(9月11日)
・「ザビエル」という先生が
各地にいらっしゃったようですが
わたしの高校にもいました。しかも多数。
その多数の中でも髪の色素が薄めの先生を
ひそかに
「茶カッパ」
と呼んでおりました。
けっこうお堅い学校だったので
本人に直接呼びかけたことはありませんが。
(c)
・わたしの学校にも
「ザビエル」というあだ名の先生がいました
いづこも同じなんですね
(y)
・中学の先生のあだ名が「ザビエル」。
まさに私の担任がそうでした。
しかも、社会科です。
去年、マレーシアのマラッカに行ったとき、
「フランシスコ・ザビエル教会」というのがあって、
同行してくれたマレーシア人の友達に
「中学時代の先生のあだ名がザビエルだった。
なぜなら、見た目が似ていたから」
と片言の英語で説明したら、
えらく大笑いしてくれました。
国際交流のきっかけをつくってくれて、
先生、どうもありがとう!
(ももこぶた)
・女子高時代、
日野先生という社会科の先生がいました。
ちょっとてっぺんが寂しくなった感じの人でした。
ある年の正月明けの授業で、
「あけましておめでとうございます。」
と、みんなで挨拶した後、
友達が何気なく
「正月だけに、初ひの出〜!」と叫びました。
別に深い意味はなく、ただ単に
日野先生の名前に
かけただけだったらしいのですが、
当の先生には[頭のこと]を言われていると
感じられたらしく、かなり激怒して授業を放棄、
教室をでていってしまいました。
言った友達はもちろん、クラス全員で
一生懸命フォローしたのですが、ダメでした。
まったく、高校生の私達より、
相当子供な人だな〜と、苦笑いものでした。
(きゅるり)
・私には2人弟がいます。
下の弟のことはずっと名前で呼んでいるのですが、
小学校の頃、上の弟のことをなぜか
「おじいさん」と呼んでいました。
弟も嫌がるわけでもなく、
普通に返事をしていましたが、
親はかなり嫌そうな顔をしていました。
ちなみに、祖父のことは
「おじいちゃん」と呼んでいました。
(パンナム)
・あだなというかよくわかりませんが、
うちのじいちゃんは
私(まゆみ)(24才)のことを
ちいさいころから、「まむち」、
機嫌の良い時は「まむきんきゃん」と呼びます。
父さんの妹(みさこ)のことは「えざん」
父さんの弟(みつる)のことは「いちゅーちゃん」。
なにがなんやら。
(ばうむ)
・同じクラスでおとなしい女の子なんですが、
笑い声だけ、がはははとでかいんです。
そこでつけたあだなが
”画伯” 本人には意味を聞かれても言えませんでした。
(てんてん)
・今は、よくある普通の名前ですが、
旧姓が「東中(ひがしなか)」でした。
高校時代のあだなは、男の子からは
ほぼ、「とんちゅう」。
マージャンを知らない私は、なんで???
と思っていました。
家で、そう呼ばれることを話すと
母以外は、みんなそうらしく
父は、「とんちゃん」と子供のころから
呼ばれていたそうです。
姉は、中学入学のとき出席番号がはじめのほうに
あっておかしいと思っていたら、
先生に「あずまなかさん」と
呼ばれたと怒っていました。
(a)
・大学の時、「粉吹き芋(こふきいも)」という
あだなの女の子がいました。
理由は、化粧が濃すぎて、
鼻にあった大きな黒子がファンデーションやらの
粉にまみれ、まるで
粉吹き芋のようであったからです。
今思うとちょっとかわいそう。
でも、やっぱりぴったりだったなあ。
(U)
・とっても勉強のできた大庭君。
でもあだなは「バカ」でした。
それは授業中に答えようとして
挙手した大庭君への先生の一言が原因でした。
先生は「あぁ大庭か。(おおばか)」と言ったのです。
そのあだなに奮起し、今は某大学の教授になったとか。
(徳左衛門)
・先生たちのあだな、
見ていて私も思い出しました。
その名も「O2(オーツー)」酸素、です。
授業中喋ると息を切らし
(何しろものすごくオペラ風なので)
隙を見つけては水を飲みに行ってたことから
「酸素と水が足りないんだ」
そしてO2。
あだ名がついたぐらいじゃ足りるわけもなく、
隣のクラスで授業をしていても
廊下を通り水道へ向かう姿が微笑を誘いました。
(西)
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(ミニコメント)
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よかったら、そちらもたのしんでみてくださいね。
いちばんあだなになりやすい歴史上の人物は
ザビエルかもしれないけど、
いちばんあだなをつけられやすい先生の教科って、
何だと思いますか?
理科もいいし。英語も体育も捨てがたいし……。
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