(7月24日)
●ガキ話、何かあったはず・・・と
やっと思い出しました。
小学校の頃、魔法が使える双子の女の子の映画を見て、
それに憧れて物を触らずに動かそうと、
密かに練習していました。
学校では、自分にしか見えない
「不思議の世界の人(?)」と話をするフリをして
友だちに変に思われたりしてました。
(チビコ)
●正しい英語の発音をまだ知らない
日本人な小さい頃の私は
ハッピバースデェーツーユー♪と歌いながら、
『ツーユー』の部分を
何かしたたる『つゆ』だと思っていました。
もちろん、作文にも習いたてのカタカナとひらがなを
駆使して、原稿用紙のマス目いっぱいに
自信たっぷりの文字で、
『ハッピバースディつゆを歌いました』
と書いてありました。
Happy Birthday=外来語=カタカナ
つゆ=日本語=ひらがな
といった具合です。
中学生になり、英語を習い始めてそこで
『つーゆー』は『To you』なのだと知り、
一人密かに『あぁ、そうなんだ!』と納得。
頭の中の豆電球がぴかりん☆と光りました。
(mayumi)
●小学2年生の夏,引越しをしました。
2学期から新しい学校で,
9月に1度だけ水泳がありました。
前の学校ではプールがなかったため,
わたしはスクール水着を持っていませんでした。
母は「1回だけだし,来年着られるか
わかんないんだから,ある物でいいじゃない」と,
わたしにピンクのヒラヒラの
持ち合わせの水着を持たせました。
小学2年生といえど,
「まわりとちがうことの心細さ」みたいなものはあって
しかもやっぱりピンクなんてわたしだけで,
引越ししたばかりだからそんなに仲いい友達もいなく,
ホントにぎゅううーーっていう感じでした。
「アイツ,あんなの着てるぜ!」という男の子たちの声や
「あんなの着ててなまいきー」
という女の子の声も聞こえていましたが,
「いいもん,わたしはスイミーなんだもん!」と
自分で自分をはげましてガンバってみましたが,
その極度の緊張とストレスのためか,
水に入る前の体操の段階で吐いてしまい,
結局プールに入れませんでした。
思い返せば,幼稚園時の引越しの際も,
新しい幼稚園初日に吐いて早退でした。
今ではダンナも軽く転がすわたしですが,
昔は緊張に弱かったようです。
ホントに今は,おばちゃん街道まっしぐら,
な気がしてるんですけど。
(あぎのん)
●東京に住んでいた小学校一年生の時、
近い将来に起こるだろうといわれていた
直下型地震に関するテレビ番組を家族で見ていた。
見終わった私は怖くて泣きそうになりながらも
自分の大切なものを急いでまとめ始めた。
そこへ姉が
「何やってんの?」
「明日かあさってに大地震が来るから
荷物まとめろって、パパが言ってた」
姉はけらけら笑っていたけど、
私は眉間にしわがよっていたと思う。
(チンミ)
●家では曾祖母のことを
「おばあちゃま」と読んでいました。
去年三回忌をむかえましたが、
今でも思い出すとほろりと笑ってしまう出来事があります。
それは私が高校生で、夕方のニュースを
一緒に見ていたときの事でした。アナウンサーが
「今年も西蔵王で牛の放牧が始まりました」
と言ったのです。
そうしたらおばあちゃまは
「なに?青森でりんごの花が咲いたって?」
と聞き返したのです。
私は思わず飲んでいたジュースを吹いてしまいました。
ちがう!
夕飯前にいっつも大好きなお饅頭や、
大福を食べてお腹いっぱいにしてしまい
母に怒られているおばあちゃまでした。
もっと煮物の味付けや、コツを教えて欲しかったです。
後になってから実感します、こういうことって。
(カオル)
●家の事情で半年程ばあちゃんちに預けられてました。
私五年生、弟三年生のときです。
日曜日のお昼時に何がたべたい?と訊かれたので、
やきそば!と元気よく答えた私たち。
しばらくしてばあちゃんが持ってきたお皿には赤い色。
そして甘い香りが。
ソースでなくケチャップが使われていました・・・。
初めてつくるやきそば。子供はケチャップが好き。
そこで出来たのがケチャップやきそばです。
弟と大うけで笑いながら食べました。
横で駄目?って心配そうにしていたばあちゃん。
おいしかった!私たちを思ってくれる事が
伝わってきてうれしかった。
掛け値なしで可愛がってくれてありがとう。
ただ、ただ、愛情を注いでくれる存在がいてくれた事が、
心の奥にいつもあるよ。
(s)
●私が小学校4年頃まで
家族皆でチューするのが普通でした。
父が会社に行く時は母私妹と順にチューしてたし
夜寝る前は私妹が父母にチューしてから寝てたものです。
西洋かぶれしてたわけではないのですが、
毎日の日課でした。
父と母はどういう教育方針で
チューを取り入れていたのかいまだ疑問です。
(k)
●私がまだ高校生の頃。
朝食も食べずに急いで登校しようとしたら、
ちょっとどんよりとした天気…。
NHKニュース後の天気予報が
ちょうど流れているのが聞こえたので
「お母さ〜ん。天気予報なんだって〜?」と尋ねたら
「ビルマは雨らしいわよー。」
…お母さん、娘はビルマに登校しません。
(りょう)
●テレビで死ぬ役をする人について、
私も小学生の頃、思い込んでいたことがあります。
父がよく時代劇をテレビで見ていたので、
私も一緒に見ていたのですが、
その時、切られる悪者たちは、
刑務所から連れてこられた人達で、
本当に殺されているんだ、
と思い込んでいました。
そして、いろんな時代劇でたくさん次から次へと
悪者が殺されているを見て、
いつか人数が足りなくなってしまうんじゃないか、
と心配をしていました。
(N.K.S.)
●こどものころ、
お父さんはお母さんが
生んで育てたんだと思ってました。
(かおる)
●初恋って・・・
初めて恋をした時だけどいつも悩んでしまいます。
幼稚園の頃結婚したかった幼馴染が初恋なのか
それとも高校の時好きで好きでたまらなくて
初めて告白したSくんが初恋なのか。
幼稚園の頃幼馴染の事も大好きだったけど、
高校生になってSくんを好きだった気持ちとは
違う気がするんです。
初恋の定義ってあるんでしょうか?
(さるぼぼ)
●初恋は幼稚園年長さんの時。
周りは好きな人を知られるのを嫌がり、
秘密にしているのに対し、
「別に知られたって関係ない」と、
本人の前でも「○○が好きなんだよ」と言っていました。
バレンタインデ−の時は手作りのチョコを渡し、
(しかも大きなハ−ト型)「本命」と
大きく書いたのを覚えています。
…いまでは、なんと積極的だったんだろうと
感心する一方、なんだか恐ろしさを感じます。
(なぎさ)
●5人兄弟の中で、年の離れた末っ子の私。
15歳年上の長姉が、勤め先で出会った彼と
親にないしょでデートする時には、
私を遊びに連れて行くのが口実でした。
それは、他の兄弟も一緒に、
みんなでバトミントンをした日。
「たーさん(彼)がいたのはナイショだからね!」
と、姉に念を押され、
妙な使命感と共に家に帰りました。
「おかえりー、楽しかった?」と、母。
「うん」と、私。
母「たーさんはいたの?」
私「いなかったよ。」
母「そう…。たーさんはバトミントン上手だった?」
私「うん!」
あの頃の姉とほぼ変わらないくらいの年になり、
姉はその彼と結婚し、4人の子宝に恵まれていますが、
未だに言われます…。
「冷や汗が出た」と。
バカだったなぁ…。
母が上手なだけかもしれませんが。
(あさっこ)
●あれは私が中学生の頃、
塾の帰りにバス停に向かってましたら
見ず知らずのお姉さんに
ポンと肩をたたかれました。
振り向くと「ファスナー開いてるよ」と言われました。
スカートの後ろについてるファスナーが全開でした。
それ以来、着替えやトイレの後に
しつこいほどファスナーを確かめる私です。
(スタニスラフ)
●合唱部の部活に燃えていた中3の時。
きっかけは忘れましたが、先生が怒って
「こんなんじゃ、コンクールには出ない!」
と言って出て行ってしまいました。
もう、全員ボロ泣きで音楽室から動けませんでした。
その時私は、20分ぐらい悩んだ末、
「ひとりでも、先生にあって謝らなければ・・・」
と思い、走って職員室に行きました。
ところが、すでに部長と副部長がいて
先生と和解しているところでした。
そう、20分も悶々としている間に、
もう話はついていたのでした。
二人がすぐに追いかけて行った事に、
全く気が付かなかったなんて・・・
音楽室に帰った時、友達に「トイレ我慢してたの?」と
言われました。とほほ。
(モカッチャ)
●小学校一年生の時で
初めて全校生徒の前での発表を
することになって私は
前日にすごい猛特訓をしたんよ。
どういう内容だったかは覚えとらんけど、
今月の目標とか反省とか
そんな感じのことじゃろうと思う。
特訓の甲斐あって当日ソラで
びゃーーっと発表できたんじゃけど、
あまりの早口で何を言うとるか
わからんと注意されたんよー!!・・・シクシク。
(りよ)
●中学1年の体育の課題がハードルだった時、
初めてやったのでなかなか上手く飛べませんでした。
私は何事も人一倍努力せずには
いられない性質だったので
畳の上で正しいフォームの確認はしていたのですが
ハードルを家に持ち帰るわけにはいかず
思うような練習ができませんでした。
でもある日いいことを思いつきました。
妹をハードルにする!
家の前の路地で、走ってきては
馬とびの馬になった妹の背中の上を飛ぶ、
を繰り返していたのですが
中腰が疲れたのか妹が動いてしまい
足をひっかけた私は顔から道路に落下しました。
でも、練習の甲斐あって
顎と頬の擦り傷とともに受けた実技試験では
フォームは満点をとりました。
(なつ)
●子供の頃は、妙な心配性持ちの私でした。
親類宅への単独お泊りの時などは、
何かあっては大変!!と、
・小学校の家庭科で支給された裁縫箱
(文箱タイプのごっつぅ重いヤツ)やら、
・絶対に手のつける事のなかった
お習字セット(書初め用)
・何故か、国語辞典・・・
ほとんど・・・いや!
現場で一度も使用したことがありませんでした。
小学4年生頃から高校卒業まで何処へ行くにも
こんな感じでした。今ではスッキリ!
パンツ一枚あれば大丈夫さっ。
(みちこ)
●子供の頃、「口裂け女」ブームがあり、
実在すると信じてました。
ブームがピークに達した時、
ついに学校の校庭を横切ったとのうわさが。
その日は友達と手をつないで帰ったのですが、
本気で口裂け女に殺される覚悟をしました。
(べっこうあめ)
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(ミニコメント)
「まじめな気持ちでやっていたこと」
を、合間に、混ぜておきましたが、いかがしょう。
「お父さんはお母さんが生んで育てた」は、
あたらしくて、世界がひらけるような話でした!
今回も、いくつか、思いあたる話がありましたか?
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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