(11月16日)
・ヒーロー戦隊で思い出しました。
私がガキんちょの頃、ゴレンジャーが大好きでした。
ゴレンジャーごっこでは、モモレンジャー役。
それを見ていた母が、
「おまつりにゴレンジャーが来るよ」と一言。
私とゴレンジャー仲間のお友達は、
わくわくで夜も眠れないほどでした。
おまつり当日現われたのは、
母達が扮する大人版ゴレンジャーごっこ…。
うちの母は、父のバイクのヘルメットを
ピンクに塗り、ピンクのゴム手袋にマント姿で
モモレンジャーになりきっていました。
次の日から、ゴレンジャーごっこは下火になりました。
(n_ken)
・友人の弟は、ガムが包まれている銀の紙を
ギュと細くしてコンセントに差し込んでました。
ビリッしたあと、呆然と壁に向いている
彼の姿を、今でも鮮明に思い出します。
危険なぎりぎり感を楽しむわけでなく、タダ単に
小さいものやごみをコンセントの差込口に仕舞う
癖があったからやっちゃったみたいです。
其のことを、会社の友人に話すと
「私はスプーンの背の方を入れましたよー。
○○さん(私)は?」と
子供だったらそんなこと当然やったでしょ、と
言わんばかりに言われちゃいました。
(GU)
・小学生の頃、通学路で通る知らない家に入っていき、
出てきた家の人に
「のどが渇いているので水をください」
といって水をもらうのが、
一時期、私の周りで流行っていました。
毎回違う家に入って行くことを決まりとしていました。
友達とは、「ここの家の水は美味しかった」とか
「ぬるかった」とか、評論し合っていました。
ある日、いつもと同じように
「のどが渇いているので水をください」
といって水を頼んだのですが、出てきたものが
「氷を浮かべたカルピス」でした。
特別に美味しいと感じたカルピスでした。
先日、実家に帰ったときにその家の前を通り、
ふっと突然思い出し、
すごく懐かしくなりました。
(まこと)
・アリスさんの投稿で思い出しましたが、
わたしが小学生だったときの運動会でも、
綱引きで綱が切れました。その小学校は
開校4年でそれほど古くはなかったのですが、
綱が腐っていたようです。
最初は端っこのほうで切れ、まだ残りが
十分な長さがあったため、残りで綱引きを続行しました。
ところが、今度は真ん中近く、しかもわたしが
握っていたところの一人前で切れた!
50人近くで握っていた綱ですもの、わたしたち、
切れたところにいた子供たちは吹っ飛びました。
もちろん綱引きは中止。かけっこはいつも
びりっけつで悔しい思いのわたくしでしたが、
この時ばかりは、このことが一番の思い出です。
さて、わたしたちは6年生でしたので、
卒業記念の贈り物を学校にするのです。
父母会で決定したものは、もちろん綱引きの綱。
卒業式で目録を読み上げたとき、
会場からくすくす笑いがこぼれたのは
言うまでもありません。
(なす)
・中学時代、本当に大好きだった男の子がいました。
学校帰りに待ち伏せて
誕生日のプレゼント渡したり、
友達に頼んで彼の情報収集…。
今考えると今の自分じゃ
絶対やらないような行動ばっか
(しかも怪しい)とっていましたが、
あの頃の彼を好きだった気持ちは
今では計り知れないくらいだったと思うんです。
年を取るに連れて、純粋に誰かを好きって
思うことができなくなってしまった気がします。
月日が経っても、彼は心の奥底に潜んでいて、
ふとしたときに私の心をかき乱します。
高1の冬を最後に、彼とは一度も会っていませんが、
有名人になってしまった彼を
メディアという媒体を通して見るとき、
なんだかとってもあの頃の彼への気持ちを
思い出してしまう。
そんな成長した彼を姿を見ると、
あたしが大好きだった彼と同一人物なのかなって
思ってしまい、自分はまったく
成長できてないじゃないかと
なんだか切なく、不安になります。
日本とは太平洋を隔てた違う国に住んでいる私は、
もう彼と会うことはないでしょうが、
人を本気で好きになると言う気持ちを教えてくれて
どうもありがとう。
(のらうさぎ)
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(ミニコメント)
托鉢僧のように「水をください」って遊び、
ずいぶん前に紹介した「こじきごっこ」や
わけのわからない境遇のままごとなどにも通じますね。
子どもって、わけのわからん設定が、大好きですから……。
あなたや、あなたのまわりの「ガキばなし」は
postman@1101.com
こちらまで、件名を「ガキ」として、
どんどん、おおくりくださいませー!!!
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