(8月14日)
●小学校1年の夏休みに、
プールに入っていた固形塩素剤で、
お腹に火傷を負い、
20年以上経った今でも跡が消えません。
興味本位で集め始めたら、
両手に余るほど集まって惜しくなり、
また、集めてるのがバレたら
怒られて取り上げられると思って
休憩時間にお腹の下に隠したんです。
バカですねぇ。
あの時、集めようとか思わなければ!
休憩時間になった時に
勿体ながらず捨ててれば!
見るたび、
いじましい自分を思い、ヘコみます。
(まあや)
●小学校のいちばん初めの授業は、
自分の名前を書くというものでした。
もちろん、まだ、ひらがなも習っていないので、
先生が書いてくれたお手本を見ながらです。
そして、その全員分が学級通信に載って
配られたんですが、やっぱり、みんな、
小学生になりたての、その程度の字。
その中で、自分で言うのもなんですが、
なかなかにうまい自分の名前。
でも、それは、ただうまいというより、
先生の字そっくりだったんです。
それもそのはず。
先生のお手本を下にひいて、
上からなぞって書いたのでした。
まだ、6歳の男の子が、
そんなコスいことしてたなんて・・・。
(はた)
●私が幼稚園くらいの頃、
アニメ「ひみつのアッコちゃん」が人気でした。
あの「変身できる鏡」もたくさん出回っていて、
私も持っていました。
子供ですから、当然変身できると信じていて、
「テクマクマヤコン、・・・・になぁ〜れ」
と、やるわけですが、
本当に変身してしまって、
親を驚かせてはいけないので
いつも、こっそりトイレで呪文を唱えていました。
もちろん一度も変身に成功した事は無く、
毎日「今日こそは」と
トイレでぶつぶつやっていました。
妙にどきどきしましたね。
何に変身したかったかというと、いつも
「おかあさん、にな〜れ」
当時、弟が産まれたばかりで、寂しかったのかな。
呪文は20年後、叶いました。
(るんるんパンダ)
●私の名前は「ゆき」と言います。
小学生だった頃、単純にも自分を
「雪の神様」だと思っていました。
雪が降るとあたかも分身が降ってきている気分で
窓から神聖な気持で雪を見ていました。
そして晴れて雪がとけ始めると、
「私が踏んだ所の雪は
ちゃんと家(空の上)に帰れる」のだと、
少しでも多くの雪がちゃんと家に帰れるように
芝生の雪の上を歩きまわって
雪を踏みまくっていました。
しかも「これでちゃんと帰れるね!」なんて
満足な気分で…。
(ゆ)
●小学校3年くらいのとき、
フランスのことを「仏」と書いてあるのを
見て以来、フランスって
仏教徒の国なんだと思っていました。
社会科の授業で宗教戦争のことを習っても、
フランスは仏教の国でした。
オシャレなパリっ子は、
輪廻とかカルマとかを深く信じてるはず。
パリには壮麗なお寺が立ち並び、
お坊さんが街を歩いてる・・・はずだった。
(kiki)
●長崎県ののどかな町から
単身大阪の私学へ受験に行った高3の冬。
帰りの電車は試験が終わった学生たちで
肩がぶつからない程度の混み具合でした。
前に立っていた毛布のような
フリースを着た若い男性の
広い背中があんまり気持ちよさそうで
「満員電車だからばれへん」と
もたれて居眠りをしてしまいました。
途中彼のいぶかしげな視線を
何度か感じましたが
そのまま寝続けました。
あれは満員電車でもなんでもなく
傍目にみても不自然に思われただろうと
今でも思い出すたび赤面してしまいます。
(なつめ)
●子どもの頃どん兵衛などのカップうどんの
「おあげ」を口に入れては汁を吸い、
またカップにもどすを繰り返して、妹と
何回で汁を全部のみ切るかを競っていました。
小学生になった頃、すごく恥ずかしく思い
自分の中で封印していたんですが、
高校生になった時にクラスで一番カワイイ子が
「おあげをスポンジにして汁を飲んだ」
と聞いて安心した。
同時に同じ事をしてたヒトがあと二人いて、
10年たった今でもみんな交流があります。
(匿名希望)
●高校生くらいまで
電車や人の多いところにいると、
いつだれかに
「今から二人組になれ」と言われても
大丈夫なように
心の中でペアを探していました。
同じ年くらいの子を見つけて、
「よしあの子を確保だ」と。
いつでも言われても平気だって安心してました。
電車の中がすいてて奇数だと
「今二人組になれって言われませんように」
って祈ってたり。
(pon)
●「○○ちゃんへ、みんなより」と書いた
手紙(○○ちゃん=私)を書いて、
自分で読んでいました。
今考えたら、みんなって誰……。
(みんと)
●小3まで、私の頭には
「ゲリ(下痢)をする」いう言葉の意味合いが
「嘔吐する(たぶんゲロと間違っていた)」
でインプットされていました。
夏休みの作文に
「かぞくで〜の島に行きました。
わたしは舟によって、
ばけつにげりをしました」と
堂々書き、堂々読み上げました。
(もちこ)
●小学生の頃、家族でパーマンの
「ドンジャラ」が流行っていました。
そしてあがるたびに、なぜか
サザンの「いとしのエリー」の歌詞を歌いながら
あがるという不思議な掟が僕の中でできました。
「わらっって、もっとベイベ〜〜イ、
すてきにドンジャラホイ!」
あの頃から桑田さんは
第一線で活躍していたんだなぁ。
(KJ)
●今、我が家の年長のぼんも
“親を疑う!!”の季節に
はいりこんだようで・・・。
幼稚園から帰り、一足先に玄関に入った彼は
鍵をかけました。
やっとのことで、中に入れてもらうと、
「ほんとのお母さん?」
と、私のTシャツをめくり、
お腹の脂肪を3箇所ほどつまみ、
「あ〜、良かった。お母さんだ、
どろぼうだと思ったよ。」
ほっとした様子でした。
ガキ話に最適っ!と思いつつ、
脂肪をつかまれ、母と判明・・・
これっていったい・・・。
(み〜は〜)
●高校生になって通学で
頻繁にバスを利用することになり、
毎日が戦いでした。
停車ボタンを押すことは
他の乗客や運転手さんに負けることだと
本気で思ってました。
はじめは恥ずかしくて
押せないだけだったのですが、そのうち
押すものか!に変わっていて、
意地になってました。
行きは駅でみんな一斉におりるから
いいのですが、帰りはそのバス停で
おりる人がいない時もたまにある、
微妙な感じなんです。
おりる人がいなくてなかなか
停車ランプがつかない時は
内心動揺しまくりなんですが、
わたしは押さずに次のバス停まで待って
「わたしはここでおりる乗客ですよ」
みたいな顔してました。
友達と一緒にバスに乗った時は
「本屋さんに用事があるから」と
その友達と同じバス停でおりてごまかしました。
他に一人も乗客がいなくて
結局一周してしまったこともあります。
じつはこれをわりと最近まで続けていました。
結婚を機に知らない土地に引っ越しをして、
ここで同じことをしていると
迷子になると思ってこの戦いから脱落しました。
(ららこ)
●6つ年下の弟がいる私。
ある日、弟に怖い話をしたあとで、
「この話を聞いた人は、1週間目の夜、
人さらいにさらわれる。
でも、この呪文を唱えれば大丈夫。」
と言って教えた呪文が
「アラーの神様御免なさい。
日本の神様御免なさい。ボク本当に謝ります」
と言う、なんの脈絡もない呪文、
それも、変な振り付きでした。
ある夜、子供部屋に入ろうとすると、
先に寝ていた弟が布団から飛び出し、
変な振り付きで呪文を唱える姿がありました。
ろれつの回らない寝ぼけた様子で・・・。
今でもこの話を弟にするとマジギレされます。
(ぶ)
●私は幼い頃、ボタンがあれば
なぜか押したくなっていた私は、
バスに乗ると必ず
押しボタンの光が消えては押し、
消えては押し…を繰り返していました。
後で思い出すと、バスは私が降りるまでの
各停留所にとまっていました。
ボタンが降りるための合図であることを知るまで、
私は何人の足止めをしてきたのか
…考えるとちょっと申し訳なくなります。
今でもバスに乗っていて小さい子を見ると、
よく押さずに我慢できるなぁと感心します。
(e)
●小学校にあがる前から
本を読むのが大好きだった私。
やっと字が書けるようになって
嬉しかったのでしょう。
1人で留守番をしていた時に、
「うちはいまるすです」
と書いた紙を玄関に貼って
遊びに行きました。
当然、親に、かなり怒られました。
(バム)
●小学校1年生のころ、
はじめて身近な人が亡くなりました。
うちの家族と一緒に住んでいた
親戚のおじいちゃんです。
祖父の弟にあたる人ですが、
とてもおだやかで物静かな
やさしいおじいちゃんでした。
初まごで長女、どこにいっても
親戚じゅうから甘やかされていた私は
わがまま放題。
そのおじいちゃんはなんでも
私のお願いを聞いてくれました。
ある日、部屋で座り込んで何かをしていた
おじいちゃんの背中にわーっと飛びつくと、
おじいちゃんがびっくりして立ち上がり、
ピアノの角で頭をぶつけて
たんこぶができました。
おじいちゃんは母や父にはそのことを告げず、
「ちょっとぶつけちゃった」
といってくれたので、
私も両親には何も言わず、
おじいちゃんにも謝ることもしませんでした。
そのおじいちゃんが
それからしばらくして亡くなりました。
かなりの歳だったので後で聞くと
老衰だったとのことですが、
私は、おじいちゃんが亡くなって
とても悲しいという思い以上に
「あのとき頭をぶつけちゃったから
死んじゃったんだ。私が殺しちゃったんだ」
という苦しみにとらわれました。
でもそんなことは誰にも話せず、
「自分だけの秘密にしてお墓まで持って行こう」
と思っていました。
いつの間にかそのことさえ
忘れてしまっていたけど、
ガキばなしを読んでいてふと思い出しました。
おじいちゃん、
あのときはちゃんと謝れなくてごめんね。
おじいちゃんがいなくなって本当に悲しかったよ。
(オ)
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(ミニコメント)
ガキばなしの前後に、
ちいさな「ガキコーナーの感想」を
入れてくださる人が、けっこういらっしゃいます。
それを読むのも、たのしみなものでして・・・。
今回、いちばん最初に掲載した「まあや」さんは、
まえおきとして、こんなことを書いてくれました。
「皆様のガキ話を読んで、
いろいろ過去の恥ずかしい話を思い出し
一人で耳を赤くしたり、
心の中で大声でワーとか叫んだりして、
思い出に耐えてたんですが(笑)
参加してみたくなったので、
思いきってメールしてみました。
あまりにも沢山あるので
迷ったんですが、今でもちょっと
ヘコむやつをひとつお送りします」
これも、いいですよねぇ。
しかも、このまえおきの後にやってくるのが、
プールの塩素剤を大量に集めて、
隠すためにおなかにあてて、
炎症をおこしたというもの・・・。
このコーナーをきっかけに、
恥ずかしいと思う気持ちが呼びさまされることは、
たしかも、ぼく(ほぼ日スタッフ木村)も、
読んでいて、ずいぶんあったと思います。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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