(8月17日)
●子供のとき、いとこと口論になって
おもちゃのピストルでいとこの頭をぶって
おばあちゃんに怒られたとき、
「ケンカに勝った強い方の私が
なぜ罰せられなければならないのか?」
と抗議して、ますます怒られました。
怒るほうが偽善者だ!へりくつだ!
と強く思いました。
子供の頃の私って危険思想の持ち主?
(匿名希望)
●実家の改装にともない私の部屋が無くなるとかで、
昨年に一週間ほど子どもを連れて
私の荷物を処分しに行ってきました。
そうしたら・・・出るわでるわ!
「マイ青春の残像達」。
はじめてもらったラブレター、
大好きだった先輩の写真、
雑誌の切り抜き(この辺はいいのです)、
そして厳重に封印されたバックから出てきたのは、
とんでもない点数のテスト用紙。
親の目から隠すと同時に自分でも「無かったこと」に
したかったらしく、天袋の奥の方に
押し込んでありました。浅はかだなあ。
それからおびただしい量出てきたのは、
高校の時に友達から授業中にもらった
ノートに書かれた手紙。
その9割の話題が当時好きだった
「必殺仕事人」に関することでした。
多分、この手紙と同じ量の返事を
私も書いていたはずで、その夢中さ加減は
オトナになっちゃった自分には
ちょっとクラクラするほどでした。
しかし、「青春の残像」を処分する機会があったことに、
すごくすごく感謝します。
残像達は、開いた口がふさがらないくらい
おバカさん達でした!
(Minako)
●幼稚園の頃、時間をあらわす
「さき」って言葉が理解できず困りました。
「これから先に済ませなさい!」って
言われるときは一番近いことを指すのに
「遠足はまだまだ先の話よ」
と言うときはすごく遠い意味。
考えはじめると
今もよくわからないんですけども・・・。
(かずみ)
●私の小学校の帰り道には
タイムマシンがありました。
公園の隅にある何の変哲もない
セメントの台なんですが、
そこに乗って目をつむって10秒数えて
「10秒後の世界」に行くのが日課でした。
たまに、
「じゃあ今日は20秒後の世界に行ってみよう」
という日もありましたが、大雨でも炎天下でも、
タイムマシンに乗らずに帰る日はありませんでした。
小学校を卒業してかなりたったある日、
その台は実はごみの収集場所だと知りました。
無邪気な子供時代が終わった気がしました。
(さ)
●私が保育園に通い始める前の事なので、
たぶん3歳くらいだったと思います。
1人で遊んでいて、おもらしをしてしまいました。
「おかあちゃんにおこられる!
ばれないようにしなきゃ」
あせる私の目に映ったのは、
昨日の雨で庭にできた水たまり…
そう、私はぬれたぱんつを水たまりで洗い始めたのです。
洗っている最中に母が仕事から帰ってきて
ものすごく怒られました。
もしも水道で洗っていれば、
「お手伝いできてえらい」くらい言われたはずなのに。
前日の雨が悪いのか、いいえ
バレる前に証拠を隠そうとした
こずるい私が悪いのでしょう。
そんな私のこずるいエピソードをもう一つ。
指しゃぶりの癖のあった私に
「なんでいつも指しゃぶってるの〜?」
と姉が聞きました。
「赤ちゃんみたいでみっともな〜い」
と言われたら恥ずかしいと思った私は
「ゆびからミルクがでるんだもん」
と言い張りました。しかも
「すごくおいしいんだもん、
ぎゅうにゅうよりずっとおいしい!」
とまで…その話は未だに(31歳)言われます。
お姉ちゃん、もう忘れて…。
(しーちゃん)
●子どもの頃は、
変なものを食べる人がいますが、
僕は電気を食べていました。
スーパーファミコンをしばらく遊んだ後、
本体の電源を切り、コンセントから抜き、
本体から電気コードを抜いて、
その金属のところを舐めていました。
すると、
少しだけ残っていた電気が舌に伝わり、
なんともおつな味がして、
すっかりはまってしまいました。
今思うと、なんて
危険なことをしていたんだろうと思います。
(アボガド)
●弟が小学校高学年のある秋の夜。
その日のおかずは、それはそれは脂ののった、
おいしいさんまの塩焼きでした。
こんがり焼けたさんまの表面に箸を入れると、
さくっという音とともに、
じゅわ〜っとおいしそうな脂がしみ出してくる。
家族の誰もが(おいしそう!)と食べようとした
その瞬間、弟がぷりぷり怒りながら
「もう!せっかくのさんまに
油なんかかけないでよ!」
と一言。家族中爆笑でした。
(匿名希望)
●弟が中学生で反抗期真っ盛りの頃。
ある夜、夕食にきんぴらごぼうが出て、
食べる食べないで母と言い争いになりました。
食べたら腸の中がきれいになるんだよ、という母。
そんなこと、あるわけねえじゃん、とつっぱねる弟。
やけくそになった弟は、
「わかったよ。食べてやるよ。その代わり、
何も出なかったらしょうちしないからな!」
と捨てゼリフを言って、
大皿にのったきんぴらごぼうを全部一人で平らげました。
・・・次の日の朝、仰天した顔で
トイレから出て来る弟の姿がありました。
弟は31歳になった今でも、きんぴらごぼう信奉者です。
なんだか食べるとかうんことか
そういう話ばっかりなんですけど。
こういうことにも必死になれるのが
「ガキ」のかわいさなのかもしれません。
(ぴぴぴ)
●小学生の頃、妹と二人で
「透明の本」というものを購読していました。
私「あ、『透明の本』今月号きたで!」
妹「ほんまや!先月の続き楽しみやなぁ。」
私「ちょっと104ページ見てや!」
妹「うわーすごい展開やな!」
実際はどこにも
そんなものは存在しないのですが
さも、本を読んでいるかのような会話が
毎月延々続きました。
なんてノリのいい姉妹…。
自分も読みたいと言って泣いていた
一番下の弟が不憫。
(りんご/大阪)
●小学校の頃、家を箒で掃いて
(掃除機なんてなかった時代です)、
雑巾がけして綺麗になったとき、何故か
「今日天皇陛下が
家へ来られても恥ずかしくない」
なんて思っていました。
今考えると、
下町の小さな我が家になんか来られるわけはないのに。
(ねこじゃらし)
●大好きな音楽の先生が職場結婚なさることになり、
友達と教会へ。教え子が制服のまま参列するという
「超職場な結婚式」でしたが感動しました。
キリスト教系の学校だったので、讚美歌はお手のもの。
新婦さんだって本職ですから
ビブラートかけまくりでした。
肝心のブーケトスでは大乱闘が繰り広げられ
(女子高生なだけに)
それはもうすさまじいものでした。
騒ぎがおさまって見渡すと、
階段の隅によれよれになった
ブーケの鱗片が。
それをさらに友達と分け合って帰りました。
さて手に入れたブーケ(の一部)を、
どうすりゃいいのか悩みに悩んだ末
花束ならともかく、これでは
ドライフラワーは無理、と判断した私は、
紅茶に浮かべることにしました(この辺が乙女心)。
で、
「結婚したい。結婚するぞ。
これを飲み干せば出来る!」
と勢いづいた私は、花びらもムシャムシャ。
24歳。
今なお彼氏のいない私の愛しい思い出です。
(グレ子)
●私の妹は、小学校低学年の時
近所の裕福な家庭の広い芝生の庭に置かれている
ブランコと滑り台を見て、
私もあんなのが欲しいと、親に訴えた。
親は「中学生になったら、買ってやる」
すると妹、大喜びで
約束の指きりげんまんまでしていた。
妹は成長著しく、五年生になる頃には
ランドセルに違和感がある女子大生に
見間違われる程の色気を醸し出したりしていた。
そんな妹も無事小学校を卒業し、
中学校入学式の日
「お祝いに何が欲しいか?」と問う親に
「ブランコと滑り台」・・・。
(もんちゃん)
●子どもの頃、
うんと可愛がってたぬいぐるみがありました。
母にせがんで作ってもらった、
薄く綿が入った布製のうさぎです。
全然立体的じゃない、平たいやつ。
しかも顔は自分でマジックで描きました。
小っちゃくなって着れなくなったシュミーズを、
ドレスのつもりで着せて毎日一緒に寝てました。
自分としてはすごく可愛くて、
でもちょっとみっともないかな、とも
思ってましたが、友だちの家に行ったとき、
その友だちの弟が、やっぱりタオルで作った、
へんてこな顔が描いてある平たい犬と
昼寝をしてるのを見ました。
私が姉に、そのうさぎのことでからかわれていたように
友だち(兄ちゃん)も
「あ、またボロ犬と寝てる。」と笑ってましたが
自分は「おんなじだ!」と思って
何も言えなかったです。
兄弟の上と下って、そういうもんなんでしょうか。
(スキニー)
●冤罪を免れるためのアリバイ工作をしていた、
という話を読んで、私は犯人を見つけるのに
一生懸命だったのを思い出しました。
小さい頃、親が運転する車に乗っていて、
すれ違った車の助手席や後部座席にいる人が
眠っていると本気で
「あの人はあの運転席の人に殺されて
どこかに運ばれる途中なんだ!
犯人が指名手配された時の為に
手掛かりになるものを覚えておかなきゃ!」
とその車のナンバーや犯人(だと思い込んでいる人)の
人相を必死に記憶していたのでした。
(kaka)
●「指紋をとられ
無実の罪で犯人にされるかもしれないから
金属がさわれなかった」という投稿を見て、
似たような経験を思い出しました。
小さい頃、夜、スモークを貼った車や、
急に割りこんでくる車をみると
「今、事件を起こした車かもしれない」と思い、
車のナンバーと時間を密かに覚えるのが
習慣になっていました。
おまわりさんに
「不審な車を見かけませんでしたか?」と
いつ聞かれても自信をもって答えられるように。
(プチトマト)
●あれは小学校2年生くらいの頃。
「おー、元気だったか〜」と言って
頭をなでたおじさんの手を瞬時に払いました。
大人の人間関係など全く考えていませんでした。
だって嫌だったんだもん…
(r)
●前に、「エスカルゴ」という
あだなを付けられたK君がいました。
理由は、社会化見学で班行動しているとき、
塀にカタツムリがいて、S君が見つけたので、
K君に「おい!K、そこにカタツムリがいるぜ」と
言おうとしたらしいのですが、何故か、
「おい!カタツムリ!」
と言ってしまったのです。
それがだんだん変化して、K君のあだなは
「エスカルゴ」になってしまいました。
皆から「エスカルゴ」と呼ばれるのは
見てて面白かったです。(その人が嫌いだったため)
呼びにくいし、前のあだなの方が良い等の理由で、
次の日からは使われなく、忘れ去られていきましたが。
(ルマ)
●あとからあとから思い出すガキ話。
その度にメールしてます。
家の裏にある森の向こう側は、
ナゼかインドだと思ってました。
時々聞こえる、動物の鳴き声
(多分、近所で飼ってた牛?かな)は
インド象だと思ってました。
すごく近い場所にあるのに
行けない所のような気がしてました。
そして、世界にある国は
日本、中国、アメリカ、インド、
ヨーロッパ、アフリカしかない、
と思ってました。
ヨーロッパとか国じゃないし!
(チビコ)
●小学生の頃吸血鬼が怖くて
寝ている間に襲われないように
胸に十字架を置いていました。
その十字架は、割り箸を十字にして、
輪ゴムで留めたものでした。
使ったものより、新品のほうが効果があると思い込み、
台所の棚の引出しから、こっそり持ち出して...。
今思えば、縦も横も同じ長さの十字架だった...。
それをしっかり握り締めて眠ったものです。
でもマジで怖かったんです。
クリストファー・リーの演じる吸血鬼。
(zubora)
●あだな、といえば。
聞いた感じでは全然インパクトはないのですが、
高校の同級生で「銀ちゃん」という人がいました。
本名の「耕平」はもはや全く忘れ去られ、
思い出すのに時間がかかる・・・。
由来の細部までは忘れたのですが、
高校1年がはじまってすぐ、
家族構成か何かを書いた紙を
提出する際に、
彼の父の「鉄次」を「銀次」と読みまちがえ、
あまつさえ本人の下の名前だと思いこんだらしい、
彼の後ろに座っていた同級生が元凶だと思います。
本当に「銀次」だと途中まで思っていた人が
いたんじゃないかと思ったり・・・。
今でも彼は、「銀ちゃん」です。
(万葉)
|
(ミニコメント)
なぜ、あんな出来事を今まで忘れていたのか。
なぜ、あんなヘンな出来事を覚えているのか。
人間の記憶、とりわけ幼児期の記憶のわけわからなさに、
ガキばなしを聞きつづけると、ハマってしまいますね。
毎日毎日、紹介しつづけて、もう2か月が経ちました!
「記憶」ってことで言うと、
遊び半分で、自分なりの年譜をつけてみると、
不思議と、記憶がすごいある時期と、
ぜんぜん記憶が残っていない時期と、
バラバラになるんですよ。ためしてみてくださいね!
そして、試した結果浮きあがってきた
あらたな記憶は、また、ガキばなしに送信、と……。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|