(7月23日)
●子供の頃、私も調味料好きでした。
「味の素」「食塩」「砂糖」「クリープ」・・・
とにかく色々なめていました。
今では不思議ですが、
子供の頃はどれもおいしく思えました。
そんな調味料生活の終わりは、
「バニラエッセンス」(香料)を体験した時です。
ある日、台所の棚に、
「バニラエッセンス」をみつけ大興奮!!
「バニラエッセンス」がケーキやクッキーに
使われていることを知っていたし、
においもすこぶる良かったので、
どんなに甘くて美味しいだろうと、
喜び勇んで一口飲みました。
味は、渋くて、にがくて、死ぬ程マズかったです。
その後寝込んで、晩ご飯が食べられなるほどでした。
調味料に危険を感じたらしく、
その時以来調味料を舐めなくなりました。
今は、二十代前半で、料理は普通に出来ますが、
いまだに「バニラエッセンス」だけは使えません。
(既製品に入っているのは大丈夫です。)
あの時のことがトラウマになり、
原液のにおいを嗅ぐと頭痛がするのです。
(いけとも)
●小学校1年生くらいの時
「一人徹子の部屋ごっこ」が、
自分の中で流行っていていました。
いつもベランダに出て、ダンボールを机にし、
カルピスをお客様用飲み物とし、
一人二役で、質問、回答を繰り返すという、遊び。
友人が遊びに誘いにきても、徹子ごっこが、
自分の中でのっていると
「今ちょっと用事あるから」と断ったほど。
何が楽しかったのか。
話しの途中途中で、カルピスを飲むのも
楽しかった記憶があります。
(な)
●小さい頃、ラジオのAMダイヤルを
666に合わせると爆発すると思っていた。
なぜなら父が
「絶対666にしちゃだめだぞ。
ラジオの中にある爆弾が爆発するからな!」
と真実味たっぷりに言ったからだ。
それ以来ラジオが怖くて仕方がなかった。
しかしある日、あろうことか父自身が
私の目の前でダイヤルを666に合わせた。
猛ダッシュで逃げる私の背中を
不思議そうに見つめていた父・・・。
(K)
●妹が幼稚園の頃、
NHKのワン・ツー・ドンを見ていたのですが、
そこに『ドンくん』って猿の人形が出てくるんです。
ある日、放映中、ドンくんの丸い鼻がとれて
落ちたらしいんです。
慌てたドンくんはその場は放映終了まで
鼻を手で押さえてやりすごしたらしいのですが、
翌日からは『つけっ鼻』のドンくんの鼻は
刺繍になっていた、と言い張るんです。
もうあれからかれこれ15年くらいたった今でも
『ドンくんの鼻はとれて、次の日刺繍になっていた』
と言い張るんです。
ホントなのでしょうか・・・。
考えても考えても分かりません。
(分かるわけありませんが)
『子供ならではの幻』なのかさっぱり分かりませんけど。
(c)
●私は小学校就学前まで、少しでも親に叱られると
「プチ家出」を繰り返してました。
とは言っても、すぐ近所まで行き、
近所の2階に上ったりする程度で、
すぐ親に見つかりましたが。
それでも小学校に入ってからは、
「学校どうしよう」
と馬鹿正直に考えるようになったので
止めた、と今でも記憶しています。
(匿名のかた)
●私の先輩は小学3年の頃、
友達とケンカして先生に怒られ、
「『もうケンカはしません」』と
ノートに10回かきなさい!」といわれ、
素直に「も・も・も・も・・・・」×10回、
「う・う・う・う・・・・」×10回、
を書いて提出したら、さらに怒られたそうです。
(ミチ)
●僕は、子供のころ、新聞のテレビ欄を見ながら、
NHK,日本テレビ、TBS、フジテレビ....
こんなにテレビを買わないと見れないものだ
と思ってました。
(匿名希望)
●私は覚えてない事なのですが…
4才のとき弟が生まれました。
初めて家にやってきた時の事。
家族、親戚集まって
名前をどうするか話し合っていたそうです。
それを聞いていた私は横から
「くりくりしててかわいいから
くりちゃんにしよう!」
と言ってはばからなかったそうです。
もちろん却下。
そんな弟も今はもう18です。
時々「俺、栗ちゃんなんて名前だったら
中学入ってすぐからかわれてたよ」と
兄貴にヘビーブローをうちこんできやがります。
(延)
●ガキ話、毎日楽しく読んでます。
小学生のときに「死ぬ」ことについて考えていた、
というのを読んで思い出しました。
わたしは一ケタの年の頃、自分が幼稚園に行ってる間は、
自分ちはもちろん
親も弟も存在していないと思っていました。
逆に自分が家にいる間は、幼稚園の先生も友だちも
幼稚園の建物自体も消えていると思いこんでました。
夫にこの話をしても、笑って相手にしてくれません。
(naong)
●何年か前、トイレから自分の部屋へ戻るとき、
オバケが怖かった私は、
いつも『そこにいるのは分かってるんだ!』とか
銃を持つマネをしながら
『出てきたらこの銃をオミマイしてやる!』
などとオバケを警戒しながら
自分の部屋へと戻ってました。
(ちゃんとね)
●幼稚園のころ、小学校にはいったら、
おちんちんが生えてくるんだと思いこんでいました。
家族に宣言していた手前、なかなか生えてこないので、
非常にあせった記憶があります
(今でも生える気配はありません)。
自分は三人姉妹の末っ子なのですが、
父が男の子が産まれなかったので
がっかりしたという話をきかされて育ちました。
「よし、わたしが男の子になってみせる」
という涙ぐましい子ども心から出た発言でした。
(匿名希望)
●お年玉つき年賀ハガキの当選番号を
年末ジャンボ宝くじの当選番号を見て調べてしまい、
末尾一桁の当たりが大量にあり、
妹と「大金持ちだー。」と言って、
両親に内緒にすることを誓い合い、
こっそり郵便局に引き換えに行きました。
郵便局のおじさんに
「年賀はがきはお金は当たらないんだよー。
まだ抽選もしてないし」と言われ
がっくりして帰ってきました。
抽選を待った結果、
結局切手シート1枚しか当たりませんでした。
(まゆひ)
●小さいころ母に、
「出産の時には麻酔をしない」と聞かされました。
当時は、当然お腹を切って
子どもを産むと思っていたので、
そんな痛いことはできない!と、
長じて真実を知るまでずっと恐怖におびえていました。
またあるときは、
「ジュースと牛乳を続けて飲むと盲腸になる」
とも聞かされました。
飲みすぎを戒めるためだったのでしょうが、
手術が怖い私は、これもずっと信じていました。
さすがに今では信じていませんが、それでも
ジュースと牛乳は、続けては口にできません。
なんてったって、母は看護士。
・・・罪な人です。
(漆花)
●小学生の頃はすっかり探偵団気分。
さらわれた時に連絡ができるようにと、
モールス信号表を写したものを、
定期のケースに入れて持ち歩いていました。
覚えたのはSOSとイ、ロ、ハまででしたが。
(おっきー)
●小学校の低学年の頃、『Wink』がすごく流行ってました。
お掃除の後、ベランダで雑巾をしぼりながら、
「サチコちゃんと ショウコちゃんと どっちが好き?」
という話になったとき、みんな口を揃えて
「ショウコちゃん!」。
「だって、サチコちゃんって、
サッちゃんの真似してるもんね!!」
「勝手に真似するなんてずるいよね!!」
…友達に、『サチコ』(=サッちゃん)がいて、
Winkのサチコちゃんはサッちゃんの名前を
パクったんだと思っていたのです。
妹の名前が『ショウコ』だった私は、
どっちを応援していいのかわからなくなりました。
(匿名希望)
●みなさんの『ガキ話』を読んでいると、
いろんなことを思い出して楽しいです。
これからも楽しみにしています!
幼い頃、「アメリカ、観に行ってくる!」と
よく遊びに出てたらしいのですが
よくよく付いて行くと近所の山にのぼって
鼠島(瀬戸内海の小さな島)を眺めてたそうです。
・・・世界ちっさ!
(つよし)
●乳歯が抜けた時、上の乳歯は家の縁の下に、
下の乳歯は屋根に投げる風習があります。
6歳の頃、親が投げた乳歯を拾って来て
地面に埋め、毎日水をかけていました。
芽が出て、花が咲いて、
歯が沢山実るんじゃないかと思って・・・
こんな発見はまだ誰もしていない。
私が第一発見者になったらどうしよう。
お母さん、喜んでくれるかな。
どきどきしながら、みずやりをしていました。
その後どうしたかは、記憶にありませんが。
(えつこ)
●アルプスの少女ハイジのエンディングが流れる時、
テレビ画面上部を右から左へと山羊が歩いていきます。
時々メインキャラのハイジやペーター、
ユキちゃんも歩いてくるのですが、
山羊の場合は「ちが〜う」
メインキャラの場合は「そう!」と叫んでました。
兄弟5人でテレビの前に1列に並び、
誰よりも早くそれが「ちがう」か「そう」かを判断し
叫ぶことができた人が勝ちでした。
先日の再放送、心の中で叫ぶ自分に気がつき、
「三つ子の魂・・・」を実感しました。
(まる)
●今も田舎だけど、子供の頃は対面道路しか
通ったことがありませんでした。
9歳年上の兄の車で遠出したとき、
兄がずうっと右側車線を走ったので、
対向車にぶつかるととても緊張して
ずうっと足に力を入れていて疲れきってしまいました。
あとで知りましたが
高速道路の追い越し車線を走っていたのね。
信号機もない田舎育ちには過酷なドライブでした。
(あさ)
●ほぼにちは。
私も
「女性はある程度の年齢になったら自然に妊娠する」
と思ってました。
そして、その年齢や子供の数は個人差なんだろう、と。
初めてその仕組みを知ったときは、なるほど!!と
膝を打って感心しました。すごいな生き物って!なんて。
自分の親がそういう行為をして
自分が生まれたと気づいたときは爆笑しました。
(普通はショックを受けるらしいですね・・・)
また、小学生のころ家の鏡台の引き出しの中から
避妊具を発見したのですが、
アノ感触が気に入って、一つ自分の部屋に持って帰りました。
ところが次の日学校から帰ったら
机の上に置いたおいたのに無くなってる!
すぐ鏡台の引出しを探したのですが、
痕跡さえ残されてませんでした。
(当然ですよね)そこでなぜか私は、
親に問いただしたりもせず、
また何を言われたわけでもないのに、
「・・・ということは、
今私はあの存在を知ってはいけないんだ。
でもそのうちきっとわかる時が来るだろう」
と一人で納得して黙っていました。
数年後、その正体を知ったときは、またもや感動と爆笑。
お父さんお母さん、こんな娘でごめんなさい(笑)
(A.K)
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(ミニコメント)
「ガキの頃」特集は、
だんだん、長編になってきました。
これだけ、共通項がみつかってくると、
性関係とか、排泄関係とかにかんしては、
日本全国に通用する特徴かもしれないと思うほど。
今も昔も、子どもは、そんなんなんですねぇ。
「われわれは
一体何のために幼い子供を愛するのか?
その理由の一半は少なくとも
幼い子供にだけは欺かれる心配のないためである」
こういう言葉を残したのは、芥川龍之介。
自分の子どもが生まれたことについては、
「何の為にこいつも生まれて来たのだらう?
この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。
――何の為に又こいつも己のやうなものを
父にする運命を荷(にな)つたのだらう?」
などと言っているけれども、彼は、
ずいぶん、子どもをかわいがったようなんですよ。
いつものコメントの合間に、ミニ知識でした。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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