KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(7月29日)

子供の頃住んでいた所はそれほど都会ではなく、
 深夜、街が静まりかえると、
 4キロほど離れた所を走る
 電車の音がたまに聞こえていました。
 が、そんな遠くの音が届くはずはないし、
 終電後に通る列車があるわけがない、
 と思っていた私は、布団の中で、
 「あ、また銀河鉄道だ・・・」と思っていたんです。
 なんだか見てはいけないもののような気がして、
 カーテンを開けて確かめることもなかったので、
 真実に気付くのがだいぶ遅れました。
 (めそ)

ほぼ日わ。
 ガキの頃は〜、ぷぷぷっと吹き出しながら読んでいます。
 そんな私にも馬鹿な思い出が・・・。
 私はなんと1歳半くらいから一人で近所のお菓子屋さんに
 母からお金をもらって
 お菓子を買いに行っていたそうです。
 自分の記憶にあるのは、
 もう少し大きくなってからのことだと思うのですが、
 100円を握りしめて
 お目当てのお菓子を買うところまではいいのですが、
 もらったおつりは道端に捨てていました。
 それでも一応子供心に、人に見つかってはいけない、
 と思い、植え込みの陰なんかに隠すのです。
 捨てるというより置いて行く、
 という方がちかいでしょうか。
 で、母に『おつりは?』ってきかれると
 「どこそこにある」と教えていました。
 うちは貰いものが多くて、買わなくても
 お菓子やアイスはたくさんあったのに
 『なんでそんなにお菓子欲しいん?』と聞いた母に一言、
 お金使いたいんやもーん!と返事をしたらしい。
 ほなしゃーないなぁ、と
 納得する母も母だと思うけど・・・・。
 (うららん)

小学校の低学年のころ。
 私は毎日新聞のテレビ欄で番組をチェックする
 かなりのテレビっ子でした。
 そんな私のもっぱらの疑問は番宣のCM。
 「放送は来週月曜、夕方6時から!」
 ・・・ってだから何chでやるか言えよ!!(怒)
 と日々テレビに向かって怒っていました。
 しかもそれを母親に
 「ねー今の何chでやるの?」と聞くと必ず
 「○chだよ」と的確な答えが返ってくるので、
 子供には教えて貰えないのか?とも思っていました。
 まったく子供に民放会社の仕組みなんて
 分かるわけがないですよねぇ?
 (935)

お月さまに追いかけられる、
 と言って泣いたっていうお話を読みましたが、
 私も小さい時、なぜか叔母と夜二人で歩いていて、
 お月さまが追いかけてくるので半泣きになっていると、
 叔母が、
 「とまとちゃんのことが
  好きだからついてくるのね、
  お月さまはとまとちゃんの味方だよ」
 と、教えてくれたのです。
 それ以来いつも(今でも)夜歩く時、
 お月さまを見上げて
 「恐くないぞ」「味方だもんね」と思います。
 (とまと)

日本語が全世界共通語だと
 思っていた方がいらっしゃいましたが、
 小学校に入る前ぐらいの頃の私は、
 外国の人はカタカナを使っていると思っていました。
 おそらく外来語は全て片仮名で書かれていたので
 そう思ったのだと思います。
 (まお)

皆さん、「おめざ」の習慣ありました?
 わたしの幼児期は家が商売をしていました。
 とある有名な観光地のみやげ物屋でした。
 (こけしやちゃちな飾り物は今でも嫌い)
 お菓子やパンも売っていました。
 そのショウウインドウの中に
 バターケーキがあるんです。
 朝、2階の布団で寝ている
 兄、私、弟でじゃんけんして
 負けるとそいつが冷たい廊下と階段を
 降りて、ケーキをとってきて、「布団の中」で
 たべるんですよ。
きれいずきだった母が
 よくゆるしていたねと、後から聞いたら
 起きてくるとうるさくて仕事に差し障るから
 しょうがなかったとの事。
 私たちみんな歯が悪いの。
 (ゆりパンダ)

セーラームーンを観て育った世代の私は
 本当にセーラームーンに憧れて、
 近所の友達と2人で
 「セーラー戦士になる修行」
 というのを実行していました。
 修行の内容は、裸足で走ることや、
 セーラームーンにあんまり関係ないかもしれないけど
 2人でテレパシーを通わせるようになることを
 目標に念を飛ば合ったりしてました。

 あるときはボール紙を上手く切って色を塗り、
 あのティアラにして頭につけて外を徘徊しました。 
 ばかばかしいけどあの頃はほんとに楽しかったです。
 今でもセーラームーンは永遠の憧れです。
 (m)

小学校低学年の頃、テレビ画面の向こうの人たちに
 自分の姿を見られているような気がしてならなかった。
 とくに、学校をずる休みして、
 ひとりこっそりテレビを見ているとき。
 カメラ目線の出演者と目が合うたび、
 叱られるんじゃないかと
 怖くなってチャンネルを変えていた。

 (すぎゃ)

2歳位の頃良く見た夢に
 宇宙人がUFOにのって、わたしを観察している
 と、いうのがありました。
 同じ時期の記憶はほとんどないのに
 この夢だけはハッキリ覚えているんですよねぇ
 なんでだろう?
 (よしこ)

小学1年生の頃のコト。
 学校で版画を終え、手を洗って教室に帰ってきた私。
 すっかりイイ気分、天気の良い午後の教室。
 何を思ったか、窓に向かって
 目をつむると気持ちが良いと思い、
 目をつむって気分良く歩いていくと

 いきなり先生に怒られました。
 なんで!?と思って気付くと、
 上履きの下には刷りたてで並べられた
 みんなの版画が...
 (ちさと)

「にぎりこぶしを眼球に少し痛いくらいに当て、
  しばらくするとサイケなビジュアルが!!」
 いやあ、なつかしい!僕も小さい頃やってました!
 なんなんでしょうね!? あれ!
 今でこそ「サイケ」「ビジュアル」なんて
 言葉で表現できるけど、
 当時は何て言ったらいいかわからなくて
 親や友達にわかってもらえず
 もどかしい思いをしました。
 「こうすると何か見える!」
 「??」
 「だからこんなの!」
 と言ってもうまく説明したり絵に描くことなど出来ず。
 自分に変わって
 有名な画家かなんかに絵にしてもらいたかった。
 そうすればみんなにも伝わるのに…
 できればアニメ化して動画として
 忠実に再現してほしいくらいでした。
 何であんなに必死だったのかな〜。
 (匿名希望)

えーっ!もうびっくりです。
 目をつぶり眼球を押しつけると
 サイケなビジュアルが映し出される話。
 私もやってました。
 和式便所にしゃがんでふんばる時に
 ひざのあたりにひじを立てて
 手のひらを閉じたまぶたの上から押しつけて
 サイケなビジュアルを楽しんでいました。
 ぐるぐる回るんですよね。
 私も純といいます。
 今は医療関係の仕事ですが。
 (学級文庫)

古い話で恐縮ですが、私の友人の話です。
 友人が幼稚園、そしてそのお姉さんが1年生のとき、
 ふたりで「チロリン村とくるみの木」を
 仲良く見ていたそう。
 その日、チロリン村は
 「今日からカラー放送です」となっていて、
 でもおうちのテレビはもちろん白黒。
 いよいよチロリン村が始まり、ふたりは、
 「あれ、カラーじゃないね」
 「……」
 「あ、でもだんだんカラーになってきた」
 「うん!」と、
 なぜだかだんだんカラーになってきたと
 思いながら最後まで信じて見ていたそう。
 (サトエミ)

「悪い子は地獄に落とされるんだぞ」と
 両親にさんざん脅されていた、
 小学校低学年の頃の私。
 別に悪いことをしているつもりはなかったけど、
 なぜだかしょっちゅう怒られていたので、
 自分は悪い子だと思い、
 いつ地獄に落とされそうになっても平気なように、
 常に警戒していた。
 警戒というのは、
 「地獄に落とされる
  =いきなり足元に穴が開いて落ちる」
 と思い込んでしまったため、
 ひとり部屋で遊ぶときは、
 床にいつ穴が開いてもいいように
 必ずマットレスの上で遊んでいたのだ。
 マットレスごと落とされることは
 想定していなかったのが、
 小学校低学年の浅はかさだったように思う。
 (なまちゃん)

子供の頃に、足の指をしゃぶっていたというので
 思い出しました。
 私は、かなり大きくなるまで、
 手の指しゃぶりをしている子で、よく大人に
 「指が長くなるから止めなさい」
 と注意されていました。
 その注意をそのまま信じていた私は、
 指しゃぶりをしている自分にふと気づいたとき
 慌てて両方の親指の長さを見比べ、
 ちょっと短く見えるほうの手を
 「同じ長さにしなくちゃ!」と思い、
 すごい勢いでしゃぶっていた。

 (chi)

高校生になったら
 誰でもセーラームーンの様な
 ないすばでぃになれると信じていました。
 中学卒業時の身長が150cmだった私は
 幼児体形のまま高校生活突入。
 ・・・入学式の写真は表情が虚ろ。
 (すう)

高校受かっての春休み。
 親友は落ちて予備校へ!
 そのわずかな間に起こった出来事。
 親友が無免許でバイクを持ち出し、
 私に2ケツを提案した。
 最初は彼女が運転して私は後ろだったのに、
 あまりの運転のヘタクソに
 「ケーッ」っとなって運転を変わった…
 その瞬間前からパトカーが…。
 免許証もなく、沖縄三越前(メインストリート)で
 散々詰問されて那覇署へ…。
 『家の電話番号を言いなさい』と言われた私は、
 ついつい姉の家の電話を告げました。
 そしたらナンと!そこに鬼のような母が、
 たまたま!いたんです。
 母、
 「あ〜、おまわりさん!この子はネ、
  中学校2年生の頃からズット無免許で
  オートバイ乗っていますし、
  どうか牢屋にでも入れて、
  根性叩きなおしてください」

 …。
 (か)

小学校一年生のとき、
 わたしが授業中にうろうろ立ち歩くことに
 腹を立てた先生が、ついに私の椅子を取り上げました。
 それでも私はちっともへこたれず、床に座って、
 にこにこして友達にピースをしたり
 手を振ったりしてました。見かねた級友が
 「先生、みなちゃん、
  反省してはるから椅子返したってえな」
 と言ってくれ、
 椅子は私のもとにかえってきたのですが。
 罰の意味を理解しない子供に、
 先生はどれだけ歯がゆい思いをしたでしょう。

 (みなこ)

小学生高学年の頃だったと思います
 電車から改札口を出る時にこども料金の切符を
 駅員さんに渡したところ中学生(大人料金?)と
 思われたのか切符を持っている指を
 つかまれ『何年生まれだ!』と言われた僕は
 おもわず「やぎ座」と答えました。
 駅員さんはそのまま手を放してくれました。
 たぶんこんなバカな中学生はいない、
 と思ったのでしょう。
 (けんち)

「置き手紙」にあこがれる・・・分かります。
 私の場合、なぜか「手紙のやりとり」にあこがれて、
 わざわざお菓子の空き箱か何かでポストを作り
 自分の部屋のドアにそれを貼り付けたんです。
 そして家族みんなに
 「私に用事がある人は、
  手紙に書いてポストに入れること!」
と命令。
 それからは、手紙が入っているかが気になって
 10分ごとくらいにポストをチェックしたのですが
 もちろん家族がそんなおバカなことに
 付き合ってくれるはずも無く
 1通も受け取る事ができないまま、
 そのポストは役目を終えたのでした。
 (かもめ)
 
   
(ミニコメント)

「私に用事がある人は、
 手紙に書いてポストに入れること!」

「何年生まれだ!と言われた僕は
 おもわず『やぎ座』と」

「同じ長さにしなくちゃ!と思い、
 すごい勢いでしゃぶっていた」

このあたりの、勢いが音声として聞こえるところも、
なんだか、やっぱり、いいんですよねぇ。
「銀河鉄道」についての話が、すごくキレイでした。

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2003-07-29-TUE
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