(8月21日)
・私は小さかったので覚えていないんですが、
2歳の頃に父方のおじいちゃんが亡くなりました。
静粛な雰囲気の中、お坊さんがお経を唱えていると、
母の膝の上で、私が突然
「アンパンマンアンパンマン」と唱え始めたそうです。
どうやら「南無阿弥陀仏」が
「アンパンマン」に聞こえたのか、
本人はお坊さんを真似て
お経を唱えているつもりだったらしい。
親戚のおじさんおばさんたちは、
みんな笑いをこらえていたそうで・・・。
今でも母親に聞かされて笑われます。
(ぱんだ)
・なんでか
「由利徹」と言っただけで
姉妹共々大爆笑でした。
今でもそれを思い出すとクスっくらいなら笑えます。
妹とその頃の話をすると
またまた2人で爆笑しそうです。
まだまだガキなのかなー?
やっぱ小さい頃ずっと一緒にいたせいか
兄弟って笑うツボが似ていると思うんですよね。
(匿名希望)
・私の兄は、家の外でガキが
「ママー!!」と叫ぶと家の中から
「な〜にい?」とか「は〜〜いい?」
とかの声色で返事します。
ガキは、ママの声でない
不思議な返事にキョロキョロ。
また兄は、転んで
ぎゃーぎゃー泣いたりしている男の子に
「しっかりおし!女の子だろ!」
などど言って励まします。
そう言われるとガキはなきじゃくりながら
「お.お,お,男の子だもっ..っ」
とか反論するので、とっても可愛いです。
(さ)
・父は祝日の前日が誕生日なので、
誕生日の翌日は必ずやすみなのですが
祝日など知らなかった幼稚園年中の私は
「なんでお父さんだけ
お誕生日の次の日がいつも休みなんだろう?
ずるい!」
ということに気が付き
年長の時自分の誕生日の翌日
おなかが痛いと仮病を使って休みました。
母が幼稚園に連絡している側で、
約1年前〜計画していたことを
実行できた達成感を味わいながらも
これではお父さんとは何かが違う。
と解せない気持ちで仮病を装っていました。
(レイ)
・私の子供(今は3年生)が、
学校で1年生の時に書いた七夕の短冊に、
「せかいじゅうのお友だちが、
しあわせにくらせますように」
と、マリアさまのようなことを書いた子がいました。
うちの子(双子・女)は、
「まい日きゅうしょくがカレーだといいです」と、
「プールにはやくはいれますように」
(ずっと雨続きだった)でした。
自分の身の回りの、
ほんとに目の前のことしか考えられない
おばかな子供ですが、かわいいです。
(ご)
・子どもの頃、心は「のどぼとけ」にある、
と思ってました。
女子の私は、さわらないと
存在が確認できない代物だったので
オトナの男の人などを見上げながら
「この人は立派な人だろうなぁ」
と羨望の目で見てました。
(たま)
・車の話で私も思い出しました
高速でも、普通の道路でもところかまわず、
後部座席に妹と乗っていた時よくやりました。
後続車が、私たちを追いかけてきている、とか、
後続車の運転席の人と目が合ったら 負け!とか…
で、必死になって隠れろ〜!見つかる〜!
で大興奮していたのを…
今みたいに、車にCDやらTVやらがない時代で、
ひたすらラジオを聞かされて
退屈していたんでしょうね〜。
手も振ったこともあります
でも、今思うと後続車の人から見た私たちって、
かなり変。
(ぶ)
・中学生の頃です
ふすま一枚隔てて
両親の寝室と私の部屋がありまして
とにかく寝言を一言一句
はっきりと喋るらしい私なのですが
ある日の明け方、言ったそうです
「白ネギでございますね?」
朝起きていきなり母に
「あんた、誰にネギ売りつけようと思ったんね?」
と笑われました。
私よ!何の夢を見てたんだ!??
高貴なお方にネギを??
未だに謎です...
(ジャイ代)
・小学校低学年の頃、リリアンに異常な
情熱を傾けていました。
何がそんなに楽しかったのか分かりませんが、
来る日も、来る日もリリアンを編み続け、
手持ちの紐が無くなれば手芸店に買いに走り、
最終的には5mくらい編み上げていたと思います。
家庭訪問の時に、母が私のその作品を先生に見せて、
「意外と集中力があるみたいなんですよ」と
ちょっぴり自慢げに言っていたのを
うっすら覚えているのですが、
残念ながら、私の集中力はリリアン以外の場では
それほど発揮されることなく現在に至っています。
今でも、リリアンセットを見ると
思わず買いたくなってしまいますが、
「こんなちょっとしか紐が付いていないんじゃ、
まるでダメだ」と思い、いつもあきらめます。
今でも昔のように、紐だけって
別売りしてたりするんでしょうか。
(の)
・桃太郎の話が出ていて思い出しました。
私の弟も、母が切った桃から出てきた虫を
「育てて桃太郎をボクの弟にする!」と
言ってきかず、諦めさせるのに苦労しました。
(えみるん)
・いまでも、
狭い隙間に入り込むのが好きなのですが、
小さい頃は小柄なぶん、入れる隙間も多く、
色々はまりこんでいました。
押し入れの下の段、何かの入った箱やら、
収納ケースやらを脇に寄せ、
スッポリはまり込めるスペースを作ったときは、
わざわざ座布団やら、毛布やらを敷いて、
懐中電灯も紐を付けて上から吊し、
本人は秘密基地でも作ったような、
充実した気持になっていました。
家族中が、私がそこに篭っていると、
知っていましたが。
居心地良かったのを覚えています。
(どいっち)
・うちにあった女性週刊誌からいろいろ
「おとなのすること」の情報を
こっそりえていた小学生の私。
おとなは「夜の営み」をする、
ということを知りました。
それが何か具体的な知識はあまりなく、
とにかく夜寝る時に「夜の営み」をするらしい。
なんだか秘密めいててどきどきもしたのですが、
それより「夜の営み」は一晩中続くと
なぜか思っていたので、
大人っていつ寝るんだろう、
やっぱり大人ってすごい、
と単純に感心していました。
そういえば父親が定時制高校の教師をしてたときも、
夜の高校って朝になるまで続くと思い込んでたなぁ。
子供の私には大人が皆「タフ」に思えました。
(ののじ)
・3才の頃、母がいなくなった夢を見ました。
「これは大変だ、
きっと銭湯に行ったに違いない」
わたしはむっくり起き上がり、
銭湯までハダシで歩いていきました。
銭湯の玄関をガラガラ開け真っ直ぐ女風呂へ。
脱衣所にも、風呂場にも母はおらず、
番台のお姉さんに事情を話すと
彼女はにっこり笑ってわたしにサンダルを履かせ、
家まで連れて行ってくれました。
家(9人家族)ではわたしがいなくなったということで
大騒ぎになっていました。
(りゅう)
・皆さんの投稿を見てると、
ああ、私もやってた!っていうのが結構あって
嬉しくなります。
で、私のバカだった話。
小学校低学年頃、アニメに出てくるような、
自然の中でサバイバルする少年に
なぜか異様に憧れていました。
自然の中で横笛を吹く少年を真似て、
住宅街でリコーダーを吹きまくってみたり
(近所にちゃんと林はあったのだが、誰かに
「笛を切なげに吹く私」を見てほしいという思いから
あえて人目につく場所で。
横笛じゃなく縦笛なのは当時すごく残念でした)
家からカッターナイフを持ち出して、
木の枝を鉛筆を削るように
削りまくったりしてました。
木の枝のほうは親に見つかると
「刃物を持ち出すな!」と怒られるので、
自宅から少し離れた近所の家の枝を折って
ひたすら削り、悦に入っていました。
近所の人たちは、その場に残された先が
尖った木の枝を見てさぞ不審に思ったことでしょう。
タイムスリップできたら絶対とめてます。
リコーダーを外で吹く姿は、
傍を通りかかる人たちの
笑いのタネとなっていましたから。
なぜ当時は笑われてもまったく気にしなかったのか。
気にしろ。
あー、今となっては恥ずかしい。
(あるま)
・おそらく小学校入りたてのころ、
ちょうど足し算引き算が出来るようになったころです。
壁のカレンダーを見ながら縦に並ぶ数字が
「7」づつ増えていることを大発見!
「どうしよう、私ったらこんなこと発見しちゃって。
ひょっとするとノーベル賞をもらえるかも」
何度も何度も計算してその”定理”を確認し、
本当にドキドキして声を震わせて近くにいた母に
「おかあさ〜ん、これ見て、7づつ増えてる」
ため息ついた母の顔には、
情けないな〜これが私の娘か?と書いてありました。
母が相手でもものすごく恥ずかしかったのを
はっきり覚えています。
(@フランス)
・子どもの頃よく乗っていた井の頭線。
車掌さんの
『しんでいたー、次は、しんでいたー』と
(新代田の駅でした)声が流れてくるたびに、
荒野にたくさんの人が倒れている姿が頭の中に
浮かび一人怖くてしょうがありませんでした。
その頃はやっていた、
『帰って来たヨッパライ』の歌も
しょっちゅうテレビやラジオから流れてくると
怖くて耳を塞いでいました。
子供だった私には、あの歌と
最後のポクポクと流れてくる
お経とピアノの音は、恐怖でした。
(かりめろ)
・五歳ぐらいのころ、
父の郷里の鹿児島に家族で行く前、
父が「鹿児島っていうと、森進一のふるさとなんや」と
話してくれました。
私は、父の実家に行くと森進一に会えると思いこんで、
いざ、着いたら
「もりしんいちはどこ?」
って周りに聞き回って笑われました。
熱烈なファンでもないのにね。
(3)
・私は小学生の頃から、暗闇に目をこらすと
自分だけ物が浮かびあがって見えるし、
臭いも人一倍敏感に嗅ぎ分けられるし
遠くの音も聞き分けられるので
絶対に特別な能力が
備わって生まれてきたからなんだと
思い込んでいました(笑)
小学生の頃に思い切って親にコッソリ打ち明けたら
「そりゃースゴイね」
と驚いたフリをしてくれたので
随分と大きくなるまで完全に思い込んでいました。
小学生の母となった今でも
周りの人が聞き逃してしまった音や
あまり感じない臭いが分かったときに
1人ほくそえんでしまう私です。
先日3年生の息子が
「ぼくさ〜、暗いところでも何故か物が見えるんだ」
と言っていたのを聞いて
ウチの親が爆笑していました…。
(Y)
・私が小学校2年生の時に転校してきて、
一番に友達になった子に
まっさきにつけられたあだなが、
なぜか「どんべ」でした。
なんでなのかは、
私も彼女もまったく覚えていません。
後から友達になった子には必ず
「な、なんでどんべ?」と聞かれたものです。
そんなあだなを思い付いた彼女も彼女ですが、
それをなんとも思わず
すんなり受け入れた当時の私もナゾ・・・。
小・中・高と、「どんべちゃん」「どんちゃん」などと
呼ばれつづけましたが、大学に入学する時に、
「さすがに大学生でどんべちゃんはないやろう!」と
心機一転、名前で呼んでもらうことにしました。
が、慣れないうちは、はずかしいわむずがゆいわ・・・
慣れるまでに、相当時間がかかりました。
今でも昔の友達はふつうに「どんべ!」なので、
前に、中学の友達とそのあだなを知らない彼氏とで
一緒に遊んだ時は、めちゃんこはずかしかったです。
(あとで、「ど、どんべって?」と
引き気味に聞かれました)
あと、中学生の時、
私が水飲み場でやたら頻繁に水を飲んでいたので、
ごく少人数の友達に
「水分摂り子さん」と呼ばれてました。
かならず「さん」までセットで。
今でものどが渇きやすいのは変わらないので、
職場でお茶ばっかり飲んで
1.5Lペットボトルを空にしちゃった時なんかに、
「あーーうちってほんまに水分摂り子さんやなぁ」
と、しみじみ思ったりします。
(どんちゃん)
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(ミニコメント)
「まいにちきゅうしょくがカレーだといいです」
は、とんでもなくかわいいですね!
念仏の「アンパンマン」の話も、
「育てて桃太郎をボクの弟にする!」も、
子ども特有の律義さにあふれていて、好きだなぁ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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