(9月10日)
・中学の先輩で
「新妻小夜子」さんという方がいました。
本人は中学生にしては色っぽく、
いつもみんなに「新妻初夜子」さんと呼ばれてました。
青い盛りの中学時代、
新妻さんの名前を学校新聞で見るだけで、
「小→初」と脳内変換して
勝手にドキドキしたのも、良い思い出です。
(k)
・お母さんのお名前で検索して、
スゴイことになっていた方がいましたが、
私は、小学校時代のもう、
何十年も会っていない友人で、
「たぶん、あの子は絶対に検索して
引っかかるような人物になっているだろう」
と、アテをつけて楽しんだりしています。
勘が当たると、やっぱりね〜、と
自分の目が確かだったことに満足します。
ちなみに私は、たくさんの方に、
お電話をしなければならない仕事の時があり、
『中居マサヒト』とか、『野口四郎』とか、
ニアミスのお名前に結構、出会います。
なんだか、色々言われるんだろうなー、と
知らない人のことですが、余計な心配をしてしまいます。
(あさ)
・大学時代、寿史(ヒサシ)君という
友人の家に遊びに行ったとき、
彼の友人から彼宛に手紙が届いていました。
その手紙を見ると宛名のところに本気で間違えたのか
○○ 寿司 様
もちろんそれ以来彼のあだ名は「スシ君」。
本人の意とは反してあまりにも広まったこのあだ名。
嫁にはスシ呼ばわりされてますが、
娘には呼ばせたくないみたいです。
(JT)
・高校時代、うちのクラスにやってきた転校生を
私ら女子は「そうしょく」と陰で呼んでいました。
目と目が離れていたから、草食動物=そうしょく。
髪が茶色でサラサラで、当時うちの地元には
あんまりいないカワイイ系の男の子でしたが
女子の間ではテレ隠しもあったのか、
「そうしょく」でした。
いちど、そばで「あっ、そうしょくが」って
コソコソ言ってたらこっちを見て
ニコッと微笑んだので、ホントは気づいてたみたい。
ゴメンね、そうしょく。
(えす)
・高校のとき、クラスに同じ苗字の男子がいました。
私の名前は「としえ」、彼の名前は「としひろ」です。
担任の先生は、区別するために、その男子のことを、
「〇〇とし!」と呼ぶのですが、
そこまで一緒なんだけどなー…と思いつつ、
ついつい反応していました。
(とし)
・高校の古文教師のあだ名が「ピョコタン」といいました。
歩く様が腰を上下に振るような動きをしていたからです。
アフリカ現地の人が戦いの踊りをするイメージというか、
ドリフの加藤茶さんが
腰を前後に振るのをお尻だけ上下に振る感じ。
ですから歩いていると、斜に掛けた重そうな鞄が
腰の上でポコポコはねていました。
(匿名希望)
・だいぶ前の話ですが、うちの社の
「大場さん」という方が課長になった時
呼称が問題になりました。
大場課長…オオバカチョウ…ではまずい、と、
苦肉の策として役職ではなく
職掌の”主事”という肩書きで呼ぶことになりましたが、
他にそんな呼び方をされる方はいなかったので、
ものすごく違和感がありました。
幸い早くに部長に昇進されたので、
短期間の呼称ですみましたが……。
(やっちゃん)
・小学生のときのクラスメイトの斎藤くん。
緊張するとしょっちゅう顔が赤くなる。
ある日、理科の実験でリトマス紙を使った。
「斎藤、酸性」が彼のあだなになった。
その時はひどいと思ったが、彼のおかげで
「リトマス紙は酸性だと赤くなる」と覚えられた。
(k)
・中学の時、隣のクラスに「花形」君がいました。
彼は学校中の人に(勿論先生にも)何の疑いもなく
「ミツル」と呼ばれていました。
母の勤めていた会社に、「力石」さんがいました。
彼も会社中の人に、何の疑いもなく「トオル」と
呼ばれていました。
・・・両氏とも、ワタシは本名を存じません。
(さなん)
・化学教師のあだ名は「フニャ」でした。
歯が五月雨に抜けていたせいで、滑舌がすごく悪く
非常に聞き取りにくい発音から名付けられました。
先生もその辺はご存知で、
授業では話よりも板書が多い先生でした。
一番前に座った「フニャ語」を理解する友人が
板書をしない連絡事項などを、
私たちに同時通訳してくれました。
(匿名希望)
・小学校の頃(思い起こせば22年前…)母が粋な!?人で
私の髪にはくりくりのパーマがかかっていました。
当時、皆おかっぱの中、一人
くりくりの毛の私のあだ名は「ラーメン」。
そして中学に上がり、
校則もあるためストレートにしたところ
皆から「うどん」と呼ばれるようになりました。
その時は、(あ、なるほど)と思っていましたが、
今考えれば誰だってうどんじゃん!
(みやちゃん)
・中学の頃、「ドラ」と呼ばれていた子がいた。
もちろん、顔がドラえもんそっくりだから。
それから、中2の頃友人と3人で、
朝会ったらじゃんけんをして負けた子の
その日1日のあだ名を付けるという習慣があって、
その頃のあだ名は傑作揃いです。一番すごいのは
「すぐに『なんで〜』、でもって口答え」
というあだな……反抗期だったんだなあ。
今でも当時の日記にその日のあだなが残っています。
(k)
・塩川財務大臣が「塩ジイ」と呼ばれているように、
私の通っていた男子高校でも、
高齢の先生方の何人かは、
「○ジイ」と呼ばれていました。
私のクラスの担任は「磯○」なので「いそジイ」、
数学の「浅○」先生は「あさジイ」という風に。
ところが、なかでも特にご高齢だった物理の先生は、
たいへんやせておられて、
黒板に書くチョークの文字もこころなしか
震えているようにみえたせいか、
名字に由来するわけでもなく
「ひもじい」と呼ばれていました。
(kog)
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(ミニコメント)
……おあとがよろしいようで、
と言いたくなるうまさですね、「ひもじい」は。
あだなの話って、特に名付けの瞬間や、
名前が呼ばれるときの状況が、
すごくハッキリと伝わってくるところがおもしろいです。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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