KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月20日)

中学生の頃、朝どうしても眠くて
 学校に遅刻をしたことがありました。
 担任の先生に呼び出され、
 何で遅刻をしたんだ!と言われ、
 「あさ、風邪薬を飲んだんですが、
  その薬に飲むと眠くなりますって
  書いてあったので、
  学校で居眠りをして怒られるよりは、
  家で寝ていたほうがいいと思った
んです」
 と答えました。
 先生は何も言えず、お咎めはなし。
 今でも同窓会でその先生に会うと、
 あんな屁理屈を言って
 遅刻した生徒はお前だけだ。
 と、言われます。
 (ぽん)

NHKで夕方にやっていた人形劇
 「プリンプリン物語」に出てくる歌
 「お金さえあればぁ〜、何でも手に入るぅ〜」
 を、妹と弟と一緒にネチネチ歌って、
 親に嫌がられました。

 (わ)

私の祖父の実家へ毎年行っていた頃。
 車窓から「しゃくなげ祭り」という
 ノボリを見ることが何度かありました。
 当時は石楠花(しゃくなげ)という
 花の存在すら知りませんでしたから
 柄杓を投げて距離を競う大会があるお祭り
 だと勝手に想像してました。
 「行きたい!」と言わなくてよかった。
 今でも石楠花をみるたびに
 一人思い出し笑いにふけっています。
 バカでしたねえ・・・。
 (かぷかぴ)

漫画大好きだった私は、
 考えたことは雲みたいな吹き出しになって
 頭の横に出てくるものだと信じていました。
 それは出そうと念じたときにだけ出せるのです。
 一度自分のその能力を試そうと思い、母親に
 「今私の考えてることを読んでみて?」
 と頼み、吹き出しが出るよう念じました。
 もちろん母親は私の考えてることが分からず、
 自分には吹き出しを出す力がまだないんだ、
 としばらく落ち込みました。
 (匿名希望)

勝手におしゃれに目覚めた中学1年の私は
 ファッション雑誌の存在さえしらずに
 自己流の色彩感覚で突っ走りました。
 色は3原色に分解されるなら、それが基本のはず。
 どーして大人はあんな
 ススケタ色の服を着ているのだろう、ってね。
 空色単色のスボン、真っ黄色一色のTシャツの上に
 真っ赤な上着をはおって、靴は真っ黒な作業靴で、
 半年ほど意気揚々と町を歩いていました。

 気付いてみたら、
 VANだのJUNだのとはしゃいでいましたが、
 その時もその頃を思い出すと
 冷や汗が流れていたことを
 今でも鮮明に覚えている。
 (LOSHE)

上司の方がお子さん(4つと7つ)を
 仕事先に連れてこられた時のこと
 下の4つの男の子が
 でっかいアメ玉をなめていました。
 明らかにコーラ臭がしていましたが
 「わーおっきいアメなめてるねぇ。
  何の味がする?」と聞いたところ
 「くるま味」と返答・・・え?!?
 (ジャイ代)

リポビタン○のCMの
 「肉体疲労ジに」を
 「肉体疲労児に」と思っており、
 子どもをそんなに甘やかしてよいのか?
 と憤慨していました。子どものくせに。
 (ぢゃこ)

未明の激しい雷雨で思い出した事なんですが、
 子供の頃、雷がとても怖かったんです。
 光と音が怖いのは当たり前で、
 更に恐ろしかったのは、
 「カミナリ様(鬼)におへそを取られる」
 と思っていました。
 夜中寝ている最中に雷鳴が轟きだすと
 目が覚め、父のフトンに潜り込み、
 父の背中にしがみついて
 (安心な上におへそも隠せる)寝ていました。
 それがいつからか、雷の稲光りの美しさに魅せられて、
 今度は、雷鳴が聞こえだすと、窓辺に陣取り
 いつピカッとくるかわからない一瞬の為に
 空に向かって目をこらしていました。
 それでもあの音は怖かったし、
 今度は新しい恐怖があったんです。
 雷は金物に落ちる=自分の銀歯に落ちるかもしれないと。
 当然口をかたくつぐんでいました。
 (uchiko)

ほぼにちは。
 数々の性教育や出産に関する
 ガキ話を読んで思い出しました。
 わたくしが小学生だった頃、
 家族でテレビで鮭の産卵シーンの見ていたときのこと。
 オスが卵に精子をかけるのを見て、
 純真だったわたくしは
 「お父さんも白いの出したの〜?」
 と両親に尋ねたのでございます。
 両親は
 「そうよ〜。お父さんがんばったんだから〜」
 とニヤニヤ。
 そうか! がんばらないとだめなんだ、
 子どもを作るのは大変だな、お父さんはすごいな、
 と幼心に思ったのでありました。

 (匿名希望)

子供が勢いよく泣き出すと、
 パターンっていうか、抑揚のつけ方が
 いつも同じですよね。いつも同じ泣き方。
 個人によって声の抑揚や
 タメのパターンは違うんですけど、
 血液型みたいに、泣き型っていうのは
 決まってるもんだと思っていました。
 そこで小学生の時、近所の子(男子)の
 泣き方を覚えて、モノマネしてたのですが、
 ちっともウケません。

 この芸風は未練なく捨てました。
 (鵜)

父のやっている会社の上に家があったので、
 みんながかまってくれる事務所に
 よくいりびたっていました。
 コーヒーの飲めない小学生の飲み物は、
 砂糖とクリープをお湯にとかした
 「ホットクリープ」
 あまりにもおいしいので
 みんなに薦めていましたが
 大人はだれも挑戦してくれませんでした。

 最後に飲んだのは、高学年かなぁ〜
 「…あんまりおいしくない」
 と思ってからやめました。そりゃ、おいしくねーよ。
 (ほし食堂)

2歳の娘は、毎朝食パンを食べます。
 焼いたり、焼かずにジャムをつけたり、
 食べ方は本人の好きなように。
 ある日「今日はどうやって食べる?」と聞くと
 「かじって食べるの!」
 と得意げに言いました。
 (さおり)

子どもの頃、両親がお菓子やジュースにとても厳しくて、
 とくにコーラは骨が溶けるという理由で
 ぜんぜん買ってもらえませんでした。
 なので唯一コーラを飲める友達のお誕生会では、
 嬉しいのと同時に、ひとくちコーラを飲むたびに、
 いま鎖骨がとけたかなあとドキドキしていました。
 (hana)

小学校のころ、
 結構長い間好きだった男の子と隣の席になり、
 当時、給食は6人くらいの班になって食べていたので、
 はからずも私は好きな子と
 向かい合わせになって食べることに。
 そして緊張からか、私は好きな子の目の前で・・・
 牛乳吹いてしまいました。
 ブフっと。
 「今自分牛乳ふいたやろ?!」という彼の指摘に、
 私は一生懸命否定していました。
 ・・・牛乳垂れてるのに。
 淡い恋でしたね〜
 (あひるちゃん)

小学校4年生くらいまで、英語の日本語吹き替えは
 本当に外人さんが日本語を
 しゃべっているものと思っていました。
 ある日、アーノルド・シュワルツェネッガーの声が
 以前と違っていて(ようするに声優さんが違っていて)、
 それでも気付かずに
 「シュワちゃん声変わりしたんかな」
 とか言ってました。
 (2)

ヤクルトの話に少し似ていたので、
 どうかな?と思って送ってみました。
 僕がまだ小学校6年生だったころ、
 近所の男の子の間で、
 缶コーラを振って炭酸でパンパンになったところを
 側面に画鋲で穴を開けて、
 そこから吹き出てくるコーラを飲む、
 というのが何故か流行っていました。

 自分もやろうと思ったけれども、
 少しすると吹き出る勢いも弱くなり、
 結局は上のタブを空けて飲んでいる様子を見て、
 「結局同じじゃん」と、横目で見ながら普通に飲んでました。
 (ま)

都会の住宅地のさみしいところで
 実際にお会いしたことはないのですが
 裏のおうちからちびっ子の声がよく聞こえてきます。
 とてもおしゃべりな男の子(推定4歳)です。
 このところヒーローものに凝っていて
 「とう!」の練習にも励んでいる様子。
 歌も相当お好きで
 (ほぼ平らなメロディーで)
 「♪あば・あば・あば・あば・あばれんじゃー
  あば・あば・あば・あば・あばれんじゃー
  あば・あば・あば・あば・あばれんじゃー…」
 ちなみに今日は何か大事件が起きたようで
 「大丈夫かぁ〜!」「しっかりしろ!!」と
 お友達を救助する声が聞こえています。

 (emi)

小学生の頃、たまに熱でうなされると、かならず
 「全てのものが透明に見える!」
 と泣いて両親の部屋に駆け込んでました。
 両親は「透明だったら見えないじゃない…」と
 困惑してました。その他にも、
 全てのものが小さく見えたり、
 全てのものが遠く見えたりしてました。

 今も熱をだすとそのことを思い出しますが、
 透明には見えません。
 (イ)

幼稚園の時弟が生まれ、男女の違いを発見し、
 母に質問した直後の母親参観の日。
 「一番大切なものは何ですか?」との質問に、
 私は「おちんちん!」と答えました。
 「なぜなのかな?」と聞かれ「しまってあるから!」と。
 母が女の子のは大事だから隠れているのよ、
 と教えたのでした。
 小学校1年の頃の母親参観日。
 この時の質問は
 「おかあさんの好きなことは何ですか?」でした。
 みな、「お料理」とか「お洗濯」とか言う中、
 「うちのおかあさんが好きなことは、お昼寝です」
 と。
 だって、学校から帰ると弟を寝かしつけるために
 添い寝している母を見ることが
 多かったものですから...。
 (す)

小学校低学年の頃、
 お人形さん用ベッドの布団にぴったりのものを
 押入で発見し、なんでおかあさんは
 こんないい物を隠してたんだろう、と思いました。
 それは生理用パッド..。
 同じ頃、タンスの引き出しに、
 折り畳んで組立てる式の小さな箱を見つけ、
 ちょうだいと母に言うと、
 少しとまどいながらもくれました。
 すっかり気に入った私は型をとって、
 いくつも同じ形の箱を作っては絵を描き、
 遊びに来た友達にプレゼントしました。
 帰宅した父に
 「この子こんなもので遊んでいるのよ」と
 困った顔で言っていたのを聞いてしまい、
 何故だかわかりませんでした。
 ずっとずっとたってから、
 ふとあの時のことを思い出し、もしかして、
 あの箱にはあれが入っていたのか..?と。

 未だに実家に帰ると
 あちこち家捜しするくせがある私です。
 (な)

遠い昔の話ですが、
 私も中一で初めて男女共学を経験したとき、
 男と女が同じ部屋にいると
 妊娠するものと思い込み、
 毎日のように鏡に横向きに立ち、
 スカートの上からお腹をさすって、
 お腹が出っ張り始めていないか、
 チェックしていました。

 ウチは父が早く亡くなって、
 祖母・母・姉・私の女系家族だったので、
 知識もなく、結構不安な毎日でした。
 女の子って多かれ少なかれ、
 誰でも妊娠の不安や期待を経験するものなのでしょう。
 (ひらり)

(ミニコメント)

こういう投稿で改めて気づいたのが、
「子どもによく似合うのは、
 コーラのある風景、なんだなぁ」
ということでした。
コーラを振って、まき散らかしちゃった思い出、
大抵のガキんちょには、ありそうですし。
「う・・・骨、とけたか・・・」
は、無頼のたのしみに似た甘さがありますね。

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2003-08-20-WED
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