(10月16日)
・ぼくが小学校2年生だったころの思い出。
いつもの学校の帰り道で急にウンチがしたくなった。
家まで持たないどころか一歩も歩けない。
下っ腹がキュウウッと痛い。周囲に誰もいない。
「早くやれば大丈夫だ」と判断、人通り少ない路地で
生まれて始めての野ぐそをした。
「はー」
ビンチはきりぬけたようだった。しかし!
まだ終わらない内に人の足音が!
慌てて立ちあがりながらズボンを引上げ
振り返ると同級生だ。僕は間髪入れずに言った。
「見てみー、犬のウンコやでー」
二人で黙ってウンチを見つめた。
バレなかったと今も固く信じてます。
(政)
・私の子供のころは、他人の山に入り
柿の木に登り一口食べては投げ、また隣の木と、
今の子供なら大変!
大きな声ではいえませんものね、泥棒なんだから(笑)
見つかっても「こらー」ですんだ
のんびりした時代でしたね。
1957年ころの子供ですが、貧しかったけど、
いいガキの時代を過したと思います。
(かーこ)
・我が家の小4の息子は、
小さい頃から本をよく読んでいるので
難しい言葉をよく使い、先日も
あれこれうまくいかずに悩む
中3のお姉ちゃんに
「闇雲に行動するからうまくいかないんだ!」
と説教をする始末。
その中3の娘は自分が何を言われたか分からず
「???
中3なら意味を知っとけ!って思うんですけど……。
そんな彼の父(私の夫)は40歳を目前にして
「木更津キャッツアイ」を
「奇天烈キャッツアイ」と読むし。
子供が泣くまでプロレス技をかけるし。
怒ったらちゃぶ台ひっくり返すし……。
そんな時、密かに父と息子の
魂が入れ替わればいいのに……と思う私です。
(こおろぎ)
・私は小さいとき、
コウノトリが赤ちゃんを運んでくる……とは
思っていなかったのですが、赤ちゃんというのは、
結婚した女の人のオナカに、
神様がこっそり入れてくれるものだと思っていたので、
「神様はどうやって結婚した女性を見分けているのか」
が、最大の謎でした。
結婚式を挙げるのは、そうしないと
神様に結婚したことが分からないからだろうか、とか
仲良く暮らしている兄妹がいたら、間違えて
赤ちゃんを入れてしまうことがあるんじゃないか、
とか、色々考えてました。
神様の責任じゃないけど、
色々間違いが起こることもあると知ったのは、
中学生になってからです。
(MAKI)
・中学2年の頃、消しゴムのカスを丸めた
直径3ミリくらいの球と下敷きを使った
野球ゲームが流行りました。
下敷きに鉛筆で野球のダイヤモンド、
さらに内・外野、スタンドを描き、
さらに内野フライやヒット,ダブルプレーなどの
エリアを設けて、完成です。
遊び方は簡単、消しゴムの球を
ホームベース上から人さし指ではじいて、
球が止まったエリアの内容で
次のアクションが決まります。
何のことはない、投球装置のない
野球盤みたいなもんですが、男どもの間で大ブレイク。
授業中、先生の目を盗んで
友達と下敷きを回してプレイしておりました。
その後、教師への露見・粛正というこの手の遊びに
ありがちな末路を辿りすたれていきましたが、
マイブームはこの後でした。
私はこのゲームを右手と左手の一人二役で
家でやっておりました。
挙げ句の果ては、実在の高校名を使った計32チームで行う
トーナメント表や組み合わせ抽選、十数個あまりの
「公認球」の作成まで大会運営を
すべて一人でこなして高校野球大会を実施していました。
一応、春の選抜と夏の大会がありました。
真剣に実況中継を交えながら右手と左手で戦うのですが、
どちらかが圧倒的に強いわけでもなく、
また、右手はエンドランやバントなどの小技、
左手は勢いに乗った長打攻勢が得意、
といった傾向がありました。
苦労したのは、公正なジャッジ。
球がエリア境界上に止まった場合の処理には
人一倍神経を使いました。
春夏あわせて10回くらい開催し、さぁ、これから
地区予選もと思っていた矢先、
トーナメント表と球場を親父に発見され、
気まずくなってやめちゃいました。
確か最後は、春を制した”津久見高校”の
春夏連覇がかかった夏の大会の真っ最中でした。
おバカなあの熱気は今では到底理解できねぇ。
(北国育ちの九州人)
・父とウルトラマンを見ていた時
「こんなの(ウルトラマン)は人がはいってるんだ。」
と父は言いました。
普通ならそこで夢が壊されそうなものですが
兄は、ウルトラマンの中には人がいっぱいで
ウルトラマンの形になるまで
詰まってると解釈していました。
そして兄は私に、ガスタンクは怪獣の卵だと
教えてくれました。
(ふゆ)
・私もこどもの頃、
熱が出るときまって見る怖い夢がありました。
岩と岩が宇宙空間のようなところで
戦争をしているという超シュールなものです。
私はタキシードを着たカエルと並んで小型化しており、
巨大なフランス人形のようなお姫様に流れ星に乗せられ、
宇宙の中を「行きたくはない方向」に流れていく、
という今思えばものすごいSF超大作でした。
なんとも恐ろしく、寝汗をびっしょりかいて、
訳の分からないコトバを口走っていたそうです。
うなされてるんだから起こしてよ!母!
(46)
・子どもの頃、北九州市小倉に住んでいた。
小1の夏休みが始まってすぐ、
新幹線で広島の親戚の家に遊びに行った。
原爆資料館にも連れて行かれたが、
何もわからない子どもにとっては、ただ
怖いばかりで泣きじゃくって走って出てきてしまった。
長崎原爆の日の8月9日は出校日
(戦争当時、小倉が原爆の第一投下目標だったが、
曇って視界不良だったので長崎に落とされたため)
で平和学習があった。
内容は忘れたが「日の丸」が戦争と
つながりがあるということは印象に残った。
秋になり、運動会の練習が始まった。
開会式の中で「国旗掲揚」があり、
「君が代」のテープが流される中、
全校生徒が注目するポールに
日の丸の旗がゆっくりと上っていった。
私は「こんな悲しい曲は戦争で死んだ人たちの
冥福を祈る曲に違いない」と勝手に思い込み、
「みんなが天国に行けますように」と
一生懸命、心の中で拝んでいた。
「君が代」が国歌だと気付いたのは、
それから随分あとのことだった。
(銀やんま)
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(ミニコメント)
それぞれなりの、固有の子どもの頃の風景。
おだやかなものから、「なんだそりゃ」なものまで、
今日は、なんだか懐かしい気持ちになっちゃうものを、
紹介しましたよー。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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