KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月8日)

小学校の時、幼いなりに
 「苦しい思いをした分報われる」
 と信じていて、神様にお願いをするときも、
 「都合の良いことばっかり言っては
  神様に嫌われてしまう」と真剣に考えてました。
 その結果あみ出した技が、
 「毎日寝る前に、息継ぎを一度もせずに
  10回連続でつっかえずに願いごとを
  唱えることが出来れば、願いはかなう」

 というものでした。
 これはなかなか大変で、
 10回カまずに言わなくてはいけないので、
 お願いごとの文の長さを微妙に調節したり
 (しかもその姑息さが神様にばれないように、
  昼間頭の中で密かに
  「今日のお願いごと」について考えておく)
 カんでしまった場合は、律儀に
 「神様、今のはナシです」と言って
 もう一回最初からやったり。
 どうしてこんな風に思ったのかわからないのですが
 子供ごころに、
 「神様は、私がどんなに苦労して
  お願いごとをしてるか、
  きっとどこかで見てるはず」
 と思ったのだと思います。
 ちなみに、この方法で、かどうかは分かりませんが、
 何度かは、ほんとに願いがかないました。
 (匿名希望)

小学校一年生の時、
 6年生のお兄さんお姉さんに勉強を教わる、
 という授業がありました。
 一年生の教室に6年生が来て、
 グループ単位で勉強をするというものです。
 私は兄も姉もいなかったせいか、
 それが嬉しくて嬉しくてたまらず
 物凄くはりきって挑み、
 足し算、引き算の数字を
 全部習ったばかりの漢字で書きました。
 お兄さんが優しく
 「これは漢字で書かなくてもいいんだよ」
 と、さとしてくれました。
 恥ずかしいし、せっかく張り切ったのが
 ぺしゃんとなって悲しくなって
 帰ってから泣きました。

 あと、母校は1年生と6年生、
 2年生と5年生でペアを作るということをしており
 私の担当はシオミさんという色の白い
 きれいなお姉さんでした。
 あのころ、6年生って大人に見えたなぁ。
 私も6年生になってから1年生の子を
 担当しましたが、その時、今の自分より
 シオミさんの方がずっと大人だったように
 思ったのを覚えています。
 (匿名希望)

幼少の頃、父親の運転する車の
 助手席に乗ってのドライブが好きでした。
 休みごとに、父の田舎に車で帰省するのですが、
 そのとき、雨が降っていると、
 車に当たる風のせいで、
 サイドのガラスを、雨粒がななめに
 昇っていくんです。
 心の中で「のぼり水」と名づけていました。
 帰省のときだけの、ある種
 特殊現象なんだと思っていました。

 のちに、普通のドライブのとき
 たまたま雨が降り、
 「のぼり水」を目撃したときには、
 内心、かなり動揺しました。
 (Sho)

私は琵琶湖の近くに住んでいましたが、
 向こう岸に見える比叡山を
 「富士山」だと思いこんでいました。
 違うと判明した後も、
 もっと遠くに見える山を
 勝手に富士山と決めて眺めていました。

 就職活動で新幹線に乗り、
 初めて本物を見た時には嬉しくて
 電話で親に「富士山見たよ〜」と
 報告してしまいました。
 ガキと言うより田舎者・・・?
 (うさみみ)

幼稚園の頃、一日も早く大人になって、
 レディとして扱われたい!と思っていた私。
 日々、そのチャンスをうかがっていました。
 そして、法事で親戚が集まったとき。
 1つ年下のいとこたちが、走りまわって、
 遊んでいる中、一人正座をして、
 「まったく、コドモなんだから」
 としたり顔で言って、口に手をあてて
 オホホホと笑ってみせました。
 たかが5歳のくせに…。自分では
 「いけてる!
  大人の匂いをかもしだしてる!」

 と確信してたけど、
 きっと笑われてたんだろうなあ。
 (匿名希望)

小学校1年ぐらいのとき、
 自習でぜんぜん違う学年の先生が
 きたことがありました。
 私とは全然面識がありませんでしたが、
 私はその先生が、いつも
 サングラスをかけてるなーって
 印象だけ持ってました。
 で、その先生は、教室に入ってきて
 サングラスを取ったんです。
 私、どうしてもどうしてもあることが
 言いたくなって、自習なのに
 わざわざ立ち上がって伝えに行きました。
 ”サングラス外しても
  結構かっこいいですね。”

 って。思い出すと結構恥ずかしいです。
 小さい声で言ったつもりでしたが、
 なにしろ自習なので、
 教室中が聞いていたと思われます。
 (匿名希望)

なによりも記憶に残ってるのは、
 子どもの頃に母に言われた、
 「鼻水は脳みそが風邪を引いて腐って
  出てきてるんだから、
  ちゃんとかまないと、もっと腐って
  脳みそがなくなっちゃうよ!」

 というものでした。
 すっごい怖かった・・・・。
 今でも、鼻かぜを引くと、必死になって
 鼻をかんで、鼻の皮がペロペロになります。
 (えま)

幼稚園くらいの頃、
 手さげバッグを両手で持ってぐるぐる回り、
 遠心力で空を飛ぶ練習をしていました。
 ものすごく回って
 体が一瞬グラっとしたときには
 「今、飛べた!」
 とものすごく喜んでいました。

 練習するたびにグルグル
 早く回れるようになるので、
 (このまま練習していれば、いつか空を飛べる)
 と信じていました。
 だから、自分が手さげバッグを手に
 ご近所をふわふわと
 飛んでいる夢もよく見ました。
 今、考えてみると、ちょっと可愛げもあるような、
 でも誰か止めて・・・・という感じもします。
 (オリ)

小学5年生のころ、
 コロポックルという小人の本に
 すっかり夢中になりました。
 私は本の真似をして
 ピアノの前にすわってふたをあけて、
 「いるんでしょ?私も味方だから、
  これを鳴らしてね。目を閉じてるよ」

 とずーっと目を閉じていたのですが、
 いつまでたってもピアノは鳴りません。
 「まだ信用されてないんだなあ」
 と思っていました。
 6年生まで信じてました。
 が、6年のとき町の中に引っ越したので、
 「こんな都会にはコロポックルはいないだろう」
 とやめました。
 6年生って……夢見がちすぎるよ、私。
 人には言えないけど、けっこう大事な思い出です。
 (ぎょもこ)

小学校低学年の頃、
 「座布団の上に乗って
  それを持ち上げると空が飛べるはず」
 と思い、
 やってみたけれどできませんでした。
 私にはまだ力が無いから無理だけど、
 自分の体重より重いものが
 持てる人には必ずできるはずだ、
 と、毎日特訓してました。
 「大人でさえ気づいてない、
  ものすごい発見だよこれは!」

 と思ってたんですけどねぇ。
 (さと)

トイレに入っている間に
 家族が宇宙人に乗っ取られている妄想も
 自分に何か課して、
 家族の命を賭けていた事

 右から後ろ向いたら次は左だっ!
 ってな事もやってました。
 (38歳・主婦)

幼稚園の頃の話です。
 父とお風呂に入っているとき、
 目の前でヒゲをジョリジョリ剃る姿を見て
 「嗚呼、自分もやってみたい!」
 という衝動に駆られました。
 誰もいないのを見計らって
 決行しようとしましたが
 そこは幼稚園児、
 まだヒゲなどはえてはおらず
 かわりにまゆ毛を剃ってしまいました。

 その後、変わり果てた姿を見た母が大激怒。
 こっぴどく叱られました。
 次の日、マジックで塗られ黒びかりした
 即席まゆ毛の磨呂姿で幼稚園に向かいました。
 (さいひろ)

人の体内の仕組みを
 ハンパに知っていた子供のころ、
 ノドから胃につながる食道は
 左右にうねうねしてるんだと思ってました。
 なので食後に
 「なんか消化がわるいなぁ」と感じると、
 上半身をまず左に
 (必ず左からです!)傾けて
 5,6秒、つぎは右に5,6秒…を
 数回繰り返してました。

 食道を順調に通っていく食べものを
 イメージしながら、
 「いや〜すっきり胃に入った」
 とか思ってましたけどね。
 (kum)

私はガキの頃から怪獣が大好きだったもので
 TVで“臨時ニュースをお知らせします”
 となる度に
 「とうとうトウキョウワンに
  キョダイセイブツがシュツゲンした!」

 とドキドキしていました。
 今でも臨時ニュースのテロップがでると
 ちょっとドキっとしてしまいます。
 (カナメ)

ガキのころ、
 歯医者さんに行くのが好きな時期がありました。
 子供ながらに、看護婦さんは
 みんなきれいだし、あの治療する時に
 座る椅子が「ガンダム」が好きな子供としては、
 操縦席に座っているみたいで
 毎回わくわくしていたのを覚えています。
 しかし、歯を削っている時に、先生が
 「痛かったらいってねー」
 とやさしく言ってくれているのに、
 「口の中に手を突っ込まれているのに、
  しゃべれるかー!!」

 と一人でつっこんでいました。
 (たま)

幼稚園の頃「市立(しりつ)」と
 「手術(しゅじゅつ)」の言葉の区別がつかず
 ○○市立○○小学校という名前から、
 小学校にあがる時には
 手術をしなければいけないと思いこみ、
 「どこを手術するんだろう・・・」

 とびくびくしてました。
 そんな私は「金」と「銀」の区別も
 なかなかできませんでした。
 (えりこ)

小学3年生の頃、
 ドラマでよく見かける「バー」のシーンに憧れていた。
 ある日、友達が家に遊びに来たとき
 「バーごっこをしよう!」と言って、
 部屋のカーテンを閉め、豆電球だけを照らし、

 台所からこっそりグラスを取り、
 そこにワインを入れたいところだが…
 未成年であることをわきまえており、
 そこで、ジュースを入れればよいものを、
 見た目にこだわった私は、
 自家製の赤梅の汁を入れてすすった。
 雰囲気を醸し出すどころか、耐えれないほどの
 梅のすっぱさが口の中に漂うだけ。
 しかも友達はその犠牲者。
 (匿名希望)

自分で言うのもなんですが、
 小学生の私は勉強ができる子でした。
 近所でもわりと評判だったらしく
 よく母は
 「お宅のゆんたちゃん、おできになるわね」
 と誉められていました。
 しかし母自身は嬉しくもなかったらしく
 「あの子は先妻の子なんですよ。
  だから私に似ずに 頭がいいんです」
 とわけのわからん返答をし、
 相手をケムに巻いてました。
 いまから思えばこれ自体
 ずいぶんな返しですが
 (もちろん母と私は実の親子ですし!)
 それを横で聞いていた私は
 「先妻の子」を「戦災の子」と勘違い。

 「戦争で家族が死んだから
  この家に引き取られたんだ……」
 と長い間、思いこんでおりました。
 しかし 日本で戦争が終わったのは
 ずいぶん前のこと。
 どの戦争で家族が亡くなったのか?
 と考えたあげく、
 「ベトナム戦争」と
 自分なりに結論を出してました。
 いちおう時代的にはつじつま合うんですが
 それにしてもバカでした。
 (ゆんた)

(ミニコメント)

子どもは、かなり早い時期から、
努力したり苦労したりすることの
価値について、何かで触れているんですよね。
非常時に活躍するとか、そういうイメージは、
やっぱり、正義が活躍するおはなしとか、
ヒーローものから、来ているのかなぁ。

自然現象を「のぼり水」と言っても、
コロボックルを呼びだす話にしても、
なにかにつけ、完全にその世界に入りこむ、
その感じは、うらやましくさえ思えるんですよ。
オトナも、そんなに衝撃を受けるほどの
推測とかを、たまにはするとたのしいかもね。

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2003-08-08-FRI
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