(9月19日)
・中学校の理科の先生の顔は、
天才科学者「スティーブン・ホーキング」そのもの。
生徒からは、学問ジャンルが被っていることもあり
「偽ホーキング先生」と呼ばれていたのですが、
そのうち略されて
「にせほせんせい」と呼ばれてました。
(みほ)
・ゼンという先生がいました。
そう、あの化学式(っていうのでしょうか?)が
六角形のベンゼンです。
顔の形が見事な六角形の先生でした。
とてもおっかない先生で、
面と向かってベンゼンなどという
勇気のある生徒は皆無でした。
その先生に初めてのお子さんが誕生しました。
授業が始まる前、
黒板におっきな六角形とちっちゃな六角形を書き、
ちっちゃな六角形に日の丸を立て、
さらに「子ベンゼン誕生おめでとう」と
大書しておきました。
教室に入ってきた先生は、
それを見るなり声を出さずに相好をくずし、
笑顔のまま黒板消しで
ていねいに文字と絵を消していました。
ベンゼンのあんな笑顔、
後にも先にも見たことありません。
(茶腹)
・皆さんのメールを読んで、私も思い出しました。
高校の化学の先生のあだ名が「オングストローム」。
初めて授業で出てきたこの単位を
あまりに力強く、はっきりくっきり発音したため、
即日、あだ名が決まりました。
あの時の声は、数十年経った今でも鮮やかに蘇ります。
(文字で声が伝わらないのが残念!)
黒縁の眼鏡をかけ、いつも白衣に身を包んでいた、
真面目な、いかにも「先生!」という感じの先生でした。
後日、その先生が私と
遠い親戚にあるとかないとかという噂を
両親の田舎でちらりと小耳に挟みましたが、
未だ誰にも公表していないのは、
言うまでもありません。
(雅子)
・先生のあだ名は「ヒグマ」でした。
といっても北海道の熊(ひぐま)ではありません。
高校の数学でΣ「シグマ」を習うかと思いますが、
その時の数学の先生はどうしても「ヒグマ」と
言ってしまうのでした。
別に江戸っ子ってわけではなかったと思います。
(正美)
・高校の時、
化学の先生は「のんや」と呼ばれてました。
なんでも自分の傘に名前を書くとき、
「私のだ!」という意味で
「○○のんや」(関西弁)と書いていたため、
名前でもないのに、以来
「のんや」と呼ばれるようになったんだとか。
その先生の本名がいまだに思い出せません。
(ごんた)
・中学の時の
理科の先生は「デー」と呼ばれていました。
A,B,C,D,をエービーシーデーと言うからです。
「ディーといったらビーと似てて紛らわしいだろ!」
というのが持論でした。
高校にはデーの弟がいて、数学を教えていました。
ひそかに「イー」と心の中で呼んでました。
(かなか)
・私の中学のときの
地理の先生のあだ名は「麦」でした。
頭の形&ヘアスタイルが
麦の穂のようだったからです。
あるとき、男子が授業中にスポーツドリンクを
先生の目を盗んで飲んでいると、
先生がそれに気づいて、
「お、うまそうだな。
ちょうど喉が渇いてたんだ。僕にもくれないか」
といって取り上げ、
間接キスでごくごくと飲み始めてしまいました。
その男子は、
「うわ〜やめろ〜! 麦茶になる〜〜〜!」
と絶叫していました。
(ana)
・ちょっと前に
「ジョンソン」さんと「ハンソン」のお話がありましたが
小学校の時の同級生の竹村くんは、
久しぶりに会ったら「チクソン」と呼ばれていました。
(しば)
・高校の時の
日本史の先生のあだ名は「大王」(おおきみ)。
20代後半の青白い先生でした。
たまに、ださいトンボ眼鏡をはずした瞬間の
秀麗な素顔を拝見することができて、
一部の女子で人気でした。
(まくず)
・高校の頃、同級生の女の子が
怪我をしてずっと包帯を巻いていたので
「怪我人」と呼ばれていた。
それがいつの間にか短縮され
「毛ガニ」になり、定着してしまった。
(リンネル)
・高校の国語の先生です。
授業に熱が入るとご自分の話に陶酔され
口角泡をとばし、
唾が前列の生徒までとんできます。
勿論あだ名は「椿姫」です。
容姿からくるイメージは全然違いましたが。
(issui)
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(ミニコメント)
今日は、特に愛されていた先生を紹介しました。
やっぱり、愛されている先生のエピソードのほうが、
数段、伝わってくるものがありますねぇ。
「子ベンゼン誕生おめでとう」は、ジーンと来ました。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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