(8月8日)
●小学校の時、幼いなりに
「苦しい思いをした分報われる」
と信じていて、神様にお願いをするときも、
「都合の良いことばっかり言っては
神様に嫌われてしまう」と真剣に考えてました。
その結果あみ出した技が、
「毎日寝る前に、息継ぎを一度もせずに
10回連続でつっかえずに願いごとを
唱えることが出来れば、願いはかなう」
というものでした。
これはなかなか大変で、
10回カまずに言わなくてはいけないので、
お願いごとの文の長さを微妙に調節したり
(しかもその姑息さが神様にばれないように、
昼間頭の中で密かに
「今日のお願いごと」について考えておく)
カんでしまった場合は、律儀に
「神様、今のはナシです」と言って
もう一回最初からやったり。
どうしてこんな風に思ったのかわからないのですが
子供ごころに、
「神様は、私がどんなに苦労して
お願いごとをしてるか、
きっとどこかで見てるはず」
と思ったのだと思います。
ちなみに、この方法で、かどうかは分かりませんが、
何度かは、ほんとに願いがかないました。
(匿名希望)
●小学校一年生の時、
6年生のお兄さんお姉さんに勉強を教わる、
という授業がありました。
一年生の教室に6年生が来て、
グループ単位で勉強をするというものです。
私は兄も姉もいなかったせいか、
それが嬉しくて嬉しくてたまらず
物凄くはりきって挑み、
足し算、引き算の数字を
全部習ったばかりの漢字で書きました。
お兄さんが優しく
「これは漢字で書かなくてもいいんだよ」
と、さとしてくれました。
恥ずかしいし、せっかく張り切ったのが
ぺしゃんとなって悲しくなって
帰ってから泣きました。
あと、母校は1年生と6年生、
2年生と5年生でペアを作るということをしており
私の担当はシオミさんという色の白い
きれいなお姉さんでした。
あのころ、6年生って大人に見えたなぁ。
私も6年生になってから1年生の子を
担当しましたが、その時、今の自分より
シオミさんの方がずっと大人だったように
思ったのを覚えています。
(匿名希望)
●幼少の頃、父親の運転する車の
助手席に乗ってのドライブが好きでした。
休みごとに、父の田舎に車で帰省するのですが、
そのとき、雨が降っていると、
車に当たる風のせいで、
サイドのガラスを、雨粒がななめに
昇っていくんです。
心の中で「のぼり水」と名づけていました。
帰省のときだけの、ある種
特殊現象なんだと思っていました。
のちに、普通のドライブのとき
たまたま雨が降り、
「のぼり水」を目撃したときには、
内心、かなり動揺しました。
(Sho)
●私は琵琶湖の近くに住んでいましたが、
向こう岸に見える比叡山を
「富士山」だと思いこんでいました。
違うと判明した後も、
もっと遠くに見える山を
勝手に富士山と決めて眺めていました。
就職活動で新幹線に乗り、
初めて本物を見た時には嬉しくて
電話で親に「富士山見たよ〜」と
報告してしまいました。
ガキと言うより田舎者・・・?
(うさみみ)
●幼稚園の頃、一日も早く大人になって、
レディとして扱われたい!と思っていた私。
日々、そのチャンスをうかがっていました。
そして、法事で親戚が集まったとき。
1つ年下のいとこたちが、走りまわって、
遊んでいる中、一人正座をして、
「まったく、コドモなんだから」
としたり顔で言って、口に手をあてて
オホホホと笑ってみせました。
たかが5歳のくせに…。自分では
「いけてる!
大人の匂いをかもしだしてる!」
と確信してたけど、
きっと笑われてたんだろうなあ。
(匿名希望)
●小学校1年ぐらいのとき、
自習でぜんぜん違う学年の先生が
きたことがありました。
私とは全然面識がありませんでしたが、
私はその先生が、いつも
サングラスをかけてるなーって
印象だけ持ってました。
で、その先生は、教室に入ってきて
サングラスを取ったんです。
私、どうしてもどうしてもあることが
言いたくなって、自習なのに
わざわざ立ち上がって伝えに行きました。
”サングラス外しても
結構かっこいいですね。”
って。思い出すと結構恥ずかしいです。
小さい声で言ったつもりでしたが、
なにしろ自習なので、
教室中が聞いていたと思われます。
(匿名希望)
●なによりも記憶に残ってるのは、
子どもの頃に母に言われた、
「鼻水は脳みそが風邪を引いて腐って
出てきてるんだから、
ちゃんとかまないと、もっと腐って
脳みそがなくなっちゃうよ!」
というものでした。
すっごい怖かった・・・・。
今でも、鼻かぜを引くと、必死になって
鼻をかんで、鼻の皮がペロペロになります。
(えま)
●幼稚園くらいの頃、
手さげバッグを両手で持ってぐるぐる回り、
遠心力で空を飛ぶ練習をしていました。
ものすごく回って
体が一瞬グラっとしたときには
「今、飛べた!」
とものすごく喜んでいました。
練習するたびにグルグル
早く回れるようになるので、
(このまま練習していれば、いつか空を飛べる)
と信じていました。
だから、自分が手さげバッグを手に
ご近所をふわふわと
飛んでいる夢もよく見ました。
今、考えてみると、ちょっと可愛げもあるような、
でも誰か止めて・・・・という感じもします。
(オリ)
●小学5年生のころ、
コロポックルという小人の本に
すっかり夢中になりました。
私は本の真似をして
ピアノの前にすわってふたをあけて、
「いるんでしょ?私も味方だから、
これを鳴らしてね。目を閉じてるよ」
とずーっと目を閉じていたのですが、
いつまでたってもピアノは鳴りません。
「まだ信用されてないんだなあ」
と思っていました。
6年生まで信じてました。
が、6年のとき町の中に引っ越したので、
「こんな都会にはコロポックルはいないだろう」
とやめました。
6年生って……夢見がちすぎるよ、私。
人には言えないけど、けっこう大事な思い出です。
(ぎょもこ)
●小学校低学年の頃、
「座布団の上に乗って
それを持ち上げると空が飛べるはず」
と思い、
やってみたけれどできませんでした。
私にはまだ力が無いから無理だけど、
自分の体重より重いものが
持てる人には必ずできるはずだ、
と、毎日特訓してました。
「大人でさえ気づいてない、
ものすごい発見だよこれは!」
と思ってたんですけどねぇ。
(さと)
●トイレに入っている間に
家族が宇宙人に乗っ取られている妄想も
自分に何か課して、
家族の命を賭けていた事も
右から後ろ向いたら次は左だっ!
ってな事もやってました。
(38歳・主婦)
●幼稚園の頃の話です。
父とお風呂に入っているとき、
目の前でヒゲをジョリジョリ剃る姿を見て
「嗚呼、自分もやってみたい!」
という衝動に駆られました。
誰もいないのを見計らって
決行しようとしましたが
そこは幼稚園児、
まだヒゲなどはえてはおらず
かわりにまゆ毛を剃ってしまいました。
その後、変わり果てた姿を見た母が大激怒。
こっぴどく叱られました。
次の日、マジックで塗られ黒びかりした
即席まゆ毛の磨呂姿で幼稚園に向かいました。
(さいひろ)
●人の体内の仕組みを
ハンパに知っていた子供のころ、
ノドから胃につながる食道は
左右にうねうねしてるんだと思ってました。
なので食後に
「なんか消化がわるいなぁ」と感じると、
上半身をまず左に
(必ず左からです!)傾けて
5,6秒、つぎは右に5,6秒…を
数回繰り返してました。
食道を順調に通っていく食べものを
イメージしながら、
「いや〜すっきり胃に入った」
とか思ってましたけどね。
(kum)
●私はガキの頃から怪獣が大好きだったもので
TVで“臨時ニュースをお知らせします”
となる度に
「とうとうトウキョウワンに
キョダイセイブツがシュツゲンした!」
とドキドキしていました。
今でも臨時ニュースのテロップがでると
ちょっとドキっとしてしまいます。
(カナメ)
●ガキのころ、
歯医者さんに行くのが好きな時期がありました。
子供ながらに、看護婦さんは
みんなきれいだし、あの治療する時に
座る椅子が「ガンダム」が好きな子供としては、
操縦席に座っているみたいで
毎回わくわくしていたのを覚えています。
しかし、歯を削っている時に、先生が
「痛かったらいってねー」
とやさしく言ってくれているのに、
「口の中に手を突っ込まれているのに、
しゃべれるかー!!」
と一人でつっこんでいました。
(たま)
●幼稚園の頃「市立(しりつ)」と
「手術(しゅじゅつ)」の言葉の区別がつかず
○○市立○○小学校という名前から、
小学校にあがる時には
手術をしなければいけないと思いこみ、
「どこを手術するんだろう・・・」
とびくびくしてました。
そんな私は「金」と「銀」の区別も
なかなかできませんでした。
(えりこ)
●小学3年生の頃、
ドラマでよく見かける「バー」のシーンに憧れていた。
ある日、友達が家に遊びに来たとき
「バーごっこをしよう!」と言って、
部屋のカーテンを閉め、豆電球だけを照らし、
台所からこっそりグラスを取り、
そこにワインを入れたいところだが…
未成年であることをわきまえており、
そこで、ジュースを入れればよいものを、
見た目にこだわった私は、
自家製の赤梅の汁を入れてすすった。
雰囲気を醸し出すどころか、耐えれないほどの
梅のすっぱさが口の中に漂うだけ。
しかも友達はその犠牲者。
(匿名希望)
●自分で言うのもなんですが、
小学生の私は勉強ができる子でした。
近所でもわりと評判だったらしく
よく母は
「お宅のゆんたちゃん、おできになるわね」
と誉められていました。
しかし母自身は嬉しくもなかったらしく
「あの子は先妻の子なんですよ。
だから私に似ずに 頭がいいんです」
とわけのわからん返答をし、
相手をケムに巻いてました。
いまから思えばこれ自体
ずいぶんな返しですが
(もちろん母と私は実の親子ですし!)
それを横で聞いていた私は
「先妻の子」を「戦災の子」と勘違い。
「戦争で家族が死んだから
この家に引き取られたんだ……」
と長い間、思いこんでおりました。
しかし 日本で戦争が終わったのは
ずいぶん前のこと。
どの戦争で家族が亡くなったのか?
と考えたあげく、
「ベトナム戦争」と
自分なりに結論を出してました。
いちおう時代的にはつじつま合うんですが
それにしてもバカでした。
(ゆんた)
|
(ミニコメント)
子どもは、かなり早い時期から、
努力したり苦労したりすることの
価値について、何かで触れているんですよね。
非常時に活躍するとか、そういうイメージは、
やっぱり、正義が活躍するおはなしとか、
ヒーローものから、来ているのかなぁ。
自然現象を「のぼり水」と言っても、
コロボックルを呼びだす話にしても、
なにかにつけ、完全にその世界に入りこむ、
その感じは、うらやましくさえ思えるんですよ。
オトナも、そんなに衝撃を受けるほどの
推測とかを、たまにはするとたのしいかもね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|