KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月10日)

とんがりコーンや、
 オレンジの話で思い出したのですが、
 ぼくは子供の頃、カールを歯で咬まずに、
 舌の力だけで押しつぶし、
 柔らかくして飲み込むという
 食べ 方をしていました。

 (は)

キスの話で思い出しました。
 小学校三年生の冬、
 みんなで家族旅行に行ったのですが、
 ペンションの主人と日本酒をたんと飲んで、
 へべれけになった父は、
 「えへへ、えへへ、おやすみー」
 と笑いながら母にキスをしました。

 そんなもんテレビでしか
 見たことのなかった私は「!!!!」となり、
 また両親が妙に生々しく見えて、
 「ママ!はやく口ゆすいで!急いで!!」
 と取り乱してました。
 母は「もーーー酔っ払いがーー」と
 言うだけで、普通にしてました。
 (kana)

小学校低学年の頃、2つ下の妹と兄と父親とで
 海でボートにのっていました。
 小学生でも足がつく程度の深さの所で兄と一緒に
 ボートから海へ飛び込み、
 つま先立ちで遊んでいた時、
 急に深くなっているところへ踏み込んでしまい、
 びっくりした私は溺れかけました。
 すぐに兄が気づいて、
 助けに近寄ってきてくれたのですが。
 ボートにのっていた父は、浮き輪を持っていた妹に
 「浮き輪を(投げるから)貸しなさい!」
 と言うと、溺れているということが
 理解できなかったらしい妹は、
 「いやや!」と言って、
 浮き輪にかじりついていました。
 水を飲みながらパニクっていた
 私の耳にもそのやりとりは
 はっきりと聞こえ、兄と父親の手によって
 ボートに引き上げられた時は、溺れたことよりも、
 「妹は私が嫌いで、いつか殺そうと
  機会をうかがっていたのでは?!」

 という疑惑にショックを受けて、
 しばらく妹にものすごい不信感を抱いていました。
 大きくなってからこの話を妹にすると、
 妹は妹で、ワケもわからず父親に
 「浮き輪をお姉ちゃんにあげなさい!」
 と叱られた記憶になっていたらしく、
 お姉ちゃんばっかりえこひいきしてずるい!と
 彼女もまた私に対して
 敵意の様なものを
 しばらく抱いていたらしいです。

 たぶんこれが原因で、
 今も海で泳ぐのは苦手ですが、
 妹とはめっちゃ仲良しです。
 (カオリ)

どうしても戦隊ヒーローの
 一員になりたかった私。
 オトナになったら
 どこぞの秘密部隊の隊長から
 「君は選ばれたのだ」と任命を受けて
 絶対なる!と信じてました。
 でも、ある日自分の名前を見て愕然。
 苗字にも名前にも「色」が入っていないのです。
 当時の戦隊ものは主人公たちの名前に
 必ず「色」が入っており、それが
 変身後のボディースーツの色になっていました。
 (桃園ミキとか、赤木〜とか)

 それに気付いたときから、
 なんとなく使命感が燃え尽き、
 現在普通のOLです。
 (てるてる)

幼稚園のころの話。
 「右」と「左」がわからなくなりました。
 というのは、例えば前を向いたときは
 「右」が「右」なのに、サッと後ろを向くと
 「左」の位置が「右」になるからです。(笑)
 あたりまえですよね。
 幼稚園児の私は
 「おかしい!!なんで右が左になるの?」
 と家の前の道路で
 クルックルックルックルッと
 一日中本当の「右」を探してました。

 幼稚園児のあたしは
 どういう結論を出したのか
 思い出せないのが心残りです。
 (姫)

子供のころ、
 よく家族で車に乗って遠出をしていた。
 高速道路を父が110キロぐらいで
 運転していると、車からアラームが鳴った。
 父は
 「アラームが30回なると車が爆発する」
 と言って姉と私と弟を怖がらせ、
 いつも「いーち、にー」とかぞえては
 29回でスピードを落とすことを
 くりかえしていた。
 しかし、ある真夜中高速道路を
 父が運転していたときに
 私達が寝ていると思い油断していた父は、
 アラームを30回以上鳴らしつづけた。
 あのとき私は、
 お父さんが皆と心中をするのかと思い、
 恐怖で身体がこわばった。
 (punibara)

私も子供の頃、夜中にトイレに行くのに
 オバケを警戒していました。
 我が家のトイレには、
 母がかわいいドアノブを付けていたのですが、
 それには鈴が付いていて、開閉するたびに
 チリンチリンと鳴るのです。
 なぜかその鈴はオバケを呼ぶ音だと
 思い込んでいました。

 鈴が鳴らないように
 そーっとドアを開けようとするのですが、
 必ず鳴ってしまい、とても恐かったです。
 でもノブを外してくれとは母に言えず、
 一人で暗闇と鈴の音を恐がり、
 狭い廊下を走って布団まで戻っていました。
 (食いしんボン)

小学1年生の算数のテストでのこと。
 時計のイラストがあって
 「時計に針を書き込み、
  12時10分前にしなさい」
 私は12時10分のぎりぎり少し前だと考え、
 限りなく12時10分の1mm程手前くらいに
 分針を書き入れました。

 細かい作業で緊張する鉛筆を、
 ふるふる震わせながら。
 正解はもちろん11時50分なんですが。
 同じような設問が続くテストで、
 10点しか取れなかった私…。
 (うらん)

専業主婦のもとに育った私、
 しかし家計の影響で
 母はパートにでなくてはなりませんでした。
 初めて働きにいった時は私が
 小学校に入りたてのとき、
 それまでは家に母がいることは
 当たり前でした。
 私が寂しがるだろうと
 母はわざわざ書き置きをしてくれていました。
 学校から帰ってそれを読みました。
 「○○ちゃんへ、
  母ちゃんちょっと家を出てるけど
  母ちゃんすぐ帰ってくるからね」
 私はそれを、
 「母ちゃんが出てった!家出したんだ!
  もうウチラ捨てられたンや!」

 と思い泣きわめいてしまいました。
 近所のオバサンにパート先まで
 連れていってもらったのを覚えています。
 昔から母ちゃんが大好きで
 少しでも離れたくなかったんだなあ。
 (匿名希望)

修学旅行のバスから宍戸錠さんを見かけて、
 大興奮だったとの話に
 自分の大興奮ばなしを思い出しました。
 それは、高校の時です。
 友人の家へ自転車で向かっている途中、
 国道である一台のトラックを見かけました。
 そのトラックはいわゆる『機材車』で、
 当時大好きだったアーティストのロゴが
 デカデカと書かれていました。
 それに気付いた瞬間、
 トラックに追い着こうと爆走!

 …本人たちが乗っている訳でもないのに…。
 信号待ちでトラックに追い着いたとき、
 運転手がニッコリと手を振ってくれたのでした。
 (匿名希望)

子どもの施設に勤めている友達が、
 なかなか動きたがらない小さい子に
 「よーい、どん!」と言うと、動き出すんだよ、
 という話をしていたことがありました。
 そういえばすでにガキではないうちの犬も
 もう少し若かった頃、
 散歩中に座り込んで動かない時に
 「よーい、どん!」
 と言って走り出すまねをすると
 いつもつられて走り出していました。

 なんだかどっちもかわいいです。
 (ふいづ)

理科の時間、「宇宙には果てが無い」と
 教わっていたのだけれど、
 全く信じていませんでした。
 なぜかと言うと、
 蟻とかつかまてきて
 水槽で観察したりする行為と同じで、
 宇宙とか地球とかも、
 じつは宇宙人が水槽を
 ハイテクにしたみたいなやつに
 ぼくたちを入れて観察してるんだ、
 と思っていたからです。
 だから宇宙に果てがないんじゃなくて、
 たまたま水槽の壁のところまで
 辿り着いてないだけなんだと。
 で、蟻を虫眼鏡で焼いたり、
 水をかけたりするような
 ちょっとしたイタズラを
 きっと宇宙人もやってて、
 それが地震や洪水などの
 天災になってるんだと本気で思ってて、
 どこか外国の大地震のニュースなどをみると
 「また誰かがイタズラしてる」と、
 ひとり納得してました。

 しかもその宇宙人すらも、
 得体の知れない何かに飼われていて、
 そしてさらにその得体の知れない何かは……と
 延々つづいていくのです。
 今でも半分くらい信じてます。
 (ア)

小学校一年生の頃。
 そのとき住んでいた家のトイレが
 自分の部屋から5メートル位離れた、
 両親の寝室の隣でした。
 トイレの近い私は
 夜中に行きたくなることも多かったのです。
 水を流したときの「音」がこわくて、
 でも流さないと
 両親に怒られるかもしれないと思い、
 証拠隠滅の為、毎夜、大きな声で
 「ゴロンゴロンジャー!!!!
  (↑水の音がそう聞こた)」
 と言って猛ダッシュで部屋まで戻ってました。

 今思うとほんとバカだなぁ、
 と思うのですが完璧だと思ってました。
 (JLP)

自分には記憶がないのですが、
 母が私の2歳くらいの頃の声を
 テープに録音してました。
 居間で団欒しているのですが、突然私が、
 「おかあさん、うっうんしたい!」
 (十中八九うんちのことだと思う)
 と、騒ぎ出したのです。
 しかし、母は何か作業中のようで、
 なかなか連れて行ってくれない様子。
 初めは落ち着いていた私も、だんだん
 「その時」が近づいてきたようで、
 「おかあさん、うっうん!
  おかあさん、うっうん!!
  おかあさん、うっうーん!!!」
 と、最後はほとんど絶叫しています。
 当時、祖父母と同居していたのですが、
 私はおじいちゃんが大好きでした。
 そこで、祖父が
 「よし!じゃ、ジジが連れて行ってやる」と・・・
 しかし幼児だった私の返事は、
 冷たく一言(低音)
 「やだ。おかあさんと」
 祖父はがっくりきたのではないでしょうか。
 しかし、子供の扱いに慣れていたのか、
 ひるむことなく
 「よし、そんなに言うこときかないなら、
  もう遊んでやんないからな」
と、
 まるで小学生のような返答をしていました。
 (ゆ)

小学1年生のある日、
 クラスがグループに分けられ、
 上級生に引率されて行ったことがありました。
 校舎内の知らない
 廊下や階段を通っていくうち、
 どこへ連れて行かれるのか不安になり、
 勇気を出して尋ねてみると、
 返ってきた答えは「ぶとうかい」。

 華やかなドレスを着て踊る紳士淑女を
 思い描きながら辿り着いたその先は、
 体育座りをした小学生で満員の体育館でした。
 舞踏会ではなく児童会だったのです。
 学校行事よりもシンデレラなど
 童話の世界がより身近だった時代でした。
 (匿名希望)

(ミニコメント)

溺れかけてしまったときの
姉妹の胸中は、ちょっと、
芥川龍之介の『薮の中』のような
ところがありますね。
それぞれ、同じ風景を見ていたはずが、
言うことは、異なってくる、という・・・。
こういう出来事っていっぱいあるんだろうなぁ。
きょうだいで、たとえばアルバムをみながら
詳細に語りあったとしたら、きっと、
「え?そうだったの?」
という話が、ずいぶんたくさん出ると思います。
それぞれ、記憶の比重も違うでしょうし。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
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2003-08-10-SUN
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