んでしまうのだと決めつけていて、
どうせ死んでしまうのだから、せめて最後くらいは
好きなムーミンを
いい席で見せてやろうと思い待っていた。
席を用意し待っているのに、
ムーミン開始時刻が迫っても兄が帰ってこない。
兄はムーミンを見る事なく
死んでしまうのかと思うと悲しくなった。
どのくらい悲しかったかというと
「お兄ちゃん!
ムーミン始まっちゃう!ムーミン始まっちゃう!」
と絶叫しながら
その病院まで全力で走って行くほどだった。
その距離500メートル。
私が爆走したその道はムーミンと呼ばれていて、
今でもカバ似の本物のムーミンを見るとそれを思いだし、
思わずニヤニヤとしてしまう。
(m)
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(ミニコメント)
最近の無料メルマガ・「ほぼ日デリバリー版」に
掲載されたものの中から、よりぬきでおとどけしました!
「ムーミン」「囲碁」などは、何度読んでもかわいいし、
「しずかちゃん」「図鑑で興奮する男児たち」などは、
とても大きな反響をいただいたんですよ。
もちろん、台フキン、風呂のお湯、足の指など、
独特の「好物」も、ナイスジャンルでした。
今日だけ、メルマガの内容と重なるものを特集しましたが、
明日からは、昨日までにひきつづき、まだ、
「ほぼ日」上のどこにも載っていなかったガキの話を、
じゃんじゃん、お送りしていきますねー!
陶酔と本気と不安がうずまくガキ世界、今後ともよろしく。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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