(8月19日)
●姉は、小学校の遠足の時
「好きなおやつ 500円以内」
という条件の買い物に行き、さんざん考えて、
クリープ1びんだけ買いました。
当時、クリープにはまっていた彼女は、あきるほど
一人でクリープを味わってみたかったらしい。
友だちが、いろいろなお菓子を食べていた中で
ひとり、クリープをなめていたらしい。
もちろん、次回からは
二度とそんな選択はしなかったけど・・・。
(のりぴい)
●3歳くらいのとき、自分のことを
「ももこ」と呼んでいたのですが、
テープレコーダーで遊んでいて、
録音したものを再生してみると
「ももこねー」と言ったはずが、明らかに
「うんこねー」としか聞こえませんせした。
自らをうんこと称するなんて・・・
幼心にも恥ずかしかったのを覚えています。
(ももこ)
●中学一年生の時、
前日のパラシュート花火のパラシュートを、
門柱の上(人の家の)によじ登って
放り投げて遊んでいたら、
近所の小学五年生の男子が通りすぎざま
私に向かって一言「ガキ」と。
もう中学生なのにはしゃいでた私がガキなのか、
大人ぶりたい向こうがガキなのか。
せめて痛み分けだと思いたいんですが。
(円香)
●幼稚園に通っていたころ、教育テレビの
「にこにこぷん」という番組が大好きで
いつも見ていました。
その番組が始まるときに流れる歌があって、
その歌の歌詞に
「ジャジャ丸、ピッコロ、ポ〜ロリ〜♪」と、
3匹のキャラクターが歌詞に入っていたのですが、
何を聞き間違えのか
「ジャジャ丸、ピッコロ、ゴ〜ロリ〜♪」と、
歌っていたらしいです。
しかも、ゴロリのとこだけ超張り切って・・・。
母親はそれが面白かったらしく、
「ジャジャ丸、ピッコロ・・・」と前フリをして、
ニコニコで「ゴ〜ロリ〜♪」と返すのを見て
ゲラゲラ笑っていたそうな。
でも歌ってみると、
ほんとはゴロリの方が正しいのでは!?
なんて思ったりもします。
(かーさん)
●幼少期海外に住んでいたせいで、
子どものころ私は外人でした。
夏休みに田舎の海にいとこたちと
遊びに行くことがありました。
いとこたちはスクール水着とかなのに、
私一人、4歳のガキんちょのくせにビキニ。
さらにネックレスとブレスレットまでしていました。
いとこたちはそんな私を恥ずかしがって、
ネックレスとブレスレットを
はずすようにいいましたが、
私は断固としてはずさなかったそうです。
その姿に、さらに、
お気に入りのサングラスをして
海辺で遊ぶ、明らかに一人浮いている子ども。
今、思い出すと、いとこたちの気持ちがよく分かります。
でも、今も、その名残なのか、
アクセサリーをしていないと、
なんだか物足りない気がしてしまい、
過剰にアクセサリーをつけてしまうことがあります。
(tabasa)
●他の方のを読んでいて思い出しました、
子どもの頃は、テレビで見る外国人しか知らず、なぜか、
「キスをすれば外国人になって、明日から金髪だ!」
と思っており、同じ社宅に住んでいたお友だちと
毎日キスしていました。
女の子同士だし、子どもだし、
大人たちは微笑ましいと思って見ていたのかなぁ。
(ゆー子)
●子供の頃、近所に子供が少なかったこともあって、
いつも幼なじみの男の子とふたりであそんでいました。
そして幼稚園児だったある日、
一緒にプールに行く途中に突然彼が
「ねえ、僕はよーこちゃんのこと好きだよ。
よーこちゃんは誰のことが好きなの?」
と聞いてきました。
あまりにストレートな質問に、
私はとっさに他の男の子の名前を答えてしまいました。
「えー、なんで?」と聞かれた私の答えが
「給食の嫌いなもの食べてくれるから」
いくら動揺していたとはいえ、
ガキならではの返事だったなぁ・・。
素直に好きと言えなかったことより、
そんな理由で他の子のことを好きだなんて
言ってしまったバカさかげんが
ほろ苦い後悔として記憶に残っています。。
(よーこ)
●幼稚園に上がる前,憧れていたのは
アタックNO.1の鮎原こずえとひみつのアッコちゃん。
どっちも『ア』が付く名前だ、あたしも!!と思って
自分にも勝手に『ア』が付く名前をつけてました。
自称、『アイちゃん』。
幼稚園の裏で友達のユミちゃんに小声で
「カヨちゃんじゃないよ、アイちゃんだよ」って
言ったのを覚えています。
去年、30年ぶりくらいで,
昔隣に住んでたお姉さんに会って
『あいたん』と呼ばれて
ものすごく恥ずかしかった。
…鮎原こずえは『ア』じゃなくて『コ』だよねえ。
(カヨ)
●親戚の子の話です。
ママが残業になったのでおばあちゃんが預かる事に。
久々大好きな孫との夕飯。
おばあ「今日はうなぎだよ〜」
Y太「うなぎ、うなぎ、ウナギ、ウナギ・・・」
一生懸命覚えていました。
ママがお迎えに来て
ママ「K太、よかったねえ。
夕飯は何を御馳走になたの?」
Y太「・・・・・・・・コロッケ」
おばあ「違うでしょ!」
(匿名希望)
●もうすぐ3歳になる娘は、
「おかあさんといっしょ」が大好き。
先日も、番組でおにいさん、おねえさんが
歌っていた「たこやきマンボ」のさびの部分を
大きな声で、何回も歌っていました。
「たこやき、マン○でなんぼ、
たこやき、マン○でなんぼ、ちゅーちゅー!」
ただしくは「マンボ」なんですけど、
娘が歌うと、子音は消えてしまうんですよね・・・。
(プー)
●小学校2年生の時、近くの駅に写生会に行きました。
絵を描くのが好きだった私は、駅のホームや電車、
駅の向こうに見える看板の文字まで描いていました。
するとそれを見た教頭先生が
「キミ、絵の中に文字を書いてはいけないよ」
と言うんです。
「なんで?文字の入っている絵なんて
たくさんあるじゃない・・・」
と思いながらも、先生のいう通り文字を消しました。
ずーっと、疑問だったなぞが解けたのは
大学生になってからです。
私はストリップ劇場の看板を描いていたんですね。
教頭先生、苦肉の策だったんだなぁ、あれは。
(ニシ)
●40代前半の方なら分かって頂けると
思うのですが、昔のTVの両脇には
持ち手が付いていて、そこの所は空洞で、
なかの配線?とかが見えるようになってたんです。
で、ある日の夕方、隣の男の子(小学校前くらい)と
ウルトラマンを見ていたとき、
戦いのシーンでランプがピコピコ鳴りだしたら、
(結構ハラハラドキドキしましたよね?)
その男の子が、やおら立ち上がって
TVの持ち手の部分から覗き込んだという・・・。
もう30年以上経ってるのに鮮明に
思い出すというのは、よっぽどその行為が
おかしかったのでしょうね。
(ゆ)
●私は、小学5年生くらいまで、
おっぱいは、オトナになるとある時期に、
突然大きくなるものだと思っていました。
しかも、全部の人がキャッツ・アイの
3姉妹くらいになるのだ、と。
私の周りには同じ年代の知り合い、
もしくは大人の知り合い
(親戚や友達のお母さんなど)しかいなかったので
そうに思っていたのかもしれないのですが・・・
大人になった今でも、
少し信じてみたいと思っています。
(とぱーず)
●自分のことは、まだ反省するほど見直せないので
息子の話をきいてください。3歳のころです。
耳鼻科の待合室にて待ち時間に
「おかあさんと、しりとりしょっか?」
「いいよ、ぼくからね? じゃあ にんじん!」
「・・・・・」
あまりにもおかしくて、一緒に待ってた人も
笑っていたようですが、私も笑ってしまって、
顔をあげられませんでした。ナイス息子!!!
その息子も、めがねをかけた3年生。
アドバンスにはまっています。
母もクリアした、マザーを買ってあげるべきか、
悩んでおります・・・。
(naoko)
●子どもの頃、お袋に
「いのちが無くなると人は死んじゃうんだよ」
って聞いて、
「そっか、僕の胃の中には
血がいっぱいあるから大丈夫なんだな」
と思っていました。
(てっちゃん38歳)
●小学生の時、私はとても漫画好きだった。
読むのはもちろん自分で描いたりもしていた。
いつもプロの漫画家さんの絵には
感心していたのだが、なぜかプロは
逆さまの人間も描けなきゃいけないと
すっかり思い込んでしまったおバカな私。
何度練習したことか。
あとになって紙を逆さまにして
描けば良いことに気がついた。
その時は悟りをひらいたかのような
気持ちになれたけど、
今思うとばかだったのね、わたし。
おかげで字は逆さまに書けるようになったけど。
(匿名希望)
●現在29歳のダンナの話です。
小学生の頃、授業中に先生が冗談で
「ドイツ語で『トイレに行く』っていうのは、
『イッヒ・フンバルト・デル・ウンチ』
って言うんだぞ」と言われたのを素直に覚え、
25歳で私と結婚するまで信じていました。
ちなみに先生は
「ドイツ語で水道は『ヒネルト・ジャー』というんだ」
とも言ったそうです。
その先生とダンナは、
今でも年賀状のやり取りをしています。
(白熊)
●小学校3年生くらいのとき、熱を出して
学校を休んでいたのですが、母がおやつか何かで
焼き芋をもってきてくれて、
なんか、焼き芋って何度くらいなんだろう
なーんて思って、手元にあった体温計(水銀の)を
ぷすりと差してみちゃったんです。
そしたらもう、ピューと水銀があがって、
パリ−ンとガラスが割れて、焼き芋ののってる
お皿に、コロコロした水銀がころがって...。
あっという間の出来事でした。
水銀は毒だという知識はあって、
焼き芋は食べられず、
母には焼き芋の温度を計ろうとしたなんて
言えないので、体温計を振ってたら
机の角に当たって割れたといいました。
その後の事は忘れてしまいましたけど。
今、電子体温計だと、どうなるんだろうなんて、
急に思っちゃいました。
でも、さすがにこの歳では、できないなあ。
私の子どもが将来やるかも?
(匿名希望)
●あれは私が「電車の窓から見える文字を読む」ことに
ハマっていたころ。
夕暮れ時のほどよく込み合った車内で、
こともあろうに大声でラブホの看板を読みあげ、
そばにいた母親に
「あんなところにホテルがあるよ!
おおきくなったら行こうね」
と言った記憶があります。
母親のコメントは覚えていません。
もうひとつ、おそらく同じ頃にハマっていたのが、
「小人を探すこと」。
たぶんコロボックルの本を読んで
影響を受けたのだと思います。
「今日こそ見えるはず」と草むらにしゃがみこんで
じーっと目を凝らしていました。
(えあ)
●私は小学校2年生の頃夏休みの自由研究で
「ろうそくと火」について研究したのですが、
私はそれまで世の中には温度は
100度までしかないと思っていて、
100度まで計る事の出来る温度計を
火に当てて何分で100度まで上がるかを計ろうとしたら、
10秒も経たないうちに
温度計が壊れて母親にひどく怒られた記憶があります。
でも怒られたことより100度以上の熱さが
世の中にあると言うことが衝撃でした。
(くんたま)
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(ミニコメント)
ガキにガキと言うガキ、
いかにも、いそうだなぁと思いました。
夢中になってたのしんでいたことが、
まったくのひとりよがりだと気づくシリーズも、
そうとうかわいらしくて、好きですねぇ。
今回のお気にいりは、
「うんこ」と「クリープ」の話です。
何度も、読みなおしてしまいました。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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