KINDER
ガキの頃は、バカだったなぁ。

(8月23日)

・わたしもやりましたよ、「紀子さまごっこ」
 出かける時に必ず前を通る公団アパートの窓から
 椅子に座っていつも外を見ているおばあちゃんがいて、
 「こんにちわ」と挨拶をしてました。
 その時はいつも「紀子さま」になったつもりで、
 まず口角をあげて、次に小首をちょっとかしげて、
 そして、ほとんど聞き取れないくらいの小声で
 「こんにちわ」と会釈をするんですよ。
 その時に少しだけ、左手を低い位置で振るんです。
 お嬢様風のワンピースなんか着ているときなんて、
 瞬きまで気をつかって、もう最高にいい気分!!

 そのころはしばらくまじになりきってて、
 すぐ近くのお店で買い物をするときも、
 「これをいただけますか?」って息をまぜながら、
 しゃべっていましたね。
 2年間くらいは、はまってやってました。
 (ミッキー)

・あだ名の話で思い出しましたが、
 小学生の頃、男の子の間で、
 「○○ちょ」というのが流行りました。
 カイダ君   → かいちょ
 ミナミ君  → みーちょ
 カスカワ君 → かすっちょ
 と、言う具合です。しかし、
 フナミツ君 → ふんちょ(!)
 子供心に、ちょっと気の毒だなーと、
 思っていました。
 今頃は、立派なお父さんになっているでしょうか。
 (ぷっぴ)

・小学校低学年の頃、宇宙人に拉致された人の話
 (もしくはUFO)に関するまことしやかな話が
 テレビに流れていたっけ。
 結構、突然に拉致されてどうのこうのという話が
 ほとんどで、子供心に、なんて準備が悪いんだろうと思い、
 いつ宇宙人に拉致されてもいいように、
 枕元に、着替えとかいれたリュックサックを
 用意してまっていたものでした。
 親も、不思議な光景を見て困惑していたらしく
 しばらくして
 「なんで枕元にリュックサックを置いてあるの?」
 と聞かれたことがあります。
 正直に答えましたが、こっぴどくしかられました。
 いまでは、なんて馬鹿なことしてたんだろうと思います。
 でも、今時の子どもって、宇宙人とか信じてるんだろうか?
 (まっちゃん)

・小学生くらいのときなんですが
 なにかと口に入れてみたい&食べてみたいガキでした。
 まず物心ついたときにはすでに食べていたのが
 瘡蓋(かさぶた)です。
 よく外で遊び擦り傷などが多かったため
 あちこちに瘡蓋がありました。
 それを痛いのを承知でペリペリ剥がし
 かみかみしておりました。

 (K)

・我が友たちには
 素敵なあだ名がたくさんついている。
 メールで「タコ飯食べたよ、おいしかった!」と
 送ってきたヤツは翌日から「たこ」と呼び、
 ある友は元からついてた「鉄柱」という
 あだ名を勝手に改造して「テっちゃん」と呼ぶ。
 またある友はなぜか「猫」なので
 「ねこさん」と敬称をつけてみたり、
 またある友は「名字+さん」だったのを
 親しみを込めて「名字+しゃん」としたり。
 そういっている自分は「無表情」だったり、
 「犬」だったりするのだが。

 (ほたて)

・小学3年生の時、
 私は水疱瘡に罹りました。
 しばらく休んだ後、
 まだ少しブツブツが残っているけれど
 登校しても大丈夫、ということで久々の学校へ。
 教室に入ると、ある男子が
 「おまえ、ブツブツあるやんけ〜!
  バーベキューや!バ〜ッベッキュ〜!」
 と言い出しました。
 なんで「バーベキュー」やねん?
 説明いたします。
 当時放送されていた「ゴレンジャー」に出てきた
 悪者怪人で、顔がブツブツだらけのヤツが
 「バーベキュー」という名前だったんです。
 しばらく一部の男子に
 「バーベキュー」呼ばわりされました。
 その後、
 「サッポロポテトバーベキュー味」と
 長くなり、転じて(?)
 「おさつスナック」となりました。

 「私はそんな名前とちゃうわ!」と怒りながらも
 「バ〜ッベッキュ〜」と呼ばれると
 「何よ!」と返事していました。
 (ひふみ)

・小学校の頃、赤いバイクに乗ってる郵便屋さんで、
 西部警察に出てくるような
 ティアドロップのサングラスを
 はめてる人がいて、誰から聞いたのか、
 その人は危険人物だ!誘拐される!と信じてました。
 道で赤いバイクとすれ違うたびに、とてもおびえ、
 睨まれてるような錯覚さえ覚えていました。

 小さい町だったので、たぶん
 友達のおじちゃんとかだったと思うんですよ。
 失礼なガキだったよなぁ。
 (大阪市・ラスカル)

・小学3年の頃、友達4〜5人の間で
 ヘンテコな宗教ごっこみたいのがはやって
 掃除機の入っていた大きめの発泡スチロールを
 「ご神体」のように
 座布団に座らせお祈りを捧げていました。
 友達が帰ったあとも
 「夜のお祈り」としてひとりで活動していたら
 姉に見つかり、大爆笑されました。

 お祈りの言葉は「あ〜ひ〜ん、あ〜ひ〜ん」でした。
 なんだったんだろう。
 (かいままん)

・中学生のころ、社会科を担当している
 先生(男)に赤ちゃんが生まれました。
 私は先生が担任しているクラスの生徒ではなかったし、
 社会も教わっていなかったのですが、
 廊下で私を見つけると、勢いよく歩み寄ってきて、突然、
 「名前、泉にしたんだよっ!」
 て、嬉しそうに言ってきたんです。私と同じ名前なんです。
 泉って。驚いて、なんと返事をしたらいいのか。
 でも、なんだか私も嬉しくて、
 ニコニコとしていた記憶があります。
 その泉ちゃんも、もう、16歳かぁ。
 元気に良い子?に育っているかなぁ。
 (せん)

・女子高一年生の夏、ソフトボール部に所属していた私。
 夏の合宿というものがあって、参加していました。
 私達一年生は練習はもちろん、掃除洗濯などの雑用もあり
 毎日かなり疲れていました。
 キツイ練習の毎日・・・。
 ・・・ある者はバント守備の
 掛け声とともに拳を振り上げ「前進〜!」
 ・・・またある者は盗塁の夢で手足をぴくぴく・・・
 ・・・私もボールがグローブをかする夢で手がぴくっ!
 昨夜どんな夢を見たか話すのが一年生の日課となりました。
 先輩が「一年生の寝姿見てると面白い」と言った意味が
 翌年わかりました。(笑)
 (m)

・小学校の頃、漢字の成り立ちのような
 授業を受けたあとの事です。
 「緑」という漢字が「木へん」でないことに
 納得できなかった私は、
 漢字のテストのたびに「糸へん」ではなく、
 「木へん」で緑を書き続け、
 毎回バツをもらっていました。
 そして、いつか私の意見が正しいことに
 大人は気がつくと思っていました。

 (きゃお)

・沈黙の初デートのメールを読んで、
 はずかし苦しくなってしまいました。
 私も同じだったから。
 あれは高3の夏休み。相手は世界史の先生。
 物知りな男(先生だから当然なんだけど)、というだけで
 モーレツに恋をしてしまってたのでした。
 思えば女子校で私の男性観がかなり歪んでおりました。
 世界史で高得点を取り続けて
 私の愛を伝えようとしましたが全く効果はなく、
 このままでは私の気持ちは伝わらないと、思い切って
 先生の家に電話して、どこかに連れてってくれとお願いし、
 一緒にドライブに行くことに・・・。
 ドライブ当日、車で2時間ほどの県境のダムへ。
 助手席には緊張のあまり石のように固くなって
 沈黙を続ける私がおりました。
 ダム周辺の散策や、当時流行っていた
 巨大迷路などを黙々とこなし、しまいには
 「きみってあんまりしゃべらないんだね」
 「...(やっぱり沈黙)」
 帰り道、ログハウス風のレストランで
 生まれて初めて高菜ピラフを食べ、
 「あぁ、私ってオトナっぽい」(←漬物ギライ)と感じ入り、
 砂糖抜きのコーヒーを生まれて初めて飲み、やはり
 「あぁ、私ってすっかりオトナだ」
 としみじみしていたことを覚えています。
 今のダンナさんとの初デートのことは
 ぼんやりとしか覚えていないのに、
 あの日の車の中の暑さや、緊張感、レストランの木の香り、
 いろんなことを昨日のことのように強烈に思い出せるのは、
 まだピュアピュアだったハートには
 刺激が強すぎる出来事だったからかなぁ。
 (チビ)

・小学生のころ、
 映画の終わりなどに出てくる
 「THE END」というのを、
 「テヘ エンド」と読んでいました。
 (匿名希望)

・中学生の時に見た夢なのですが、
 私は白い霧のような中をゆっくりと落ちていきます。
 するとどこからともなく声が聞こえてきてこう言いました。
 「人間の体は4つのBでできている。
  ブレイン、ブラッド、ボーン。もうひとつは・・・」
 ここで目が覚めてしまったため、
 もう一つのBがいまだに謎です。
 (めぐ)

・「アイロンは洋服のしわをとるためのもの。
  だから、熱いの。
  コンセントが入っている時は特に気を付けて」
 と言われて、
 「だったら、手のひらのしわ(指紋、手相)もとれるかも。」
 と思って、親のいないときに
 コンセントを自分でいれて、熱くなったことを確認してから
 左手の手のひらにジュッと当てて
 「ギャァー!」
 思いついた時は、
 「私って、なんて頭がいいんでしょう!」
 って思ったのですが...
 (茶花)

・デリバリー版で、
 「幽体離脱して体が浮き上がってるから、外に出てみた」
 というおたよりがのっていましたが、
 同じ体験をしたわたしとしては、
 「なんて勇気があるんだ!」と、ちょっとびっくり。
 だってあれは人生のなかでも
 指折りの「ぞっとした」出来事だったからです。
 そのときわたしは高校生。受験勉強中でした。
 夜中ふっと目が覚めると、なんと
 ベッドで眠っているわたしを天井から見下ろしていまして、
 「あ、幽体離脱だ。死んじゃったんだ」
 と直観で思いました。
 そのときの血の凍るような恐怖というか絶望感というか。
 なんとか体に戻りたいと思いましたが、
 どうやっていいのかわからず、泣きそうでした。
 「明日の朝、わたしが死んじゃったのを知って
  おとうさんとおかあさんがどんなに悲しむだろう」
 と考えてますますオロオロ。
 「どうしよう、どうしょう」と思っているうち、
 また意識が遠のいていきました。
 そして翌朝、目が覚めたときのうれしさといったら。
 思わず手足をつくづくと眺めて喜びをかみしめました。
 大学に入って心理学をかじったところによると、
 こういうことは、体と心の成長のバランスが崩れていたり、
 精神的に不安定だったりだったりする思春期に
 ありがちなことなんだそうです。
 ちなみに、作家の泉鏡花が、小説のなかで
 幽体離脱についてかなりリアルに書いています。
 さすがの描写で、思わず「そうそう、そんな感じ」と
 妙に共感したのを覚えています。
 (T)

・学校の先生が付けた名前…という話題で思い出しました。
 高校の時の生物の先生は、
 まのめ先生とおっしゃったんですが、
 ヒゲ面でとても厳しく、笑った顔を見せない、
 でもダンディで絵が上手な素敵な先生でした。
 そんな先生は三人の娘さんのお父さんで、娘さんのお名前は
 「美々(みみ)」「愛々(めめ)」「萌々(もも)」
 だったそうです。もう一人女の子が生まれて
 「むむ」なら、ま行が完成だね…と、友人と話してたっけ。
 この話を聞いて、先生の事、すごーく好きになったなあ。
 (Noriko)

・よくモノをちらかす子供だった私は、
 ある日、母親から
 「ペンのキャップは、きちんと
  元にもどしてはめておかないと、爆発するよ!」

 とウソを吹き込まれました。
 しかし、そんな非科学的なウソを
 見抜けない子供のこと、
 すっかり信じ込んでしまったのです。
 それでしばらくたったある日、
 大好きなお絵かきを終えてはっと気付くと、
 近くに転がっていたはずの
 ペンのキャップがありません!
 「大変…」と思い、懸命に
 あたりを探しましたが見つかりません。
 「やばい…これは親にいえない」と、
 小さなヒミツを抱えてしまった私。
 ドライブなどで家族で遠出をした際など、
 「今ごろペンが爆発していて、
  帰っても家がないかもしれない」
 と一人静かにブルーになっていました。
 (めえめえ)

(ミニコメント)

先生に子どもが生まれて名づける瞬間だとか、
子どもの頃によくみた夢だとか、
記憶力が発達しているからこその、
ガキばなしを、いくつか選んでみましたよ。
「思えば、あの先生は、ずいぶん若かったんだよな」
なんて、小中学校の先生を、思い出している人も
いるかもしれませんね。

あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!

あなたや、あなたのまわりのガキばなしを、
件名に「ガキ」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね!

2003-08-22-FRI
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