KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月27日)

弟が幼稚園のころ、
 それまで汲み取り式だった我が家のトイレを
 水洗にするための工事の人が来ました。
 床をはずして下水管(?)を通したり、
 穴を深ーく掘っているそのおじさんを見て、
 弟は「すごいなあ」「カッコいいなあ」を連発。
 最後には、「ぼくもトイレの工事する人になる!」と
 宣言したので、おじさんが床下に穴を掘る手をとめて
 「坊主、勉強して偉い人にならないと大変なんだぞ」
 とお話をしてくれました。
 魚屋さんのお嫁さんに
 なろうとした方の話もそうでしたが、
 子供のころって、
 「大人がいい職業だと思う職業」は得体が知れず、
 それより体や手を動かす職業の方が憧れを誘いますね。

 (ぎょもこ)

小学2年生の時に仲良しのフミト君と、
 エロ本を見つけてしまいました。
 見終わって、立ちションをしようとおチンチンを出すも、
 いつもと違う。おしっこがしにくい。
 どうにも下を向いてくれない。そう、勃ってたんです。
 フミト君が「これ知ってる?勃起って言うんだぜ!!」
 その現象を初めて体感して、
 しかも名前まであることを知った僕は嬉しくて、
 その日の晩ご飯の時に、早速両親に報告。
 「ねえ、勃起って知ってる?」
 母親「へー、何それ?」
 「チンチンが大きくなることでしょ。
  おしっこやりづらかったよ。」
 母親「誰に聞いたの?」
 「フミト君」
 母親「あらそう」
 父親はずっと無言でした。
 この後、何となく
 言っちゃいけないことだったのかなー、
 と思いつつ無言でご飯を食べました。
 素直なガキでした。
 (けい)

私は、幼稚園の頃ずっと
 大人になったら時計になろう思っていました。
 ゼンマイ時計しかなかった1960年代当時、
 たぶん正真正銘の馬鹿だったらしい私は、
 みんなにわかる時間がわからず、
 だから世界で一番頭がいいのは
 時計なのだと思い込み、
 大きくなったら時計様になるぞっ!と、
 心に決めていたのです。
 いつあきらめてしまったのか。
 いっそなっとけばよかったと、
 時間に追われながら思います。
 (ぢん)

小さい頃兄に「お前はエゴだ」とよく言われました。
 もちろん意味などわかるわけはなく、
 何かかっこいいイメージで友達にも自慢していました。
 くやしい。
 (勉)

私は兼ねてから、「おかあさんといっしょ」に出てくる
 体操のお兄さんに憧れていました。
 そして、小学校低学年のある夜、
 「今なら出来るっ!」という気がしたので、
 「はっ!」と飛び上がって、
 お兄さんの様に空中前転に挑戦してみました。しかし…、
 見事に顔から落下し、家のフローリングに下唇を強打。
 血まみれになりましたが、親に叱られると思ったため、
 あわてて隣の祖母の家に走っていって
 祖母にだけ事情を説明し、薬を塗ってもらいました。
 その後、親には「転んだのー!」と主張し続けましたが、
 今考えれば、夜、住み慣れた家で、
 ただ転んで血まみれになるって…
 そんな言い訳ありえないだろっ!
 しかも、ホントのコトは姉によって全てばらされました。
 私は予想通り、家族から冷たい眼差しで
 見られることになったのです。だから秘密にしたのに…。
 (m)

子供の頃、なぜかNHKの「天気予報」がこわかった。
 特に気象衛星「ひまわり」の画面が怖く、
 アナウンサーさんが
 「次は衛星ひまわりの写真です」というときは、
 テレビに背を向けてばあちゃんにくっついていた。
 同じく、放送事故中の「しばらくおまちください」の画面と
 その日の放送終了の画面
 「〜メガヘルツ、・・・でお送りいたしました」
 という放送にも恐怖を覚えていた。

 その画面を見たときは、
 トイレには一人で絶対いけませんでした。
 (ばりこ)

子供の頃、狭いところや暗いところに
 入って遊ぶのが好きでした。
 ダイニングテーブルの下、
 テレビと壁のすき間、カーテンのかげ、ピアノ
 (グランドピアノではない)の鍵盤の下はもちろん、
 たいがいの家ではお仕置きとして入れられる
 押し入れにも自分から進んで入って遊んでました。
 お雛様を出す時には、
 飾ってあるのを眺めるのも好きでしたが、
 7段飾りのお雛様の下でままごとをするのも好きでした。
 子供にとってはちょうどいい
 デッドスペースだったのでしょうか。
 実は今でも机の下とか部屋の隅の
 ちょっとしたスペースに入り込むのが
 好きだったりします。

 (アリス)

公園に一人でいる、
 ちょっと暗めな感じのおじさんを見ると、
 「犯人」に仕立て上げ、友達と一緒に尾行しました。
 ドキドキしながら後をつけるうちに
 どんどんドラマに入り込んでいき、
 おじさんがこちらをチラッと見ようものなら、
 「気づかれた!」とものすごい恐怖を感じ、
 ほとんど半泣きで逃げ帰りました。
 家に帰ってからも、
 「私は犯人を知ってしまった」と
 勇気をふりしぼって親に相談したりしました。

 親は無反応だった気がする。
 (スノウ)

私は幼稚園生の頃、
 羽さえあれば絶対飛べるんだと真剣に思っていて、
 画用紙で丁寧に羽をつくり絵を描いて、
 それを装着して毎日座敷で飛ぶ練習をしていました。
 腕を振ってもなかなか飛べないので
 一緒にぐるぐる走り回ってみたり、
 からすを観察して羽の動かし方を研究したり。
 両親はあまりに私が真剣だったので、
 笑いをこらえるのに必死だったとか。
 勢いあまってベランダから 
 飛び降りたりしなくて良かったなぁ…と
 ちょっと思うのですが。小学生になって
 「勇気一つを友にして」という歌を知ったとき
 「ああ飛ぶということは夢だったのだ」と
 切なくなったことを覚えています。

 (侑)

私は小学校の低学年の頃、ピアノの先生の
 「手の形はやさしくタマゴを握るようにするのよ」
 という言葉をしっかり守ろうとした私は、
 手の形をくずさないまま固まってしまい、
 先生としばらく沈黙の時間を過ごしました。
 (たごさく)

バカなのか何なのかよく分からなかった幼少の頃。
 庭にあった、物干竿を引っ掛ける為の
 ポールのようなものによくぶらさがってました。
 ひまがあればいつもぶらさがっていました。
 その為に竿を引っ掛ける部分が折れてしまい
 怒られた記憶があります。
 今でも母にはその事言われます。
 (yokong)

小学生の頃、水路にボンタン(柑橘類の)が
 落ちてたことがありました。
 それを発見し、喜んだ私と友達は、
 やっとの思いで拾い上げ、皮の厚いのをものともせず、
 石器のように薄い石を探し出して、
 がしがし剥いて食べました。
 それを得意げに日記に書いたら、当たり前ですが、
 「拾ったものは食べないようにしましょう」
 と、先生のお言葉。親にもばれて、あきれられました。
 (鹿児島・29歳・女)

小学生の時、めちゃめちゃ暑かったので、
 家に帰ってすぐ冷凍庫を開けて
 顔を突っこんだことがありました。
 冷気を最大限に受けようとしたのか
 大口を開けて舌を思いっきり突き出したところ
 舌が製氷皿にくっついて取れなくなり、大弱り。
 家にいたのは私一人だったし、
 どうしていいかわからず、力まかせにはがそうとしたら、
 舌ははがれたものの、表面のつぶつぶがいくつか
 製氷皿に残ってました。

 痛かったよ〜。バカだったよ〜。
 (seiko)

私には妹がいるんですが、
 3〜5歳くらいの時はほんとにバカでした。
 匂い玉(ビーズみたいな小さい粒で、
 フルーツなどの匂いがするんです)を匂い過ぎて
 鼻の穴につまらせて母に怒られたり、
 マーブルチョコを鼻の穴につめて、
 溶けるまで誰にも知らせず、
 母や私が気付いた時は
 鼻血のようにダ〜っっとチョコが流れていたり、
 挙げ句の果てに、母がいない時鼻血を出した妹は、
 絆創膏を貼らねば!と思ったのか、
 絆創膏を小さく丸めて鼻の穴に詰め込み、
 血を止めようとしたのです!!
 それに気付いた私は驚愕し、
 笑いが止まりませんでした。
 しかし何故いつも「鼻」がらみなのか、
 妹自身も分からないそうです。

 (ちひろ)

小学校中頃まで、
 「布団から手足出していると
  夜中に切り落とされちゃう!」

 と思い込んでました。
 (天井からギロチンが落ちてくるのです!)
 ピシッと気をつけの姿勢で眠るのは、
 今思えば、気の休まらないことだったでしょう。
 バカだけど、おかげであんまり
 寝相が悪くないオトナになれました。
 (まだむ)

幼稚園の頃は、泥団子を毎日毎日作り続けていました。
 とにかく「固く、丸く、てかりのある泥団子」を
 作り上げることに一生懸命でした。
 砂場の砂を土とブレンドして作るといい、とか
 石灰の粉を薄くまぶすと固さとてかりが良くなるとか、
 皆それぞれ工夫を凝らして日々泥団子を作成し、
 出来上がった泥団子を幼稚園のげた箱の下で陰干しして、
 帰りに先生からビニール袋を貰って家に持ち帰って、
 母に
 「今日は形もいいし、すごく固く作れた!」
 と自慢していました。
 家に持ち帰ったあとも、自宅のげた箱の下に並べて
 大事にコレクションしていました。
 母が玄関の掃除中にウッカリ泥団子を壊そうものなら
 烈火の如く怒り、泣き叫んでいました。
 宝物だったんです。
 当時の幼稚園の連絡帳には
 「まいにち、まいにち、いっしょうけんめい
  どろだんごを たくさんくつりました」

 と先生に書かれていました。
 この泥団子ブームは、今思うと幼稚園全体に広がっていたので
 幼稚園の土が相当量持ち出されていたように思います。
 バカというか、迷惑なことをしていたものだと思います。
 (匿名のかた)

幼稚園のころ。
 「男子」と「女子」がけんかをしていて
 女子が不利になったとき、私のもとには
 助けを求めて来る半べその女子が絶えませんでした。
 そう私には強力な技があったのです・・・それは、
 「スカートをめくりパンツを下げて、
  お尻を突き出しながら
  後ろ向きで男子に突進していくこと」

 あーバカだった。
 (ちび)

図書館の読書室で
 本を読んでいたときのこと。
 横に座った外国人は、
 ノートを広げて日本語のお勉強中。
 ミミズが這ったような文字で
 「青年は、額から汗を流して働いている」
 という文を、何回も何回も練習していました・・・。
 (C)
 
   
(ミニコメント)

「母が玄関の掃除中にウッカリ泥団子を壊す」
「親は無反応だった気がする」
「今でも母にはその事言われます」
「親にもばれて、あきれられました」
子どもの頃の思い出って、いつでも、
母親の行動や反応とセットになっているんですね。
子どもの視線が、なんとなくわかります。

私「ねえ、勃起って知ってる?」
母「へー、何それ? 誰に聞いたの?」
のやりとりは、ちょっとした
母の苛立ちが表現されていて、コクがありましたわ。

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2003-07-27-SUN
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