KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月17日)

子供のとき、いとこと口論になって
 おもちゃのピストルでいとこの頭をぶって
 おばあちゃんに怒られたとき、
 「ケンカに勝った強い方の私が
  なぜ罰せられなければならないのか?」

 と抗議して、ますます怒られました。
 怒るほうが偽善者だ!へりくつだ!
 と強く思いました。
 子供の頃の私って危険思想の持ち主?
 (匿名希望)

実家の改装にともない私の部屋が無くなるとかで、
 昨年に一週間ほど子どもを連れて
 私の荷物を処分しに行ってきました。
 そうしたら・・・出るわでるわ!
 「マイ青春の残像達」。
 はじめてもらったラブレター、
 大好きだった先輩の写真、
 雑誌の切り抜き(この辺はいいのです)、
 そして厳重に封印されたバックから出てきたのは、
 とんでもない点数のテスト用紙。
 親の目から隠すと同時に自分でも「無かったこと」に
 したかったらしく、天袋の奥の方に
 押し込んでありました。浅はかだなあ。
 それからおびただしい量出てきたのは、
 高校の時に友達から授業中にもらった
 ノートに書かれた手紙。
 その9割の話題が当時好きだった
 「必殺仕事人」に関することでした。

 多分、この手紙と同じ量の返事を
 私も書いていたはずで、その夢中さ加減は
 オトナになっちゃった自分には
 ちょっとクラクラするほどでした。
 しかし、「青春の残像」を処分する機会があったことに、
 すごくすごく感謝します。
 残像達は、開いた口がふさがらないくらい
 おバカさん達でした!
 (Minako)

幼稚園の頃、時間をあらわす
 「さき」って言葉が理解できず困りました。
 「これから先に済ませなさい!」って
 言われるときは一番近いことを指すのに
 「遠足はまだまだ先の話よ」
 と言うときはすごく遠い意味。

 考えはじめると
 今もよくわからないんですけども・・・。
 (かずみ)

私の小学校の帰り道には
 タイムマシンがありました。
 公園の隅にある何の変哲もない
 セメントの台なんですが、
 そこに乗って目をつむって10秒数えて
 「10秒後の世界」に行くのが日課でした。

 たまに、
 「じゃあ今日は20秒後の世界に行ってみよう」
 という日もありましたが、大雨でも炎天下でも、
 タイムマシンに乗らずに帰る日はありませんでした。
 小学校を卒業してかなりたったある日、
 その台は実はごみの収集場所だと知りました。
 無邪気な子供時代が終わった気がしました。
 (さ)

私が保育園に通い始める前の事なので、
 たぶん3歳くらいだったと思います。
 1人で遊んでいて、おもらしをしてしまいました。
 「おかあちゃんにおこられる!
  ばれないようにしなきゃ」

 あせる私の目に映ったのは、
 昨日の雨で庭にできた水たまり…
 そう、私はぬれたぱんつを水たまりで洗い始めたのです。
 洗っている最中に母が仕事から帰ってきて
 ものすごく怒られました。
 もしも水道で洗っていれば、
 「お手伝いできてえらい」くらい言われたはずなのに。
 前日の雨が悪いのか、いいえ
 バレる前に証拠を隠そうとした
 こずるい私が悪いのでしょう。

 そんな私のこずるいエピソードをもう一つ。
 指しゃぶりの癖のあった私に
 「なんでいつも指しゃぶってるの〜?」
 と姉が聞きました。
 「赤ちゃんみたいでみっともな〜い」
 と言われたら恥ずかしいと思った私は
 「ゆびからミルクがでるんだもん」
 と言い張りました。しかも
 「すごくおいしいんだもん、
  ぎゅうにゅうよりずっとおいしい!」
 とまで…その話は未だに(31歳)言われます。
 お姉ちゃん、もう忘れて…。
 (しーちゃん)

子どもの頃は、
 変なものを食べる人がいますが、
 僕は電気を食べていました。
 スーパーファミコンをしばらく遊んだ後、
 本体の電源を切り、コンセントから抜き、
 本体から電気コードを抜いて、
 その金属のところを舐めていました。
 すると、
 少しだけ残っていた電気が舌に伝わり、
 なんともおつな味がして、
 すっかりはまってしまいました。

 今思うと、なんて
 危険なことをしていたんだろうと思います。
 (アボガド)

弟が小学校高学年のある秋の夜。
 その日のおかずは、それはそれは脂ののった、
 おいしいさんまの塩焼きでした。
 こんがり焼けたさんまの表面に箸を入れると、
 さくっという音とともに、
 じゅわ〜っとおいしそうな脂がしみ出してくる。
 家族の誰もが(おいしそう!)と食べようとした
 その瞬間、弟がぷりぷり怒りながら
 「もう!せっかくのさんまに
  油なんかかけないでよ!」

 と一言。家族中爆笑でした。
 (匿名希望)

弟が中学生で反抗期真っ盛りの頃。
 ある夜、夕食にきんぴらごぼうが出て、
 食べる食べないで母と言い争いになりました。
 食べたら腸の中がきれいになるんだよ、という母。
 そんなこと、あるわけねえじゃん、とつっぱねる弟。
 やけくそになった弟は、
 「わかったよ。食べてやるよ。その代わり、
  何も出なかったらしょうちしないからな!」

 と捨てゼリフを言って、
 大皿にのったきんぴらごぼうを全部一人で平らげました。
 ・・・次の日の朝、仰天した顔で
 トイレから出て来る弟の姿がありました。
 弟は31歳になった今でも、きんぴらごぼう信奉者です。
 なんだか食べるとかうんことか
 そういう話ばっかりなんですけど。
 こういうことにも必死になれるのが
 「ガキ」のかわいさなのかもしれません。
 (ぴぴぴ)

小学生の頃、妹と二人で
 「透明の本」というものを購読していました。
 私「あ、『透明の本』今月号きたで!」
 妹「ほんまや!先月の続き楽しみやなぁ。」
 私「ちょっと104ページ見てや!」
 妹「うわーすごい展開やな!」
 実際はどこにも
 そんなものは存在しないのですが
 さも、本を読んでいるかのような会話が
 毎月延々続きました。

 なんてノリのいい姉妹…。
 自分も読みたいと言って泣いていた
 一番下の弟が不憫。
 (りんご/大阪)

小学校の頃、家を箒で掃いて
 (掃除機なんてなかった時代です)、
 雑巾がけして綺麗になったとき、何故か
 「今日天皇陛下が
  家へ来られても恥ずかしくない」

 なんて思っていました。
 今考えると、
 下町の小さな我が家になんか来られるわけはないのに。
 (ねこじゃらし)

大好きな音楽の先生が職場結婚なさることになり、
 友達と教会へ。教え子が制服のまま参列するという
 「超職場な結婚式」でしたが感動しました。
 キリスト教系の学校だったので、讚美歌はお手のもの。
 新婦さんだって本職ですから
 ビブラートかけまくりでした。
 肝心のブーケトスでは大乱闘が繰り広げられ
 (女子高生なだけに)
 それはもうすさまじいものでした。
 騒ぎがおさまって見渡すと、
 階段の隅によれよれになった
 ブーケの鱗片が。
 それをさらに友達と分け合って帰りました。
 さて手に入れたブーケ(の一部)を、
 どうすりゃいいのか悩みに悩んだ末
 花束ならともかく、これでは
 ドライフラワーは無理、と判断した私は、
 紅茶に浮かべることにしました(この辺が乙女心)。
 で、
 「結婚したい。結婚するぞ。
  これを飲み干せば出来る!」
 と勢いづいた私は、花びらもムシャムシャ。

 24歳。
 今なお彼氏のいない私の愛しい思い出です。
 (グレ子)

私の妹は、小学校低学年の時
 近所の裕福な家庭の広い芝生の庭に置かれている
 ブランコと滑り台を見て、
 私もあんなのが欲しいと、親に訴えた。
 親は「中学生になったら、買ってやる」
 すると妹、大喜びで
 約束の指きりげんまんまでしていた。
 妹は成長著しく、五年生になる頃には
 ランドセルに違和感がある女子大生に
 見間違われる程の色気を醸し出したりしていた。
 そんな妹も無事小学校を卒業し、
 中学校入学式の日
 「お祝いに何が欲しいか?」と問う親に
 「ブランコと滑り台」・・・。

 (もんちゃん)

子どもの頃、
 うんと可愛がってたぬいぐるみがありました。
 母にせがんで作ってもらった、
 薄く綿が入った布製のうさぎです。
 全然立体的じゃない、平たいやつ。
 しかも顔は自分でマジックで描きました。
 小っちゃくなって着れなくなったシュミーズを、
 ドレスのつもりで着せて毎日一緒に寝てました。
 自分としてはすごく可愛くて、
 でもちょっとみっともないかな、とも
 思ってましたが、友だちの家に行ったとき、
 その友だちの弟が、やっぱりタオルで作った、
 へんてこな顔が描いてある平たい犬と
 昼寝をしてるのを見ました。
 私が姉に、そのうさぎのことでからかわれていたように
 友だち(兄ちゃん)も
 「あ、またボロ犬と寝てる。」と笑ってましたが
 自分は「おんなじだ!」と思って
 何も言えなかったです。

 兄弟の上と下って、そういうもんなんでしょうか。
 (スキニー)

冤罪を免れるためのアリバイ工作をしていた、
 という話を読んで、私は犯人を見つけるのに
 一生懸命だったのを思い出しました。
 小さい頃、親が運転する車に乗っていて、
 すれ違った車の助手席や後部座席にいる人が
 眠っていると本気で
 「あの人はあの運転席の人に殺されて
  どこかに運ばれる途中なんだ!
  犯人が指名手配された時の為に
  手掛かりになるものを覚えておかなきゃ!」

 とその車のナンバーや犯人(だと思い込んでいる人)の
 人相を必死に記憶していたのでした。
 (kaka)

「指紋をとられ
  無実の罪で犯人にされるかもしれないから
  金属がさわれなかった」という投稿を見て、
 似たような経験を思い出しました。
 小さい頃、夜、スモークを貼った車や、
 急に割りこんでくる車をみると
 「今、事件を起こした車かもしれない」と思い、
 車のナンバーと時間を密かに覚えるのが
 習慣になっていました。

 おまわりさんに
 「不審な車を見かけませんでしたか?」と
 いつ聞かれても自信をもって答えられるように。
 (プチトマト)

あれは小学校2年生くらいの頃。
 「おー、元気だったか〜」と言って
 頭をなでたおじさんの手を瞬時に払いました。

 大人の人間関係など全く考えていませんでした。
 だって嫌だったんだもん…
 (r)

前に、「エスカルゴ」という
 あだなを付けられたK君がいました。
 理由は、社会化見学で班行動しているとき、
 塀にカタツムリがいて、S君が見つけたので、
 K君に「おい!K、そこにカタツムリがいるぜ」と
 言おうとしたらしいのですが、何故か、
 「おい!カタツムリ!」
 と言ってしまったのです。
 それがだんだん変化して、K君のあだなは
 「エスカルゴ」になってしまいました。
 皆から「エスカルゴ」と呼ばれるのは
 見てて面白かったです。(その人が嫌いだったため)
 呼びにくいし、前のあだなの方が良い等の理由で、
 次の日からは使われなく、忘れ去られていきましたが。
 (ルマ)

あとからあとから思い出すガキ話。
 その度にメールしてます。
 家の裏にある森の向こう側は、
 ナゼかインドだと思ってました。
 時々聞こえる、動物の鳴き声
 (多分、近所で飼ってた牛?かな)は
 インド象だと思ってました。
 すごく近い場所にあるのに
 行けない所のような気がしてました。
 そして、世界にある国は
 日本、中国、アメリカ、インド、
 ヨーロッパ、アフリカしかない、
 と思ってました。

 ヨーロッパとか国じゃないし!
 (チビコ)

小学生の頃吸血鬼が怖くて
 寝ている間に襲われないように
 胸に十字架を置いていました。

 その十字架は、割り箸を十字にして、
 輪ゴムで留めたものでした。
 使ったものより、新品のほうが効果があると思い込み、
 台所の棚の引出しから、こっそり持ち出して...。
 今思えば、縦も横も同じ長さの十字架だった...。
 それをしっかり握り締めて眠ったものです。
 でもマジで怖かったんです。
 クリストファー・リーの演じる吸血鬼。
 (zubora)

あだな、といえば。
 聞いた感じでは全然インパクトはないのですが、
 高校の同級生で「銀ちゃん」という人がいました。
 本名の「耕平」はもはや全く忘れ去られ、
 思い出すのに時間がかかる・・・。
 由来の細部までは忘れたのですが、
 高校1年がはじまってすぐ、
 家族構成か何かを書いた紙を
 提出する際に、
 彼の父の「鉄次」を「銀次」と読みまちがえ、
 あまつさえ本人の下の名前だと思いこんだらしい、
 彼の後ろに座っていた同級生が元凶だと思います。
 本当に「銀次」だと途中まで思っていた人が
 いたんじゃないかと思ったり・・・。
 今でも彼は、「銀ちゃん」です。
 (万葉)

(ミニコメント)

なぜ、あんな出来事を今まで忘れていたのか。
なぜ、あんなヘンな出来事を覚えているのか。
人間の記憶、とりわけ幼児期の記憶のわけわからなさに、
ガキばなしを聞きつづけると、ハマってしまいますね。
毎日毎日、紹介しつづけて、もう2か月が経ちました!

「記憶」ってことで言うと、
遊び半分で、自分なりの年譜をつけてみると、
不思議と、記憶がすごいある時期と、
ぜんぜん記憶が残っていない時期と、
バラバラになるんですよ。ためしてみてくださいね!
そして、試した結果浮きあがってきた
あらたな記憶は、また、ガキばなしに送信、と……。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

2003-08-17-SUN
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