(8月1日)
●3人兄弟の末っ子の私は、
い〜っつもいぢめられていました。
すぐに泣く私を面白がっていたのだろうけれども、
今でも覚えている私をいぢめる時の言葉。
「お父さんが川に釣りに行ったら、
ドラム缶が流れてきて
その中に○○は入っていたんだよ。
だから、本当は血がつながっていないの!」
今考えれば、しょうもない事なんだけど、
姉と兄に言われて、幼い私は
横隔膜がヒックヒックってなる程泣いていました。
自分の部屋のベットの上で泣きながら
空想したのは、小公女セーラ。
本当のお父さんとお母さん、
早く私を迎えに来て!って思ってました。
でも、でも、父・母・姉・兄・私は、
「5人兄弟」ってあだ名がつく程、似ているんです。
どっから見ても家族だろ!気付けよ!って
あの頃の自分に言いたい。
(YUMI)
●511号「ガキばな」で
「教科書のはじっこをちぎって食べてました」
って話が載ってましたが、私も食べました。
でも、ほんの2〜3枚です。神に誓って。
当時(小学生)、ドラえもんで「暗記パン」という
道具を見たんです。
それは、教科書を食パンに転写して、
そのパンを食べるとそのページが憶えられる・・・
というものでした。
私は「これはもしかすると、いけるかも!」と
期待に胸ふくらませ、実行。
転写する道具がなかったので、
現物の教科書をちぎり、
食パンでサンドして食べました。
1回のサンドに2枚のパンを使ったのが
悪かったようで、
何ページか食べておなかがいっぱいになり、
「ケッ、こんなんで憶えられたらヤギは天才よ!」
と1人逆ギレし、速攻あきらめました。
その後、もともと憶えられなかった
そのページはもちろん憶えることはできなかったし、
明日の食パンがなくなっていることを
お母さんに見つかり、怒られて散々でした。
(ハセ)
●小学生の頃、学校の帰りに友達と話していて、
「糊ってどんな味がするんだろうね?」
って話題になって、二人で舐めてみました。
…甘かったのを覚えています。
クラスには消しゴムのカスを食べる男の子がいたり。
食べちゃいけないって言われると
なおさら食べてみたくなるもんですよね。
(マシマロ)
●小学生のころ、姉と私は
「アタックNO.1」ごっこをしていました。
2階の和室の押入の上段にコーチになった姉。
畳の上でレシーブの構えをする私。
たくさんの風船を私に投げつける姉コーチ。
回転レシーブでうける私はもちろん鮎原こずえ。
負けるものかと、
立ち上がり「ハイッ!!」と気合い。
なんだったんだろう。
恥ずかしくて姉にも「覚えてる?」なんて聞けない。
(40才、子供3人)
●うちの弟は5歳のある日の食事中に、
いきなり何を思ったか
ご飯粒を耳の中に入れてみる実験を試みました。
「あっ、取れない!」といきなり
云いだすのでみんなでびっくりしましたが、
耳掻きでとろうにも奥に入りすぎているのと、
柔らかいのでつついていたら
もっと奥に行っちゃいそうなので怖くなり、
「しばらく放っておこう」ということになりました。
それからしばらくは
「あ、耳の中で米がごろごろ鳴ってる!」
と弟が叫ぶたびに母が
耳の大掃除に取り掛かっていたのですが
とれずに終わってばかりでした。
何年か経って弟が小学生になってしばらくした頃、
弟が食事中に笑っていたら、
何かの拍子にポロッとからからに乾いた
ご飯粒が耳から落ちてきました。
ご飯粒を耳の中に入れる事件を
忘れかけていた頃だっただけにまた大騒ぎになり、
みんなで口々に
「よかったねえ」
「いつかは出るもんだねえ」
と云いあったものです。
(k)
●小学生の頃、学校からの帰り道に
「目をつぶって歩く」というありがちな遊びを実践。
(さすがにクルマは来ない道で)
が、ものの2分と歩かぬうちに
コンクリート製の用水路に転落(落差約2m)。
一応転落防止のための
ブロックみたいなものがあったのですが、
なにせ目を閉じてますから、
全く擦ることもなく跨いでダイレクトに落ちました。
幸いなことには、ランドセルが
クッションになったらしくなんと無傷だったのですが
気付いたら、はるか上に大勢の顔、
近所の大人も混じって大騒ぎに。
さすがに「とんでもないことをしでかしたらしい」と
子供心にも思い、しかも小学校低学年ならともかく
4年生(女子)にもなって、かなり恥ずかしかった。
そして家に帰ってランドセルのフタを開けたら、
5cmほどの鮒がはさまっており、
鮒を出したせいか、
笑われただけで親には怒られませんでしたが
その学年が終わるまでずっと、
乾かした教科書は「なみなみ」になったままで
いちいち言い訳するのも、つらかったっす・・。
(う)
●小学生の頃、当時はやっていた「メローイエロー」
というジュースを牛乳で割って飲んでいました。
さらには飼っていた猫にあこがれており、
隣り合って「メローイエロー牛乳割り」を
舌でぺろぺろ舐めていた。
(うぃっち)
●私は小学校の頃まで、父を
「ダスキンのさだまさし」だと思っていました。
(みやび)
●小学校低学年の頃、近所の子と妹と3人で
秘密の“仏像作り”に没頭していた。
自分達だけの神を作ろうと、
裏山の崖の側面を削って仏像らしき形を作り
花やお菓子を供えたり、
“神に捧げる踊り”を作って踊ったりして遊んでいた。
当時“破廉恥”という言葉をその響きから
「とても素敵」という意味だと思い込んでいた私達は
その仏像を“ハレンチな像”と命名し、
拝むたびに「なんてハレンチなんでしょう!」とか
「とてもハレンチだわ!」を連呼していた。
(ちなみに仏像の形は確か普通のお地蔵さん風でした)
今考えると、恥ずかしいけど楽しかったな〜
(くう)
●私も「びびびさん」と同じく小さい頃から
雨に濡れるのが好きで、
28歳になった今でも好きです。
やはり雨がこぶりだと傘をささずに
歩き出そうとして、友だちに
「濡れるよ」「風邪ひくよ」と注意されます。
好きだから。って言っても、理解してもらえないけど。
(rassy)
●皆様、素敵な子供時代を過ごしておられますね。
私の子供の頃はと云えば、
“トイレの窓から外を覗くとキリストに怒られる”
と思っておりました。
どうしてかキリスト。何故にキリスト?
お便所の神様扱い?
実は今もトイレの窓が開いていたりすると
微妙にビクビク。
窓のないトイレは無性に一安心。
も一つ。
香水は、う○こから作られると信じていました。
そんな事はないだろうとは思ってみるものの、
汚い物からは綺麗な物が生まれるのかも知れないと、
これが世の不条理ってもんかと
納得していた気がします。
本当だったら究極のリサイクルですねー。
(まおまお)
●小学校低学年の頃、
母とスーパーへ買い物に行った帰り道は
日も暮れてかなり暗くなっていました。
「こんなに暗いなら目をつぶっても同じだ!」
と考えた私は
自転車に乗っているにも関わらず目をつぶりながら
走り、コンクリの塀で
手の甲をザーーーッと擦ってしまいました。
20年以上経ちますが、一生物の傷になっています。
(くみん)
●赤ん坊の頃「健康乳良児」なるものを受け、
自宅には表彰状まであるぞ!と豪語していた大学時代。
友人から「健康優良児の間違いじゃねーのっ」と言われ
赤ん坊だから「乳良児でいいんだっ!」と言い返してた。
帰省した時思い出して母に確認したところ
「乳良児な訳ないでしょう」
と言われ、にやけた友達の顔が浮かんだ。
(薩摩)
●小学校2年生のお昼休みに本を読んでいたところ、
あるページにたどり着きました。
そのページは『ノストラダムスの大予言』について
書かれていて、挿絵もおどろおどろしく、
1999年世界滅亡の恐怖に慄いていた
私の耳に入ってきたのがお昼の放送で流れてきた
ビートルズの『イエスタデイ』でした。
低い音で始まるその曲はビートル時を知らなかった私には
恐怖の大王が降って来るテーマ曲のように
恐ろしい曲に聞こえ、
今でも聞こえるとビクッとしてしまいます。
(minihiyoko)
●小学校に入学した直後、
ジャングルジムに逆さにぶら下がって
手を離せるのが自慢でした。悔しがった友達から
「じゃあ、手を離したまま降りれる?」
とそそのかされて実行し、
当然落っこちて鼻血を出してしまいました。
中学校に入学したときは
高鉄棒の一番高いのに飛びつける女の子は私一人。
「見せて、見せて」と友達に囃されて
良い気になって飛びつき、失敗して落下。
腕の捻挫で入学早々左手を吊って登校していました。
先日公園で鉄棒につかまってみたけれど、
逆上がりもできない自分に愕然としました。
58歳 孫一人 当然か・・・・
(匿名のかた)
●小学校低学年の頃のこと。
ふいにガムが食べたくなったのですが、
家にガムがありませんでした。
あいにく、お小遣いも持ち合わせがありません。
そこで、わたしが思いついたのが。
布タイプのガムテープを細く切り、
ぐるぐるぐると、何回も巻いて小さいボールにし、
ガムの代わりとして食べることでした。
なんだか妙に美味しく思えてしまい、
その後数年間は、人目をしのんでは、
くちゃくちゃとガムテープガムを食べていました。
今日あたり、15年ぶりにやってみようかなぁ。
(あべあべ)
●ガキの頃、電車の中でウォークマンを
音漏れさせて聞いている人が
なんとも格好良くみえてたんです。
ある日、懸賞で当たった「携帯ラジオ」という、
見かけだけはウォークマンそっくりのものを
手に入れた私は、早速イヤホン(片耳分しかない)を
耳にはめ、ウォークマンを聞いている風に見える様に、
あの電車の人のように
「ツクツク・ツク・ツツ・・・シャカシャカ♪」
と口で音漏れを再現して満足してました。
わざと人前でそれをやって、
「私はウォークマン聞いてます」とアピールしたり。
そして、その曲はなぜかいつも、
映画「グレムリン」のテーマ曲でした。
(o)
●友人の久美ちゃんはこどものころ、
鼻づまりにとても憧れていて、
鼻水を出口でおさえつつ完璧な鼻づまり状態を
自らの力で勝ち取った。
しかし、喜びもつかのまで、
息苦しさに鼻を開通させようとしたが、
自力ではどうしようもなく医者に連れて行かれた。
(みちこ)
●かつての私は、トイレが大嫌いでした。
ドアを閉じたとたん、
家族全員がすんごい悪い連中になって
悪さをしていると信じていたのです。
だから、みんなのためにものすごく速く
トイレを済ませて飛び出してきたものでした。
おかげで今も、トイレはめちゃめちゃ速いです。
あと、トイレがくさいときは、
口で息をすれば臭くないと思ってました。
(さやや)
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(ミニコメント)
「ツクツク・ツク・ツツ・・・シャカシャカ♪」
「口で息をすれば臭くない」
このあたり、ガキっぽくて、爽快感があります。
「汚い物からは綺麗な物が生まれるのかも知れない」
とか、妙に哲学的なことを考えるのも、子どもならでは。
でも、だいたい、子どもって、ほんとに
何ともできなくなっちゃうまでは、
問題を、自分で処理しようとがんばるんですねぇ。
けなげだなぁ、と思いました。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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