(9月22日)
・色々な先生のあだ名を読んでいて思い出しました。
高校の時生物の先生に
「ガンガン」と呼ばれてる先生がいました。
ちょっと無骨な感じの先生で、ラグビー部の顧問。
でも、ラグビーのことはちっとも分からず、
生徒へのアドバイスはいつも
「ガンガン行こうぜ!」
そこからきたあだ名だったと記憶しています。
他にも体育祭で頑張って走り過ぎて
肉離れをおこしてしまったり、
予餞会で歌を歌って高いキーが出ずに
音を外してしまったり…いつも一生懸命な先生でした。
元気にしてらっしゃるかなあ…
(コ)
・妹の高校の校長先生の話。
始業式から朝礼やいろんな場で
先生の話は一言「しっかりやれ」。
挙句にその年の壮行会のスローガンとして
看板に大きく「しっかりやれ」と
書かれてあったそうです。簡潔でいいよね。
(y)
・名前の話で思い出したのですが、
マキと言う名前の友達のあだ名は
「ポール」でした。
(i)
・小学校の頃、耳が大きく
さらにとても伸びるという理由で
「耳」というあだ名の人がいました。
新聞係だった私は「耳」に
耳を思いきり伸ばしてもらい、
定規で長さをはかって
号外に書いた思い出があります。
確か縦が10センチくらいあったと思います。
そのクラスには他に
「顔」「目」「眉毛」
と呼ばれる人たちもいました。
(う)
・中学に入学したての頃、
教科ごとに先生が変わるということが
新鮮だったと同時に覚えにくかったので、
「しょっちゅう先生の名前を呼ぼう!」
ということをなんとなく実践してみました。
「あーねむいなぁ」を「あー田久保先生!」
「あーおなかすいた」を「あー鈴木先生!」
というように。
それはある日の帰り道だったのですが、
家につく頃には既に飽きられていました。
ちゃんと「先生」と呼んでいる辺りがかわいいよなあ。
(nasu)
・小学生のとき私は
「具体的」を「舞台的」と信じこんでいました。
よせばいいのに自信たっぷりの口調で
オトナっぽく、おもいっきり
「舞台的に!」と言ったとたん成績優秀なE君に
「それは具体的でしょう」と
クールに訂正され絶句しました。
今、ふりかえって考えても
「舞台上で演ずるように表現する・・・」
というのは、わかりやすいような。
やっぱりちがうかなぁ?
(き)
・高校時代、部活(科学部)の同期に
「ドリー」が居ました。
生物の試験で、「ミトコンドリア」という単語が、
語感は思い出せてもどうしても
正確には出てこず、苦し紛れに
「ミドリアンコ」と書き、
あまつさえテストの返却の際に
「科学部の癖に、ミトコンドリアを
ミドリアンコと書いた奴が居る」
と、公表してしまったのです・・・・・・
そのクラスの科学部は彼一人。
しばらくすると略されて
「ドリー」になっていました。
それを今でも先生が
笑いの種として話しているらしく、
10年経った今でもOBとの懇親会や学園祭で、
1年生が
「ドリー先輩って来てますか?どなたですか?」
と聞いてきます。
もしや、我が校の卒業生中で
一番あだ名を知られている人では
ないのでしょうか・・・・・・。
(key)
・高校の先輩に
テツロー先輩というかっこいい人がいました.
その先輩の彼女は
茶バツのロン毛でとてもスリムだったその人は
メーテルさん、と999ネタで
と呼ばれていました。
(クイ)
・私が中学生の頃、
「北京(ペキン)」と呼ばれている
社会科の先生がいて、その先生、世界史の授業で
「原人」のセクションを見事に抜かしていました。
よっぽど「ペキン原人」という言葉を
口にしたくなかったのでしょう……。
お蔭様で、私と同じ中学校の同期は
原人について習っていませんので、
高校入試の時に苦労した……。
(思兼)
・中学のとき、ひっきりなしによくしゃべる
「技術・家庭科」の女教師がいた。
その先生のあだ名は「チュンコ」。
チュンチュンうるさいすずめのようだからだ。
全校生徒共通で呼ぶあだ名だった。
「先輩から受け継がれたあだ名なのだろう」
と思っていたが、
私と二回りほど年の離れた叔母が在籍中には、
「すずめ」というあだ名だったらしい。
どの時代を境に変わったのだろう。
(まあ)
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(ミニコメント)
ヒステリックな先生や
心配性の先生が多い一方で、
ざっくりしすぎている先生も、
印象に残るんですよねぇ。
どんなアドバイスでも答えは
「ガンガン行こうぜ!」というのがおかしくて、
ついつい、「しっかりやれ」の校長先生まで、
紹介しちゃいました!
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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