(11月10日)
・小さいころ、
夜に徘徊する軽トラ屋台のラーメン屋の
チャラリィ〜ララ チャラリラリラ〜♪
という音が怖くて、
ラーメン屋が近づくと不安にかられ、
家の前を通ろうもんなら母に抱きつき号泣していました。
私を誘拐しに来ているに違いないと思っていたのです。
「あれは○○の好きなラーメンを売っているお店なのよ」
という母の言葉も、
夜に開いているお店なんて絶対ありえない、
嘘だ!とかたく信じ込んでいました。夜中でも
買い物できるコンビニなんてない時代だったから。
思えばあのチャルメラへの恐怖は
未知の大人の世界への恐怖だったのかもなあ。
いや、ただアホやっただけか。
(り)
・「ガキの頃は…」の中で
スイカバーの話が出ていましたが、
私はその発売元の企画室にいました。
スイカバーのリニューアルの時にサイズを
やや大きくすることになったのですが、担当者が
「スイカがビッグはいいとして、
種もビッグって言うのは
マイナスイメージじゃないかなぁ」
と商品コピーについて
真剣に悩んでいたのを思い出しました。
結局チョコでできた種を
大きくしたのかどうかは覚えてないです。
(pon)
・小学生の頃、担任の先生を、
父の変装した姿なのではないかと疑っていました。
担任が、個人的に話し掛けて来たりすると、
「やっぱりな」と思った。
僕が見抜いているとも知らず(?)
何食わぬ顔をして仕事から帰った父が、
夕食の時に「学校は楽しいか?」などと聞くと、
内心「知っているくせに」と思っていました。
運動会か何かの時、父と担任を同時に見て、
ようやく疑いが晴れ、ほっとしたものです。
(Dr.リビドー)
・足で踏みつけはしませんでしたが、
給食のパンを適量ちぎって、
手でこねこねこねこねこねくりまわし
「魚のえさ」風にして食べるのが流行っていました。
ちゃんと食べるときは目を見開いて、
くちをパクパクさせて魚の真似をして、
すごい人になると噛まずにごくん、と飲み込むんです。
私は結構できるほうでした。
黒パンだとより魚のえさっぽくてナイスです。
(おまめ)
・小学校の時、人気のきな粉パンを落としたKくん。
泣いていたところ、担任のT先生が
「何でも洗ったら食べられるんだ。
食べ物を無駄にしてはいけない」
と諭し、彼は早速洗って悲しそうにかえって来ました。
しかし、Kくんは給食バットを見るなりニタッと笑って
そこにさっきのパンを転がして、みんなに見せたのです。
しっかりときな粉だらけのパンがありました。
そのあと、なめたパンを転がしに行く列ができたことは
想像のとおりです。
(すず)
・私は小学校3年生の時、大変な姉御肌で、
ガキ大将のような感じでした。
女版ジャイアンといっても差し支えないでしょう。
ある日クラスで文集を作ることになり、
一生懸命皆は自分の似顔絵やプロフィールを書き、
作文も書いて出来上がるのを心待ちにしていました。
とうとうできあがった文集を配られ、
読んでいくうちにクラスがざわめきだし、
なんだかちらちらと私に視線が……。
なんとクラスのT君がプロフィールの将来の夢のところに
「○○(私の名前)ちゃんと結婚したい」
と書いていたのでした。
私はメチャメチャに冷やかされ、
気の弱いT君でなく
クラスのアイドルM君が好きだった私は
その日の帰り道T君をボコボコにして帰りました。
その後の彼は剣道部に入り背も伸びて、
教習所であったときは大学生で
かっこよくなっていました。
思い出したけど彼のお父さんは社長で、
彼もいずれは後を継ぐそうな、
惜しいことしたかな・・・。
(PRO.M)
・中学1年の秋の日の夕方、
小学校時代から好きだったMくんと
学校の渡り廊下でばったりと出会いました。
いつもならただすれ違うだけなのですが、
いきなり彼から声をかけられました。
「ねえ、○○(Mくんの男友達)のことどう思う?」
彼の口から出た言葉の意味にうちのめされながらも、
2人きりで話せたことのうれしさ。
部活の後でかなり遅い時間だったせいか、
なぜかまわりには全く人影がなくて、薄闇のお陰で、
赤面と動揺でこわばった顔を見られなかったことに
心から感謝しました。
あの時、精一杯の平常心で「特別何とも思ってない」と
返事するのがやっとでした。
(みこ)
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(ミニコメント)
最近、メールマガジン・デリバリー版で
人気の「初恋の日」からも、
いくつか、未掲載のものを、おとどけしました。
初恋の現場にも、ガキっぽさが存分に出るんですよねぇ。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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