(8月20日)
●中学生の頃、朝どうしても眠くて
学校に遅刻をしたことがありました。
担任の先生に呼び出され、
何で遅刻をしたんだ!と言われ、
「あさ、風邪薬を飲んだんですが、
その薬に飲むと眠くなりますって
書いてあったので、
学校で居眠りをして怒られるよりは、
家で寝ていたほうがいいと思ったんです」
と答えました。
先生は何も言えず、お咎めはなし。
今でも同窓会でその先生に会うと、
あんな屁理屈を言って
遅刻した生徒はお前だけだ。
と、言われます。
(ぽん)
●NHKで夕方にやっていた人形劇
「プリンプリン物語」に出てくる歌
「お金さえあればぁ〜、何でも手に入るぅ〜」
を、妹と弟と一緒にネチネチ歌って、
親に嫌がられました。
(わ)
●私の祖父の実家へ毎年行っていた頃。
車窓から「しゃくなげ祭り」という
ノボリを見ることが何度かありました。
当時は石楠花(しゃくなげ)という
花の存在すら知りませんでしたから
柄杓を投げて距離を競う大会があるお祭り
だと勝手に想像してました。
「行きたい!」と言わなくてよかった。
今でも石楠花をみるたびに
一人思い出し笑いにふけっています。
バカでしたねえ・・・。
(かぷかぴ)
●漫画大好きだった私は、
考えたことは雲みたいな吹き出しになって
頭の横に出てくるものだと信じていました。
それは出そうと念じたときにだけ出せるのです。
一度自分のその能力を試そうと思い、母親に
「今私の考えてることを読んでみて?」
と頼み、吹き出しが出るよう念じました。
もちろん母親は私の考えてることが分からず、
自分には吹き出しを出す力がまだないんだ、
としばらく落ち込みました。
(匿名希望)
●勝手におしゃれに目覚めた中学1年の私は
ファッション雑誌の存在さえしらずに
自己流の色彩感覚で突っ走りました。
色は3原色に分解されるなら、それが基本のはず。
どーして大人はあんな
ススケタ色の服を着ているのだろう、ってね。
空色単色のスボン、真っ黄色一色のTシャツの上に
真っ赤な上着をはおって、靴は真っ黒な作業靴で、
半年ほど意気揚々と町を歩いていました。
気付いてみたら、
VANだのJUNだのとはしゃいでいましたが、
その時もその頃を思い出すと
冷や汗が流れていたことを
今でも鮮明に覚えている。
(LOSHE)
●上司の方がお子さん(4つと7つ)を
仕事先に連れてこられた時のこと
下の4つの男の子が
でっかいアメ玉をなめていました。
明らかにコーラ臭がしていましたが
「わーおっきいアメなめてるねぇ。
何の味がする?」と聞いたところ
「くるま味」と返答・・・え?!?
(ジャイ代)
●リポビタン○のCMの
「肉体疲労ジに」を
「肉体疲労児に」と思っており、
子どもをそんなに甘やかしてよいのか?
と憤慨していました。子どものくせに。
(ぢゃこ)
●未明の激しい雷雨で思い出した事なんですが、
子供の頃、雷がとても怖かったんです。
光と音が怖いのは当たり前で、
更に恐ろしかったのは、
「カミナリ様(鬼)におへそを取られる」
と思っていました。
夜中寝ている最中に雷鳴が轟きだすと
目が覚め、父のフトンに潜り込み、
父の背中にしがみついて
(安心な上におへそも隠せる)寝ていました。
それがいつからか、雷の稲光りの美しさに魅せられて、
今度は、雷鳴が聞こえだすと、窓辺に陣取り
いつピカッとくるかわからない一瞬の為に
空に向かって目をこらしていました。
それでもあの音は怖かったし、
今度は新しい恐怖があったんです。
雷は金物に落ちる=自分の銀歯に落ちるかもしれないと。
当然口をかたくつぐんでいました。
(uchiko)
●ほぼにちは。
数々の性教育や出産に関する
ガキ話を読んで思い出しました。
わたくしが小学生だった頃、
家族でテレビで鮭の産卵シーンの見ていたときのこと。
オスが卵に精子をかけるのを見て、
純真だったわたくしは
「お父さんも白いの出したの〜?」
と両親に尋ねたのでございます。
両親は
「そうよ〜。お父さんがんばったんだから〜」
とニヤニヤ。
そうか! がんばらないとだめなんだ、
子どもを作るのは大変だな、お父さんはすごいな、
と幼心に思ったのでありました。
(匿名希望)
●子供が勢いよく泣き出すと、
パターンっていうか、抑揚のつけ方が
いつも同じですよね。いつも同じ泣き方。
個人によって声の抑揚や
タメのパターンは違うんですけど、
血液型みたいに、泣き型っていうのは
決まってるもんだと思っていました。
そこで小学生の時、近所の子(男子)の
泣き方を覚えて、モノマネしてたのですが、
ちっともウケません。
この芸風は未練なく捨てました。
(鵜)
●父のやっている会社の上に家があったので、
みんながかまってくれる事務所に
よくいりびたっていました。
コーヒーの飲めない小学生の飲み物は、
砂糖とクリープをお湯にとかした
「ホットクリープ」
あまりにもおいしいので
みんなに薦めていましたが
大人はだれも挑戦してくれませんでした。
最後に飲んだのは、高学年かなぁ〜
「…あんまりおいしくない」
と思ってからやめました。そりゃ、おいしくねーよ。
(ほし食堂)
●2歳の娘は、毎朝食パンを食べます。
焼いたり、焼かずにジャムをつけたり、
食べ方は本人の好きなように。
ある日「今日はどうやって食べる?」と聞くと
「かじって食べるの!」
と得意げに言いました。
(さおり)
●子どもの頃、両親がお菓子やジュースにとても厳しくて、
とくにコーラは骨が溶けるという理由で
ぜんぜん買ってもらえませんでした。
なので唯一コーラを飲める友達のお誕生会では、
嬉しいのと同時に、ひとくちコーラを飲むたびに、
いま鎖骨がとけたかなあとドキドキしていました。
(hana)
●小学校のころ、
結構長い間好きだった男の子と隣の席になり、
当時、給食は6人くらいの班になって食べていたので、
はからずも私は好きな子と
向かい合わせになって食べることに。
そして緊張からか、私は好きな子の目の前で・・・
牛乳吹いてしまいました。
ブフっと。
「今自分牛乳ふいたやろ?!」という彼の指摘に、
私は一生懸命否定していました。
・・・牛乳垂れてるのに。
淡い恋でしたね〜
(あひるちゃん)
●小学校4年生くらいまで、英語の日本語吹き替えは
本当に外人さんが日本語を
しゃべっているものと思っていました。
ある日、アーノルド・シュワルツェネッガーの声が
以前と違っていて(ようするに声優さんが違っていて)、
それでも気付かずに
「シュワちゃん声変わりしたんかな」
とか言ってました。
(2)
●ヤクルトの話に少し似ていたので、
どうかな?と思って送ってみました。
僕がまだ小学校6年生だったころ、
近所の男の子の間で、
缶コーラを振って炭酸でパンパンになったところを
側面に画鋲で穴を開けて、
そこから吹き出てくるコーラを飲む、
というのが何故か流行っていました。
自分もやろうと思ったけれども、
少しすると吹き出る勢いも弱くなり、
結局は上のタブを空けて飲んでいる様子を見て、
「結局同じじゃん」と、横目で見ながら普通に飲んでました。
(ま)
●都会の住宅地のさみしいところで
実際にお会いしたことはないのですが
裏のおうちからちびっ子の声がよく聞こえてきます。
とてもおしゃべりな男の子(推定4歳)です。
このところヒーローものに凝っていて
「とう!」の練習にも励んでいる様子。
歌も相当お好きで
(ほぼ平らなメロディーで)
「♪あば・あば・あば・あば・あばれんじゃー
あば・あば・あば・あば・あばれんじゃー
あば・あば・あば・あば・あばれんじゃー…」
ちなみに今日は何か大事件が起きたようで
「大丈夫かぁ〜!」「しっかりしろ!!」と
お友達を救助する声が聞こえています。
(emi)
●小学生の頃、たまに熱でうなされると、かならず
「全てのものが透明に見える!」
と泣いて両親の部屋に駆け込んでました。
両親は「透明だったら見えないじゃない…」と
困惑してました。その他にも、
全てのものが小さく見えたり、
全てのものが遠く見えたりしてました。
今も熱をだすとそのことを思い出しますが、
透明には見えません。
(イ)
●幼稚園の時弟が生まれ、男女の違いを発見し、
母に質問した直後の母親参観の日。
「一番大切なものは何ですか?」との質問に、
私は「おちんちん!」と答えました。
「なぜなのかな?」と聞かれ「しまってあるから!」と。
母が女の子のは大事だから隠れているのよ、
と教えたのでした。
小学校1年の頃の母親参観日。
この時の質問は
「おかあさんの好きなことは何ですか?」でした。
みな、「お料理」とか「お洗濯」とか言う中、
「うちのおかあさんが好きなことは、お昼寝です」
と。
だって、学校から帰ると弟を寝かしつけるために
添い寝している母を見ることが
多かったものですから...。
(す)
●小学校低学年の頃、
お人形さん用ベッドの布団にぴったりのものを
押入で発見し、なんでおかあさんは
こんないい物を隠してたんだろう、と思いました。
それは生理用パッド..。
同じ頃、タンスの引き出しに、
折り畳んで組立てる式の小さな箱を見つけ、
ちょうだいと母に言うと、
少しとまどいながらもくれました。
すっかり気に入った私は型をとって、
いくつも同じ形の箱を作っては絵を描き、
遊びに来た友達にプレゼントしました。
帰宅した父に
「この子こんなもので遊んでいるのよ」と
困った顔で言っていたのを聞いてしまい、
何故だかわかりませんでした。
ずっとずっとたってから、
ふとあの時のことを思い出し、もしかして、
あの箱にはあれが入っていたのか..?と。
未だに実家に帰ると
あちこち家捜しするくせがある私です。
(な)
●遠い昔の話ですが、
私も中一で初めて男女共学を経験したとき、
男と女が同じ部屋にいると
妊娠するものと思い込み、
毎日のように鏡に横向きに立ち、
スカートの上からお腹をさすって、
お腹が出っ張り始めていないか、
チェックしていました。
ウチは父が早く亡くなって、
祖母・母・姉・私の女系家族だったので、
知識もなく、結構不安な毎日でした。
女の子って多かれ少なかれ、
誰でも妊娠の不安や期待を経験するものなのでしょう。
(ひらり)
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(ミニコメント)
こういう投稿で改めて気づいたのが、
「子どもによく似合うのは、
コーラのある風景、なんだなぁ」
ということでした。
コーラを振って、まき散らかしちゃった思い出、
大抵のガキんちょには、ありそうですし。
「う・・・骨、とけたか・・・」
は、無頼のたのしみに似た甘さがありますね。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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