(7月27日)
●弟が幼稚園のころ、
それまで汲み取り式だった我が家のトイレを
水洗にするための工事の人が来ました。
床をはずして下水管(?)を通したり、
穴を深ーく掘っているそのおじさんを見て、
弟は「すごいなあ」「カッコいいなあ」を連発。
最後には、「ぼくもトイレの工事する人になる!」と
宣言したので、おじさんが床下に穴を掘る手をとめて
「坊主、勉強して偉い人にならないと大変なんだぞ」
とお話をしてくれました。
魚屋さんのお嫁さんに
なろうとした方の話もそうでしたが、
子供のころって、
「大人がいい職業だと思う職業」は得体が知れず、
それより体や手を動かす職業の方が憧れを誘いますね。
(ぎょもこ)
●小学2年生の時に仲良しのフミト君と、
エロ本を見つけてしまいました。
見終わって、立ちションをしようとおチンチンを出すも、
いつもと違う。おしっこがしにくい。
どうにも下を向いてくれない。そう、勃ってたんです。
フミト君が「これ知ってる?勃起って言うんだぜ!!」
その現象を初めて体感して、
しかも名前まであることを知った僕は嬉しくて、
その日の晩ご飯の時に、早速両親に報告。
「ねえ、勃起って知ってる?」
母親「へー、何それ?」
「チンチンが大きくなることでしょ。
おしっこやりづらかったよ。」
母親「誰に聞いたの?」
「フミト君」
母親「あらそう」
父親はずっと無言でした。
この後、何となく
言っちゃいけないことだったのかなー、
と思いつつ無言でご飯を食べました。
素直なガキでした。
(けい)
●私は、幼稚園の頃ずっと
大人になったら時計になろう思っていました。
ゼンマイ時計しかなかった1960年代当時、
たぶん正真正銘の馬鹿だったらしい私は、
みんなにわかる時間がわからず、
だから世界で一番頭がいいのは
時計なのだと思い込み、
大きくなったら時計様になるぞっ!と、
心に決めていたのです。
いつあきらめてしまったのか。
いっそなっとけばよかったと、
時間に追われながら思います。
(ぢん)
●小さい頃兄に「お前はエゴだ」とよく言われました。
もちろん意味などわかるわけはなく、
何かかっこいいイメージで友達にも自慢していました。
くやしい。
(勉)
●私は兼ねてから、「おかあさんといっしょ」に出てくる
体操のお兄さんに憧れていました。
そして、小学校低学年のある夜、
「今なら出来るっ!」という気がしたので、
「はっ!」と飛び上がって、
お兄さんの様に空中前転に挑戦してみました。しかし…、
見事に顔から落下し、家のフローリングに下唇を強打。
血まみれになりましたが、親に叱られると思ったため、
あわてて隣の祖母の家に走っていって
祖母にだけ事情を説明し、薬を塗ってもらいました。
その後、親には「転んだのー!」と主張し続けましたが、
今考えれば、夜、住み慣れた家で、
ただ転んで血まみれになるって…
そんな言い訳ありえないだろっ!
しかも、ホントのコトは姉によって全てばらされました。
私は予想通り、家族から冷たい眼差しで
見られることになったのです。だから秘密にしたのに…。
(m)
●子供の頃、なぜかNHKの「天気予報」がこわかった。
特に気象衛星「ひまわり」の画面が怖く、
アナウンサーさんが
「次は衛星ひまわりの写真です」というときは、
テレビに背を向けてばあちゃんにくっついていた。
同じく、放送事故中の「しばらくおまちください」の画面と
その日の放送終了の画面
「〜メガヘルツ、・・・でお送りいたしました」
という放送にも恐怖を覚えていた。
その画面を見たときは、
トイレには一人で絶対いけませんでした。
(ばりこ)
●子供の頃、狭いところや暗いところに
入って遊ぶのが好きでした。
ダイニングテーブルの下、
テレビと壁のすき間、カーテンのかげ、ピアノ
(グランドピアノではない)の鍵盤の下はもちろん、
たいがいの家ではお仕置きとして入れられる
押し入れにも自分から進んで入って遊んでました。
お雛様を出す時には、
飾ってあるのを眺めるのも好きでしたが、
7段飾りのお雛様の下でままごとをするのも好きでした。
子供にとってはちょうどいい
デッドスペースだったのでしょうか。
実は今でも机の下とか部屋の隅の
ちょっとしたスペースに入り込むのが
好きだったりします。
(アリス)
●公園に一人でいる、
ちょっと暗めな感じのおじさんを見ると、
「犯人」に仕立て上げ、友達と一緒に尾行しました。
ドキドキしながら後をつけるうちに
どんどんドラマに入り込んでいき、
おじさんがこちらをチラッと見ようものなら、
「気づかれた!」とものすごい恐怖を感じ、
ほとんど半泣きで逃げ帰りました。
家に帰ってからも、
「私は犯人を知ってしまった」と
勇気をふりしぼって親に相談したりしました。
親は無反応だった気がする。
(スノウ)
●私は幼稚園生の頃、
羽さえあれば絶対飛べるんだと真剣に思っていて、
画用紙で丁寧に羽をつくり絵を描いて、
それを装着して毎日座敷で飛ぶ練習をしていました。
腕を振ってもなかなか飛べないので
一緒にぐるぐる走り回ってみたり、
からすを観察して羽の動かし方を研究したり。
両親はあまりに私が真剣だったので、
笑いをこらえるのに必死だったとか。
勢いあまってベランダから
飛び降りたりしなくて良かったなぁ…と
ちょっと思うのですが。小学生になって
「勇気一つを友にして」という歌を知ったとき
「ああ飛ぶということは夢だったのだ」と
切なくなったことを覚えています。
(侑)
●私は小学校の低学年の頃、ピアノの先生の
「手の形はやさしくタマゴを握るようにするのよ」
という言葉をしっかり守ろうとした私は、
手の形をくずさないまま固まってしまい、
先生としばらく沈黙の時間を過ごしました。
(たごさく)
●バカなのか何なのかよく分からなかった幼少の頃。
庭にあった、物干竿を引っ掛ける為の
ポールのようなものによくぶらさがってました。
ひまがあればいつもぶらさがっていました。
その為に竿を引っ掛ける部分が折れてしまい
怒られた記憶があります。
今でも母にはその事言われます。
(yokong)
●小学生の頃、水路にボンタン(柑橘類の)が
落ちてたことがありました。
それを発見し、喜んだ私と友達は、
やっとの思いで拾い上げ、皮の厚いのをものともせず、
石器のように薄い石を探し出して、
がしがし剥いて食べました。
それを得意げに日記に書いたら、当たり前ですが、
「拾ったものは食べないようにしましょう」
と、先生のお言葉。親にもばれて、あきれられました。
(鹿児島・29歳・女)
●小学生の時、めちゃめちゃ暑かったので、
家に帰ってすぐ冷凍庫を開けて
顔を突っこんだことがありました。
冷気を最大限に受けようとしたのか
大口を開けて舌を思いっきり突き出したところ
舌が製氷皿にくっついて取れなくなり、大弱り。
家にいたのは私一人だったし、
どうしていいかわからず、力まかせにはがそうとしたら、
舌ははがれたものの、表面のつぶつぶがいくつか
製氷皿に残ってました。
痛かったよ〜。バカだったよ〜。
(seiko)
●私には妹がいるんですが、
3〜5歳くらいの時はほんとにバカでした。
匂い玉(ビーズみたいな小さい粒で、
フルーツなどの匂いがするんです)を匂い過ぎて
鼻の穴につまらせて母に怒られたり、
マーブルチョコを鼻の穴につめて、
溶けるまで誰にも知らせず、
母や私が気付いた時は
鼻血のようにダ〜っっとチョコが流れていたり、
挙げ句の果てに、母がいない時鼻血を出した妹は、
絆創膏を貼らねば!と思ったのか、
絆創膏を小さく丸めて鼻の穴に詰め込み、
血を止めようとしたのです!!
それに気付いた私は驚愕し、
笑いが止まりませんでした。
しかし何故いつも「鼻」がらみなのか、
妹自身も分からないそうです。
(ちひろ)
●小学校中頃まで、
「布団から手足出していると
夜中に切り落とされちゃう!」
と思い込んでました。
(天井からギロチンが落ちてくるのです!)
ピシッと気をつけの姿勢で眠るのは、
今思えば、気の休まらないことだったでしょう。
バカだけど、おかげであんまり
寝相が悪くないオトナになれました。
(まだむ)
●幼稚園の頃は、泥団子を毎日毎日作り続けていました。
とにかく「固く、丸く、てかりのある泥団子」を
作り上げることに一生懸命でした。
砂場の砂を土とブレンドして作るといい、とか
石灰の粉を薄くまぶすと固さとてかりが良くなるとか、
皆それぞれ工夫を凝らして日々泥団子を作成し、
出来上がった泥団子を幼稚園のげた箱の下で陰干しして、
帰りに先生からビニール袋を貰って家に持ち帰って、
母に
「今日は形もいいし、すごく固く作れた!」
と自慢していました。
家に持ち帰ったあとも、自宅のげた箱の下に並べて
大事にコレクションしていました。
母が玄関の掃除中にウッカリ泥団子を壊そうものなら
烈火の如く怒り、泣き叫んでいました。
宝物だったんです。
当時の幼稚園の連絡帳には
「まいにち、まいにち、いっしょうけんめい
どろだんごを たくさんくつりました」
と先生に書かれていました。
この泥団子ブームは、今思うと幼稚園全体に広がっていたので
幼稚園の土が相当量持ち出されていたように思います。
バカというか、迷惑なことをしていたものだと思います。
(匿名のかた)
●幼稚園のころ。
「男子」と「女子」がけんかをしていて
女子が不利になったとき、私のもとには
助けを求めて来る半べその女子が絶えませんでした。
そう私には強力な技があったのです・・・それは、
「スカートをめくりパンツを下げて、
お尻を突き出しながら
後ろ向きで男子に突進していくこと」。
あーバカだった。
(ちび)
●図書館の読書室で
本を読んでいたときのこと。
横に座った外国人は、
ノートを広げて日本語のお勉強中。
ミミズが這ったような文字で
「青年は、額から汗を流して働いている」
という文を、何回も何回も練習していました・・・。
(C)
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(ミニコメント)
「母が玄関の掃除中にウッカリ泥団子を壊す」
「親は無反応だった気がする」
「今でも母にはその事言われます」
「親にもばれて、あきれられました」
子どもの頃の思い出って、いつでも、
母親の行動や反応とセットになっているんですね。
子どもの視線が、なんとなくわかります。
私「ねえ、勃起って知ってる?」
母「へー、何それ? 誰に聞いたの?」
のやりとりは、ちょっとした
母の苛立ちが表現されていて、コクがありましたわ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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