(7月22日)
●カメハメ波の練習をした、という人がいましたが、
私は魔女宅のキキにあこがれて
ほうきで飛ぶ練習をしてました。
それを親に見つかって
照れ隠しで「と、飛べるわけないよなぁ、あはは」
なんて弁解して、親が去ると
「いや、でももしかしたら・・・」ってまたほうきに
またがって念力を送ってました。
それをこの前クラス会(私は二十歳)で話したら
その場にいた女子ほとんどみんなが
「私もやった!」って。
あと、みんな森や林にハイキングに行くと
トトロを探してたそうです。
私は「子供のうちしか会えないんだから、
大人になる前にぜったい会わなきゃ!」
ってドキドキしてたのを覚えてます。
私たち、ジブリ世代だなあ。
(さくや/大阪)
●色々思い出しました。
通学路が30分ほどかかる
田舎の小学生(ヘルメット着用でした)だった私は
集団登校でも2チームに分かれて
「走っちゃいけないけどどちらか先に学校まで着くか」
という競争をしたり。
車の往来の激しいところだったので、
車の陰をジャンプして、踏まないようにと遊んでみたり。
(ダンプとかが通ると影も長いので、大変でした)
あと、山桃や椎の実を食べながら帰ったり。
誰かのお家の木だったのでしょうが、
道路わきにそのまま食べてくれと言わんばかりに、
なってたのです。
青梅のにおいに誘われて親から
「食べちゃだめ」と言われていたにもかかわらず
かじったらむっちゃ口の中が渋くなっちゃった事。
いろんな遊びを見つけていたんだなぁ。
といまさらながら感心します。
(匿名希望)
●私は小学校高学年いやもっとかもしれないけど、
みんな地球の上にいて、どうして落っこちないんだろう?
地球の内側にいたらおちないけど太陽はみえないし、
すごく難しい答が帰ってきそうで、人には聞けない。
でも、どうしてなんだろう、と下校途中真剣に
ああでもないこうでもないと考えて、
やっぱり、おちるじゃないという結論にたどりつき、
怖い思いをひとり噛み締めていました。
(いくちゃん)
●小学校1.2年生の頃、
いたずらで牛乳配達の箱の中に、
泥水で作ったコーヒー牛乳を
『サービスです!』と書いた
汚い文字のメモと一緒に入れておいて、
わくわくしてたよ。
いったい誰がだまされたんだろう?
(森下)
●こどもの頃、「お百姓さん」とは、
当時の一万円札に印刷されている
「聖徳太子」のことだと思っていました。
名前に「百」がつくくらいだから
相当偉い人だと思い、相当偉いのは
あの一万円の偉大そうな方に違いないと確信したのです。
ですから、小学校の遠足でバスに乗っていたとき、
だれかが「あ、お百姓さんだ!」と叫んだときは、
あの一万円のお方がいるのだと思って
興奮する心をおさえつつ窓の外をみると、
田植えをしている人がいたので、
わけがわからず当惑しました。
(MAKO)
●小学校中学年ごろだと思うが、
自分がだれだかわからなくなることがありました。
学校から帰って、自宅前までくると、
ここんちに入っていいのかなーなどと思い、
でも、そこんちが「中村さんち」なのは知っていて、
胸についた名前札を確かめると、
「中村○○」と書いてあるので、安心して入る、
と言う感じでした。両親のことは大好きで、
毎日幸せに暮らしていたのに、あの、
不安な気持ちはどこからきたものだったのでしょう。
変な子だったことは確かなようです。
いつ頃からか、そんなことは考えなくなりましたが。
(み)
●ほぼにちは。
皆さんの投稿を読んでいると、
さまざまなことが思い出されます。
小学生のころ、お姉ちゃんとお姉ちゃんの友達と、
「タイムカプセルを埋めよう」ということになりました。
当時、「タイムカプセル」に非常に憧れていたのですが、
うちの学校では他の学校のように
タイムカプセルを埋めるとかいう、
粋なことはやっていなかったので、
自分たちで埋めようということになったのです。
箱の中に入れたものはあまりよく覚えていませんが、
たぶん、当時好きだった西城秀樹のブロマイドとか、
そういうものだったと思います。
でも、ひとつだけ強烈に覚えているものがあり、
それは自分の歌を吹き込んだカセットテープです。
曲は、流し目で有名な
遠山の金さん・杉良太郎の『すきま風』。
なぜその歌なのかはわかりません・・・。
なぜ覚えているかというと、3日ごとくらいに
掘り返して聞いていたからです。
8才くらいだったので、12年後の20才になったら
掘り返そうねって、3人で約束したんですけどね。
私一人で掘り返していました。
・・・と思っていたら、ある日(1ヶ月も経たないころ)
タイムカプセルが無くなっていたんです。
(その時は、もう何度か掘り返したあとだったので、
わたし的には少々飽きていたのですが・・)
お姉ちゃんたちの仕業でした。
みんな堪え性の無いガキでした。
(skipped-beat)
●子供のころ、綿あめと雲は同じものだと
信じて疑うことはありませんでした。
時々空に浮かぶバルーンは
綿あめを採取しているのだと思っていました。
母親に同意を求めると、全く違うと言い張るのですが
私は「お母さんは何にも知らないんだから」と
自分の主張を曲げることはありませんでした。
今も雲を見上げると、
口の中につばがたまってきてしまいます。
(Mako)
●シーチキンを缶からそのまま食べていました。
しかも油をきらずに、したたる油とともに。
うちは和食中心だったので、
そのオイリーさが幼い私の憧れだったのです。
今、棚のシーチキン缶を見ても
もうあの当時のような憧れはありません。
外に出ていろんなものを口にできたという
満足感からでしょうか。
(しむやけ)
●小学校の修学旅行で、行く前に保健の先生に
「環境が変わると初潮が始まる事があるので
ちゃんと準備をして行きましょう」
と説明を受けました。
就寝前、班長の子が
「寝ている時になっても大丈夫なようにしよう」
と言い出し、「そうだ、そうしなきゃ」と
同室の子全員が用意して行った生理用のパンツを履き
ナプキンを付け(その場で)安心して眠りにつきました。
翌朝、それぞれパンツの中を覗いて「あ、来て無い」と
報告しあい、その儀式は
修学旅行中、毎日繰り返されました。
結局、旅行中になった子は1人もいませんでした。
(匿名希望)
●小学校に入学したての頃
父に貰ったプラスティックの名刺ケースに
毛虫を集めていました。
その毛虫が蝶々になったら、
漫画に出てくる主人公のように
自分のまわりに飛ばす計画でした。
通学路も変わり、下校時の寄り道がとにかく楽しくて
「一緒に帰ろう」という友達を振りきり、
1人で夢中になって
ケースいっぱいに毛虫を収集しました。
ところがある日、TVで
「ゴジラ」に出てくるモスラを観てしまい
自分が集めてる毛虫が大きくなって
あれになってしまったらどうしようと思うと、
とても怖くなり
以来ケースさえ触るのが嫌になり
机の引出しの一番奥に隠し記憶から抹消しました。
その後それは、探し物の為引出しを開けた母によって
発見され捨てられるのですが
母の絶叫する姿は梅図漫画のようでとても怖かったです。
今では蝶々も毛虫も大の苦手です。
(タマタロ)
●私も小学生の頃かなりバカでした。
毎日、指でハナクソをほじっていた私は、
頭の中には大量のハナクソがつまっていて、
取っていたらいつか無くなって
スッキリするもんだと思っていました。
あと、寒い日の朝に息が白くなるのは、
寝ているあいだに体の中で白い物質が作られて、
それが口から出てくるからで、
お昼に普通に戻るのは、白い物質がなくなるからだと
勝手に結論づけていました。
(t)
●小さい頃、子ども向きの図鑑が大好きでした。
その中に、火山が噴火して
溶岩が流れ出す写真がありました。
それをみて、いつか、
自分の家の前から溶岩が噴き出すのではないかと
ズッと心配してました。
いくら地震国でも、さすがに庭から溶岩はね…
(なすび)
●母の婦人雑誌などを見て
子供の作り方の見当がついた頃(12歳位?)
桃太郎などの昔話に出てくる子供のいない
おじいさんとおばあさんは
「昔の人だから子供の作り方を知らなかったんだ」
と確信していました。
(まるは)
●小学校へ上がる前だったのかもしれません。
地方の田舎町に住んでいましたが
当時道路は砂利道がほとんどで、
家の前の県道も砂利道でした。
市内で唯一駅前付近がアスファルトだったのですが、
アスファルトは砂利道の上を
車がたくさん通って踏み固められ、
やがて平らなアスファルト状になると信じていました。
家の前の県道の砂利道がそろそろ踏み固められ、
「もうすぐアスファルトになる!!」
と楽しみにしていると、砂利まきの車が来て
新たに砂利がまかれまた、凸凹道に・・・。
「なんで!もうちょっとで
アスファルトになったのに〜〜〜」
と半泣きでした。
その後アスファルト道路ができる光景を目の当たりにし、
あっという間に道路が「平ら」になるのを見て、
なんだかがっかりしたのを妙に覚えてます。
車の交通量が、砂利を平らにすると思ってたんだよね。
(origu)
●そういえば、私も小学校低学年の頃
「草遊び」と称して雑草を食べまくってました。
麦の茎がメロンの味とか、落ちている稲穂を
火にかけてぽんぽん菓子とか工夫しつつ、
学校帰りにいろいろな草を
めちゃくちゃ食べてましたね。
私もカタバミだと思える
赤いすっぱいクローバーみたいな草が好きで
良く食べてました。
そして、友達も食べていたはずなのに
私だけ見事ギョウチュウ検査でひっかかり、
家族全員に迷惑をかけたものです。
いろんなものを食べていた。
皆さんは虫、大丈夫でした?
(さとみ)
●小学校1年の頃、友達のAちゃんと下校途中に、
なぜか二人ともとってもウンコがしたくなった。
丁度いい草むらもなく、人もまあまあ通る田舎道。
「どうしよう もれる〜」と半泣きのAちゃん、
自分もちょっとヘンな汗かいてきた。
そこで私は何を思ったか、足元に落ちていた
丸い小石を3つ拾うと、
「Aちゃん、これ!
わたしがこれさえ握ってればウンコでないよ!
魔法の石だから!」
右手にあまるような小石3つを掲げつつ、
冷や汗たらしながら無言で歩くこと20分。
やっとこ家の近所でAちゃんとの分かれ道に着いた。
そこにはどぶ川が流れてて、
Aちゃんは自分の家に向かう小さな橋を渡り終え、
そこで「よかったー もれなかったよ!ありがとう!」
と引き攣りながらも笑顔で振り向いた。
「これはまだ油断はできない!」と思った私は、
「Aちゃん、一つだけお守りにもっていって!これを!」
と小石の一つをアンダースローでAちゃんに放り投げた。
小石は緩いカーブを描いてAちゃんの額を直撃。
「いたい・・」としゃがみこむAちゃん。
そして程なく
「・・・もれちゃったよぅ〜〜わ〜ん(号泣)」
どうしたら良いかわからず、
ウンコしたいのも忘れて速攻走って逃げました。
(ごめん)
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(ミニコメント)
ラストのウンコの話、最っ高!
「なんでみんな、地球からおっこちないんだろう?
やっぱりおちるじゃないかという結論に辿り着き」
というのが、めちゃくちゃいいなぁと思いました。
学校の帰り道に、必死に考えて、その結果!
タイムカプセルだとか、
ちいさいころの肉声をふきこんでおくとか、
やっておいたら、たのしかったかもなぁってことは、
みなさんのメールを読んでると、
いくつか、ありますね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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