KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月21日)

幼稚園ぐらいの頃の話です。
 石油がなくなったら世の中がたいへんなことになる
 っていうような内容のニュースを聞いた後、
 「世界中のすべての石油が採掘され尽くした瞬間
  すべてのものがフッと消えてなくなる」
 と思い込んでいました。家も家具いきなりなくなり
 ボクの服も消えて裸になってしまう。
 本気で世界のことを心配していました。

 (わだち)

むかし、うちの辺のコドモたちは
 かなりの割合で「高速道路=東名」と思っていたと思う。
 東名っていう言葉が高速道路を表してると。
 (しらすぼし)

小学校一年生のとき、体育でとびばこがありました。
 うまく跳ぶことができず、悲しかったので
 その日、布団をしいて、父に馬になってもらい
 懸命にとびばこの練習をしました。
 そしたら、次の体育の時間
 先生がうまく跳べる人の例として私を指名しました。
 「お尻が高く上がるから、よく見ていてください」
 と先生の一言が。とてもうれしくて、
 「お尻をたか〜くあげないと」とはりきった私は、
 踏み切りで跳びすぎ、そのまま、
 顔面からぼてっとマットに突っ込んで行ってしまいました。
 みんなからは、爆笑が・・・。
 てへへ・・・となりながらも、
 あの時の満足感は忘れられません。
 後に、母が先生に私ががんばって練習をしていた姿を
 報告していたことを知りました。
 両親と、先生に感謝。
 (ひら)

何かのお土産に付いていたドライアイスが
 テーブルに置いてありました。
 アイス(クリーム)だと思い込んだ
 幼稚園児の自分は
 親の目を盗んでぺろっと舐めてしまい・・・

 その後の騒ぎは想像におまかせしますが。
 (アツシ)

4才ぐらいの時
 ひとりお寺の長い階段を登っては
 遊んでいた私に、叔父がやってきて(当時20歳)
 「あれ、恐竜の卵なんやで、
  もうすぐ生まれるからみときや」っと言われ、
 毎日朝から晩まで「ガスタンク」を見ていた。
 なかなか生まれないので祖母に聞くと、
 嘘だと判明。かなり傷つきました。
 (amico)

おいらも小僧のときに
 訳のわからん思いこみをしていたことがあります。
 「水は高いところから低いところへ流れる」
 ってことで、日本海側の川は南に向かって流れていて、
 山の下を伏流水で流れ、やがては太平洋の大海原へ・・・
 と高学年まで信じてました。
 確かに地図の上では北が上なんだけどね。
 社会の時間にホントの事を知った瞬間は、
 目の前真っ暗でした。

 (おいらはおやじ)

11才の時、
 親の仕事の都合でテキサスに渡米しました。
 小学校のクラスで日本人は私1人。
 数ヶ月たち、なんとか会話ができるようになり、
 下校時はいつものように、
 仲良くなったパキスタン人姉妹と、
 黄色いスクールバスに乗っていました。
 すると彼女らが、
 「あなたは家で何語しゃべるの?」と聞いてきました。
 もちろん「日本語」と答えると、
 「家でも両親と英語で喋らなきゃだめ!
  私達は家でも英語よ!」とまくしたてられ、
 私は、ここで生き延びるには
 「自分の言語や文化を捨てる覚悟」
 をしなくてはならないんだと感じ、
 泣き出してしまいました。
その覚悟には、
 語学や文化の壁をこえさせると共に、
 母国語を忘れさせる作用があるようです。
 高校2年の時に帰国して、大学からまた渡米。
 現在ニューヨーク在住10年。
 一時期「日本に絶対帰りたくない」時があって、
 日本語が危うくなり、道端や日本食料品店等で、
 日本人として見てもらえませんでした。
 今では、ダーリンのように「京都移住計画」を立てたり、
 日本製の服を着たり、髪は日本でカットしてるので、
 店員さんも日本語で話しかけてくれます。
 (はぽねさ)

モノゴコロついた頃、
 わたくしはブランコが大好きでした。
 空を見上げて、
 ゆあ〜ん、ゆよ〜んと揺られているだけで、
 とても満たされていたのですが、
 右手と左手が握らねばならぬ、
 冷たい鉄の鎖に閉口しておりました。
 素敵な浮遊感が、これによって妨げられている。
 あるとき、いつものように
 愛しのブランコに揺られるわたくしの上に
 天啓が顕われました。
 「なら、手を離せばよろし」
 実行しました。
 支えを失ったわたくしの体は、ぱかっと後ろに倒れ、
 何が起きたのかわからぬうちに、
 戻ってきたブランコの板がわたくしのおでこを・・・。
 (匿名希望)

子供だった頃、わたしは図鑑で読んだ
 地球の構造に興味があったらしく、
 毎日せっせと庭を掘って
 ひたすらマントルと遭遇する日を楽しみにしていました。
 数十センチ掘ったある日、
 熱いマントルでヤケドしたらやだな〜と思いつつ
 恐る恐る手を地面に当ててみると、
 ホンワカ温かいカンジが。
 やっぱり地球の中は熱かったんだ〜
 妙な納得をした記憶があります。
 それって、スコップとの摩擦熱だったんですよねぇ。
 (フィッシャー)

六歳下の妹が私と母がお菓子作りで使っていた
 シナモンに興味を示し食べたがっていました。
 そのまま食べても美味しくないし
 お菓子に使うものだから食べちゃダメ!
 と言っていたのですが、ある日、
 妹がココア色の牛乳を飲んでいました。
 私と母はココアを飲んでいると思っていたのですが
 妹がむせながらそれを一口飲んだところで
 わかりました。それ、シナモン
 妹が茶色の粉=ココアしか
 知らなかった時代のお話です。
 (evian2号)

「ガキ」ばなし、
 とても興味深く読ませていただいています。
 ひとりパソコンの光にてらされながら
 フフフっと静かに笑う快感もさることながら、
 最近理解不能なうちの息子たちの行動にも
 いろいろな想いがあるのだなあと
 あらためて感じられるようになったことが
 大きな収穫です。
 これまで「この忙しいときに何やってんのよ」と
 思っていた不審な行動が、
 「この行動は豊かな想像力があってこそのものだわ」
 などと思うと愛しく思えるので不思議。
 たいていのことは笑って許せる
 ふところの大きな母になれるような気がします。
 (オカンライター)

マンホールのふたに、
 「オスイ」(たぶん汚水のこと)と書いてあることから、
 中には、オスの地底人が住んでいるんだと
 みんなで意見が一致。外で遊ぶたび
 「ここ、オスが住んでるよ!」
 「こっちは…書いてないから、メスの家!」
 とドキドキしながら確認しあっていました。
 地底人に会うことはありませんでしたが…。
 (和)

私のガキ話です。
 多分幼稚園に入る前だと思うのですが、
 うちの親は散歩などで
 犬の散歩をしてる方を見かけると、
 私にこっそり
 「犬はね,**(私)の見ているところでは
  4本足で歩いているけれど,
  見ていないところでは
  2本の足で立って歩いている
んだよ」
 とささやいていました.
 すっかり真に受けた私は,
 犬に会う度に何度も犬の方を
 見てないふりをしてから
 さっ!と犬の方を見て二足歩行を
 確認しようとしていたのですが、
 どんなにうまくやっても
 いつも犬は4本の足で歩いていました(当たり前)。
 それで、一時期すっかり
 犬を怖がるようになってしまったらしい。
 (ばななん)

昔お誕生日に買ってもらったサッカーボール。
 シルバーとブラックの、
 それはそれはかっこいいものでした。
 おおはしゃぎの私はその日の大雨をものともせず、
 というよりむしろ
 そんな自分に酔いしれながら、早速、
 「ドライブシュート」を練習するために
 外に出てゆきました。

 (ゴロしか蹴れなかったんですけどね。)
 ・・・やがてボールはどぶに落ち、
 拾おうとした私がそこに見たものは
 ごうごうと渦巻く大量の泥水、
 そしてもはや影も形も見えないボール。
 もらったボールをその日になくした私は、
 うって変わった憔悴ぶりに
 心配する親を尻目にそれでも必死でアタマを働かせ、
 そして「そうだ東京湾に流れ着いているに違いない」と!
 その日の夜中、悲壮な覚悟でこっそりと
 東京湾まで出かけようとした
 私はあっけなく親に見つかりました。
 わずか1時間程度で別れるはめになったそのボール、
 今でもふと思い出します。
 (ちび)

私も昔落とし穴を作ったことがあります。
 当時、作り方を書いた漫画があって、
 どうしても作ってみたくなり、
 友達と2人で彼女の家の庭に落とし穴を作りました。
 結構深く、広く穴を掘り、新聞紙をかぶせて、
 その上にうすく土を盛ってカモフラージュしてました。
 完成したことだけに充実感を覚えて
 その日はさっさと帰りました。
 その翌日、友達から、彼女の父親が
 出勤前にその穴に落ち、
 えらい叱られたことを聞かされました。
 大笑いしたものの、私たちは
 「落とし穴を作る」ということだけが目的であり、
 誰かを落とそうという気はなかったので
 ちょっと罪悪感を覚えました。でもその漫画には、
 「穴にはフンやドロを入れておくと効果的」
 と書いてあり、それに従わなかっただけマシですよね。
 (たまよん)

みなさんの投稿を読んでいると
 自分のバカ話も思い出しました。
 (その1)
 幼稚園の時、ある日先生が
 みんなを整列させて園を出たので、
 きっとどこかに散歩に行くんだと思って
 ついて行ったところ、だんだんと園児が減り、
 気づいたときには私ひとり。
 泣きながら、園の向かいにある
 マンションまで連れて帰ってもらいました。
 お散歩ではなく、ただ集団で帰宅しただけ・・・
 (その2)
 これまた幼稚園で。
 ある日、これは本当に
 お散歩に行こうということになり、先生が
 「幼稚園バッグを持って出かけましょう」
 と言ったので、なんでだろうと思いながら
 バッグを持ってついて行きました。
 お昼になってみんなお弁当を食べ始めたのを見て、
 「私お弁当なんて持ってきてない」
 そう、「幼稚園バッグを持ってこい」
 =「お弁当持参」ということでした。
 みんなはバッグにお弁当を入れていたけど、
 私は母お手製のお弁当入れ。
 幼稚園バッグの中身は連絡帳だけ・・・
 先生にお弁当をわけてもらい、
 それをきいた母には呆れられました。
 (その3)
 小学校4年生の時、弟が1年生でした。
 低学年と高学年だから
 同じ時間に終わることはめったにないのですが、
 たまたま同じになる日があって
 一緒に帰る約束をしました。
 放課後、友達とおしゃべりをしながら
 気づくと家に帰っていた私。
 忘れられた弟はしばらく私を待って、
 ひとりでさみしく帰る途中、
 あまりにふらふらしていたので
 田んぼに落っこちたそうです。
 泥んこで泣きながら帰った弟から母が事情をきいて、
 そこではじめて約束を思い出した私。
 呆れられました。
 小さいときから忘れっぽかったんです。
 「今日は出かけるから早く帰っておいで」
 と言われても忘れる。叱られていて、
 「なんで叱られたか言ってみなさい」
 と言われるともう忘れている。

 だから、私が忘れっぽいのは生まれつき。
 (まっきー)
 
   
(ミニコメント)

とてもまじめな、11歳の頃の
「日本語を捨てなきゃいけないのか」
と思ったという話も載せて、そういう話を
理解できる一方で、こんなガキもいるんだ、と
リアルに浮かびあがらせたい、と思いました。

いまも、毎日、
不審な行動におどろきつづけている
母親からのメール、たくさん届いています。
「この忙しいときに何やってんのよ」
当然、そういうことを思うだろうなぁ。

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2003-07-21-MON
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