(8月7日)
●小学校2年の頃、理科の授業で
「なぜ、夏は暑くて冬は寒いのか?」
という質問を班で話し合う時間がありました。
そこで僕は
「夏に近付けば地球は太陽に近付いて、
冬は遠ざかる」という説を提示、
班の全員から大賛成をもらい意気揚々と発表。
他の班は意見がまとまらず発表無し。
自信満々になった我が班は2分後
もっとも恥ずかしい思いをすることになる。
それでも班のみんなは
「いや、近付く説も
きっとそのうち認められるよ!」
なんて今となっては阿呆な同情。
でもこの時は凄い友情を感じたなぁ〜。
(もりめがね)
●私が「小学●年生」という雑誌を
毎月購入していた頃。
3歳年下の弟は、付録の探偵入門とかいう
小冊子にハマり、
探偵の7つ道具なるものを揃えてました。
手帳・虫メガネ・
手袋・ペンライト(何故だ?) etc.
出掛ける時は、必ずそれを持ち歩き
「僕は、名探偵になる!」
と触れ回ってました。
そんな彼も…今や二児の父。
時の流れを感じます。
(みの)
●私が幼稚園のころ、
犬がぺちゃぺちゃ水を飲むのを見て、
自分にもできるはずと思い、
お茶碗に水を入れてやっていみました。
意外と口に入る分が少ないことに気づき、
かなり練習したのを憶えています。
(なおみんと)
●小学校低学年の頃、家族の中で
父のカツラ疑惑が急浮上しました。
(なぜかは不明)
私は半信半疑だったが
兄は素直に信じ込んでいました。
それから毎晩『パパカツラ見せてー!!』と
グイグイ父の髪の毛を引っ張るのが
日課となり、『イタイ!イタイ!!』と逃げ惑う
父を見て爆笑してたのを覚えています。
ちなみに、今も父は地毛です。
(いちっこ)
●いつも楽しみにしてます。
みなさんのを読んでて、
自分のガキ話を思い出したので投稿します。
AT車のシフトレバーの親指があたる所にある、
シフトチェンジに使うボタン。
これなーに?と父親に聞いて返ってきた答えが
「車がバラバラになるスイッチだ。触るなよ」
それを聞いてバカガキの妄想は膨らみ、
これは戦闘機にある、
事故の時に使う脱出ボタンだと
思いこんでました。
触らないようにしつつも、
事故が起こらないかと待っていた小学生時代。
うちの車はボンドカーじゃないって、ねぇ。
(うみにん)
●デリバリー版に載っていたヤクルト話。
「底の固い部分をカジカジして・・・」
私もやっておりましたよー。
ちなみに、缶コーラのプルタブ部分に
安全ピンで穴を開け、その穴を指で押さえて、
思いっきり振る!
そして穴を口に向けて指を離し、
勢い良く噴射してくるコーラを飲む!
というのもやってました。
最後には炭酸の抜けたコーラを
飲むハメになるのですが・・・。
(ささもん)
●幼稚園の年中組(4歳)のときのこと。
わたしが通っていた幼稚園の玄関には、
父母からの意見を取り入れるために
おかれたと思われる
古ぼけたちいさなポストがおいてありました。
それには「おはなしポストさん」という
紙がはってあったので
私はこのポストさんは
(森のかしの木のおばあさんのようなイメージ)
お話ができるんだ!と思って、
人がいない時を見計らっては
「こんにちわ」
「もしもし」
「あの、もしもし」
とはなしかけていました。
とうとう卒園するまで
ポストさんとはおはなしできませんでした。
中学生になってから母に
もう時効だと思って話したら、
持病の喘息が出るほど笑い、
その後も一週間位私の顔を見る度に
思い出し笑ってました。
(のせ)
●野球マンガ(「ドカベン」など)で、
表紙にしょっちゅう
「ついに最終回!」と出ていて
どきどきしましたが、
たいてい「野球の試合の最終回」でした…。
(えみ)
●ガキ話毎回、面白く拝見しています。
「橋の下で拾われた」
みんなそう言われて育ったのですね。
私も、
「家のすぐ裏の川の橋の下で拾った」
と、父に言われて育ちました。
子どもの頃その橋の下に
浮浪者が住みついていたので、
「もしあの人がお父さんだったら、いやだな」
と思って、
彼に、我が子だとばれないように
橋の上を通る時は、
大急ぎで走って通った思い出があります。
友人のだんなさまは、杉並区生まれなので
「環八の横断歩道のそばで拾った」
と言われたそうです。
けっこう大きくなるまで信じていて、
「子供が3人もいるのに
(4人兄弟の末っ子でした)、
よく自分を拾ってくれたな。
両親は、えらいな」
となにげなくお兄さんにしゃべったら、
大笑いされて、初めて
からかわれたと気が付いたそうです。
その時彼は、小学校の5年生ぐらい。
親戚のおばさんに、
「おじいさんにそっくりね」
といわれるたびに、この人は、
ぼくが、拾われたことを
ごまかすためにうそを言っているんだと
信じていたこともあるそうです。
(匿名希望)
●20年以上前の小学校の頃、
後部座席から父の運転を眺めているのが
好きだった私は、クルマの
「方向指示器(ウインカー)」というものの
役割を理解していなかった。
方向指示器と聞いて
「行きたい方向を指示してくれるモノ」
と思いこんでいた。ある日、父に
「すごいね、このクルマ!
お父さんにどっちに曲がったらいいか
教えてくれるんだね」と本気で言っていた。父も
「そうだよ、ほら次は
どっちに行けばいいのかな・・・?
あ、右だってさ」と私に合わせてくれていた。
それでちゃんと目的地に着けたときは、
ほんとうに感動した。
今思えば、カーナビなんて言葉すら
無かったあの時代に、
我ながら凄いことを勘違いしていたなぁ。
(あろはる)
●息子が子供のころ、
サンタさんにプレゼントをもらって、
近所のおもちゃ屋の包装紙を見て、
「アカクラって書いてあるよ。」というので、
「遠くからみんなのを持ってくるのは大変だから、
途中で買うんでしょ」といったら、
「サンタさんは、どっちからくるの?」
といって、10円をおいて、
北の空に向かって、
サンタさんありがとうって言ってました。
(ケイ)
●車に乗せるレーダーが出始めた頃
我が家の車では、
今のように当たり前的ではなく
ハンカチなんかがかけられ、ちょっとした
秘め事として扱われていました。
子どもに悪いことを教えちゃいけないと
思ったのか
「これはオルゴールだ」
と言い張っていた父と母でした。
そして、私たち姉妹は信じていた。
時々、予告もなしにオルゴールが鳴ると、
「あれ?」とは思ったけれど・・・。
(しょう)
●幼稚園のころ、
お薬のビオフェルミンを
おやつ代わりにこっそり食べてました。
親に見つかると怒られそうなのでこっそりと。
ついでに、マーガリンを
そのまま食べるのが好きでした。
べつにおいしくもないのに。
あっ、あと練乳もチューブから
そのまま飲んでました。
よく肥満児にならなかったなぁ。
(ようこ)
●幼稚園のころ、
ときどき隣の家へやって来る、
おばさんの孫と友達になりました。
あるとき私は少年の家が
盛岡にあるということを知り
「盛岡はドコにあるのか?」と母に聞いたところ、
「(当時住んでいた)神奈川より上のほうよ」
と教えてくれました。たぶん、幼く
東西南北がわからない私が理解できるように
言った一言だったのでしょう。しかし。
「上のほう?」
そのときから、しばらくの間わたしは
各県が雲の上へフワリフワリと浮いていて、
神奈川の上に東京が浮き、
そして盛岡は遥か上空にあるものだと
信じていました。
(ナヲ)
●私が確か、5歳か6歳の頃の話です。
私の母が、若い頃から通っている
喫茶店があるのですが、
私もよく一緒にその喫茶店へ行っていたんです。
当時私はブラックコーヒーが大好きで、
その日もゴクゴクとコーヒーを飲んでいました。
そしたら、隣に座っていた常連の女性が、
私に向かって
「コーヒーをいっぱい飲むとね、
お髭がたくさん生えてきちゃうのよ」
と言ったのです。私は自分の顔に
髭が生えているのを想像して、
もの凄く恐くなってしまい、
慌ててコーヒーを母にあげてしまいました。
それから現在に渡って、
私はコーヒーが飲めなくなりました。
トラウマもありますが、
なにより苦いのがダメで飲めないんです。
なんであんな苦い物を飲めた のか、
今でも全然分かりません。
(ゆうぽん)
●フタからポタポタ飲んだり、
底面の堅い所を歯で
ガジガジと噛んでちゅうちゅうと吸ったり、
あぁ、皆さんなーんて共感できる
ヤクルト話なんでしょう!
わたしはフタに歯で小さな穴を開けて、
閉じた唇に一滴垂らしては、
これを飲まないと死ぬぞ!
って遭難して助けられた人ごっこを
やっていました。
そして舌でペロリと舐めては、
おぉ生きている!って感動する
救助隊の感動まで再現してました。
今、フタを普通に開けてヤクルトを飲むとき、
ちょっぴり物足りなく切なくなりますね〜。
(うず)
●なんだかこのページを見るごとに
「自分もそうだった、そういえば・・」
と回想することが多くなってしまいました。
祖父母に育てられて大きくなった私は
両親に対する愛情が薄かったようです。
実の親のところに帰ることを
「泊まってくる」と言い、
夜中には「帰るー!」と泣いて
祖父母の家に戻っていたようです。
真剣に毎日お祈りしていたのを覚えています。
「おじいちゃん、おばあちゃんが
長生きしますように!
二人と同じ時に死ねますように!」と。
自分が親になった今、両親に
かわいそうなことをしたなと思ってしまいます。
(匿名希望)
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(ミニコメント)
自説を述べて、
ガリレオのような思いをした小学生、
根拠はわからないけど、
未知なものに、直接つっこむ感じが、いいね!
「きっとそのうち認められるよ」
の、ともだちのサポートは、
読んでるだけで、こっちもうれしいし。
探偵道具を集めたり
犬の水の飲みかたを研究したり
いつか父親のカツラを暴こうとしたり
(おおきなお世話だけど)
子どもって、生まれながらの研究者で探検家!
方向指示器についての父親のやりとりも、
父のクルマの運転を見ているのが好きで、
みたいに、愛情がもとになっているからこそ、
なんか、ウソがかわいくて、あたたかかったです。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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