KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月25日)

みなさんの「ガキばなし」相当おもしろいです。
 パソコンの前で大笑いしてる私を
 不審がっていた妹も巻きこみ、
 二人で吹き出しつつ読んでます。
 自分の子供の頃のこともどんどん思い出されてきて、
 幸せ〜な気持ちになってます。
 子供の頃って自分だけの決まり事があって、
 その通りにしないと気が済まないんですよね。

 私がものすご〜く共感したのは、
 麺類を食べ終わった後のスープに浮いた油を
 お箸で突っついて一つの大きな塊にするっていう話です。
 全く同じことしてました。
 母親に「何がおもしろいの?」と初めは怒られ、
 そのうち呆れられるほど、いつもやってました。
 あと私が凝っていた(?)のは、
 「デラウェア(小粒のぶどう)のひと房に付いてる粒を
  全部口の中に溜めていって一気に食べる」

 ということでした。
 生温かくなった大量のデラウェアを噛みしめながら、
 「ふふ〜ん♪」と大満足。
 ごめんなさい、お行儀が悪くって。
 (ジャスミン)

小学校4年生ぐらいだったか。
 きっかけもなく、突如、お風呂の湯船につかりながら
 おしっこをする快感の記憶がフラッシュバック。
 いけないとは思いつつ、2〜3回に1回は
 湯船につかりながら放尿していた。
 そんなあるとき、普段は、私よりも先に風呂に入る弟が
 珍しく、私がしこたま湯船で放尿した後の風呂に入った。
 その翌日、弟は、原因不明の高熱ため倒れてしまった。
 家族の中で高熱の原因を唯一知っていた私は、
 自らのプライドと弟の命をはかりにかけ
 さんざん悩んだあげく
 やはり弟の命には代えられないと思い
 まるで不治の病におかされたことを伝える
 医師のような面持ちで
 「僕がおしっこしたお風呂に入ったから
  熱がでたんやと思う」

 と母に告白したのでした・・・。
 (けむお)

この前、久し振りにアルバムを見たのですが、
 見てみるとほとんどの写真が、
 まぬけな顔をして写っていました。
 ガキの頃はわざと間抜け顔で写っていて
 盆踊りで迷子になったときも、旅行でも、
 親戚の好きなお姉さんと写っている時も
 照れているのを隠すために変な顔をして写っていました。
 ガキの頃は間抜け顔で写るのが好きだったのですが、
 今となってはとても恥ずかしい写真ばかりです。
 (たし)

コドモのころ、心やさしい子だったわたしは、
 毎晩眠る前に必ずお願いごとをしていました。
 じいちゃん、ばあちゃん、おとうさん、おかあさん、
 妹、○○ちゃん・・・・(ながながと続く)
 ・・・が、死にませんように!!とか、
 じいちゃん、ばあちゃん、・・・・(上記同様)が
 喧嘩しないで仲良くしますように!!!
 と、ながーいながーいお願いごとをしてから
 眠るのが日課でした。
 でも、それをやっていると
 いつも途中で寝てしまったりするので、ふだんは
 「神様!“いつものこと”おねがいねっ!」
 って感じで終わらせて、月に1度だけ、
 「神様!今日は“いつものこと”全部言うからね!
  ちゃんと覚えててね!」
 と20分くらいかけてお願いをしていました。
 でも、誰かが喧嘩したりして、
 必死な時は端折らずに必死でお願いしてました。
 純粋だったな。わたし。 
 (むう太)

弟「お姉ちゃん、俺がなにしてもときめくなよ」
 私「お前に、ときめく?
   わかった。でも、ときめくわけないだろ」
 弟「ぜったいときめくなよ」
 と、私の目の前にパンチをくりだした。
 私「・・・?」
 弟「ほら、ときめいた」
 私「なんとも、ないよ」
 弟「今、ときめいたじゃないか」
 ・・・ばか、それは「まばたき」と言うんじゃい!!
 (m)

いつも楽しく読んでいます。
 皆さんの「子供の頃話」を読んでいて、
 いまでもあったかい気持ちになる
 おばあちゃんのことを思い出しました。
 それは、私が小学校4年生ごろのこと。
 今から20年ぐらい前の話です。
 初めて、おばあちゃんのところへ
 独りで遊びにいった帰りのことです。
 「乗り換えなしのバスで40分のみ」
 という今から考えると、
 とっても簡単な交通手段だったのですが、
 私もおばあちゃんも、すごく緊張していました。
 バス停で待っている間も、
 青い顔のおばあちゃんは私に確認します。
 「お金もったか?」「うん」
 「終点で降りるんやで」「うん」
 「絶対誰にもついていったら、あかん」「うん」
 「何があっても、誰とも話したらあかん」「うん」
 やっときたバスに乗り込むと、
 おばあちゃんはなんと運転手さんに、
 「この子は初めてバスに独りで乗ります。
  どうぞよろしくお願いします。
  絶対終点で降ろしてやってください。
  お願いします。お願いします」

 と何度も繰り返していました。
 結局、何事もなく無事に家についたのですが、
 今でもそのバスに乗るたび、
 一生懸命お願いしてくれていた
 おばあちゃんを思い出します。
 そんなおばあちゃんも今年で90歳。
 今も変らず、そのバスに乗って遊びにいくと、
 「独身でもええ。健康やったらええねん」
 と慰めてくれます。
 早く結婚しないとあかん。
 (いおく)

泣きながらドラマを見ている私に、
 高校生の娘が言いました。
 「あ〜、お母さん、またテレビ見て泣いてるー!」
 この台詞、私が学生の時にも
 自分の母親に向かってよく言ったものです。
 桂小金治の「それは秘密です」を見て
 オイオイ泣く母。(古いですねー。)
 でも放送が終わったとたん、
 「あーさっぱりした! さっ! 茶碗洗おう!」
 と言って鼻歌を歌う母。
 さっきまで泣いてたのに、
 なんですぐ歌なんか歌えるんだろう・・・
 変わり身の早さに、驚いたものでした。
 今では自分も母とおんなじことをしてます。
 娘達は、「信じられない」と言います。
 娘達よ。あんた達もあと20年したら、
 お母さんのようになるんだよ。
 そうして、自分の子供たちに驚かれるんだぞー。
 そう思ったら、すごくおかしくなって、
 メールしてみました。
 でも、泣くと本当にサッパリするんですよね。
 (おーるどりばー)

この場合、正確には
 「ガキの頃はバカだったなあ」ではなく、
 「ガキってバカだなあ」なんですが。
 トイレ・トレーニング中の2歳7ヶ月の息子が、
 この頃始めた一発芸。
 ★お○んちんを両ももではさみ
  「いない、いない」両足をパッとひろげて
  「ばぁ〜!」
 ★下腹に思いっきり力をいれ、
  お○んちんをむくむくっともちあげてみせる。
  (=今にも出そうで非常に危険。
    「波動砲」と命名した私も大バカ)

 トイレで便座に座るたび、ほぼ毎回やられます。
 誰に教えられたでもなく、
 息子が自分で考えた…というのが情けないです。
 (まりりん)

まだ4、5歳くらいの頃
 妹と一緒に二階の階段付近で遊んでいました。
 私はバランスを崩して、
 とっさに掴んだのは、隣に居た妹。
 妹を巻き込んで階段を前転しながら
 下の階まで落ちてその先にある
 台所のテーブルにぶつかってようやく止まった・・・
 頭にできたたんこぶが痛くて、
 私と妹は泣いてたんですけど
 その場に居合わせた母親も泣いてました。

 (ナス)

ガキのころは、
 よく向かいの家の庭の木に登って
 下りれなくなってなきそうになっていたなぁ。

 すると兄貴がしばらくオレをおちょくった挙句
 下りるの手伝ってくれたっけ。
 (ガチンコ)

寝るときに「死ぬ」ことについて考えて
 泣いていた人の話がありましたが、
 私もよく泣いてました。
 根拠もなく「わたしは明日死ぬんだ」と思いこんで、
 「最後にお母さんのつくった
  たまごやきが食べたかったな」
 などとしんみり思っては、枕を濡らしていました。
 枕カバーをとると
 涙に茶色い染みが何層にもできていて、
 親や兄弟には寝ながらヨダレを
 垂らしたんだとからかわれていたけど、
 それよりそんな変なことで泣いていることを
 知られるのが恥ずかしくて黙っていました。
 いまでも死ぬことが怖かったり、
 大切な人が死んでしまったらと考えて
 ウルウルしたりもしますが、あんなにいろんな
 「最後にこれをしたい!」を思い浮かべて
 泣き続けることはさすがにないなあ……

 (a)

ガキの頃はバカだった、という話ではないのですが。
 この前公民館に行ったら、
 竹に七夕飾りと一緒に
 子どもたちが願い事を書いた短冊が
 たくさんぶら下がっていました。
 ついつい読んでみたら、
 「ぴあのがじょうずになる」
 というちょっと強引な風味の願い事があったり、
 「もういじめられないように強くなりたい」
 という切ない願いがあったりするかと思えば
 「ふあいづどらいばあ」
 とよくわからないことが書いてあったり
 自分の名前だけでっかい字で
 書いてあったりするのもありました。

 きっと、名前が書けるようになったのが
 うれしかったんでしょうね。
 かわいいなぁ。
 みんな元気で夏を過ごせるといいなぁ、と思いました。
 (ふいづ)

先日、里帰り出産の際、実家の押入を整理していたら
 「Yちゃん(妹)の録音」
 と祖父の字で書かれたカセットテープを見つけた。
 妹が生まれて四ヶ月後の日付となっているため
 当たり前だが、赤ん坊の声などほとんど録音されておらず
 その大半は、私(当時4歳)と祖父のおしゃべりが
 録音されていました。
 以下にその内容
 私「Yちゃ〜ん、パパが寂しいって言うから
   もう少しで東京に帰りますよ〜」
  (母が里帰り出産だったため、東北に帰省中)
 祖父「おじいちゃん、
    寂しいから一緒に東京に行こうかなぁ」
 私「おじいちゃんは、男でしょっっ!」
  (だから寂しくないでしょ、と言いたいらしい)
 祖父「パパだって男でしょ」
 私「私のね私のパパはね、男じゃないの〜!!」
 〜〜〜途中省略〜〜〜
 私「おじいちゃんは
   ズボンを履いているからお・と・こ」(←なぜか点入り)
 祖父「パパもズボンを履いてるから、男でしょ」
 私「だから、私のパパは男じゃないのっっ!!」
 どうしても、父と“男”は
 別の物だとしたかったようです。

 何故?
 (aiai)

横断歩道で白い線だけ踏む人の話がありましたが、
 わたしはあれが踏めませんでした。
 何故か「直線にさわると、アタシの足が切れちゃう!」と
 思っていたんです。
 それが高じて、机のはじっこにもさわれませんでした。
 定規なんて、細心の注意を払って持っていたものです。
 いまだに「自分が損なわれる」カンジが拭えなく、
 よくダンナにからかわれます。
 「ズバーン!」とか言われながら
 手刀で切る真似事をされると、
 本気で嫌がってしまいます。
 (まゆ)

「い〜ち、に〜」とお風呂に肩までつかり、
 数を数えていた時のこと。
 「99の次は、なんだ?」
 としばらく悩んだ後、パッとひらめき
 「1010(ジュウジュウ)!」と叫んだ。
 「じゅうじゅいち、じゅうじゅに、
  じゅうじゅさん・・じゅうにじゅ」
 かなり、言いにくかった・・。
 一緒にいた母は、ただただ微笑んでいた。
 そんな私も小学校教師よ。
 (あいまいモコ)
 
   
(ミニコメント)

今回は、特に、
「わかる!わかる!」の連続でした。
ぶどうの実だけを異様にたくさん詰めこんで、
それでモゴモゴしながら食べるって、気持ちいいもんね。
神様に家族の無事を祈る時の、妙な儀式だとか、
「お母さん、またテレビ見て泣いてる!」とか、
子どもの下半身ネタ好きの話とか、誰しもが経験したかも、
なんて思ってしまうほどでしたわぁ。

死への探求なんて、ひょっとしたら、
小さい子もオトナも、変わらないかもしれないです。

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2003-07-25-FRI
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