(10月28日)
・「むしぱん」と言えば、
私の場合は、どんな虫が入っているのか?
って、細かくちぎって探しまくりました。
当時は、虫博士と言われるほど
虫が大好きだったので。
結局、『ほしぶどう』しか
出てこなかったのですが、
「いもむしを入れてパンを焼くと
こんな感じになっちゃうんだ」
なんて1人納得していました。
今思えば、そんなパンを
良く平気で食べていたものだと呆れます。
(虫キチ三平)
・正月、父の実家に連れて行かれ、
おせち料理を食べながら
カッサカサのじいちゃんを見てたら、急に、
「人間だれしも、いつかは
唾が出なくなる日がくるに違いない」
と思ってしまい、自分の唾が
出なくなった時のことを想像して不安になり、
まわりじゅうの大人に
「唾は体の中にどれくらい入ってるの?」
と聞いて回った。すんげえ怖かった……。
(茶レンジャー)
・幼稚園の頃、
社長が一番偉い者と思っていたし、
子供心に大人になったら社長になることが
すごいんだと思っていた。
(今でもすごいことだとは思うけど)
卒園の時、将来大人になったら
何になりたいかと聞かれ
「国鉄(当時)の社長」と答えたのに、
先生、親には国鉄の車掌(しゃしょう)に
聞こえたらしく、
車掌になりたいとしか
なぜか思われなかったが、
子供だったので
あまり気にも止めなかった。
(Y2)
・小さい頃の記憶って、
みなさん、何歳くらいのことから
覚えてらっしゃるんでしょう。
私は、2歳か3歳くらいだったと思います。
父が仕事から戻ってくると、
駄菓子屋さんに散歩がてら
連れて行ってもらって、
10円とか20円のお菓子を
買ってもらうのが毎晩の楽しみでした。
ある日、駄菓子屋さんの帰りに
どうしてもおしっこがしたくなって、
家は目の前だというのに、
父に道端でシーシーさせてもらいました。
でもティッシュがありません。
今考えればおしっこくらい
拭かなくたって大丈夫なんでしょうが、
父は律儀にも
ハンカチで拭いてくれました。
2歳ながらに、おしっこにハンカチとは!
と思ったのか、そのハンカチの
色と柄が印象に残り、
今でも覚えています。
その後、そのハンカチは洗濯され、
私が家を出るまで父のたんすに入っていて
おそらくたまに使われていたと思います。
父は覚えているんでしょうか。
今は病気で障害を抱えている父が、
若かった頃、まだいろいろできた頃、
母もいて、幸せだったんだろうなあ、と、
30年も前のことですが、
たまーに思い出しては、
なぜか涙が出たりします。
(くみこ@サンノゼ)
・私が幼稚園に行ったか行かないか、
くらいの頃だと思います。
どこかへお出かけした時に
運固がしたくなり、
親にトイレまでついてきてもらいました。
そのとき私は便器に書いてある
「TOTO」という文字を見て、
これは何か?と親に尋ねました。
すると親は
「運固がいっぱい出ますように、
っていうおまじないだよ」
と教えてくれました。
以来、私は便の出が悪い時は心の中で
「とーとー、とーとー」
と唱えていました。
母さん、何でそんなウソを・・・!?
(たかすぃ)
・彼の家へ遊びに行った時、
彼の甥っ子姪っ子に会いました。
幼稚園生の元気でカワイイ子達でしたが、
彼の部屋で彼と二人きりになって
ゆっくりしようと思ったときに
どたどたと甥っ子姪っ子がやって来て、
「おねえちゃん
おっぱいおおきいおおきい!」
「うちのおかあさんよりおおきい!」
と騒いではしゃぎまくられました。
子供もおっぱいすきなのね。
(ベルガモット)
・子供の頃、近所にあった標語の看板に
「暗い道 夜光ダヌキが身を守る。」
と書いてあり、そんな種類のたぬきが
いるものだな〜とおもっていたが、
実は夜行ダスキだと知ったのは
それから10数年後の二十歳直前だった。。
(た)
・わたしがまだ保育園児で、お昼寝の時間なのに
なかなか寝付けなかったときのことです。
先生同士で何かの話をしているのが聞こえてきたので
耳を澄ましてました。すると、
「5,6人で〜・・・どうのこうの・・・」
と聞こえてきました。
当時の私は「ごろくにん」の意味が分からず、
「5+6=11人、っていうことやろか?
6−5=1人????????」
という状態になり、結局寝られませんでした。
(じーじょ)
|
(ミニコメント)
「人間だれしも、いつかは
唾が出なくなる日がくるに違いない」
唾は体の中にどれくらい入ってるの?」
「ごろくにんって、結局は何人なのか?」
「いもむしを入れてパンを焼くと
こんな感じになっちゃうのかなぁ?」
どれも、子どもなりの質問で、すごいかわいかったです!
(木村俊介)
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
|
|